2009年10月31日土曜日

ハロウィーンとジョンエド
















昨日書いたとおり、この週末は子供のアクティビティーですごく忙しいんですが、その上今日はハロウィーンだということに気がつきました。最近近所に越してきた年配の夫婦から、ハロウィーンの日はノックしてね、待ってるからねと言われていたので、お化けの仮装をして出かけないといけないなあと思っていました。そしたら彼女から伝言があり、今日は知人の誕生日パーティーに行くことになったので、夜は家にいないが、ドアの前に子供用にお菓子を置いていくとのことでした。

でも今朝はたと気がつきました。仮装だけではないんです。庭に大きなパンプキンが3つも育っていて、それをランタンに彫らなければいけません。これって本当に大仕事なんです。何しろカボチャの中身を全部内側からそぎ落として、それを彫るからです。彫るのは簡単なんですが、中身をそぐのが難しい。

昼食の前にカボチャを収穫しました。一番大きいのは持ち上げられないくらい思い。計ってみたら、一番小さいので7キロ、一番大きいのは20キロもありました。


水泳の大会が4時半くらいに終わり、帰りにマクドナルドによって帰ってくると、6時前でした。

いつもはもっと気合を入れてフェイスペイントなどをして仮装するのですが、今年は時間がないので、子供たちにどうすると聞くと、簡単な仮装で良いから、自分たちで近所をまわると言います。うちの子供たちは大人なしで出かけたとこがほとんどないし、特に夜ですからどうかなあと思ったけど、自立することも大切なので、懐中電灯を持っていかせることにしました。と言っても20軒くらいしかない村で、しかも知っている家は5軒くらいしかないので、たいしたことではありませんが、子供たちにとっては冒険です。チャーリーは私についてきてもらいたかったようですが、ルイは自分たちで大丈夫と言うので行かせました。

途中まで見送りに行って帰ってくると、早速デイブがパンプキンを掘り、ひとつは完成していました。これにろうそくを入れて入り口の近くに置きました。子供たちが帰ってきたら喜ぶだろうなあ。

もう20分くらい経っています。ちょっと気になりかけたころに外で声が聞こえました。パンプキンを見て喜んでいるようです。聞いてみると、6件まわって3件は留守。そのうちの1件は例の夫婦です。そこでたっぷりチョコレートをもらってきました。それから2件からはチョコレートをもらい、もう1件からはなんと50ペンスずつお金をもらってきました。

チョコレートをくれた家のひとつはここからちょっとだけ歩くのですが、私はその人のことを忘れていたら、子供たちが自分たちでそこにも行こうと思いついたようです。行くとドアベルの音がドラキュラの声で、ハロウィーンの飾りがドアにあったとか。この辺は子供が少ないですから、うちの子供が唯一の訪問者だったかもしれません。行ってよかったね。

その後8時からは例のXファクター。今週もジョンとエドワードは最後のほうです。それで家族そろってみていました。まあほんと、ジョンエド以外は皆歌がうまいです。

さあ次がいよいよお待ちかねのジョンとエドワードというときにノックの音が。隣の子供たちが仮装をしてきたようです。私はテレビの前を動くつもりはまったくなしでしたので、子供たちに玄関に行かせて、後5分で戻ってくるように言わせました。

ジョンとエドワードは大衆紙のレポートどおり、クィーンの We will Rock Youを歌いしました。しかもハロウィーンのテーマに沿っておどろおどろしいメークで登場です。歌のほうはちょっとタイミングがずれたところがありましたが、ステージ上を駆け回り彼ららしい元気なパフォーマンスでした。終わったあとは、肩を叩き合ってすごく嬉しそう。 この笑顔が良いんですよね。


http://www.youtube.com/watch?v=jo3hgulTY8g

審査員のコメントは、
審査員1 「ステージで見るのは楽しいですけど、ラジオでききたくないですね。」
審査員2 「演出は良いですね。ロックしていました。・・・・・なんと言って良いのかよくわからないわ。」
審査員3(悪名高きサイモンカウル、双子の敵) 「悪夢。クィーンの歌をこんなにはずして歌って、クィーンのキャリアはこれでぼろぼろ。けれども毎週毎週出てくる粘り強さとあつかましさには脱帽する。いくらルイ(審査員4)でもこの歌では弁護の仕様もないだろう。」
審査員4(双子を最初に見初めた当人)「サイモン(審査員3)、これは歌の問題ではなくショーだ。二人の若者が夢をかなえている物語だ。観客は大喜びだ。わくわくするし楽しいしエネルギーがあって、エンターテイメントとはこういうものだ。イギリス中どこに行っても、若い人が一番見たがってるのはジョンとエドワードだ。」
とのこと。若い人だけでなく、子持ちのお母さんも好きですよ。

観客のブーイングはかなりありますが、同時に声援もすごいです。今夜から明日の8時までが電話投票の時間。私も2回もしました。結果は明日の夜です。投票の結果、最下位と下から2番目はもう一度ライブで歌って、審査員がどちらを落とすか決めます。そうなるともう勝ち目はないですから、電話投票で通過するしかない。

そうそう、残念ながらイギリス国内からしか電話できないんですよ。この二人日本で受けるよーきっと。i一番上の写真はジョンだそうです。この笑顔がかわいいんだよね。

2009年10月30日金曜日

忙しい週末




あー、なんか疲れた。この週末は子供の予定がいっぱいで、疲れてます。今日はまだ週末ですらないんだけど。

まず忙しいのは昨日から始まりました。私は昨日の1時からヨガのクラスを教えなければいけませんでした。でも子供たちが学校がお休みで家にいますから、ルイは友達と一緒にジェームスボンドの劇のワークショップに行き、チャーリーは私と一緒に仕事に来て、そこからそのままダンスのドレスリハーサルに行きました。

暖房のついていないかなり寒いスタジオで、2時間のリハーサルで、チャーリーが実際に踊ったのは10分以下だったんですが、ほかのダンサーたち、特に大人のダンスが見れて良い勉強になったようです。私もこんな近くでバレエやコンテンポラリーダンスのリハーサル見れて、楽しかったけど疲れた。

今日はチャーりーは朝からダンスフェスティバル。午前中がバレエソロで午後がモダンダンスのデュエット。朝は8時半集合でしたから、ルイは仕方なくデイブが仕事に連れて行きました。

まずはソロ。去年はチャーリーは抜群にうまくて、誰もがチャーリーが賞をとると思ったのに、なぜか選に漏れてしました。それでそれ以来チャーリーはかなり意欲をなくし、もうバレエをやめたいとまで思っていました。今年はしかもチャーリーは自分の出場するカテゴリーの中で最年少。だからもう入選は無理だろうと思って、家でも練習もせず、軽い気持ちで言ったのですが、ステージのチャーリー、なんと見事に踊ったこと。テクニックもそうですが、要所要所で笑顔を見せたり、メリハリのある感情のこもったダンスで、これだけ踊れたら入選してもしなくても悔い無しと思っていたら、3位に入選しました。審査員からも絶賛されていました。そしてチャーリーの友達のカヤは1位に!

午後はモダンダンス。これもすごく息が合ってうまかったのですが、これは4組中の3位でした。二人ともほんの少しがっかりしたようでしたが、着替えているとほかのバレエスクールの人がやってきて、「あなたたち本当にうまかったわ。あなたたちが1位になるべきだったわ。」と言ってくれました。

まあ水泳なんかとは違って、審査員が点数を決めるものですから、その人の主観もありますからね。それにモダンダンスはバレエと違ってスタイルの範囲が広いので(タップダンスから、歌が入っているのまであった)、審査員の好みのスタイルというのもあるでしょうし、まあ今は特にがっかりもしていません。

明日は午前中はルイのテニス、午後はルイとチャーリーの水泳の大会(クラブチャンピオンシップ)があります。種目は200メートルバタフライと、100メートル個人メドレー。

そして日曜はルイはラグビーの試合、チャーリーはフェスティバルの3日目で、4人で白鳥の湖の中からの踊りを踊ります。ああ、考えただけでしんどい。

それなのに今日わたしが朝目がさめて一番に思ったのは、「ああ明日はいよいよ土曜日。あの二人、今週も無事通過できるかしら。」です。二人というのはもちろんジョンとエドワード。

新聞のレポート(がせねた?)によると明日のライブショーでは二人はクィーンの「We Will Rock You」を歌うとか。そして別の大衆紙には、二人は豚インフルエンザに感染したのでは?という心配なニュースが。でも読んでみると、二人が月曜日ロンドンの子供の病院に慰問したとき、そこの警備員の人が二人を含めたXファクターの出場者と握手して、その人がその後豚インフルエンザになったというだけらしいです。ちょっと心配ではありますが、こればっかりはどうにもなりません。

もうひとつの気になる新聞記事(大衆紙)は、今週の頭にジョンとエドワードが最多の電話投票の票を集めたというのはデマで、本当は落選ぎりぎりだったというもの。これが本当なら悪いニュースですが、一方ではこれでファンがまた気を引き締めてどんどん投票するかもしれません。

ここまで書いてうすうすお分かりかと思いますが、イギリスには高級紙と大衆紙があります。高級紙はまあ言えば日経新聞だとか朝日とか、そういうまじめな固い新聞です。Times, Guardian, Independent, Telegraphがその主なところ。大衆紙は日本のスポーツ新聞と週刊誌をあわせたみたいな感じかなあ。普通のニュースも載ってますが、芸能ニュースとかゴシップが記事の大半を占めます。私は新聞は読まないんだけど、(イギリスって配達してくれないんです。歩いて買いにいける店がないのも読まない原因)ジョンエドの記事だけをネットで探したのですが、うーん。アブラハム風に言うと、いろいろバラエティーがあって面白いですね。(本音:もうちょっとまともに報道しろよ!)

http://www.youtube.com/watch?v=1YfiCejHULk

今日のビデオは3回目のオーディションです。この時点で最後の24人に残っています。それでトスカニーに行ってそこで審査員の目のまで歌います。前半がインタビュー、後半が歌。歌はなかなか悪くないんだけど、最後が失敗。それで泣いています。かわいいよ。

2009年10月29日木曜日

読書感想文 The Vortex

The Vortexという本を読み終わりかけてます。著者はエスター・ヒックスとジェリー・ヒックス。例のアブラハムの教えの本です。Vortexとは渦巻きという意味です。

アブラハムについては、よくコメントをくれるあくあさんがうまくまとめているので、彼女の言葉を借りると、こんな風になります。

「あちらの世界にいらっしゃる方々の総称みたいな感じかな。そちらの声を聞いてこちらの世界に伝えるチャネラーの方がいて、アブラハムと総称される声を本に書いているんですよ。」

そのチャネラーがこの著者のエスター・ヒックスおばさんです。

アブラハムの本はもう6冊くらい出ていて、そのほかにも彼らの開くセミナー(こちらのほうが本よりも先に何年も開かれている)のCDとか、DVD がいくつも出ています。Youtubeにもいろいろビデオが載っています。でも何冊読んでも、どのビデオ見ても、例が違うだけで、教えの内容は同じです。まあ、そりゃそうでしょう。違っていたら困ります。でも違う本を読むたびに違うところがわかるし、本が出るたびに読んでます。これもその1冊。

アブラハムの教えの基本的なことは、以下のようなことです。

まず引き寄せの法則。この世のことはすべてこの法則によって動いています。物事は似たようなものが似たようなものを引き寄せるということ。それは「考え」にも言えて、考えていることが物事を引き寄せるんです。だから「僕は運が悪いから」と思ってる人には運の悪いことが続き、「僕はめったに風邪を引かない」と思ってる人は風邪を引かない。

それから、人間とは肉体的存在であると同時に、神のエネルギーの延長だということ。これはちょっとわかりにくいかもしれない。これについては前日書いたので、またコピペします。

「 人間は生まれる前はどこかからやってきて、死んでからどこかに行くという考え方は間違っている。人間は生まれる前も生まれてからも、源(Source)、もしくは人間が神と呼ぶものの延長である。人間とは神のエネルギーが人間の体を通して体現されたもので、生前と死後だけでなく、生きているときも常に神の延長、一部である。つまり、肉体としての自分と神の延長としての自分という二極性を持って存在する。」

そして幸せに生きるには、この肉体的部分の自分と神のエネルギーとしての自分を一致させなければいけない。ではどうやって、この二つ、肉体的自分と自分を一致させるが。それには自分の感情に注意しなさい。絶望、怒り、悲観などの感情を感じているときは自分が自分とは離れているとき。希望、楽観、愛を感じているときは一致しているときである。

 そして、一番肝心なことは、その場その場の状況に感情を操られるのはやめなさい。どんな状況でも少しでも良い風に考えなさい、とアブラハムは言います。

そういうのは簡単なんですよね。そういわれて、うん、そうしようと思うかもしれない。でもそれにはテクニックがいるというか、こつこつ毎日地味に努力しないといけないんです。その日常的な例の中で、どうやって少しでも良い風に考えるか。そのテクニックをセミナーではケースバイケース、丹念に根気よくアブラハムは一人一人にアドバイスしてくれます。


そして次のような言葉を自分のモットーにしなさいといいます。
Today, no matter where I'm going, no matter what I'm doing, no matter who I'm doing it with, it is my dominant intent to look for and find things that feel good when I see them, when I hear them, when I smell them, when I taste them, when I touch them. It is my dominato intent to solicit, experience, and exaggerate and talk about and revel in, the best of what I see around me here and now.
(今日、どこに行こうと何をしようと誰といようと、見たり聞いたり匂いをかいだり味を見たりして、気分がよくなるようなことを見つけよう。今自分の周りの一番良いことを引き出し、経験し、誇張し、語り、喜ぼう。)

ところどころ、ちょっと辛口というか、さすがのアブラハムも私たちの頑固さに痺れを切らしたような言葉もあります。私はこれが一番心に響きましたね。

So, what's the hold up? 'I don't like this and I don't like this, and I don't like this , and I don't like this'. Really insignificant, unimportant, petty little things that you're using, from your day-to -day experience --- that you're using as your excuse not to get in the Vortex. Isn't that lazy? When you could just as easily look for a hopeful thought as a pessimistic thought. You could just as easily look for a compliment as something deregatory. You could jsut as easily look for a reason to feel good as a reson to feel bad. Youd could just as easily trun your television off as turun it on.
(どうしてためらっているのか?「これが嫌だ、それからこれが嫌だ、それからこれが嫌だ。」本当に些細な、くだらない、細かいことを日々の経験の中から取り上げて、(幸福の)渦巻きに入っていかない口実にしている。なんと怠惰なこと!悲観的なことを考えるのと同じくらい簡単に、楽観的に考えることが出来るのに。けなすのと同じくらい簡単にほめることができるのに。気分悪くなるのと同じくらい簡単に気分よくなることが出来るのに。テレビをつけるのと同じくらい簡単に、テレビを消すことができるのに。)

わたしがアブラハムの教えを実践(する努力を)はじめて2年くらいになりますが、自分を振り返ってみると、なんだかいろいろなことがよくなったような気がしますね。表面的にはまず風邪を引かなくなった。経済的にもちょっと改善した気もするし、ヨガのクラスの生徒さんも不況にもかかわらずどんどん増えてます。人間関係も、長年音信普通だった人たちとまた交友が深まったり、子供たち(特にチャーリー)との仲も改善したし。ブログだとかエッセイだとか詩だとか、情熱をもって楽しめることが増えてきたし。

でもそういう現世利益的なことだけではなく、なんかこう、楽になった、リラックスして生きるようになった気がします。たとえば最近までは、ちょっとしたことで世間一般的な評価とか、常識とは外れてるんじゃないかということが気になったのですが、最近はあまり気にならなくなりましたね。たとえば「子供にこういうことを言うのは悪いお母さんなんじゃないか。」など、誰からでもない評価が気になったんですが、最近は私は私と思えるようになった。

それから気が若くなったかな。。無邪気になったというかユーモアが出てきたというか。子供が学校でこういうことを先生に言われたと膨れていると、昔なら「親は先生の側に立たなくてはならない。子供の前で先生の悪口を言ってはいけない。」という義務感があったのですが、最近は「じゃあこんな風に言い返しなさい。」と子供でもびっくりするようなことを言って、3人でわははと笑っておしまいになります。

嫌なことがあっても出来るだけ良いことに気を向けたり、昔以上に美しい景色や音楽などをしみじみ味わうようになった。気分が悪くなるとわかってるテレビやニュースは読まないし、賛成できない意見を聞いても、まあそういう人もいるよね、と気にしなくなった。

心がのびのびして、自由になった気がしますね。肩の荷が下りて、楽になった感じ。

こんなのびのびした気分だから、こんなおとぼけな二人組、ジョンとエドワードがこんなに好きなのかなあ。ほんと、嫌いな人はこの双子の悪口なんていわないで、テレビを消して見なければ良いのに。

なあんて強引にはなしを持っていきましたが、あくあさんのリクエストもあり、彼らの2回目のオーディションのビデオです。これは彼らがちょっと強引に自分をアピールしすぎだと、ほかの参加者から非難されます。でもある一人の審査員に見初められて合格するビデオです。これを聞くと結構歌もうまいように聞こえるんだけどなあ。はじめのインタビューでは、「前回の審査員の反応からすると、ちょっとトーンダウンしたほうがよさそうだけどなあ。どうする。」「するわけないよなあ。ハハハ。」という会話が交わされています。

http://www.youtube.com/user/TheXFactorUK#p/search/6/CLZsMcO9okU


おまけに最近の新聞の写真載せときます。ファンに囲まれるジョンエド。かわいいよね。

2009年10月28日水曜日

冬って最高!

今日は28日ですから、もうすぐ11月になろうとしています。いつもは10月になって暖房を入れるのが待ちきれないくらいの寒さなのですが、(一応きりがないので、節約のため暖房は10月から4月末までと決めている。)今日は温かくて(18度くらい)セントラルヒーティングを切っています。先々週末にセントラルヒーティングが壊れて直るまで1週間くらいかかったのですが、その間ももちろんセントラルヒーティングを入れなかったし、今年は丸々1か月分くらい暖房費が浮くぞ、ヒヒヒ。その分修理費がすごくかかってますが。

暖房費と言うのはイギリスでは結構馬鹿にならない。うちは元農家の建物を改築したので、そのときに暖房の効率を良くするような建材を使い、エネルギーの節約の効率は良いのですが、それでも大きい家ですから、暖房代がすごいです。セントラルヒーティングはディーゼルオイルを年に数回タンクロリーで運んできてもらって、それが燃料なのですが、このオイル代が、年間で1000ポンドくらいです。20万ってとこかな。これが10月から4月の6ヶ月間に集中して使うので、冬の間は月160ポンド、3万強ってところです。一日1000円。かなりでしょ。

夏時間は先週末に終わり、今は朝は明るくなったけど、4時位から夕暮れになります。雨も多いし風も強いし、良い季節ではありません。

でもそんなこといっても仕方ないので、冬の良いところを考えてみることにしました。(良いところだけに気持ちを集中しなさいとアブラハムも言っています。)

1.畑仕事をしなくても良い。畑仕事って楽しくて趣味でやってるんだけど、忙しいことは忙しい。それなので忙しい夏が終わり冬が来て畑に出なくてよくなると、ちょっとほっとします。

2.籠が編める。おととしからはじめたバスケット作りの趣味、秋からが材料集めの季節です。

3.ルイのラグビーシーズンが始まる。まあ日曜の朝早く試合があったり、手伝いに行ったり、泥だらけのユニフォームを洗ったりというのは、楽しいことだけではないけれど、ルイは楽しそうです。

4.水泳のクラブチャンピオンシップ。これは子供たちが所属するクラブの年に一度の大きい競技会で、短距離長距離種目がたくさんあるので、何週間にもかけて行われます。二人とも活躍してるので、地方の新聞に名前が載ったり、楽しいですね。

5.ハロウィーン。10月31日。子供たちは変装します。私はそれよりもカボチャを彫ったり、パンプキンパイ、パンプキンスープを作るのが楽しみです。

6.ガイ・フォークの夜。これはイギリスの行事で、この日は(11月5日)花火や焚き火をします。花火見に行くのは楽しいですね。

7.クリスマス。これはあまりにも商業的な大イベントで、お金もすごくかかるし手放しに好きともいえないのですが、まあお休みだし、子供たちはすごく楽しみにしてるし、まあ私も楽しみかな。

8.大晦日。この日はビデフォードの町は仮装で出かける習慣があります。めんどくさいし寒いから何もしない年もあるんだけど、やっぱり参加すると楽しいですね。

なんかこの辺でだんだん苦しくなってきました。昔はスキーしたから、もっと冬は楽しみだったけどね。去年はスケートに行って楽しかったから、これも入れとくか。

9.アイススケート。ここから一番近いリンクはプリマスで2時間くらいかかるので、まだ1回しか行ったことないんですけど。

10.パンケーキ・デー。キリスト教の行事の一つで、パンケーキを食べる日です。たいした行事じゃないんだけど、さりげなく楽しみです。

行事が多いですね。行事以外で楽しいこと、何かないか考えてます。

11.冬の天気の良い日に海辺を散歩に行って、温かい家に帰ってきて熱い紅茶を飲む。

12.種のカタログをじっくり見て、春を夢見ながら種を注文する。

13.寒い夜に湯たんぽを抱えてベッドに入る。

うーん、こういうのはちょっと自虐的かなあ。寒いところで暖を取る喜び。

14.暖炉の前で火がぱちぱちいうのを見る。うちには残念ながら暖炉はないんですが。

15.セントラルヒーティングのラジエータにもたれて立ち、お尻を暖める。

かなり苦しいなあ。そうそう、ここは観光地なので、

16.観光客がいなくなって、買い物や街に行くのに駐車がしやすくなる。

17.ごくたまに雪が降る。去年は大雪で大変でした。学校が2日も休校になりました。でも風景は美しいし、ひょんなところで学校が休みになるのは、特に困る予定がない限りは、楽しいですね。

こうして考えると、やっぱりイギリスより日本のほうが良いですね。冬に食べるおいしい食べ物もないし、温泉もないし、スキー場もないし。

それにしてもどう考えても、冬よりは夏のほうが絶対良いです。太陽ってありがたいですね。

http://www.youtube.com/watch?v=OWwW_DYmxEw

昨日のジョンエド、気に入ってくれた人が出来たようなので、彼らの一番最初のオーディションのビデオのリンクを載せます。3分くらい。確かにこのオーディションはちょっと生意気そうです。でもなんかミョーに観客の間で、不思議な盛り上がり方してるんですよね。

2009年10月27日火曜日

John and Edward 2


おととい書いたジョンとエドワードの続き。おとといのブログには書き忘れたのですが、このX ファクターというのはスター誕生のような、素人が出てきて競い合う番組です。


土曜日にジョンとエドワードが登場したときは、歌う前から観客はブーイング、終わってからも審査員は一人を除いてはひどいコメントです。特に口の悪いことで有名なサイモン・カウルは、「テレビだから何とか救われるが、これがラジオだったら、これ以上最悪のものはない。」とひどいコメントです。翌日の結果発表では、二人が無事通過と発表されると、またまた会場から大ブーイング。


インターネットはこれよりもさらにひどい。Facebookには「反ジョンとエドワード」のグループがいくつも出来ていて、そのためのウエブサイトもたくさん作られました。YouTubeのコメントも、どうしてこんなひどいことを、というような内容がたくさん。その上おとといのコメントにもちょっと書きましたが、ネットの大きな旅行会社lastminute.comが、二人にアイルランド行きの片道飛行機の切符をただでプレゼントすると発表しました。ここまできたらもうマスコミのいじめです。


そうなるとますますかわいそうになります。それで私もわざわざそのためにFacebookに参加して、二人に激励のコメントを送りました。


でも彼らのビデオダイアリーを見ると、少なくとも表面的にはこんな批判にはまけずにがんばってるようです。


'Hi, Haters, No point hating us because we love you! We love you haters!'

(僕らのことが嫌いな皆さん、嫌っても無駄ですよ。だって僕らはあなたを愛してるから。愛してるよー!)


それで今日の大衆紙によると、なんと嬉しいことに土曜日の結果発表はこの双子が10組の中で一番多くの票(視聴者の電話投票)を集めたとか。(番組では得票数が一番少ない人が振り落とされるだけで、得票数の順位は発表されない。)


それであちこちの新聞で、どうしてこの歌えない踊れない二人がこんなに熱狂的に受けてるのかについての分析が載っていました。


双子でかわいいから女の子に好かれるだとか、アイルランド出身なのでアイルランド人が投票している等のわかりやすい理由のほかには、あまりにも新聞やメディアで叩かれるので、同情票が多いのではないかとか、審査員にいじめられてかわいそうなので、アンチサイモン・カウル派が投票してるのではないかとのことでした。


彼らのファンは大衆だけではありません。この番組のほかの11人の競争相手も彼らのことは絶賛していて、中には「実は5回も電話投票した。」といった人もいました。イギリスでは大スターのロビー・ウィリアムズも彼らのファンで、最近のコンサートで「ジョンとエドワードに投票しよう」といってブーイングされたとか。


私も自分で、どうしてこんなに彼らのことが気になるのか、好きなのかと考えてました。


この番組って普段はテレビを見ないわたしがブログに書くくらいなので、こちらではすごい視聴率の番組なんです。今までこれで勝ち残った人は即レコードデビューして全米ナンバーワンになったり、スーパースターの登竜門となってます。だからすごい額のお金が絡んでいるし、音楽産業の実力者やレコード会社の利害がすごく絡んでいる。一言で言うと、巨大ビジネスなんです。


この二人はつい先週18歳になったばかりの若者です。やっぱり若造だから元気が良いなあ、と思っていたのですが、よく考えてみると、今残っている9人のうち20才以上は3人くらいで、後は皆同じくらいの歳。一番若い男の子は16歳です。でもその中で、ジョンとエドワードだけが若者らしく生き生きしてるんです。ほかの全員は、歌はうまくてソツがないけど、この大きい音楽産業のスポットライトに当たって、萎縮してしまっている。テレビプロデューサーだとかレコードプロデューサーだとか、そういった有力者の操り人形、つまりは金蔓となることを嬉々として受け入れているって感じがします。


そして彼らはインタビューでは必ずといって、超深刻な顔で、時には涙ながらに視聴者に彼らに投票してくれることを訴えます。

「これは僕の最後のチャンスなんです。」

「僕をここまで支えてくれた両親のためにも、ぜひ投票してください。」

「これはすべて一人息子のためにやっています。これが私の唯一のチャンスなんです。」

「歌以外私には生きる支えがありません。歌こそ私の命です。」

「子供のころの夢でした。どうか僕に・私にチャンスをください。」

こんな調子です。


でもジョンとエドワードはぜんぜん違うんです。こんなに新聞や審査員にひどいことを言われても、ネットにひどいことを書かれても、いつも元気で楽しそうで生き生きしてます。本当に歳相応、18歳の若者らしいんです。


彼らのビデオダイアリーやインタビューはこんな感じです。


「昨日ホイットニー・ヒューストンに合ったんだよ!すごいよね。こんな大スターに遭えるなんて、本当にすごい!」

「(バックステージで)見て見て、このマイクロフォン(耳にかけるタイプ)。すごいでしょ、まるでスーパースターみたいでしょ。まだステージで歌ったこと2回しかないのに。」

「今日の歌はせりふあるんだよね。今までXファクターでせりふ言った人はいないから、僕らがはじめてなんだよ。歴史的だなあ。」

「今からステージだ。すごいなあ。すごい興奮してる。がんばるぞー!!」(緊張のかけらもなし)


彼らって本当に本物、まがい物でない本当の若者って言う感じがします。しかもこんなに巨額のお金が動く巨大産業の渦中で、国を挙げてのマスメディアのいじめにあって、それでもぜんぜん動じない。まったく普通にしています。ぜんぜん萎縮していないし、自分たちのイメージを変えようともしないし、メディアに反発もしない。ただただひょんなことから毎週こんなに大きいステージで歌えて、有名になって、楽しくって仕方がないって感じ。


彼らを見てると、こっちまで楽しくなります。彼らの自由な生き生きしたエネルギーが伝わってきて、こっちまで心がわくわくしてくる。




もっと見たいなあという人のために、別の週のリンク載せておきます。これはインタビューと審査員のコメントが入っているのでちょっと長くて6分くらいなんですが、退屈させませんよ。はじめのインタビューで、審査員に「歌が下手」といわれたことについて、「僕らに歌が下手というなんて、デビッド・ベカムにサッカーが下手というようなもんだ。」と真顔で言っています。サイコー。

2009年10月26日月曜日

テニス


今週は子供たちは学校がお休みで家にいます。学期の真ん中にあるハーフタームというお休みです。

今日はこれといって予定はなし。私は仕事をお休み。ルイとチャーリーは夕方水泳のトレーニングがあるだけです。それで朝はゆっくりした後、子供たちは外に隣の子供と遊びに行ったのですが、すぐに雨が降ってきて家に帰ってきました。それで午前中はジンジャービスケットを焼きました。ダイエットに悪いが仕方がない。

午後はほんの少し小雨が降っていたけど、小学校のテニスコートに行ってテニスしました。テニスコートといっても、いろいろと線がたくさん引いてあって、テニスのほかにも使えるようになっていて、ネットもありません。でも練習するには問題ないので、暇なお休みは時々行きます。車で5分くらいのところには公営のテニスコートもあって、ここは係りの人がいるときは1時間5ポンドくらい、誰もいないときはただで使えます。4面あってめったに使ってる人はいないので、予約なんて要りません。

日本ってコートとるの大変ですよね。昔は家から自転車で20分くらいのところに公営テニスコートがありましたが、もちろん予約制だし、まあまあな値段だったように覚えています。そして大阪ですから、テニスコートを予約しないと遊びでもテニスできるようなところがない。この辺ならこの小学校のコートのほかに、引き潮のときは砂浜が固くなるので、夏はビーチで出来ます。

ルイはテニスを習いに行ってますが、チャーリーは行ってないので、あまり上手でない。だからちょっと難しい。なかなかラリーも出来ないし、試合も出来ない。今日も前半はぶつぶつ行っていましたが、後半にはだんだん上達して、何とか遊びで打ち合いが出来るくらいになりました。

最後のほうは、「テレビではこうやってるよ。」といい、ウィリアムズ姉妹などのまねをして、ボールを打つときに唸りはじめました。そしてそれが高じて、相手かく乱のためにタイミングをずらして変なときに唸ったりなど、本当にチャーリーは見所が鋭い。

ルイは2週間に1度もう数年習いに行ってるのですが、やっとまともに打てるようになって来ました。今のところは私のほうがコントロールがいい分少しうまいかな。でもあと1年くらいすると私より上手になるだろうなあ。

5年位前に乳がんの疑いがあっていろいろ検査をしたことがありました。数回検査をしてもはっきりした結果がわからず、夏前に疑いが出て、はっきりとシロという結果が出たのはクリスマスを過ぎていました。そのころ子供たちは5歳と3歳だったので、せめて下の子供が10歳くらいまでは生きて、一緒にテニスでもしたいなあと思ったのを覚えています。

それが出来ているわけです。実際にやってみると、チャーリーをなだめすかしたり、負けてふてくされるルイを叱ったりと、なかなか一筋縄ではいかないのだけど、それでもこうして元気で3人でテニスできて、ありがたいことだなあとしみじみ思いました。日本だったらお金がかかるし、こんな簡単にはできないしね。

後2-3年もしたら、ルイにはテニスの相手になどしてもらえないだろうなあ。

2009年10月25日日曜日

John and Edward


イギリスでは今Xファクターという音楽タレント番組を毎週やっています。これは今年で6年目らしいんですが、9月からオーディションが始まり、最後に誰が勝ち残るかを3ヶ月くらいかけて競い合う番組です。おととしはリオナ・ルイス、去年はアレクサンドラ・バークが勝ち、どちらも今では有名になりました。

はじめのほうのオーディションは結構箸にも棒にもかからないような人たちがたくさん出て、それでもこういうのも放送されます。だから見る人はそういうのを面白がってみる。そしてだんだん絞っていって最後の12人が残ったところから、毎週生放送でステージでライブで歌い、それを視聴者が電話で投票して、毎週一人ずつ振り落とされていくという番組です。

うちもチャーリーが大好きで、毎週見ています。はじめの方のオーディションは歌の下手な人がたくさんいて、こんなの見たら音痴になると思って、私は見なかったのですが、最近は毎週見てます。さすがにここまで来ると一組を除いて皆聞きほれるほど歌がうまい。

でもこの12人の中にJohn and Edward(ジョンとエドワード)という二人組みがいます。彼らは17歳のアイルランド出身の双子。この二人がすごく話題になってるんです。

この二人、外見はそっくりで見分けがつきません。二人ともブロンドでまあイケメンといっても良いでしょうが、その性格がなんとも面白い。生意気というか、偉そうというか、かわいいというか、無邪気というか、ずるがしこいというか、頭が良いというか、不真面目というか、野望家というか。多分この全部が混じったような性格なんです。これが二人いて、その二人の会話がまたすごく面白い。

この二人、歌は下手です。度下手ではないけど、まあ日本で言えばSMAPくらい。踊りも下手。特に残りの11人が皆惚れ惚れするくらい歌がうまいので、特にずば抜けて下手に聞こえます。

この二人が今すごく話題になってる。この番組の審査員は、どうしてこんなに下手な二人が残っているのかと頭をひねっています。新聞にもネットにも、ジョンとエドワードバッシングが激しく、ひどくこき下ろされています。でもその一方で、ファンもすごい勢いで増えてきてるようなんです。

うちのルイはこういう歌番組は嫌いなんですが、最初からジョンとエドワードが好きと言っていました。私は初めてみたときは、歌の下手な生意気な若者と思ったんですが、だんだん好きになってきました。そしてステージパファーマンスが始まってからは、すっかりファンになってしまいました。今ではネットで彼らのビデオダイアリーまで見てます。

今で3週間ライブショーをしたのですが、するたびに審査員にひどいことを言われます。観客からのブーイングも結構ある。でもこの二人ぜんぜん動じないで、ニコニコ、というかニヤニヤして聞いてます。そのライブショー、確かに歌は下手だし、踊りも今ひとつなんですが、また見たいなあという何かがあるんです。見ていて面白くて、とても楽しい気分になる。とにかく理屈なく楽しいんです。この二人のパフォーマンスに比べると、ほかの人たち確かに歌はうまいけど、才能もキャラクターもない生真面目すぎるつまらないただのタレント志望者に見えてくる。

今の時代なので、ネットで彼らのビデオダイアリーが見れます。これがまた面白い。別にこれといってわざと面白いことを言ってるわけではないんですが、キッチュな妙な面白さがあるんです。

昨日はその3週目のライブショーで、この二人を入れて10組残っています。そして今日はその視聴者投票の結果発表でした。私は家族中の誰よりも気合を入れてこの番組を見ました。そしたら、なんと!今週も彼らは通過しました。落ちたのは女性3人組のグループ。とっても歌が上手で個性的で、残って欲しかったんだけど、仕方ありません。

来週は9組残っています。ジョンとエドワードを除いて、残っているのは誰も歌唱力があって、レコードデビューしてもぜんぜんおかしくない人たちばかりなので、明日の大衆紙にはまた激しくこけおろしの記事がのるでしょう。でもそれこそ「光が強くなると影も濃くなる。」です。反ジョンとエドワードの声が高まると、ますます電話投票する人の数が増えるようです。

まあいくらなんでも最後まで勝ち残ることはないと私も思うんですが、あまりにもシリアスなタレント番組に新風を送り込んだこの二人、将来はテレビデビューするのは間違いないでしょうね。

http://www.youtube.com/watch?v=A0V7YFP1HTg

百聞は一見にしかず。YOUTUBEのリンクを載せときます。最後にすごいブーイングが入ってます。でも今週も無事通過したもんねー。

2009年10月24日土曜日

クエスチョンタイム

イギリスには毎週クエスチョンタイムという番組があります。かなり堅いまじめな討論番組で、毎週4人ゲストのパネラー(質問に答える人たち)が出場し、会場の質問者からの質問に答えます。パネラーは大体政治家が3人、ジャーナリストが一人です。政治家は現職の政治家だけでなく、昔の政治家も出てきます。もちろん別々の政党からです。時には総理大臣が出ることもあるほど、注目度の高いレベルの高い番組です。会場の聴衆も政治に詳しい人や、少なくとも何か言いたいことのあるひとばかりで、かなり白熱した討論番組です。

それで先日はBritish National Party (BNP)の党首が出ていました。これは極右のナチ政治団体で、10年くらい前まではアングラな政党でした。白人主義、コーカサス人主義、反有色人種、反移民の政党。でも数年前に若い頭の良い党首が現れて、この政策をちょっと耳障りの良いものにしました。

「イギリスはイギリス人のものだ。外国人はイギリス人の職を奪う。移民反対、異人種間結婚反対。先祖代々イギリス人だった人たちが自分の国で優先されてどこが悪い。」と正当化して訴えはじめました。それでイギリスの低教育、低所得の手に職のない白人イギリス人の間で支持者が増えて、前回の地方選挙では2議席もどこかの地方都市の市議会の席を確保しました。

(でも実はイギリスは技術と教育のある労働力不足で、教育の高い東欧からの移民がないと病院なんて医者不足、看護婦不足で回らないし、建築業もよく働くポーランド人なしでは人手不足だし、しかも日本と同じ高齢者の人口が増えすぎて、移民という若い労働力なしでは年金もまかなえないんですけど。)

それでもBNP の支持者だというのは大きな声ではいえることではなく、どこかの新聞がその党員のリストをすっぱ抜いて、そこに現職のおまわりさんや学校の先生がいて問題になりました。

私はアブラハムの教えに従って、気分の悪くなるとわかってることは避けるようにしていますから、最近はニュースもぜんぜん見ないし、テレビもこういった政治番組は見ません。で、この日もこんなのは見ないでコンピューターに向かっていたのですが、同じ部屋でデイブが見始めました。それでも無視してブログを書いていたのですが、やっぱり少しは耳に入ってきました。

この番組はいつも対立する政党の政治家がパネラーですし、オーディエンスも熱が入っていますから、白熱する激討にはなりますが、そこはジェントルマンの国、お互いを侮辱したり無礼なことは言いません。でもこの日はかなりオーディエンスの発言は感情的だったり、ブーイングが出たりしてました。(どちらのどういう意見に対してかは不明)

それで最後にパネラーが一言ずつまとめを言います。この日のほかのパネラーは保守党(野党)の若い女性議員(インド人とのハーフ)、別の野党の著名な黒人女性議員、そして労働党の国務大臣(というか、正確にはLord Chancellor and Secretary of State for Justiceというすごく重要な地位の大臣)でした。この3人が普段はいくら激しい討論になってもあくまでも文明人的ジェントルマン的程度を崩さないのに、この日ばかりは嫌悪感を丸出しにして最後を締めくくっていました。

「BBCが彼をパネルに呼んで本当によかった。この場でオーディエンスの質問にあって、彼の本性がどんなものか、BNPがどんなにか汚らわしい人種差別主義者、ナチ主義者であるか、視聴者にわかってもらえたと思う。イギリスの政治にはこの政党のための場所などない。」というような発言でした。

このテレビ番組を背中で聴いていて、私ってアブラハムの教えを読み出してから、本当に進歩したなあと自分で嬉しくなりました。

昔だったら、まず第一にこういうものをわざわざ見て、テレビに対して怒りまくっていたかもしれない。そしてBNPやこの党首、そしてこの政党に投票する人たちに対する嫌悪と怒りで一杯になったでしょう。もちろん私は有色人種の移民ですから、居心地の悪い思いというか、自分が彼らの攻撃の対象になったように感じたと思います。

それが今回はまず見ようとも思わなかったでしょ。それでもデイブが見ていても、「まあ良いや、私はほかに気を向ければ。」と思って、意識を払わなかったでしょ。

そして「こんな考え方をする人がイギリスにはまだまだたくさんいる。なんとナチ的な怖いことだ。」と思う代わりに、こういう団体を嫌悪して弾劾する白人のイギリス人がたくさんいるのだなあ、イギリスって文化的で良識のある懐の深い良い国だなあと思いました。そしてこの党首に対しても、まあそういう考えの人もいるのね、という感じで別に何も思いませんでした。

「ハハハ、私はもう永住権もらってるもんねー。あんたにはどうにも出来ないもんねー。」という感じ。

私の友達で、日本の大学を出てイギリスで大学院で博士業を取る勉強をしていた人がいるのですが、11年前に急に大病になり生死の境目をさまよって、それ以来チャネルできるようになり、日本に帰って霊媒になった人がいます。彼女がよく言っていました。「光が強くなると影が濃くなる。」って。

物事にはすべて二極性があります。ある力が強まると、それに反する力も強まる。こんな風に排他的、反移民的声が高まるのは、それだけ世界が狭くなって、人々の動きが活発になり、異人種間の接触や融合、協力や調和があらゆる意味でますます強くなってきているからなんだなあ。その流れはもう誰にも押しとどめることが出来ないところまで来ているので、そういう反移民の声も同時に高まっているのだなあ。世界は人種間の友好や強調がますます盛んになり、どんどん住みやすい平和な良い世界になってきているのだなあ。いいこと、いいこと。すばらしいこと。

アブラハムの教え、私にはぴったりの教えです。

2009年10月23日金曜日

二極的存在




雁が群れをなして飛んで行くの見たことがありますか?大体8羽から10羽くらいの群れで、Vの字になって美しい隊列を作って飛んでいます。あんなふうに整然とV の形を乱さないで動くのは、人間でも難しいと思う。でも雁はいつも飛ぶときはそんな風に飛んでいます。

これを見て思うのですが、雁というのは個人個人の位置だけでなく、全体の位置がわかっているに違いない。でも首をひねってみてるわけでもないので、おそらく人間には理解できないテレパシーのようなものがあって、個体としての位置と全体としての位置がわかっているんだろうなあと思います。

わたしがよく書くアブラハムの教えは、たくさん本が出ている割には結構内容がシンプルなんですが、その一番基本的な教えは次のようなものです。

人間は生まれる前はどこかからやってきて、死んでからどこかに行くという考え方は間違っている。人間は生まれる前も生まれてからも、源(Source)、もしくは人間が神と呼ぶものの延長である。人間とは神のエネルギーが人間の体を通して体現されたもので、生前と死後だけでなく、生きているときも常に神の延長、一部である。つまり、肉体としての自分と神の延長としての自分という二極性を持って存在する。

とまあ、こう日本語に訳して書くと堅苦しいんですが、つまり、木漏れ日が太陽の光の一部であるように、波しぶきが海の一部であるように、人間の中を流れる魂・エネルギーは神の一部である。ということです。

で、雁が空を飛んでいるのを見ると、本当に個々の鳥の個人的な視点のほかに、全体を見る視点(神)とつながってるなあと、しみじみ思います。

それからいわしの群れ。野生動物の番組などでやっているいわしの大群を見ていると、何万ものいわしが、まったく同時に泳ぐ方向を変えます。するとそのたびに光の反射が変わって、見ているのはすごくきれい。まるで北朝鮮のマスゲームみたい。でもマスゲームは何ヶ月も練習しますが、これはただ自然に同時に方向を変えています。これを見ても、雁の群れを見るときと同じようなことを思います。


これに限らず、動物の行動を見てみると、神が存在する、とまでは言わなくても、人間のわからない何かがあるなあということが多い。

アフリカのある国のある場所で、年に一度わにの大群が集まるところがあるんです。川沿いのその場所にあちらこちらからわにがたくさんやってきて、数日待機しています。何を待っているかというと、年に一度その川が氾濫して、そのときにたくさんの魚が浅瀬を抜けられなくなって、大漁食べ放題になるからです。

それだけでも結構わにって賢いのねと思うのに、実はもっと驚くことがあります。というのはこの川の氾濫は最近始まったことなんです。川の上流にダムが出来て、それ以来年に一回川が氾濫するようになった。それがどういうわけかその情報がすごい勢いで大量のわにの間で広まって、はるばる遠くの川からも年に一度きっちりと間違うことなくやってくるんです。

年に一度というのは、月の満ち欠けとか太陽の位置で、野生動物にはわかるのかもしれない。でもどうして最近氾濫するようになった川の情報が、そんなに早く伝わるのでしょう?わにって進化論的にはかなり原始的な動物のはずなのに、すごいことだと思いませんか?

わにも人間のように二極的な魂を持っていて、個体としての知識と全体としての知識があるんじゃないかなあ。

これでもかというように別の例をとると、かえるの話。アフリカだったかアマゾンだったかのある種類の蛙は、メスが卵を産むとオスがそれを食べちゃいます。でも実はそれは食べているのではなく、口に入れて無事に孵化するまで世話をするんですって。まあこれって本能といえば本能かもしれないけれど、すごく複雑な本能だと思いませんか。

これに限らず、動物の交尾というのはすごく複雑な本能行為。生物学的にだけ考えれば、人間は交尾行為をすごく複雑に社会のシステムに組み込んで、結婚だとか宗教だとか一夫一妻制だとか多妻制だとか不倫だとかマナーだとか、とにかくややこしい。それほどややこしいものなのに、どうして動物界ではすんなりと運ぶんでしょう?たとえば何も考えていないとしか思えない、自分がオスかメスかすら知らない魚が、どうしてメスが卵を産むとオスがちゃんと精子をかけるのでしょう?本能といってしまえばそうだけど、これってすごく複雑な行為だと思いませんか?メスとオスという別々の個体が、かなり原始的な生物まで、きちんと寄り合って交尾して種を保っているというのは、個別の個体としての知性のほかに、全体としての知性が備わっているに違いない。

人間というのは考える生き物です。だからすばらしいんですが、そのせいで「全体としての知性」、つまり神につながった部分の知性がすんなり入ってこない。そうアブラハムは言います。

話が堅くなりました。今日は明日は土曜だし、最近はおばさんのこととか秋が来てしまった愚痴だとか、軽い内容のことばかり書いていたので、ちょっと難しい話をしてみました。

ところでここに書いたようなことは、野生動物の番組を見ていて思ったんですが、イギリスにはデビット・アテンバラ(David Attenbourough)という著名なテレビの野生動物番組のプレゼンターがいます。すごく昔からやっていて、今は70歳位かな。今も現役で、また最近新しいシリーズが始まりました。

それで気づいたんですが、子供のころ日本で毎週木曜日の7時から見ていた「野生の王国」という番組があるんですが、その番組って多分この人の番組だったんです。野生動物の番組だから簡単に吹き替えして、日本で流していたんでしょうね。大好きな番組で、これを見て子供のことは獣医になりたいとずっと思っていました。
写真は話をわかりやすくするために適当にネットで探しましたので、あしからず。

2009年10月22日木曜日

ヨガするおばさん達


昨日の続きのような話です。

私は今、週に6クラスヨガを教えています。そのうちの4クラスは北デボンカレッジのクラスで、カレッジが場所を確保し宣伝をし、お金を生徒から徴収して、私には決まった額を払ってくれます。

そして2クラスはわたしが自分でやっています。自分でホールを借りて宣伝をして、ホールの使用料を払い、保険を払い、その残りが全部私の儲けです。生徒は来るごとにお金を払います。生徒さんは50パーセントくらいは昔から来ている人。10年以上も来てくれている人もいます。

値段は1回いくらと決まっていますが、これには割引価格もあります。この値段は失業者だとか学生たとか年金生活者のためで、50ペンス安くなっています。別にお役所ではないので、証明を出せというわけではなく、自分で割引という人には割引価格が適応されます。

で、この割引価格を払う人の90パーセントは年金生活者です。老人割引。イギリスでは今のところ国民年金をもらえるのは女性が60歳、男性が65歳。私のクラスに来る人は大半が女性なので、60歳以上の人は割引です。

それで最近気づいたのですが、この自営のクラスは平日の午前中ということもあってか、生徒さんの半分以上が割引価格なんです。正規料金を払う人のほうが少ない。

この辺って海辺でイギリスの中では気候が温暖で、しかも開発が遅れているので物価が安い。それで年金生活者がたくさん住んでるんです。この地で生まれ育った人たちではなく、イギリスのまったく別のところで定年まで生活して、年金で生活するようになって夫婦でこの辺に越してくる人たちがいっぱいいます。そういう人たちがたくさんヨガに来てくれます。

まあ、若い人は子供がいたり仕事の都合なんかで毎週来れないことも多いけど、こういった年金生活のおばさんたちは毎週毎週きちんと来てくれるし、週に2回来てくれる人もたくさんいるし、その上友達をよくつれてきてくれます。だから50ペンスくらい割引してあげてもぜんぜん良いんだけど。

でももうこの地で12年以上教えていて、何年も通ってきてくれている人も多いので、そういう人はだんだん徐々に割引料金に変わっていきます。でもそれも良いんだけど。

でも最近しみじみ思うんですが、割引料金を払ってヨガをしているおばさんたちって、みんな若い!別に歳を聞くわけではないので本当は何歳かわかりませんが、細くてすらっとして、体も柔らかくて何でも出来る人もたくさんいます。顔を見ると確かに私なんかよりは皺が多いから、60代かなあと思うけど、教室の前から遠目に見たら40歳だか60歳だか区別なんかつきません。本当にお年寄りといえるような人もいて(最高齢は86歳)、その人は外見は確かに白髪でおばあさんっぽいけど、毎週月曜日、スニーカーを履いてヨガマットを抱えて、元気に歩いてやってきます。そして逆立ち以外は何でもトライしてくれます。

みんなヨガをしてますます元気で長生きして、これからも末永くヨガのクラスに来てくれれば、私としても商売安泰で言うこと無しなんですが、しかし。60歳で年金生活を始めて、老人割引料金でヨガをしてるおばさんたちって、すごく元気なんですよね。老人割引なんて適用しないよ、こんな元気な人たち。もう割引85歳くらいからにしようかなあ。

最近写真がないので、関係ないけど載せます。うちで育てているパンプキンです。普通は緑の実がだんだん大きくなって、それがオレンジ色に変わったいくのですが、これは黄色で大きくなって、ちょっとオレンジ色に変わってきました。ハロウィーンまであと1週間強。それまでに完全にオレンジ色になるのは無理だろうなあ。

2009年10月21日水曜日

アンチおばさん

この夏日本にいたときのことです。用があって新幹線に乗りました。それで駅に近づいてきて降りようとドアの近くに行くと、私の前に子供を二人連れたお母さんが立っていました。一人は乳児、もう一人は5歳くらいかなあ。それで上の子供がお母さんに、一人で降りても良いか(手をつながないで)聞いています。お母さんは赤ちゃんがいるし荷物があるし、大変そうです。

それでわたしがその女の子と一緒に降りてあげようと思いました。それで「お姉さんと一緒に降りる?」と聞こうと思ったのですが、はたとそのお母さんがわたしより若いことに気づいた。うーん。お姉さんじゃきょとんとされるかもしれない。じゃあおばさんかな。でも今まで人におばさんと呼ばれたこともないし、自分で言うのも抵抗がすごくある。じゃあ「私と・・・・」というべきかな。でもそれで通じるかな。

なんてことを思ってる間に、その子はちゃんと一人で降りられました。

という出来事があったんです。それで大学の友人たちとの同窓会でこの話をして、みんな自分の事をどう呼ぶのか聞いてみました。というのはその同窓会、わたしを入れて7人女性がいたのですが、私以外で子供がいるのは独りだけだったのです。私はイギリスに住んでるから、もちろん自分のことをおばさんなんて呼んだ事はありません。でも高校のときの友達で子供のいる人たちは、結構抵抗なく自分をおばさん呼ばわりしています。多分大阪なので、「だれだれさんのオバちゃん」という風に子供の友達から呼ばれるのに慣れてるんだと思う。

そうしたらそこにいたいつもコメントを書いてくれるあくあさんが、「そんなことは絶対にしない。自分のことをおばさん呼ばわりしないどころか、甥っ子にもおばさんと呼ばせてない。」といいました。

ほかの人たちも同じような答え。自分で自分のことをおばさんなんて言ってはいけない。それがおばさんの始まりだという意見でした。

なるほど。ちょっとこういうことの常識のない私は、勉強になりました。別に40代半ばでも、おばさんと言わなくても良いのか。

でも今日あくあさんのブログ読んでいて、自分のこと、「働くおばさん」呼ばわりしてるのを発見!だめですよ、こんなことじゃ。おばさんというのはこんな風に徐々に忍び寄ってくるものなのです。自分をおばさん呼ばわりするのはやめよう!これからも、いい年をしてと回りにいわれようと、人目なんか気にしないで、気持ちを新鮮に、若い人と同じことをするぞ!

2009年10月20日火曜日

暗い一日

今朝起きると雨模様でした。薄暗くしとしととふっています。7時20分に目覚ましがなって、7時半に着替えをするのに、電気をつけないと見えませんでした。家中のカーテンを開けても、まだ薄暗いです。

子供を家のドライブの先のバス停に連れて行くのに家を出るのが8時20分。このときにはすっかり日は昇っていましたが、雨はまだしとしと降っています。その後だんだん外は暗くなり、9時半ごろは夕方みたいに暗かった。

その後わたしは出かけたのですが、午前11時くらいと12時半に土砂降りの雨が降りました。外は真っ暗とは言わないけれど、とても正午前後とは思えない。暗雲に覆われています。

その後夕方少し日が差してきました。明日は晴れとのよそうですが、またその後は雨らしい。

今年の秋は本当に暖かくて天気の良い日が多くてありがたかったのですが、とうとうイギリスらしい秋がやってきたなあという気がします。そして駄目押しはこの週末夏時間が終わることです。これで日本との時差は9時間となります。

その当日は(土曜日の夜中)1時間夜が長いので、ちょっと長く寝れるのですが、それ以外には何も良いことはありません。朝がしばらくの間明るくなって、朝起きるのがそれほどつらくなくなるくらい。でもその分夕方が暗くなるのが早い。4時半くらいには暗くなるんだから。このまま毎日冬至まで一日4分ずつ日が短くなります。

もうそうなるとぜんぜん良いことはない気がしますね。日本では聞いたことないけど、イギリスではSADといううつ病があります。日照時間が短くなることが原因。治療法は薬物のほかに、人工的な光を病院で受けたりします。そこまで診断される人は少ないけれど、みんな多かれ少なかれ鬱になるので、相乗作用でますます誰もが影響を受ける。もうこうなるとじっと謙虚に頭をたれて、こつこつ毎日をやり過ごすしかない。

幸いなことに来週はハーフタームといって学校がお休みです。それで私もお休みです。これは子供にとっては楽しみだけど、こっちにとっては朝ゆっくりできる以外は一日中子供の世話なので、単純に楽しみとはいえない。その後はもうクリスマスしかないという感じです。

この秋は果物がいろいろ取れたので、ジャムを4回、チャツネ(ピクルス)を2回、合計20瓶以上もの瓶詰めを作ったんですが、こういうのはなんか、冬に向けて保存食を作ったという感じがして、原始的本能は満足しますね。それこそありとキリギリスのありか、木の実を蓄えるリスのようです。

10歳くらい年上の友達と話していたときに言われたのですが、「歳をとって良いことのひとつは冬が早く過ぎ去ることだ。」とのこと。私も去年よりは一つ年食ってますから、少しは早く春が来ると良いんだけどなあ。

なんかこんなこと去年の今頃も書いた気がする。イギリスの冬、何年住んでも嫌ですね。ついつい愚痴が。

昨日猫の詩を載せましたので、ぜひご覧ください。
http://fordfarmpoems.blogspot.com/

母からニッピー君の元気な写真が届きました。それから日本の金魚の名前をチャーリーに聞くと、付けなかったらしく、とっても申し訳なさそうな顔をしてました。彼女も子供ながらにすぐ死ぬと思ったようでした

2009年10月19日月曜日

ザリガニのニッピー君

この夏日本にいたときに、神戸のマリンピアというアウトレットのショッピングモールに行きました。別に行きたかったわけではないのですが、姫路サファリパークのナイトサファリのツアーに申し込んだら、途中で連れて行かれたんです。

そこで2時間ほど時間がありました。でもランチを食べてしまうと、ルイは買い物が大嫌いだしすることはありません。それで海の方向にいあるいていったら、別の建物があり、その中がちょっとした地元の魚の水族館のようになっていました。そしてその中でザリガニ釣りがあったんです。

もちろんルイとチャーリーは興味しんしん。天神祭りに行ったときに金魚すくいと緑亀すくいはしたのですが、ザリガニ釣りはしたことがありません。見ていると簡単につれるようです。そしてなんともれなくザリガニがもらえます。

でもそんなのもらっても今から観光バスに戻って姫路まで行って、遊園地を回った後サファリをします。その間ずっとバスにおいておいたとしても、家に帰るのは真夜中近く。それまで生きてるかなあ。それに生きていたとしても、イギリスまでもって返るわけには行かないので、実家においていくと、誰かが世話をしなければいけません。

でもチャーリーはどうしてもザリガニ釣りしたそうです。そしてするからには、ペットに欲しそうです。それで妹と交渉し始めました。で、甥と姪に甘いうちの妹は、イギリスに帰るときに近くの池に放すのならもらって帰っても良いといいました。

その後バスに乗ってレストランに行って食事。その後またバスに乗って姫路セントラルパークまで。ザリガニはバスに残して、1時間強遊園地で遊びます。その後ナイトサファリ。姫路を出たのは9時くらいで、難波についたのが11時。そこから地下鉄で家に着いたのは12時ごろでした。その間ザリガニはちゃんと生きてます。

とりあえずザリガニはそれまでカブトムシ(日本についた初日にスーパーで買ったが、もうすでにこの時点では死んでいた。)を入れていた水槽に入れました。餌は金魚の餌で良いらしい。(天神祭りの金魚すくいでもらってきた金魚のために餌を買った。)

翌日見てみるとなんとなく元気がない。でも生きてます。子供たちは面白がってイカとか魚とかいろいろ餌をあげています。名前もニッピーと名づけました。でもこの水槽、カブトムシ用なので小さいので、バケツに移そうということになりました。でもこれが怖いんです。つかもうとするとおこってはさみを振り上げて攻撃してくるんです。でも何とか移し変えました。

数日後、わたしが外から一人で誰もいない家に帰ってくると、ザリガニは水に浮かんでじっとしています。ああ、やっぱり死んじゃったなあ。それでしばらく後に帰ってきた子供たちにそれを話すと、「そんなことはない、元気だ。」というのです。見てみると、生きてることは生きてました。まああと数日で池に返すんだし、どちらにしても一緒か。

そしていよいよイギリスに帰る日が来ました。その日の夜の飛行機なので、昼間はずっと荷造りなどをしていました。そして妹から言われたとおり、ザリガニを近所の池に放しに行こうとすると、母が止めるんです。
「万代池にはそんな風にペットを捨てる人が多くて問題になってるから、よしなさい。」
とのこと。そんなこといっても妹との約束だし、おいていくと誰かが世話をしないといけないからというと、「わたしがやる。」
とのこと。それでこれは母のペットとなりました。

これが8月20日。

そして9月の連休の前に母からメールが来ました。妹と二人で夜出かけて帰ってみると、ザリガニがいなくなってるんです。二人でバケツのおいてある居間を探しましたが、見つかりません。それで仕方なくそれぞれの寝室に引き上げると、妹の部屋から出てきたそうです。

そして10日ほど前、またニッピー君はいなくなりました。その晩も捜索は無駄に終わり、夜寝ていると母の寝室で歩き回っていたそうです。はさみがあるから、ああいうのと同じ部屋で寝るのは怖いよ。

今はベランダに出したそうです。これから寒くなるというのに大丈夫かなあ。土臭いからというのが母の理由ですが、これはもちろん家の中をうろうろされたら怖いからに違いありません。でもうちってマンションの5階なんですよね。バケツを出たら今度は落ちてしまうかも。それに母は、ベランダ伝いにお隣に行ったらどうしようと思っているようです。

こんなことなら万代池に捨ててくればよかったねえというと、そうだねという様な返事でした。でも母にしたら、せっかくルイとチャーリーがかわいがっていたザリガニなので、私たちがイギリスに帰って寂しくなるので、ザリガニくらい取っておきたかったのかも。でもこんなに長生きするとは誰も思いませんでした。

それから天神祭りの金魚もまだ生きているそうで、なんとおととい卵を産んだらしい。無精卵だから孵化しないとは思うんだけど、それにしてもこれも生命力ある金魚。これをチャーリーに言うと、すごく興奮してました。「行きたい、日本に明日行きたい!」とのこと。金魚も名前があったんだけど忘れました。明日二人に聞いておきます。

2009年10月18日日曜日

日本の怖いこと

今日たまたまインターネットを見ていたら、酒井法子についての暴露本が3冊出たとのことでした。

彼女の失踪事件はわたしが日本にいた今年の夏でした。酒井法子って言うのはそういえば聴いたことあるなあという程度の名前。何をしているタレントだか、どんな顔かなんてぜんぜん知りませんでした。それでも入ってくるニュースでは、覚せい剤で逮捕とのこと。

私はイギリスに長く住んでますからね。イギリスでは覚せい剤って言うのは聞かないんだけど、(こちらで言うスピードのことなのかなあ。名前からはアッパー系のようですね。)ドラッグのことはよく知ってます。イギリスでよく使われる麻薬は、害が薄いほうから、マリファナ、エクスタシー、コケイン、ヘロイン。ヘロインはすごく怖い。これを使うと廃人の道まっしぐらです。コケインもちょっと怖いというイメージです。でもエクスタシーは簡単に手に入ります。ロンドンのディスコで、売りに来たこともありました。でもそのとき「ちゃんと持ってる?」(Are yoy fixed?)って聞かれて何のことかわからなかったのだけど、一緒にいた友達に、あれはエクスタシーはいらないかという意味だよと言われました。

マリファナは本当に簡単に手に入ります。これは実は、数年前法律上の格付けがクラスB からクラスC に下がりました。別にオランダのように合法になったわけじゃないんだけど、マリファナって害もそれほどひどくないし、もうあまりに蔓延してるので、そんなものを取り締まるためのお金や警察力をもっとハードドラッグのほうに向けようということで、格下げになりました。

イギリスでもスーパーモデルのケイト・モスがヘロインだかコケインだかを常用していたとのことで、スクープになりました。

だから私はこの酒井法子の話しを聞いても、芸能人が麻薬を使うなんてよくあることだし、そんなにたいしたことと思ってなかったんですが、むしろ世間の反応で驚いた。彼女が清純派だったことも関係あるようですね。

それでこの暴露本のことをちょっと読んだんですが、彼女はお父さんが暴力団の組長だったとか、組員と同居していた(同棲という事?)とか、中高では不良だったとか。

それを読んでこわーっと思いました。怖いのは彼女でも暴力団でもありません。それを暴露する人たちでもありません。そんなことが今まで表ざたにならなかったことです。そんなことを関係者が知らないわけはないし、同じ中学や高校に通った人だってたくさんいるのに、どこかから(芸能プロダクションでしょうね)圧力がかかって、そういうことが今まで長い間隠されていたということです。

今はあるのかないのか知りませんが、フォーカスとかフライデーとかの暴露週刊誌もあったくらいなので、暴露することで利益を上げる人たちもいるはずなのに、圧力だかお金の力か、それこそ暴力団の力で、そういうのが隠されてたんですねえ。

イギリスはその逆で(いや日本でもそうかな)、ちょっとでもおいしい過去が見つかると、大衆新聞にすっぱ抜かれます。芸能人だけでなく、政治家だとか王室の人も同じ。ダイアナ妃もこれに苦しみました。まあそれも怖いといえば怖いんだけど、すっぱ抜いた新聞社が利益を上げるという仕組みがわかりやすいので、背筋の怖さはない。

でもこの酒井法子のことは怖いですよ。今まで誰も彼女の過去のことを黙っていた・黙らされていたのに、こういうことになったとたんに、「そりゃ親父があれだから。」なんてすぐに出てくるんだから。知ってるのに言えない。言うとひどい目に遭う。こういう仕組みは怖い。

2009年10月17日土曜日

ハイ・ロープ

今日はルイのお誕生日パーティー、という歳でもないので、友達を一人連れて、チャーリーと3人で近所に最近出来た、ハイ・ロープというところに行きました。これはスケールの大きいジャングルジムのようなものなのですが、実はそれが地上から10メートくらいのところにあるんです。

説明するよりも写真のほうが早いので、いくつか載せます。これはわたしが取ったのではなく、そのセンターのサイトからのものです。何せ地上から遠くはなれているので、私のカメラでは撮れない!

これに行くには、まずヘルメットをつけて、バンジージャンプのときのような胴衣をつけます。それをこのジャングルジムの上についているレールに接続します。だからもちろん足を踏み外しても落ちないし(その高さで宙吊りなる)、宙吊り状態で足をふって飛び乗ったり、宙吊りになったまま身動きできなくなり、助けに来てもらわなければいけない子供もいます。

これを予約したときに年齢制限を聞くと、手を伸ばして180センチに届かないとだめとのこと。チャーリーはぎりぎり大丈夫でした。

予約したのは3週間くらい前なのですが、昨日位からルイはすごく楽しみにしてました。チャーリーははじめはすごく乗り気だったのに、昨日からちょっと心配そうでした。

背のほうはルイは私よりちょっと低いくらいで、3人の中では一番背が高い。友達のクリスはチャーリーと同じくらいなのですが、彼は昔から腕力が強くて、木登りもジャングルジムの大得意です。

今日行ってみると、ちょっと混んでいて、3人とも胴衣を着てヘルメットをつけて、地上10メートルくらいのやぐらの上でかなり長いこと待たされていました。その間おそらくほかのグループの子供たち(チャーリーの知り合いのルイと同じ年の女の子のグループ)を見ていました。私たちも下から見ていると、かなり難しそうです。途中で宙吊りになって動けなくなったり、助けが必要になった子供たちもいました。ルイとクリスは大丈夫だと思うんだけど、チャーリーは大丈夫かなあ。自信たっぷりに全部平気そうにこなすか、それとも泣き出すんじゃないかと思ってたのですが。

いよいよ3人の番が来ました。まず最初に初心者向きのコースを回って、そのあとでちょっと難しいコース、そしてその後にやぐらの一番上から30メートルくらいのジップ・ワイヤーでぶら下がって下まで降ります。一番手はルイ。そのちょっと後がクリス。この二人はちょっと苦労しながらも、何とか楽しそうにやっています。その後がチャーリー。一番初めの難関は何とか通過したんですが、その後じっとしたまま動かない。それで下まで近づいて見上げると泣いています。地上10メートルの、誰も周りに人がいないところで。ルイたちはもう先にいてしまったし、私たちも近づけません。かわいそー。そしてなんとしたことか、彼女は今来たコース(スタートから3メートルくらいしか来ていない)を後戻りし始めました。

ああこれで終わりか。10ポンド払って、長い間やぐらの上で順番を待って、5分とやらなかったなあ、と思っていたら、それを見てインストラクターの人がやってきました。そして何とか泣き止んで、その人と一緒にまた進み始めました。

5分くらいすると、インストラクターはどこかに行ってしましました。で、またチャーリーは一人で取り残されました。でも今度は何とかかんばっています。私も下から声をかけて、手を伸ばせだの、勢いを付けてジャンプしてつかまれだの、指示します。一人で誰も助けてくれる人がいないので怖かったのか、そうして声援すると、何とか気を取り直してして元気にコースを回し始めました。ルイとクリスも「チャーリーがんばれ」と遠くから声援しています。

チャーリーがまだコースの半分くらいの位置で、ルイとクリスは初心者コースは終わり、上級者コースへ。ルイは一箇所進めなくなったところがあり、インストラクターから指示を受けて何とかそこは通過、その後は簡単に全部回りました。クリスは一箇所どうしても動けなくなり、宙ぶらりんの状態で、インストラクターの助けが来るのを5分くらい待たなければいけませんでした。ルイよりちょっと背が低い分、難しかったようです。

その間、チャーリーは何とか最後まで初心者コースを終えてやぐらに帰ってきました。そしてそこから、「もう次のコースはしたくないよ!」と地上の私たちに叫んできました。でも声は元気そうです。「わかった!良くがんばった!!」

その後やぐらを階段から降りてくるのかなあと思っていたら、ジップ・ワイヤーで元気に風を切って地上に降り立ち、顔を上気させて駆け足で戻ってきました。これがジップワイヤー。結構怖そうでしょ。これに勢いをつけてぶら下がって、下まで斜めに滑り降ります。

チャーリーはこのすぐ後にお友達の家に行くことになっていたので、早くヘルメットと胴衣をはずして用意するように行っても、なかなかしません。なんか興奮状態です。アドレナリンが体中を走り回ってるという感じで、嬉しそう。さっきまで泣いていたのに、一人で何とかコースを回れて、嬉しくて自信がついてたみたいです。うちはお父さんが高所恐怖症なので、子供たちもそうなる可能性があるかな後思っていましたが、ぜんぜん大丈夫みたいです。


その後すぐにチャーリーはお友達の家に行って今日はお泊りです。

クリスは今日はうちに泊まります。晩御飯は手作りピザ。そしてチョコレートケーキを一応誕生日のお祝いだからと作ったんですが、11歳のルイちゃんは友達の手前恥ずかしがって、キャンドルもハッピーバースデーの歌もいらないとのことだったので、ただ普通に切って食べました。

このピザは焼く前の状態。


その後二人で任天堂DSで遊んで、もう一緒に2段ベッドで寝ています。

明日は二人とも今シーズン初のラグビーの試合で、ここから2時間近くかかる南デボンの町に10時15分に集合です。だからデイブが二人を連れて8時過ぎに家を出て行きます。私はチャーリーを10時半に友達の家に迎えに行くので、それまではゆっくり朝寝が出来そう。

ところでこのハイ・ロープ、晩御飯のときにルイとクリスに聞くと、女の子たちは泣いていた子がたくさんいたとか。そりゃそうでしょう。下から見ていても結構怖そうです。実際上に上って、デボンの野原や平原がずっと遠くまで見渡せる高さのところで風を頬に受けながら立つと、すごく怖いだろうなあ。しかもインストラクターがいざとなれば助けてくれるとはいえ、基本的には自分一人で何とか工夫してコースを回らなければいけません。めそめそしたり文句を言っても誰も助けてくれる人はいません。自分しか頼る人がいない。特に最近の子供ってこういう経験ってしないから、すごく良い体験だと思います。

最近の子供って、何でも安全第一の環境で育っているから、リスクをとる、リスクを分析する能力が身についていないんですって。でもリスクをとるというのは人間の本能でもあるので、そういう経験が全然ないと、電車の線路で遊ぶだとか、とんでもない危険なことに走ってしまったりするとか。だからチャーリーには特に良い経験になっただろうなあ。

でもチャーリーの友達の女の子たちは甘やかされた手のかかる子が多いので、あんな子達を連れてハイ・ロープに行くなんて、お母さん嫌だよ。ルイの友達ならまた連れて行ってあげるけどね。

2009年10月16日金曜日

あつこの呪い

うちの近所に1年くらい前に70歳前後の夫婦が引越ししてきました。


うちの家というのは元農家を改造したもので、そのFord Farmというところに3軒の家が建ってます。一軒が元ファームハウスでうちともう一軒が元牛舎と搾乳所。この3軒の家に来るには、道路からわれわれ3軒で所有している私道(ドライブ)を通って来ます。このドライブと道路の角に家が建っているのですが、その家にこの夫婦は越して来ました。


彼らの家は正面が道路に面していて、横がこのドライブに面しているのですが、彼らがこのドライブを使えないように彼らの家とドライブの間には幅1メートル、長さ5メートルくらいの草地があります。(ドライブの使用者が増えると、法律で道路整備の規制が厳しくなるため。)


この草地がややこしいことに、誰にも属していないんです。ほんの5㎡の土地とはいえ、放っておくと雑草だらけになるので、時々誰かが草を刈ります。それで今までは問題がなかったのだけれど、この人たちが越してきてから、彼らは草を刈る以上のこと、花を植えたりといった手入れをはじめたんです。まあきれいになるのは良いんだけど、イギリスには誰にも属さない土地を何年も手入れすると自分のものに出来るという法律があるので、これはちょっと私たちの間で、まずいかなあという雰囲気を作りました。それでこの夏はデイブがわざと何回か芝を刈ったのですが、そのたびにそのだんなさんが出てきて、「何をしているのか」と聞きます。別にけんか腰というわけでもないのですが、私たちとしてはちょっと気になります。


うちは土地が2500坪くらいあるし、本当にこんな土地自体はどうでも良いんですが、この人たちのものになると、そこに建物を建てられたりしたら、ドライブの入り口が狭くなって、大きいトラックやトラクターが入れなくなって困るんです。それに道路整備の法律が適用されると、私道とはいえきちんと整備をしなければいけなくなります。


でも実は私はこの奥さんとはちょっと仲が良いんです。というのは彼女は時々村でやっているヨガのクラスに来てくれる生徒さんなんです。なのでちょくちょく世間話もします。彼女はとても感じの良い人なんですが、だんなさんはその逆。いつもむっとしていて、挨拶もろくにしない。おまけにこの草地の問題があるので、この人引越しして早々、隣近所を敵に回したいのかしら、変な人と思ってました。


問題はそれだけではないんです。彼らはとっても大きいキャンパー・バン(キャラバンというホリデー用の簡易住宅が車になったもの、写真載せときました)を所有しているのですが、これをうちのドライブと道路の角に止めているんです。私たちはちょっと道に出るときに見通しが悪いかなあというくらいなので、別に問題はないのですが、彼らの向かいの家に住んでいる人は、見通しが悪くて事故になりかけたとの事。それで苦情が出ました。


それにこのキャンパー・バン、新しくてぴかぴかなんだけど、やっぱりこののどかな田園風景を損ねるとの苦情も出ています。うちからは見えないから気にならないんだけど。


このだんなさん、本当引越しして1年にもならないのに、ずいぶん敵を作ったもんだなあと思ってました。


今日ヨガを教えに行くと、その奥さんが来てました。彼女が最後に来たのは6月か7月です。それでちょっと世間話になり、どうしていたの旅行に行っていたの?というようなことを話していると、「ロイ(だんなさん)の記憶力はまだよくないんだけど、まあ二人合わせれば何とかやっていけるわ。」と彼女が軽く言いました。


ああ、それでそうなのか。そういえば、病院にロイを連れて行くというようなことを何度か聞きました。でもあのくらいの歳になると時々病院に行くなんて普通のこと出し、気にもしてなかったのですが、何かの病気だったのか。それでなんとなくつじつまが合います。確かに記憶が怪しくなるような病気になれば、ちょっと人に対してアンフレンドリーな態度や、きつい言い方をしてしまうのもわかります。近所に対しても、反感を買うようなこともしてしまうのかもしれません。そんな風に内心心細いと、外側に向けては逆に横柄な態度やとるということも考えられます。


その話を今晩デイブにすると、彼もそういえば、といいました。つい最近彼ら夫妻が車で帰ってくるのを見たのですが、奥さんが運転していたとのこと。そういうのは私たちの年代ではそんなに珍しくないけど、あの世代の夫婦って大体だんなさんが運転するので、デイブはちょっとへんだなあと思ったそうです。そして彼女はデイブを見て手を振ったけど、彼は知らん顔だったとか。


人間ってすぐ目の間に起こったことを見て人を判断するけど、その人たちの事情ってわかりませんからね。別に私たちは彼と衝突したわけじゃないけど、ちょっと内心不愉快には思ってはいたので、これからはもうちょっと心に余裕を持とうと思いました。人それぞれいろいろ事情があるから、早まって判断してはだめですね。


ところでフォードファームにある元ファームハウスには5年位前まで、60歳くらいの夫婦が住んでしました。そのだんなさんのほうが家の裏の小屋で家具を作るビジネスをはじめ、そのためトラックや資材の出入りが多くなり、その上近所に断りもなくうちの前に大きい小屋を建て、ちょっと問題になりました。


これはこのまま行くと弁護士に入ってもらうことになるかなあと思ったころ、彼はある日急にその小屋で心臓発作で亡くなりました。その奥さんもあとを追うように半年後に亡くなって、今は別の家族が住んでいます。


はじめに書いた夫婦といい、このファームハウスの夫婦といい、私とちょっとでも家のことでもめる人には、よくないことがおこるんです。別に呪ったわけでもないのに。


呪わないのにはわけがあります。


今の家を買う前に家探しをしていたころ、何軒も見た挙句、これは良いと思い入札した家がありました。でもそのころまだわたしのロンドンのフラットが売れてなかったので実際にお金を払うことが出来ず、そのままフラットが売れるまで保留になったということがありました。


その同じとき、デイブの友達夫婦も家を探していました。それでたまたま偶然彼らもこの家を見て気に入り、それとは知らず入札しました。その額は同じくらいだったのですが、彼らには売らなければいけない物件がなかったので、結局彼らがその家を手に入れました。


そのことを後で知り、わたしは冗談で、

「別に良いもん。あの家に住む人は不幸になるんだから。」と宣言しました。


すると本当にそうなったんです。まず引っ越し早々、洗濯機と掃除機が壊れ、その数日後に彼女が夜中に階段を一番上から一番下まで落ち、怪我をしました。骨折はしなかったけど、会うとかなりひどいあざやら掻き傷がたくさん出て、包帯をたくさん巻いていました。「もう引越ししたとたんに悪いことばかりおきて、どうなってるのかしら。」と彼女はこぼしていました。


こわー。彼女たちはわたしが言ったこと知りません。もうこうなったら冗談でも、知られたらまずいですよ。そのときわたしはすぐにもちろん心の中で「もうあの呪いは無し!!」と宣言しました。


そのしばらくあとに、だんなさんのほうはお父さんがなくなり、そのまたあとにお母さんが亡くなりました。それで入ってきた遺産でその家を改築して大きくして、彼らはそれを売ってポルトガルに移住しました。これは良いことなのか、悪いことなのか。もう私ののろいとは関係ないと思うんだけど。


あの家にそのあと入った人はどうしているかなあ。幸せに生きていてくれれば良いんですが。


どちらにしても、私と家のことでもめると、怖いですよ。命に関わっちゃうかもしれませんよ。


2009年10月15日木曜日

日本のこと

今日はチャーリーは学校で俳句を作りました。宿題も2首俳句を書くことです。チャーリーは詩が好きなので、喜んで時間をかけて宿題してました。学校で書いてきたのをタイプしてあげたら喜んでた。

俳句というのはイギリスやアメリカの小学校ではよく作るようです。イギリス人も、ちょっと教育のある人は俳句がどういうものか知っています。といってももうこちらの文化になじみすぎて、英語のhaikuは俳句とはちょっと違ってきてます。小学生のレベルでは、ただ5.7.5の17音節(syllable)になっていれば良いようです。そこに今日の宿題では、比喩を入れることとなっていました。

ひとつだけここに載せます。

The Deer

Hunters are runnning
While the deer is hiding
Like the mice in holes

あ、これだと真ん中の行が6シラブルだなあ。まあいいか。ハンターに追われてねずみのように小さくなって隠れる鹿の姿がよくかけてます。

いつもコメントをくれるあくあさんのブログに、誰かが「日本人ももっと自信を持っても良いんじゃないか」というようなことが書いてあって、ちょっと意外でした。わたしが日本を出た20数年前に比べると、日本人って世界に対してすごく自信を持ってるんじゃないかと思ってました。まだこんなこというくらい、コンプレックスがあるのかなあ。

たとえば昨日たまたまウエブサイト見ていたら、イギリスのタイムアウト誌の投票で、歴代アニメの人気投票の一位が「隣のととろ」だったらしいのですが、そのことを書いた日本語の記事で、「驚くべきことに、」と書いてありました。でもこれはイギリスから見ると驚くことでもなんでもない。日本のアニメはすごく評価が高くて、子供番組では吹き替えで当たり前のようにやってるし(ポケモン、マリオ、ドラゴンボール、ムーミン、鉄腕アトムなど)、anime, mangaというのはイギリス人のボキャブラリーに入ってます。隣のととろが1位になるのは、予想通りとは言わないけれど、別に驚くようなことでもありません。

先週ハートランドと言う海岸に友達と行ったとき、海の中に浮かんでいるサーファーを見つけて、サーフィンの話になりました。それで波の形の話になり、「北斎の絵のような」と、イギリス人が普通に言っていました。ちなみにあの有名な遠くに富士山の見える波の絵は、英語ではthe great wavesと言われています。

教育レベルにもよるので一概には言えないけれど、普通の教養のあるイギリス人は、日本の文化や長い歴史や、繊細な芸術感覚や、コンテンポラリーアート、礼儀正しさなどをきちんと評価しています。

シティーで働いていたときは、日本人が経営する日本人20人、イギリス人80人くらいの証券会社だったのですが、セールスデスクやトレーダー仲間のイギリス人たちは、自分たちは日本人みたいに礼儀正しくないので、上司やお客さんに失礼があるのではないかとよく気を使ってました。(というかそういう礼儀正しい人もいました。)

ルイの友達でも柔道や空手をやってる子がいますが、彼らは日本語で数えられるし、道場だとか先生だとか、必要な日本語も知っています。こういった武道の教室では、日本的に先生に対する尊敬だとか礼儀が重視されていてしつけが厳しく、それも親が子供をこういう教室に送る理由のひとつです。

まあこれはイギリスに住んでいるイギリス人のことで、日本に住む外国人とは、ちょっと違うと思うかもしれません。イギリスにいるからこそ、日本は遠い神秘的な国に思えるのでしょう。実際日本に住んでしまうと、そういった神秘的な幻想は崩れるのかも。

日本人って日本が世界に誇れることは、本田だとかソニーだとかのテクノロジーだと思っていますし、実際それは間違ってはいないのですが、それだけではないと思います。古来の伝統や美的感覚、工芸はまだまだ非常に高く評価されているし、現代映画やアートのリーディングエッジ的感覚、そして子供にはアニメやゲームのすごい国だと思われてます。

ちなみに日本経済は、イギリスからはまだまだ遠く、イギリス経済への影響力はぜんぜんありません。日本の通貨が円だということくらいはたいていのイギリス人はは知っていると思うんですが。政治にいたっては、99.999パーセントのイギリス人は、日本の政治のことを何にも知りません。イギリス人の政治家でも、急に聞かれると総理大臣の名前も言えないんじゃないかなあ。私も知りません。ハトヤマ?さんでしたっけ?

2009年10月14日水曜日

熱帯魚




うちには熱帯魚がいます。飼い始めたのは1年位前。今は全部で12匹です。

熱帯魚を飼う前は2年ほど金魚を飼っていました。でも水槽の中で病気が広がって、次々と全部死んでしまったので、今度は熱帯魚を飼うことになったのです。子供たちは熱帯魚が欲しいと長く言っていたので、熱帯魚の飼育の本を買って、「これをちゃんと読んだら買ってあげる。」とデイブが言いました。二人ともすごく熱心に暗記するまで読んだので、何をするにも腰の重いデイブにわたしが「これは買うしかないよ。」と促しました。

わたしはもともと熱帯魚を飼うのは反対ではないけれど、乗り気でもなかった。どうしてかというと、どんなことでも結局は全部お母さんの仕事になるからです。金魚のときは水槽の水を替えるのはお父さんの仕事でしたが、それも何度も何度もいわないとやってくれない。えさは子供たちの仕事ですが、それも朝晩毎日わたしが言わないとやらない。自分でやったほうが早いよ。

でも熱帯魚は子供たちが熱心に欲しがったし、デイブもだいぶその気で、温度計からヒーターから掃除のためのパンプやら薬やら、いろいろ買い揃えました。それではじめの2ヶ月くらいは、父子でほぼ毎週のように車で30分の隣町のペット屋に出かけて、相談に行ったり水のサンプルを持っていって水質をチェックしてもらったりしていました。水槽も熱心に掃除していました。えさのことは相変わらず毎日お母さんが言わないとやらないけど。

まあいろいろ飼育のために道具を買うのはお金がかかるけど、たかが魚だし父子で楽しめる趣味が出来てよかったなあって思ってました。

でもやっぱり半年くらいたつと、デイブはすっかり興味を失って水槽の掃除もめったにしなくなりました。子供たちもめったに水槽を覗かなくなった。私も水が汚いからせっかく魚がいても見ようという気もあまりしません。春が来る頃にはもう水槽はほったらかし。

でも私はもう一切関知しないと決めてました。私は魚は実はほんのちょっと苦手なんです。水槽の水に手をつけるのが嫌なんです。死んだ魚も触れない。死んだ鳥なら尻尾を持ってつまめるし、ねずみだって平気なんだけど。だから水槽の掃除も出来ないし、デイブにいちいち言っていやな顔されるのも割に合わないし。さすがに餌だけは飢え死にさせるのは見るに忍びないので、毎日子供に声をかけますが。(いまだに言わないとやらない)


春から掃除していないから、日本に7月に行くころはすっかり水も水槽も汚くなっていました。5週間の間、デイブがちゃんと餌をやるとも思えないので、きっと帰ってくる頃には全滅してるだろうなあと思っていました。

でも8月の末にイギリスに帰ってくると、まだ生きてました。しかも全部。しかも水槽はますます汚く、水は蒸発して2割くらい減っています。汚さは濃縮。熱帯魚ってデリケートなペットで、水温とか水質とかうるさいのに、結構この生態系が出来ていそうな汚い水があっているようです。

熱帯魚の水槽に入れる水は水道水ではいけないのですが、2割も水が減っていたので、そのときは水道から水を汲んで足しましたが、ぜんぜん平気です。

もうそろそろ日本から帰ってきて2ヶ月になろうとしています。水槽は相変わらず、半年近くも掃除されていません。水も替えていません。

それで今日はお母さんはついに堪忍袋の尾を切らして、水槽に腕まくりした腕を突っ込みました。フィルターとヒーターの電源を切って取り外し、あまりの汚さにモーターが詰まって動かなくなっているフィルターを掃除しました。ヒーター、温度計も洗いました。ルイが欲しがって入れたわにの頭蓋骨の飾りも船の飾りも、チャーリーのイヌのおもちゃも、プラスチックの水草も全部お風呂場で洗いました。でもあんまり全部きれいにすると魚が死んでしまうかもしれないので、水槽自体と底の砂利は洗わず、水をまたさらに2割くらい捨てて水道水を足しておきました。

12時間後の今まだ魚は生きています。

このことをデイブに言うと、水道水に入れる薬が棚にあるから、次はそれを入れるよう言われました。あきれました。

2009年10月13日火曜日

ルイちゃんの誕生日

今日はルイの誕生日でした。11歳です、プレゼントはレゴです。これって自分で選んで一緒にアマゾンで注文したんだけど、ルイって自転車を買った歳を除いて、いつも毎年レゴです。1歳の誕生日プレゼントもレゴでした。

今日はレモンケーキを作りました。ケーキの台自体はすぐにできます。材料を計って入れるのが5分、まぜて型に入れるので3分。あとはオーブンに入れて焼くだけです。レモンケーキは普通のスポンジケーキの材料に、レモンの皮をおろしたのとレモン汁を入れるだけ。

ここにレモンカードというクリームを作って中に挟んで、上にもかけたのですが、これは初めてでした。レシピーは、卵とレモン汁を混ぜてそこに砂糖とレモンの皮おろしを入れ、そこにバターを入れて湯煎しながら混ぜるというもの。これが材料を混ぜてみると、ぜんぜんそれらしくありません。卵とレモン汁という液体状態の中に、バターを入れて暖めると、バターが溶けて余計にどろどろで水みたい。これはどこかでレシピーを読み間違えたかなあと思いながら湯煎すると、あらあら不思議、だんだんクリーム状、バターのような感じになってきました。

結果は見かけは今ひとつぱっとしなかったけど、味は新しい味でおいしかったです。

晩御飯は手巻きすし。うちでは大体誰かが誕生日のときは手巻き寿司です。でも9月のチャーリーの誕生日には、日本から海苔を持ってくるのを忘れたのでできず、みんなでインド料理を食べに行きました。とってもお金がかかった。今日は母が日本から買い忘れた海苔と餃子の皮を送ってくれたので、無事にできました。

写真はおなかが一杯になってきたチャーリーが食べ物で遊びだして、作ったお寿司です。

昨日はルイはお父さんと一緒に、来年から行く予定の中学、ビデフォードカレッジを見に行きました。中学の入学申し込みの締め切りは今週週末です。ルイは友達がみんな行くこの近所の学校にすっかり行くつもりでいます。わたしもまあ、校長先生も悪くない学校だと言うし、それでいいやと思っていたんですが、今頃になって急にインターネットでデボンの中学のリーグ表(比較チャート)を見ていろいろ考えています。

この辺から通える公立の学校というのは4つくらいなのですが、この中でこの学校は一番ランクが下です。でもどこの学校も公立なので、その差はたいしたことありません。それにこのビデフォードカレッジ、7年位前までは評判が悪かったのですが、最近はめきめき向上していて、去年は全国で成績の上がったトッブ21番目の学校でした。

ちょっと10日ほど前に書きましたが、イギリスの中学というのは中学と高校が一緒になったようなもので、7年から11年生までが必修、そのあと大学に行きたい人だけが残って12年、13年をします。去年の結果を見ると13年生のうちで大学にいったのは57人。7年生は一学年300人なんですが、そのうちの100人くらいが13年生まで行くとして、半分くらいは大学に行くことになります。まあこれは悪くないかなあ。

その大学を見ていると、大半はあまり知られていない大学。といってもイギリスは日本ほど掃いて捨てるほどは大学はないので(おそらく100くらい)、日本のように箸にも棒にもかからない名前だけの大学と言うのはありません。有名なのは誰もが知っているオックスフォード、ケンブリッジ、そしてロンドン大学のキングスカレッジ、インペリアルカレッジ、ユニバーシティーカレッジ、ロンドンスクールオブエコノミックス(LSE)、そのちょっと下がブリストル、エジンバラ、グラスゴー、ウォーリックなど。

卒業生を見てみるとさすがにオックスフォード、ケンブリッジはいませんでした。でもインペリアルカレッジが一人いました。ブリストル、エクセターも数人。

わたしの高校も阪大に現役で入る人なんて、一人いれば良いほうだったし、現役で国立大学というのも50人以下だと思うからなあ。それも500人中。それでも一応進学校だったし。

いまさら悩んでも締め切りは金曜だし、ルイちゃんはもうすっかりビデフォードカレッジに行く気でいるし。よっぽどのことがない限り、このままだと思うんだけど。でも締め切りを前に、お母さんは少し悩んでいます。

良い学校に行っても勉強しな子はしないし、普通の学校でも出来る子は出来るんだから、その子供次第だとは思うんだけど。それにもちろん大学がすべてではなく、大人になってから心機一転して勉強して立派な学位をとったり学者になったりする人もいるとはわかってるんだけど。親というのはそういう回り道でなく、一番早道で良い道を歩んで欲しいって思っちゃうものなんですよね。紆余曲折ならお手の物のわたしでもそう思うんだから、世の普通の親たちは本当に何とかできるだけ子供の人生にレールを敷いてあげようと思うんだろうなあ。英語ではfeathered nest(ふわふわした巣)を用意するって言うんですけどね。

一応ルイちゃんにも言っておきました。ビデフォードカレッジにはいろんな子が行くから、すごくがんばって勉強しないと、オックスフォードとかケンブリッジとかの良い大学にはいけないよって。そうしたら、うん、わかったとは言っていましたが。

ルイちゃんは将来なりたいものがころころ変わります。ちょっと前までは血を見るのが嫌だから医者は嫌だといってましたが、今は医者か科学者になって大学の研究所で働きたいそうです。行きたい大学はスティーブン・ホーキンス博士のいるケンブリッジ。(ルイちゃんが行くまで生きてるかなあ)そういえば考古学者ってつい先週は言ってたなあ。(わたしが自分が考古学に興味がないので、軽く聞き流してましたそういえば)

チャーリーは獣医か動物園の飼育係か悩んでましたから、動物園の専属の獣医になればとキャリアアドバイスしてあげました。





詩のブログ更新したので、酔狂な方はよろしく。
http://fordfarmpoems.blogspot.com/

2009年10月12日月曜日

戦争2

戦争って罪もない一般市民を巻き込む許されぬ行為という考え方は、日本では99パーセント以上の人が同意する正論ではないかと思います。でもここイギリスではそうでもないんです。戦争って正義や愛する国のために自分の命を犠牲にして悪と戦う誇り高きこと、という考えも一般的です。

ヨーロッパ人にとって第2次世界大戦というのはナチドイツとの戦いという認識です。あの時イギリスが参戦してヒットラーを食い止めなければ、もっと多くのユダヤ人は殺戮されたというのが、大半のイギリス人の解釈ですから、戦争が英雄化されるのも無理はないのかもしれません。この辺はつくづく、ヒットラーの蛮行を食い止めるために戦争に参加し勝った国と、他国を侵略するために戦争を始め負けた国との違いだと思います。

イギリスでは勝戦記念日があり、戦争で亡くなった人たちを追悼します。そして元軍人だった人たちが胸に勲章をつけて行進します。こういうのをイギリス人はもちろん何の疑問もなく見ているんですが、私は外人ですから、なんというか複雑な気持ちがします。だからこの日はそういうイベントにはなるべ関わり合いにならないようにしています。自分の中でこの日に対する収まりがついていない、という感じですね。

ちょっと書きましたが、イギリスは第2次世界大戦が終わってからも、もう3回も戦争しています。フォークランド戦争、第一次湾岸戦争は、発端が発端ですからそれほどの批判も反論も聞かない様な気がします。突然起こったことですので、反論する暇もなく戦争になったのかもしれません。

でも第2次湾岸戦争はすごい反対デモがありました。もう5年位前かなあ。その日は世界中でデモがあったので、覚えている人もいるかもしれない。ロンドンでもすごく大きいデモがあって、2百万とか3百万の人が行進しました。日本最大の甲子園球場の最高定員が5万人弱ですから、あれの50倍です。全国からバスがでて参加していましたが、ここビデフォードからも出ていました。わたしはその日町で行われたデモに子連れで参加しました。

この戦争が勃発しそうになったとき、これってベトナム戦争みたいに、歴史的な傷跡が残るだろうなという気がしたんです。それで自分の立場、歴史のどちら側に立ったかというのははっきりさせておいたほうが良いなという気がしたので、デモに行きました。そのあとまもなくアメリカ、イギリスは攻撃を始めましたが、わたしは「わたしは自分の立場をはっきりさせたんだから、これはわたしの戦争ではないよ。」という感じがしました。

イギリスでは第一次世界大戦でたくさん死者が出たので、その記憶が強いです。1918年が終戦ですから、今から90年以上も前のことです。それでもその戦争の元兵士という人たちが何人かまだ生きています。

そのうちの一人が、この湾岸戦争の頃、「もうイギリスは戦争を英雄視するのはやめたほうが良いんじゃないか。戦争の現実にもっと目を向けるべきじゃないか。」というようなことを行っていました。これを聞いてなんかジーンと来ました。

日本で戦争についての正論を少しでも外れると感情的に批判されるように、イギリスではきらきら光る勲章をいっぱい胸に飾った誇り高き元軍人が、戦争の悲惨さを語るのはご法度という風潮があります。だからおそらくこの人は、第1次世界大戦が終わって以来、90年近くずっとこんなことは心にひめていたんじゃないかと思います。戦争なんて栄光とも英雄とも関係ない、残酷で惨めな狂気だと。それがやっと100歳を過ぎるころになって、湾岸戦争の反戦ムードが高まったときになって、初めてそれを口にできたんだなあ。

外国に住むと、戦争に関する知識や解釈や世論は日本と欧州は(そして多分アメリカや中国でも)ずいぶん違うなあと思います。わたしは自分を振り返ってみて、戦争に関する歴史をきちんと教育を受けなかったと強く思いますが、それは日本だけじゃなくて、イギリス人でも同じだと思います。どの国にも誇るべき歴史と恥ずべき歴史がある。それを感情論を抜きで学校でちゃんと教えないと、国際人なんて生まれないし、国際紛争もなくならないですよ。平和教育とはそういうものだと思います。

2009年10月11日日曜日

戦争

わたしは大学を出るまで日本で育ってますから、戦争は悪いもんだと思って育ちました。広島も行ったしひめゆりの塔の話も読んだし、まあ普通の反戦派です。イギリスでも湾岸戦争反対のデモにも行きました。

でも最近、戦争って全体的に見れば国家の争いに罪のない市民や子供が巻き込まれる悲惨なものですが、個人レベルではまた別のものではないかと思うようになりました。これは特に戦争に行く人にとっての個人的体験としては、ということです。

アメリカ人のあるひとの話なんですが、彼女は今70歳くらいだと思うんですが、彼女のお父さんが亡くなる数年前に自伝を書いたそうです。彼女には彼女も含め4人の姉妹がいます。それでその自伝を手にとって、自分たち娘のことがどんな風に書いてあるか読んでみると、そのことについてはほんの数ページしかない。書いてあることの大半は戦争のことなんです。自分が兵士としていった戦争です。それで彼女はがっかりしたことはしたんですが、兵士としての戦争体験が彼にとってどんなに大きいものであったかを知ったということです。

そういわれて考えて見れば、実際に軍隊に入って訓練を受け、前線に出て戦争体験をすれば、そして文字通り命がけで毎日を過ごし、そこを生き残り、周りで人が死んでいくという強烈な体験をすれば、そのあとの人生が色あせて見えるのもなんとなくうなづけます。そういったところで、自分は生きているんだという強烈な印象を一度受ければ、そのあとの生活は余生のような、生ぬるいものになるのでしょうか。

実はこの女性というのはアブラハムの教えをチャネルしているエスター・ヒックスです。ちなみに誤解のない様に書いておくと、アブラハムは戦争が悪いとも良いともいいません。結婚も離婚も犯罪も菜食主義も不倫も薬物中毒も、アブラハムは完全に中立で一切批判しません。そういう物の見方をする人(?)って一度も出会ったことがありませんでした。キリストですら善悪で人を判断します。

話がそれました。それからアカデミー賞を数年前もらったか逃したかしたコールド・マウンテンという映画を見たときのことです。ジュード・ローとニコール・キッドマン主演でした。

これはアメリカの南北戦争が背景なんですが、舞台は教会が人々を完全に支配している田舎の村です。人々は田畑を耕しながら、教会や権威者の教えを疑うことなく暮らしています。そこで南北戦争が勃発すると、村の若者は喜び勇んで戦争に行くんです。はじめはわたしは、どうしてこんなに狂喜してまで戦争に行くんだろうと思っていたんですが、一緒に見ていたデイブに指摘されてわかりました。

彼らはこんなやせた土地にしがみつくように生活し、自分の親が貧乏でいつも不機嫌で妻や子供を怒鳴りつけたり殴ったりしているのを見て育っています。自分も村の誰かと結婚し、同じように身を粉にして畑を耕す以外将来はなく、何の機会も娯楽も、おそらく教育もない環境です。そんなところにいれば戦争に行って村を離れ新しい土地に行き、兵隊として訓練を受けて悪い敵と戦えるというのは、現状打破という意味ではまたとない機会に見えるのではないでしょうか。

映画の中盤以降はもちろん戦争の現実が出てきます。それで主人公は軍隊を逃げて脱走兵になるのですが、それを執拗にどこまでも追い詰められ、最後に恋人と再会した翌朝に射殺されるという話です。(あらら、まだ見てない人、ごめん。)だからまあ、反戦がテーマというわけではありませんが、戦争の悲惨さと狂気がよく描かれています。

アメリカって今では徴兵制ではなくなって志願制ですが、ちらりと耳に入ってくる話では、今もそれほど変わらないのかなあと思います。つまらない小さな町に生まれ育って、勉強も嫌いで学校も落ちこぼれ、安い給料のつまらない仕事しかありつけず、楽しみといえば酒とタバコと週末ごとに違う女を誘って寝るだけ。将来のあても街から出て行く当てもない。そういう若者にとって、志願して軍隊に入るというのは、新しい人生を切り開く良いチャンスなんじゃないでしょうか。

これはアブラハムがいっていたことですが、戦争に行く(兵隊に志願する)人たちは、別に正義のために戦おうとか、愛国心のためだけにしているわけではないとのことです。今まで自分が生きてきた人生から出た結論として、個人的な理由で戦争に志願するんです。平和な世界で一生これといって良いことも悪いこともなくぬるま湯の中で生きることよりも、軍隊や戦争といった極端な環境で、強烈に命をかけて生きたいという人もいるんです。それは個人的なチョイスなんです。まあそんなことに巻き込まれる市民はたまったものじゃないともいえますが、戦争を仕掛けてるのは兵隊ではありませんから、彼らはただ目の前にある機会をつかんだだけに過ぎません。

イギリスの場合も志願制です。イギリスは実は軍隊は社会的地位が高いので(アンドリュー王子も昔空軍にいたし、今はハリー王子が陸軍にいます。)アメリカとは事情がちょっと違うかもしれませんが、ランクの下の兵隊のレベルでは同じなんじゃないかなあ。日本の自衛隊って言うのはどうなんでしょうか。昔は運転免許が欲しくて入隊するという話も聞きましたが、そうなのかなあ。

政治家のレベルでは、戦争をする理由は政治的野心以外、何もないと思いますよ。ブレア首相もブッシュ大統領も、イギリスを(アメリカを)勝利に導いた偉大なリーダーとして歴史に名をのここしたかったんだとわたしは断言します。でも今は昔のように大衆は簡単に洗脳されないし、情報も昔のように簡単にコントロールできなくなったから、そんなにうまくは行きませんでしたけどね。

個人的にはわたしも反戦派ですが。政治家憎んで兵士憎まず。

2009年10月10日土曜日

ブラックベリー



今日もブラックベリーのジャムを作りました。辞書を見ると黒イチゴと載っています。きっと日本にはないんじゃないかな。こんなのです。


今年は秋が暖かいのでそのせいかブラックベリーが豊作。いつも8月の末位から収穫時になり、9月末には終わりですが、今年はまだ取れています。

ブラックベリーは別にうちで育ててるわけではありません。勝手に育ってるんです。こんな感じです。


実はこの植物自体はするどいとげがあって、英語ではbramble、日本語ではいばらと辞書には出てます。でも日本でいばらというものを見たことがないので、日本のいばらと同じかどうかは定かでない。ガーデナーには、というか土地を耕す人には目の敵にされる雑草です。土地をしばらく手を入れないで放っておくと勝手に生えてきて、それもすごく生命力が強い、超厄介な植物です。

でも秋にはブラックベリーがなります。これはそのまま食べるとちょっと口の中に種が残るのが難点なのですが、味はとてもおいしい。生で食べるよりもバイに入れたりジャムにしたりすることが多いです。わたしも今年はべラックベリージャムとブラックベリー&アップルジャムを作りました。砂糖の甘みとぴったりマッチしてなんともいえないおいしい風味があります。これを一度食べると、イチゴジャムなんて食べられません。

この辺では秋になると道端でブラックベリー摘みをしている人を時々見ます。うちの近くでも見ます。家の近くは車があまり通らないし、良いと思うのですが、あまり街中でしている人を見ると、ちょっと排気ガスが気になりますね。

うちには裏ドアのすぐそばに毎年すごくよく取れるところがあります。もしも本気で全部とると10キロくらいは軽く取れるのではないかな。でもそんなにジャムやパイを作らないし、それに何より小さいですから、一つ一つとるのが時間がかかってしょうがないので、5分の1くらいしか収穫しません。それで毎年、隣の人に取らせてあげます。すると今年はお礼にと温室で取れたトマトをくれました。これが田舎の良いところ。わたしにすれば、自分でブラックベリーを植えたわけでも手入れをしてるわけでもなく勝手に実がなって、それを取らせて上げてるだけでお礼をもらえたから、得な取引です。

庭にはまだりんごと梨が残っています。どれもあと1週間くらいで最後の収穫かな。今年はたくさんできた梨を、いろいろ人にあげています。

イギリスは金曜位から急に寒くなりました。暖房を入れるのはいつも10月1日が目安なんですが、今年は金曜まで、9日まで入れなかったから、よくがんばったほうです。今年はインディアン・サマーですがそれもいよいよ終わりで、秋本格的というか、日本なら初冬とでもいえそうな天気です。木曜の朝は摂氏3度でした。朝は、7時20分に起きるときには、まだちょっと薄暗いです。今月末には夏時間が終わって、朝は明るくなるけど夕方は4時過ぎに暗くなるように変わります。そうなるとイギリス人はキリギリスからありに変わって、暗いうちに出勤して暗くなって帰ってきて、ほとんど日の目を見ることなく、頭をたれてぶつぶつ良いながら、春が来るまで何とかやり過ごします。

それまでの2週間、秋晴れのひが何日かあれば良いのですが。
そういえばブラックベリーという携帯電話がありますが、名前の由来はこれです。

2009年10月9日金曜日

携帯メール


ルイは今日学校で午後ハイキングの練習(?)で海まで往復して8キロ歩きました(2時間半)。そのあと家に帰ってきて、今度は水泳のトレーニングで1時間泳ぎました。明日は朝9時からテニスがあり、そのあと午後は車で2時間弱のエクセターに行って水泳の競技会です。ルイちゃんってもうすぐ11歳なんですが、たくましくなってくれたものです。

ちなみにおととい学校で体脂肪と筋肉を計ったそうです。体脂肪はなんと5パーセント。筋肉は33パーセント。うらやましい人はわたしだけではないでしょう。でももうちょっと脂肪がないと、サーフィンするとき寒いよ。

今年の夏日本に5週間行く前に、最近は公衆電話もなさそうだから携帯がないと不便だろうと、妹に手配してくれるように頼みました。するとちょうど彼女は母に携帯を買ってあげようと思っていたところということで、母のを夏の間借りることになりました。

妹がその携帯を手に入れたのは、わたしが日本に行く1週間くらい前でした。それでためしに何度か母がメールを送ってきましたが、何も書いていなかったりとなかなか覚えられない様子でした。うちの母は74歳。コンピュータもだめなどころか、運転もビデオの録画もできないタイプです。テレビと電子レンジがかろうじて使える程度。

7月に日本に行ってその携帯を早速借り、わたしも妹に使い方を教えてもらいました。電話とカメラは問題ないですが、問題はメール。イギリスでは携帯メールはあまり使われておらず、SMS テキストを送ります。もちろん英語。それで携帯でのメールの打ち方を教えてもらいましたが、これがなかなか難しい。初めて書いたメールはたった数行なのに30分くらいかかってしまいました。

それでも何回か使ううちにこつがわかってきて、すぐに覚えました。日本を去る頃は、普通の人よりちょっと遅いくらいまで上達していたと思います。写真を撮ったりメールで送ったりするのも問題なしでした。

日本で友たちと話していると、母と同世代の友達のお母さんたちも結構携帯メールは活用しているようです。友人MOのお母さんは、長文メールも早く打てるらしい。別の友人MYのお母さんはもう80歳になるのですが、メールにはまってメル友もいるそうです。隣の家に住んでるのに、用事のあるたびにメールを打ってきて、返事が遅れるとおこるとか。ちなみにこのお母さんは足が不自由だとかそんなのじゃありません。今でもゴルフコンペに行くそうです。

そのことをうちの母に話すと、「そんなのわたしは無理」とのこと。彼女は旅行に行ったり出かけたりというのは結構好きそうですが、家でもテレビも見ないし夜10時ごろ電話したら寝てるし、もっと興味を広げないと老化が進むのではと内心ちょっと心配していました。妹も、「せっかく買ってあげたのに」と言います。それでわたしがイギリスに帰るとき、こっちからメールを出して興味を持たせてくれと頼まれました。

それでこっちに帰ってきてからはほぼ毎日のようにメールを送るようになりました。わたしはPCでタイプしますから、数行のことですのですごく早い。2分くらいの所要時間です。すると母は何とか返事を書いてきました。最初はすごく短文。メールありがとう、とかそれくらいです。それも妹に言わせたら、1時間くらいかけて書いているとのこと。

でもそれも1週間ほどのことで、しばらくすると、まあまあ長いメールだとか、ちゃんと用件のあるメールが来るようになりました。ふーん、やっぱりうちの母のようなまったくメカ音痴の人でも、ちょっと練習すればできるようになるんですね。

それで今週母から小包が届いたんですが、そこに同封してあった手紙に、「いつもメールの相手してくれてありがとう。毎日楽しみが増えて、世界が広がりました。MY さんのお母さんの気持ちがわかります。」と書いてありました。へーえ、たった数週間で、ころりとメール好きになったんだね。まあこれで彼女も楽しみが増えただけでなく、携帯メールからPCメールに広がったりと世界が広がるということもあるし、よかったよかった。妙なところで親孝行ができました。

デイブのおとうさんも母と同じ年なんですが、彼はもうすっかりPCにはまっています。メールはよく来るし、その上昔とったスライドをデジタルに転換する機械を買い、デイブの子供時代の写真をCDにして郵送してくれるなど、私たちでも知らないようなことをやっています。

コンピューターやデジタルテクノロジーって若い人のものというイメージですけれど、お年寄りのほうが時間があるし、結構はまっている人は多いのではないでしょうか。わたしですらしょっちゅうのように、こんなことができるなんて良い時代になったものだと思うことが多い。だからわたしの母の年代の人なんて、本当に世界が開けるというか、驚くことが多いでしょうねえ。

ちょっと前に読んだ記事なんですが、アメリカで100歳以上の人にアンケートをして長寿の秘訣を探ろうとしたところ、食べ物やライフスタイルには特にこれといって決定的な要素は見つからなかったそうです。でもそのうちの50パーセントくらいの人が、MP3プレーヤーで音楽を聞いたことがあるんですって!私ですらMP3プレーヤー使ったことないのに。これって、長生きする人は新しいことに貪欲に挑戦してるということでしょうね。

アブラハムの教えによると、人間は生きようとする意欲のなくなったときに死ぬとのこと。新しいことにどんどん興味を持って、意欲的な人は長生きするってことでしょう。

ちなみに昨日母にメールで写真を送ったところ、届かなかったそうです。それから彼女も送ってきましたが、つきませんでした。わたしがあの携帯を使って自分に写真送れたから、遅れないということはないんだけど、母にはまだ無理なようです。まあぼちぼちやりましょう。

写真はことしうちでできた5種類のりんご。

2009年10月8日木曜日

読書感想文 コヨーテソング




昨日友達とここから車で20分くらいのハートランドというところに海岸の散歩に行きました。海岸といってもここ北デボンは海岸線が荒々しく、ほぼ道なき道を岩沿いに歩きます。寒くなってきたのにサーファーが4人いました。友人によるとこの海岸は実は知る人ぞ知るサーフィンの伝説的なメッカで、年に何度か北斎の海の絵に出てくるような波がやってくるとかで、つわもののサーファーが水に浮かんで波を待っています。ここに来るにはわたしの歩いた海岸沿いにサーフボードを担いで何キロも岩場を歩いていくか、道なき道を車を引っかき傷だらけにしながら藪の中を抜けてくるかしかありません。

伊藤比呂美のコヨーテソングという本を読みました。前も一度読んだんですが、また読みたくなって再読しました。伊藤比呂美さんは詩人です。わたしより10歳年上で青山大学の国文科の出身です。わたしが初めて伊藤さんの詩を読んだのは大学生のとき。「わたしは便器なのか」という詩でした。タイトルのとおりかなりショッキングというか赤裸々なテーマで詩を書く人です。

その頃から彼女のことが好きだったので、あれこれ25年くらいのお付き合いになりますね。その間ずっとフォローしていたのでもないのですが、また最近になって彼女の本をいろいろ読んでます。

その頃は厳戒令下のポーランドに恋人を追いかけて行ったとかで、情熱的な人だなあと思いました。その後(多分)3回結婚して、今はアメリカ人のだんなさんがいて、カリフォルニアに住んでるようです。3人娘さんがいて、一番下の子はアメリカ人とのハーフで、日本語の勉強のために日本につれてきたりと、わたしと同じ様なことしてるようで、身につまされます。

昔は彼女の詩も一応詩らしい体裁をとっていました。韻が云々ではなく、ただ単純に詩の様に見えたということです。でも最近のものは詩なのか散文なのか、よくわからないものが多い。一応、行が段落が終わる前に途中で改行になってるから、詩なのかなあという感じです。でも内容はエッセイ風だったりします。それが何ページも続いて、急に詩のように終わったりだとか、とっても自由な書き方です。でも自由詩というのは、五七五調や韻を踏んだりという規制から外れて自由に書かれるものですから、散文長になっていようと、形式にこだわる必要なないんだから、それはそれで彼女らしくてとても好きです。

彼女は結構テーマにこだわる人なんです。昔はセイタカアワダチソウに凝っていてそれについてたくさん詩を書いてました。毛抜きで毛を抜くこと、生粋の東京弁では「ひ」がうまく発音できなくて、「し」に聞こえること(日比谷がシビヤに聞こえる)にもこだわってました。それでどうも今回はコヨーテにこだわっているようです。

昔子供のころ、シートン動物記でコヨーテのことを読んだのがきっかけでした。それを大人になってアマゾンで検索して英語の古本を手に入れました。それは図書館の本だったのですが、おそらく残酷すぎるという理由で「廃棄本」となりました。残酷というのは、母親コヨーテが授乳して仔をなめていると、そこを射殺され、子らは一匹一匹穴から引きずり出され殺されるという描写ではないかと彼女は書いています。

彼女は昔読んだ日本語訳を覚えているので、その記憶を交えながら、英語と日本語を交えながらその描写を書きます。それがなんとも心を打つんです。かわいそうはかわいそうなんですが、彼女の書き方はセンチメンタルではありません。そこが詩人の詩人たるところなんですよねえ。

その後日、(というかその前かもしれない。この辺は不明)デパートの広告でコヨーテの毛皮が特売になっているのを知り、買い求めます。たぶんこの辺は実話。その殺されたコヨーテの皮を着て、彼女はコヨーテの力を得ていきます。この辺からが詩というか、彼女らしい展開になります。

何しろ当時私は、ごく社会的に、とても家庭的に、秩序正しく生きてましたから、ええ、ただの夢でした、
ジユウニナリタイという、
ドコカニイキタイという、
ゴハンツクルノハモウイヤダという、
コシノヌケルホドセックスシタイという、

中略

コヨーテがささやき声で問いました。
「どんな力が欲しいか。」
わたしはその毛皮に鼻までうずめてイグニッションキイを入れ、
ステアリングを握りながら答えました、
「走る力を」
「死なない命とイヌ科の臭いと跳躍力を」
「それから、はてしない性欲を 」

(「平原色の死骸」より抜粋)


それとは別に、彼女がアメリカを旅して知ったコヨーテに関する伝説や民話のようなものが、これまた彼女の語り口で、詩とも散文ともつかないような書き方でかかれます。コヨーテと鴨娘の話し、コヨーテが小人の子供を腰につけた膀胱に入れて育てる話、コヨーテが人間のおんなに成りすます話し、コヨーテと魔女の話、コヨーテが蛙娘を殺す話。膀胱の話を除いては、コヨーテは好色なオスで、どれもセックスがテーマになってます。

また好きな抜粋を書きます。

平原で。
コヨーテの逃げようとした足を見ました。
罠に残されていて、食いちぎったのだと人々がいいました。
昔におこったことですから、干からびていました。
干からびた足の先。食いちぎられて。
それを見た人々が、おお、ああ、といいました、おお、ああ、と。
苦しかったろうつからったろうと。
どうせ死んでしまっただろうと。

(「風一陣」より抜粋)

或る夜コヨーテが訪ねてきて、
なくした足をわたしに見せた
どうしても食いちぎらねばならなかったのだ
どうしても出ていきたかったのだどうしても、と
行きなよ、とわたしはいってやった
コヨーテにはいろんなことをされたけれど
わたしもいろんなことをしてやった
かみ殺されなかったのが不思議なくらいだ

(「タンブルウィード」より抜粋)

2009年10月7日水曜日

福井先生とサンプルマン

高校3年のときのクラスは福井先生という世界史の先生でした。歳は40才くらいかなあ。ぜんぜん先生らしい高圧的なところのない人で、みんなに好かれていました。それでも担任としては進路指導などちゃんとしてくれたし、世界史の授業も面白かったです。生徒の前でぜんぜんえらそうにしないのだけど、やっぱり高校生の私たちとは歳も離れているし、青春ドラマの先生風でもなく、さらっとした自然体の人でした。

生徒の誰かが、「先生見合い結婚?恋愛結婚?」と聞くと、「見合いや。見合いで恋愛や」としゃあしゃあと答えていました。それから学校の創立60年だかなんかの式典のときに、先生が君が代を歌っていなかったので、誰かがそれとなく尋ねると、「いやー、僕は君が代は嫌いやねん。」とさらりとおっしゃっていたのを覚えています。君が代、国旗問題はその頃よく話題になっていたので、あのこだわりのなさそうな先生にそんな面があるとは以外でした。

先生が良いと、クラスが仲良くなって楽しくなる傾向があるように思います。この高3のときのクラスって47人いたのですが、すごく仲がよかった。

皆さんも覚えがあるかもしれませんが、中学高校のときって日直というものが回ってきました。具体的に何をしたか覚えていないんですが、結構めんどくさかった。花瓶の水を替えたり鍵をとりに行ったり、そういうことかな。その日直の仕事のひとつが日直日誌をつけることでした。内容は欠席者だとか遅刻者だとか、そういう事務的なことです。1日1ページの日誌にはほかにもいろいろ記入する項目があったと思うのですが、その最後に小さく「その他」のセクションがあって、コメントを記入できるようになっていました。普通は誰も何も書きません。

それがいつの頃からか、そのコメントにみんながいろいろなことを書き始めたのです。大体その日にあった面白いこと。それを福井先生は終業時間に読み上げてくれました。それでなんとなくみんな日直になってそこに書き込みできるのが楽しみになりました。

それがきっかけになったのかもしれませんが、高校3年の半ばからはクラス全員で交換日記まで始めました。何しろ47人もいるから、普通にしていたら2ヶ月に1回くらいしか回ってこないので、誰かが家にもって帰って、翌日は休憩時間やランチタイムに読んだり書いたりしていたと思います。お互いの日記に書き込みも多く、まるで今のブログみたい。

まああんな高校でも一応3年になると受験体制で、旅行や合宿なんかはなかったけど、たまにクラスでボーリングに行ったりしたのも覚えています。大きな声ではいえないが、飲みにも行きましたよ。

ああ、なんか書いてるうちに懐かしくなってきた。福井先生は同窓会出席とのことです。あの頃40としても65歳か。そりゃわたしが44だからそうでしょう。こちらが驚くよりも、先生の方があのぴちぴちした高校生がオッサンオバハンになって、驚くだろうなあ。

もう一人思い出に残る先生がいます。高校一年のときの地学の先生で、名前は忘れたんだけどサンプルマン(よく授業に岩のサンプルを持ってきた)というあだ名でした。とっても穏やかな人で良い先生だったんですが、ある日授業中に何かが起こって、めずらしくその先生がきつく誰かを叱ったことがありました。そういうことは中高生というのは慣れていますから、別に誰もなんとも思わなかったのですが、その日の終業時間(ホームルームといいましたね)に私たちのクラスにわざわざいらっしゃって、「大きな声でしかって申し訳ありませんでした」とクラス全体に頭を下げて謝られました。

たった15歳くらいの悪ふざけの盛んな高校生に対して、わざわざ出向いていって頭を下げるなんて、なんて立派な先生だろうとそのときも思いましたし、今わたしがそのくらいの歳になって、余計そう思います。でも私たち住高生も、進学率は下がったものの、きちんと礼儀をわかったまともな大人の高校生だったから、先生方もそんな風に扱ってくださったんだろうと思います。

こうして思うと、本当にわたしって幸せな高校生時代を送りました。一応進学校だけど、それほど受験受験と追い詰められることもなかったし、先生方は、全員ではないにしろ、面白い 良い先生が多かったし。そして友達もクラスもクラブもすごく仲がよくて楽しかったし、面白い人たちがたくさんいたし。

阪大に誰も行かなくなっても、国公立が一握りでも、一浪で私学が普通でも、そんなことこんなのびのびした高校生活には変えられない事です。

2009年10月6日火曜日

新井先生、大黒先生、秦先生

昨日の続きの高校の同窓会の事を書きます。

同窓会のブログヲ見ていたら、お世話になった先生方の出欠の予定が書いてありました。まだ未定の先生が多いです。そのうちで、新井先生だけ太文字になっていました。出欠はまだ未定。ですがその下に実行委員からたっての希望で、ビデオダイアリーをお願いするとのことでした。

新井先生は国語の先生です。多分その頃で50歳はいっていたから、もう75歳以上だと思います。私は現国も古典も習いました。新井先生のことを説明するのはとっても難しいです。悪い先生では決してありませんが、良い先生とも簡単にはいえない。なんというか、そういう枠の中に入らない人なんです。容貌はちょっとゲゲゲの鬼太郎のこなき爺のような感じです。「新井すまし」というあだ名もありました。なんともとらえどころがないからそう呼ばれたんでしょうか。

さすがに古典の授業の方は新井先生でもまあまあ普通にカリキュラムどおりになってました。外国語のように覚えないといけないことが多いから、仕方なかったんでしょうね。授業の形式は質問をして、「じゃあ次の人」と席順で当てられます。わからないと立たされて、「次の人」「次の人」と順番が廻っていきます。そして正解が出ると、立ってる人もみんな座れます。ただそれだけです。別にこれといって教えようとか、受験に備えさせようなんて気持ちは微塵もなかったと思います。

でも新井先生の醍醐味は現国。教科書に載っているテキスト(大体文学作品からの抜粋で、20ぺーじくらいかな)を順番に当てていって一度音読すると、それでおしまい。そのあとは先生がまたはじめから読みながら、同じ調子で質問して当てていきます。でも現国なので特に難しい読解も文法もないので、ただ先生が思いつくままに質問していくんです。ちょうどブログを読んで、コメントしていくような感じです。

一度は「日本で一番おいしい最中はなんですか」という質問でした。でも食べ盛りの高校生は、和菓子の老舗なんて知りません。「次の人」「次の人」とクラス全員が立たされて、「鶴屋八萬ですよ。知らないんですか君たちは。」と叱られてしまいました。

新井先生の趣味は旅行です。その頃は海外旅行はまだそんなに盛んじゃなかったんだけど、世界中、日本中行っていたようです。

ある年教育実習に静岡大学の学生が来ました。彼は新井先生についています。それで国語の授業中に先生が、「下宿はどこですか」と聞きました。その実習生が答えると、「ああ、その隣の筋においしい豆腐屋がありますなあ。」とおっしゃいました。本当に日本中どこもかしもこいっているようです。

新井先生の私生活については誰も知りません。大きな学校ですから、誰かが何かを聞きつけて、少しくらい流れてくることが普通なんですが、彼は家族がいるのか独身なのか、どこに住んでいるのか、何にもわかりませんでした。今も知りません。

新井先生来るかなあ。ビデオダイアリー、無理だと思うんだけど、是非みたいですね。

ほかにも簡単に記憶に残る先生を上げると、生物の大黒先生。彼は普通の先生なんですが、真冬でも半そでです。そして冬に教室にやってくると、「君たち若いのになんですか」と窓を全部開けてしまいます。あだ名はいやみの大黒。悪い先生では全然なくて、生徒からは慕われていたのですが、この半そで主義に辟易してついたあだ名です。

高校一年のとき、クラスに中林君というラグビー部の男の子がいました。うちの高校は昨日書いたとおり私服なんですが、彼は冬になってもいつもひとりだけ半そででした。それでクラス中で、大黒先生と中林君と、どちらが先に長袖を着るか、賭けていました。結果は忘れました。

ある冬の日、クラス全員で相談して、その日の生物の授業だけ全員半そでで先生を迎えようということになりました。窓はもちろん全開です。大黒先生は入ってくるやすぐにわかったみたいで、にやりとしたのを覚えています。

高校1年のときの先生は英語の秦先生といいます。30くらいの若い先生でした。とってもいい先生なんですが、ひねくれ屋のわたしとわたしの友達には、その青春ドラマに出てくるような良い先生さがとっても嫌でした。これといってぶつかった記憶はないんですが、ちょっと態度悪かったと思います。陰口もずいぶん言いました。

でも高校1年の夏休みにはクラス合宿と称し、50人近くの15・16歳の男女を引き連れて、1泊合宿をしてくださいました。冬休みには公民館を借りてクリスマスパーティーもしました。秦先生にすればせっかくのお休みで、若かったから小さい子供もいらっしゃったように思うんですが、わざわざそんなことまでして、生徒をかわいがってくださいました。今から思えば本当に良い先生だったのに、ごめんなさい。

秦先生はお寺の息子さんでした。ほかにもお坊さんの息子という先生が何人かいました。これも不思議といえば不思議な縁でした。

高校3年のときは福井先生という世界史の先生でした。この先生とクラスについてはまた明日書きます。


まったくトーンが変わりますが詩のサイト更新しました。詩心ある方ない方、よかったら見てください。ちょっと重いです。
http://fordfarmpoems.blogspot.com/

2009年10月5日月曜日

なつかしの住吉高校


今年11月に高校の35期生の同窓会があるとのことで、夏に実家に連絡がありました。そのあとおとといはこちらまで出欠確認の電話がかかってきました。ちゃんとわたしから返事しておけば手数がかからなかったのに、ごめんなさい。そしてありがとうございます。うちの高校って一学年500人以上いるんです。だから本当に大掛かりな仕事のようです。150人出席を目指してるんだって。4人に一人。多いのか少ないのか。でももう25年以上もたってるから、150人でもすごいかもしれません。

高校の名前は大阪府立住吉高校。大阪や関西圏では名門として名前の知れた学校です。でもそれがなぜなのか、私たちの年代の元生徒には不明なんです。一応進学校ではありますが、わたしが卒業する頃には、現役で国立大学に行く人なんて一握りという体たらく。大阪府は高校は学区制になっていて、母校のある第六学区には10校近く公立高校があったのですが、その中でも2番手の学校です。だから大人になって、たまに関西出身の人から、住校ですか、名門ですね、なんていわれると、「???」という感じです。

住吉という名前が百人一首の中でも読まれているくらい由緒ある土地なのと、住吉大社で知られているのかもしれません。あと学校が帝塚山というところにあるんですが、これが高級住宅地なのでそれも関係あるのかも。

詩人の伊藤静雄(日本を代表する詩人ですが、たぶん普通の人は知らないだろうなあ)が教鞭をとっていたことで知られています。それからこれは偶然、作家庄野潤三の文学交遊録という本を読んでいたら、彼も住吉高校(その頃は中学)出身で、しかも大学もわたしと同じの大阪外大と知ってちょっと驚きました。彼は伊藤先生にそれはそれはお世話になったそうです。その辺の時代の文学交友記、わたしはすごく興味あるのですが、その辺にもいまだにこの高校が名門と思われている(誤解されている)ゆえんかもしれません。

ちなみにわたしは知りませんでしたが、最近ノーベル賞を受賞された下村脩さんも住吉高校の出身で、しかも伊藤静雄の教え子だったとか。なんというか、立派な人は立派な人を呼ぶものですなあ。引き寄せの法則です。

わたしが高校にいた頃は、「自主自律」が学校のモットーでした。こういうのを掲げるのは良いけれど、普通はモットーというのはなかなか実行されないものですが、この学校は本当に実行してました。制服なし。校歌なし。髪の毛はパーマも毛染めも自由。ハイヒールも大丈夫。化粧はたぶんだめだったと思うけど。先生と生徒の関係も、大人の関係というか、支配者被支配者という感じはまったくなく、大学のような感じでした。今から思えば、こんな高校の先生って楽だろうなあ。
校歌はない変わりに、生徒歌というのがありました。じゃあ同じじゃんと思うでしょうが、やっぱりちょっと違うんです。みんな嬉々として歌うんです。たぶん今度の同窓会でも歌われるんじゃないかな。押し付けられるのと押し付けられないのとではこうも違うんだなといういい例です。

わたしの中学は、何かあると「内申に書くぞ」と脅す先生が大半の、軍隊のような中学でした。制服も厳しく、ソックスと靴は完全な白。かばんは学生かばんプラス学校のマークの入ったリュックサックのみ可。男子が坊主頭にしなくてもよかったのが奇跡のようなところでした。そんなところから、こんな自由なのびのびした高校にいったから、本当に楽しかったです。

勉強のほうは一応進学校ではあったのですが、のびのびしすぎて今ひとつでした。女子は大体現役で短大や四大に言ってましたが、男子は一浪が普通でした。わたしの卒業年度の生徒は、一浪から関西学院というルートが一番多かった。その数年前は一浪から大阪市立大学だったんだけど。

2年ほど前に、妹が(彼女も同じ高校)「住高は普通科がなくなった。」といったので、目の前が真っ暗になりました。そうか、そんなにレベルが下がってしまったのか、商業科か、工業化か、と思っていたら、国際科だとかいうことでした。うーん。これは良いことなのか悪いことなのか。文系の高校になったのかなあ。

とにかく、今回の同窓会は結構盛り上がって、ブログまでできて、気合が入ってるようです。ブログを見てみると、実行委員会には知ってる人は一人しかいませんでした。いくら25年たってるとはいえ、一度でも同じクラスになった人は覚えてると思うんだけど。忘れたってことはないと思うので、やっぱり大きな高校ですから(12クラスあった)、もともと知らない人が多かったのかなあ。
当日はスライドショーやらゲームやらいろいろ催しが企画されているようです。それは良いんだけど、そのうちのひとつ、「住高カップルのその後」というのが気になる。何組が同窓生どうしで結婚したか、ということらしいんですが、私たちくらいの年でそんなことしても良いのかなあ。幸せに結婚してるカップルだけではなく、離婚したり、離婚を考えていたり、という人たちも多いと思うんだけど。まあそんな能天気な企画をするのが、わたしの高校らしいんですけど。

この同窓会8年ぶりとのこと。前回声がかかった記憶はないのですが、多分その頃はチャーリーが生まれたばかりで、毎日睡眠時間2時間だったから、とてもそれどころではなかったんでしょう。今年の夏に行ったところでなければ、いってみたいなあと思うんだけど、やっぱり無理ですね。次に日本に帰ったときは自分で音頭をとって、クラス会をやろうと思ってます。

今ちょっとウィキピディアを調べてみたら、かなりいろいろ載っていました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E7%AB%8B%E4%BD%8F%E5%90%89%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1

昔は阪大の入学者の中では、住吉高校出身者が一番多かったとか、今では低迷も激しく、80年代には(わたしのいた頃)「他の学区なら3.4番手」といわれるほど実績が下がったとか。それから卒業生がいろいろ載ってました。漫才師のトミーズ雅、健も卒業生でした。

2009年10月4日日曜日

おさんどん

今日は久しぶりに子供の習い事も試合もない日曜でした。天気は晴れ。でも秋晴れという感じではなくて、どよんとしています。風がなくて空気が重い感じ。気温はまあまあ温かい。

このくらいの季節が美しくて良いという人もいます。確かに陽はやわらかいし、まだ草も青々としていて、木々もまだ緑であふれています。花はもう終わってしまったのでそれは寂しいけど、それでも庭には果物や木の赤い実が実り、まだまだ見どころはあります。

でもわたしはあんまり好きではありませんね。これから本格的に天候が悪くなる前の、ほんのつかの間の平和と言う感じで。もう海は入るどころか、見に行こうという気もしません。秋は寂しいなあという感じがしみじみします。

今日のランチはローストポーク。ランチといってもこれはディナーですから、食べたのは2時半くらい。これがオーブンに入れる前。

こちらが出来上がり。

付け合わせは人参、ブロッコリー、ローストパースニップ、ローストポテト、アップルソース。デザートがアップル・クランブルのカスタードソースかけ。

パースニップというのはイギリスの冬の野菜で、今日庭で育ったのを今年初めてとりました。こんな風にきれいに育ちました。味は人参とサツマイモを足したような味です。にが甘いというか。

パースニップはきれいに育ちますが、同じ根菜の大根はこんな風になりました。どうしても虫に食われてしまうんです。それでも痛んだところを切り捨てて、貴重な日本野菜、ありがたく食べます。

もう完全な秋ですが、野菜畑にはまだまだ食べれるものが残っています。冬の野菜としてはこのパースニップのほかに、長ネギとカボチャが育ってます。人参、ビートルート(ボルシチの材料)、ほうれん草、ケール(青菜)、コルラビ、大根、キャベツなど。春に採るブロッコリ-もあります。果樹園のほうは梨とりんごがそろそろ最後の収穫のときです。

でも正直言って、寒くなると外に行くのが面倒になるし、ましてや雨が降ってると、野菜を採りに行こうなんて思いません。雨が続いてどろだらけになると、根菜を採るのがすごく大仕事で、これも嫌です。店で買う野菜ってもう洗ってあってきれいで捨てるところが少なくて、本当にありがたいなあと思ったりしてしまいます。

わたしって実は家事の中では料理は結構嫌い。面倒くさいんです。毎日しなきゃいけないし、後片付けが大変だし。といってももう子供が生まれて11年にもなるし、毎日作ってるからだいぶ上達して、苦手ではないんだけど、お料理上手なんかでは決してありません。

でもこの週末はずっと割烹着着て台所に立ってました。梨とりんごのチャツネというピクルスのようなものを大量に作ってたんです。水曜は昼間はまたジャムを作っていたし。おさんどんではなく、お菓子を作ったりこういうのは嫌いではないんですけど、庭でできる野菜や果物を無駄にするわけにも行かないからと作っているわけで、趣味というよりは仕事という感じがします。まあどんな趣味でも、高じてくると仕事的面も出て来るんだろうけど。

チャツネを作ると酢を大量に使うので家中が酢のにおいがします。今日はそこにローストポークのにおいまで混じってます。家がオープンプランで、台所と今の仕切りがないので、家中がそのにおい。

お昼はたくさん食べたから晩御飯は軽く。子供たちが水泳から帰ってきてから、夜食という感じで、缶詰のトマトスープと庭のとうもろこしとパンでいいやと思っていたのですが、帰ってくる30分くらい前にやっぱり気が変わって、パンプキンスープを作りました。ぎりぎりで間に合いました。

しかしどうして、必要もないのにこうも料理してしまうんだろう。ほんと、おさんどん根性がついてしまったみたいだなあ。
そうそう、今日のポークはなんと焼く前で1.6キロもあったんです。まさか全部食べないだろうから、明日の晩御飯に残りを使えるかなあと思っていたら、恐ろしいことに全部なくなりました。まあ、わたしもよく食べるほうなんですが、チャーリーなんてわたしの倍のスピードで倍食べた。こんな風だから出来合いの食べ物なんかでは量的にぜんぜんたりないから、自分で作ることになるんだろうなあ。子供3人でなくて本当によかった。

2009年10月3日土曜日

子供の教育


IKEAで買ったワードローブができました。これで59ポンドですから、1万2000円くらい。安いモンです。ちなみにわたしはぜんぜん手伝わなかったのですが(賢明)、45分くらいでできたそうです。

昨日の夜、昔ロンドンの銀行で一緒に働いていた友達に、1年以上ぶりに電話して話しました。彼女は今ロンドンの南の郊外に住んでいて、まだシティーで働いてます。彼女のところにはルイと同じ年の男の子がいます。二人とも今小学校6年生で、来年9月から中学に行きます。

イギリスの中学というのは5年制で、その後卒業しても良いけど、大学に行きたい人はそのあと2年間シックスス・フォーム(6th form)というコースを取ります。これはその中学に残ることもできるし、別の短大のようなところで勉強しても良い。ここで勉強してAレベルというテストを受けます。このA レベルの結果で大学が決まるので、シックスス・フォームと言うのは、進学校の高校か予備校のようなものです。

イギリスの中学というのは昔(わたしたちの年代)は小学校を卒業する11歳でイレブン・プラスという試験を受け、それで勉強のできる子はグラマースクールという学校に良き、できない子はセカンダリー・モダンという学校にいくというシステムでした。でもこれは労働者階級とエリート階級の格差を広げるばかりで、しかもそれを11歳で決めるのは酷だという声がたかまり、このテストは廃止されて、みんなコンプリヘンシブという普通科の中学に行くようになりました。

それがまた最近はシステムが変わって、選抜式の学校ができて、地区によってはイレブン・プラスがまた導入されたという話をちらりとニュースで聞いていました。

でもうちの家のあたりはそもそも中学と中学の間が離れているから、通学できる学校が限られているので、この辺の子はみんな同じ中学に行きます。まあ日本の公立の中学と同じようなものです。もしも校区の学校が嫌な人は、別の学校に申し込めますが、学校のレベルとしては大差がありません。イレブン・プラスのテストもない。それなので実際のチョイスとしては、公立に入れるか私立に入れるかですが、多くの家庭にとっては、お金のかかる私立なんて問題外です。

ルイは今年が最後の年なので、どこの中学に入れたいかという申請を先日しました。行く先は校区の友達がみんな行くビデフォード・カレッジ。来来週にオープンモーニングというのがあって、学校見学に行きます。

前置きが長くなりましたが、本題。その昔の友達との電話のことです。彼女の子供の話を聞いて、わたしは本当に絶句してしまいました。

彼女の住むあたりは選抜校があり、お母さんたちはみんな躍起になって自分の子供をそこに入れようとしてるんですって。多分感じとしては、日本の公立高校の入試のようなものかな。そのためにはもうすぐもたれるイレブン・プラステストで良い成績を上げねばならず、彼女のところは家庭教師も来るし、毎日彼女が勉強を見て、週末に模試を受けたり、学校の試験を受けたりしているそうです。

信じられない。うちとぜんぜん違う。うちだけでなく、この辺の人はそんなことはぜんぜんしません。私なんて学校がどんなカリキュラムかも知らないし、ただ毎日宿題した?と聞くだけ。勉強なんて3年生くらい以来見てないし、向こうだってわたしに勉強なんて見てもらいたくないと思う。普段は習い事とか水泳であちこち走り回って、そんな時間はまったくなし。

うちの子供たちはどちらも学校の成績はトップクラスで、いつも先生に「何も言うことありません」って言われるので、ぜんぜん心配してなかったんだけど、でもトップクラスとはいえ、この学校って一学年20人しかいないんです。だからトップクラスで当たり前というか、本当にそれがどのレベルなのかよくわからない。でも先生がよくできるって言うからそれを真に受けてたんだけど、本当にそれで良いのかと心配になってきました。

中学に行ってもこの調子ならまずトップクラスかもしれないけど、でも所詮こんな田舎の公立中学校。2000人以上もいる学校なので、毎年良い大学に行く生徒は何人かいるようだけど、本当に大丈夫なのかな。ロンドンやその近郊では、日本並みに教育ママが子供を勉強させているようだし、年々厳しくなってきている大学受験、そんな子供たちと同じ土俵で、ちゃんと良い大学、希望の大学にいけるんだろうか。

でも実際問題、引越しするつもりもないし、とにかく今は習い事とスポーツでそんな余裕はぜんぜんありません。学校の先生が問題ないって言ってるところを、無理やり勉強させる必要もない気がするし、それになんといっても子供たちは毎日結構幸せそうにしているので、そんなプレッシャーをかけてしんどい思いをさせたくない。

むしろ親が言うと逆効果ということもありますよね。私もわたしの妹も、母子家庭で母が働いていたのでほとんど塾にも行かずまったく放任で育ちましたが、まあまあ世間並みの大学を卒業したし。親がうるさい家が受験が成功するというわけではぜんぜんないしなあ。 わたしなんて反骨精神が旺盛だから、勉強しろといわれれば、ただ自分の自由を証明するだけのために、わざと勉強しなかったかもしれない。

でも一方ではわたしは大阪の公立高校で波にもまれてきたし、中学も高校も大きい学校でかなり勉強にはうるさかった。家では何も言われなかったけど、確かに学校はしっかり勉強しないとついていけないような環境でした。ルイやチャーリーの学校のような、教会に付属の一学年20人のかわいい村の小学校ではありません。

勉強だけの問題にとどまらないこともあります。わたしの日本の友達にはもう子供が中学や高校という人たちもいますが、親が勉強に口やかましいほど、そのくらいの年になって親子の仲がうまく行かなくなる傾向があるようにも思えるし。うーん。

そのロンドンの友達の場合は、今は彼もお母さんの言うことを聞いてがんばってるようですが、彼女があまりにもそのことしか頭にないのも気にかかる。親が自分が良い学校に行くことだけを生きがいにしてるのって、子供にとってすごい負担ですよ。彼女には、「大きくなって家庭内暴力なんて話もあるから、気をつけてね」とは言ったけど。

子供には良い大学にいって欲しい、スポーツで活躍して欲しい、ピアノが上手になって欲しい、ロイヤルバレエに入って欲しい等々、わたしも含め親と言うのははいろいろ期待があるわけですが、それって80パーセントくらいは勝手な親のエゴです。子供のために自分を犠牲に、なんて聞こえが良いけど、それはウソ。自分自身が生きがいが見つけられないから子供のアチーブメントを生きがいにしたり、子供が良い学校に行ったりスポーツで活躍すると鼻が高いとか、そういった親の都合勝手な動機が半分。親のわたしが言うんだから本当です。

だからわたしも子供には過剰な期待やプレッシャーはかけたくないんだけど、でもやっぱり気になる会話でした。今のままで良いんだろうか、良いに違いないけど、でもほんとになにもしなくていいのかなって。

「アブラハムの教え」によると、子供は放っておけば放っておくほど良いとのこと。わたしもそうだと思っています。だからますますお母さんはこれから自分勝手に趣味を広げて、好きにさせてもらって、あなたたちをのびのび自由に成長させてあげるわ、ほっほっほ。
お母さんは趣味の詩のブログ、また更新しました。写真も載せてあります。http://fordfarmpoems.blogspot.com/

2009年10月2日金曜日

愛国心

昨日ついていたテレビをチラッと見たら、湾岸戦争についての映画でした。ほんの一部しか見なかったのですが、アメリカの兵隊たちが上司(軍曹っていうんだっけ?)に、「軍隊にいる間はお前たちは言論の自由なんかない。」といわれたあと、テレビのインタビューを受けます。そこで「自分の国のために戦争に来ていることを誇りに思います。」なんてありふれた受け答えをします。

それを見ていて、自分の国ってどういうことだろうとふと疑問がわいてきました。この映画の場合はもちろんアメリカなんだけど、どうしてそんな大きな国に、自分がそこで生まれ育ったというだけで、愛情をもてるんだろう。そこで生まれたかどうかの違いだけで、どうしてある国を愛して、ある国は敵になるんだろう。愛してるというのは、概念としてのアメリカなんだろうか、それともアメリカ人を愛してるんだろうか?ということは、イラク人を憎んでいるんだろうか?

アメリカなんて大きな国、南のアラバマとニューヨークなんて先進国と発展途上国くらいの違いがあるし、人種だっていろいろある。英語を話さないヒスパニックの人や、黒人やゲイやなどの少数派も、同じように愛国心をもてるのだろうか。そして彼らは、白人の兵隊が「愛するアメリカ」と呼ぶ対象の中に入ってるんだろうか。

イギリスに住む前から、愛国心というのはわたしにはちょっとよくわからないことでした。自分が日本を愛してるかと聞かれれば、よくわからないというのが正直な答え。今はイギリスに住んでるけど、別に日本を愛してるともイギリスを愛してるとも実感はありません。

日本といっても文化だとか文学、芸術など、すばらしいなあと思うところもありますが、こんなところが嫌だなあというところもいろいろあります。別に生まれ育った国だから特にすばらしいとも思わない。それを言えばイギリスでも一緒で、すばらしい面もたくさんあって、日本に対してちょっと自慢したいようなこともないではないけれど、もちろんぜんぜん好きでない面もある。

でもイギリスでは愛国心というのは美徳だとされています。イギリスでは戦争を名誉ある誇り高きことだと見る傾向があります。チャーチルにしてもサッチャーにしても、戦争で名を上げた総理大臣は多い。だからブレア首相も国民の大反対を押し切って戦争してしまいました。「イギリスを勝利に導いた名誉ある歴代首相」になるという誘惑には勝てなかったんですね。(結果は逆になりましたが。)この辺が戦争に勝った国と負けた国の違いだなあとしみじみ思います。

でもそんな愛国心を重んじるイギリスで外国人として住むのは、居心地が良いことではないです。実際問題としては、マスコミ等で人種差別など取り上げられますが、生活実感としてはイギリス人は外人とか移民に対して寛容で親切な国だと思います。日本なんかよりはずっと寛容。それでも普通のイギリス人は、愛国心=美徳ということに対して疑問を持つことはありません。その愛国心がわたしのような外国人をちょっと居心地悪くさせているんだということも、考え付きません。

日本はどうなんだろう。わたしが高校生の頃は君が代とか国旗のことがよく話題になりました。高校の卒業式には君が代は歌われなかったように覚えています。それはあの頃の先生の間で、話し合いや議論があったんだろうけど、私たちのようなのんきな高校生はその内容は興味ありませんでしたし、巻き込まれることもなかった。でも確かに、日本人にとっては、今はともかく、少なくとも25年位前までは、愛国心というのはそんなに素直な単純な美徳ではなかった。

でも愛国心はよくわからないわたしですが、郷土愛というのはありますね。大阪の人はたいていそうかもしれませんが、わたしは大阪が大好き。あの難波あたりのワーッと来るエネルギーも好きだし、大阪弁も大好きだし、あの商売っ気のあるあっさりした大阪の気質も好きです。

でもそれは地理的に好きというわけでは全然ないし、大阪人がみんな好きかというと、そうでもない。大阪気質と一言で言っても、そうでない人もたくさんいます。だから具体的なものというよりは、大阪という概念、というか大阪という言葉が象徴するものがすきなんだと思います。

でももしもわたしが大阪育ちではなく、奈良育ちだったら、どう思ったかな?やっぱり奈良が好きって思ったんだろうか?大阪って言うのはテレビでもよく取り上げられるし、ある意味で特殊なところですが、たとえば岐阜とか石川県とか、マイナーな県でも同じなのかなあ。

ではその郷土愛を国という単位に広げれば愛国心ではないかということになるんですけど、私の場合はそうすんなりと日本が好きとは思えない。やっぱり骨をうずめるなら日本とも思わないし、日本を良い国にしたいとか、日本のためになりたいとも思わない。それは人のためになりたいと思わないのではなく、別に日本でもロシアでもインドでも、人のためなら人のためで国籍は問わない。だから募金の寄付はまず日本かイギリスの恵まれない子供が優先とも思いません。それは日本というものがあまりに大きいコンセプトだからでしょうか。その一方ではイギリスでオリンピックなんかを見ると、日本の若者はがんばってるなあと嬉しくなるし、それは愛国心といえるのかもしれない。だから時と場合によるのかもしれませんね。

まあ難しい話はともかく、わたしは大阪弁が大好きです。今回日本に行ったときに、関西出身で大学以来ずっと東京という人と同席したときに、ふと「冷房寒ない?」と聞いてくれたことがありました。私とその人はロンドンで知り合ったので、ずっと標準語で話す関係だったのですが、わたしがふと大阪弁を使ったのにつられて、その人も関西弁が出たようでした。

それを聞いて、大阪弁というか、関西のアクセントって良いなあってしみじみ思いました。標準語というのは誰でもしゃべれるけど、関西のアクセントって大人になってから覚えられないみたいでしょ。どんなにがんばっても、やっぱりわたしなんかが聞けばわかる。それを思って、「ああ、大阪弁で育ってよかったなあ。」としみじみ思いました。

詩のブログ更新しておきました。昔書いた詩で、今ではあまり自分では納得がいかないんだけど(心が離れたのか、)これ以上手を入れることもないだろうから、載せます。よければ見てね。短いです。
http://fordfarmpoems.blogspot.com/

2009年10月1日木曜日

Procrastination


今日のタイトルのProcrastinationというのは、「ぐずぐずする」と辞書に載っています。もっと詳しく説明すると、やらないといけないこと、やっておいたほうが良いことがあるんだけど、それを先延ばしにしてなかなかやらないこと。

わたしは普通はその日にやらないといけないことは無理してでも済ませて、余裕があれば明日の分もやっておきたいほうです。それはそれで律儀というか、悪い性格ではないと思うんだけど、時々疲れます。昔メキシコに住んでいた人が、メキシコ人は今日しなくても良いことは絶対に今日しないといっていましたが、時々そういう性格になれたらなあと思う。

でもそういう性格のわたしですが、proctastinateして、ぐずぐず先延ばしにしていることがあります。それはエッセイ。

おととしの11月位からふと思い立って、デボンについてのエッセイを書き始めたんです。その頃は今のようにブログをつけていなかったし、日本語を書くのは久しぶりというところでした。それまでにも一度銀行勤めを辞めたときに、毎日家でロンドンについてのエッセイを書いたのですが、初稿が終わったところで放ったらかしにしてありました。そのときは一人暮らしで働いてもいず、一日中書いていられたのですが、ほんと、結構しんどい思いをして書きました。でも本1冊分くらいは書こうとがんばりました。

それが今回はさらさらかけるんです。時間もまとめて取れないし、家事の合間とか、夜子供が寝たあと書いてたんですが、割と短期間に本にするには長すぎるくらい書けました。それが去年の春。それから推敲を何度もして、同時になんとなく出版社に出版の打診とかを始めました。それで結局長すぎるということで、また今年の春過ぎから再び推敲して、3分の2くらいに減らしています。それがそろそろ終わりかけになってきました。

初稿が書き終わったのは1年半くらい前。その間は夢中で書いていましたが、推敲になると結構つまらない。だってもう自分の書きたいことは書いてしまったのだし、気持ちとしてはもう次のことに向かっているから。それで推敲する傍ら、別のエッセイ(奇談集)だとか詩だとか小説だとか、文学賞に出すための原稿なんかを書いています。ブログもそうしているうちにはじめました。

そうしているうちに、気持ちはデボンのエッセイからはますます離れていって、もっと違うことを書きたいし、文学賞だとかコンテストだとか、詩や小説ももっとやりたいなあという気になってきました。

推敲ってやりだすときりがないんですよね。特にワープロだから、いくらでも直せるし、時間を空けて前書いた物を読むと、変えたいところもどうしても出てくる。それでこのデボンのエッセイはこれで終わりにしようと思っています。今最後の章の推敲が終わって、これを縦書きに直しているところ。これが終わったらもう一度はじめから通して読んで、目次を作ってあらすじをまとめて、それで最後にしたいんです。

最後にしたらどうするかというと、また出版社をいくつか当たってみるつもりです。でもそれで良い返事がもらえようともらえまいと、もう書き直すの嫌だなあって言う気になってます。だからはじめに書いたprocrastination。なかなか筆が進まないというか、ワープロに向かう気になれない。もうこれにかかわるのは飽きたという気持ちと同時に、きっぱり足を洗いきれない気持ち。そして本当に最後の推敲が終わったら、もっと熱心に出版社にコンタクトをしない口実がなくなるから、それも怖いというかめんどくさいというか。結局却下されるのが怖いんでしょうね。 Fear of rejection.

でも人生にはけじめが大切というか、パタンとページを閉じて次に進まないといけない時もある。こんなことそんな大げさに言うほどのことでもないんだけど、そういう時が来た気がします。そうしたら今度は書きかけの奇談集にまた取り掛かれるし、小説のほうももうちょっと膨らませたいし、公募ガイドをチェックしてまた文学賞に応募したいしなど。そこからはまた新しいチャレンジというか、楽しみがあります。

こうして思うと、何年も文章をぜんぜん書かなくて、(でもそういえば思い出しましたが、5年位前にロンドン出版の日本語の雑誌に半年ほどエッセイを連載してもらってたこともありました。)それがふとしたきっかけで書いてみようかなという気になって、今ではそれが踏み台となって次の野望というか希望というかが生まれてる。そうして思えば、別にただの趣味のレベルの話ですが、いろんなことがいろいろ良い方向で廻ってきている気がします。ブログをはじめたおかげて知り合った方だとか、長年音信不通になっていてまたお付き合いが始まった方だとか、楽しいことがたくさん増えたし。

One thing always leads to another. そう思えば、デボンのエッセイがどうなろうと、それを書くことによっていろいろまた新たな楽しみや可能性が出てきたわけです。だからそろそProcrastinationもやめて、このエッセイを仕上げなきゃ。

今日の写真は庭に咲いていたひまわり。この週末から寒くなるということなので、切花にして家に入れました。どんなデザイナーのどんな高いインテリア用品よりも、結局本物の花よりぱっと目を引いて部屋を生き生きさせるものってないと思いませんか。その中でもわたしは特にひまわりとチューリップが好きです。