2009年3月6日金曜日

「雪融け」

晴れ渡った早い春の朝
昨夜降り積もった雪が融けていくのは
淋しい

汚れた長靴も欠けた鉢植えも
トタンの屋根も
コンクリートのひびも
今朝こそは晴れ晴れとしているというのに

冬の使いの魔法のダストは
頭上まで昇った陽に照らされて
醜く形を崩していく

わたしはといえば
大きな窓の近くで
胡坐をかき目を閉じ
呼吸を数える
春の光に
喜びを隠しきれずさえずる鳥の声を
遠くに聞く

すると聞きなれない音を
視覚と聴覚のまじわりがとらえた

雪が
とけている
音だ

宇宙は完璧な調和
季節は止まることなく
その役目を果たす

向かいの屋根から滴る水は
ドライブを流れ車道に届き
坂を駆け下り原へ向かう
そこから先は地面に吸い込まれ
海までたどる

雪が消えた後も
陽は地面を照らし続けている

先週はじめてスノードロップの花を見た
今や生垣は真っ白な花におおわれている

(あつこ)

雪のインスピレーションのせいか、久しぶりに詩を書きました。詩なんてものは何の役にも立たないし、何の足しにもならないし、奇特な人に読んでもらえれば、それでいいものです。読まされたほうは無言になる。だって何を言っていいかわからない。いいのか悪いのかもよくわからない。なんについて書いてあるのかすらわからないことが多い。だから書いても人に見せたりはよっぽどのことがないとしない。読んでくれそうな人ってあんまりいないですよね。でもまあブログというのはそういう一方通行なコミュニケーションというか、自己顕示欲のある人のつぶやきのようなものなので、書きました。

中学生くらいから結構たくさんノートに詩を書いていました。それをたまに見てくれる友達もいました。感想というほどではなくても、あの詩が好きだったとか言ってくれたり。時には何を思ったか、「新しいのは書いた?」と催促してくれるようなこともあったり。今から思えば本当にありがたいことでした。中学生ならではというか、大人になったらそんなことできませんよね。そもそも他人の個人的な心情など、じっくりと読もうなんて、時間もそんな気も無いのが普通です。

その友達は家が近所で、高校もクラブが同じで、今でも日本に帰ればあっています。最近またメールで連絡を取り始め、このブログも時々見てくれているようです。本当にあのころはありがとう。その時はそれがどんなにありがたいことか、少しもわかりませんでした。

大学のころはちょっと現代詩、自由詩に興味を持ち、本や雑誌を読んだりしましたが、最近発行された日本での詩の雑誌なんかを見ると、結構昔から知っていたような名前の現代詩人の詩がまだ載っています。これってやっぱり詩壇というのは浅いというか、よっぽどでないと認められた詩人になんてなれないのでしょうね。だって、過去百年の詩人で簡単に名前が出てくるのなんて、谷川俊太郎くらいでしょ。

私の行った大阪の住吉高校では昔、知る人は知る〔普通の人は知らないだろうな〕日本を代表する詩人の伊藤静雄が教鞭を取っていたそうです。これもその時はそのすごさがあまりわからなかったけど、今になって考えると、最近ノーベル賞を取った誰々さん〔私は知らない〕が住高出身というよりも、すごいことのように思えます。

0 件のコメント: