2009年3月31日火曜日

猫の社会関係


このブログをレギュラーで読んでくれている人は、うちにペパー(Pepper)ちゃんというかわいい縞猫がいるの、ご存知だと思います。2歳半くらいのオス猫です。もうしっかりした大人なのに、結構小さめの猫で、とても愛嬌があって、子猫みたいです。猫って、半分野良猫のような、外でねずみを取ったりする猫か、一日中家にいるのが好きで、ひざの上に座って寝るような猫の2種類があるようですが、うちの猫は両方。昼間子供がいないときはソファーでずっと昼寝していて、子供が帰ってくると一緒に遊びます。子供や私が庭に出ると、子犬みたいに一緒についてきて、子供と遊んだり、私の庭仕事の邪魔をします。でも夜になると夜な夜な出歩き、ねずみや鳥を捕まえている様子。

さて、うちのお隣さんは5匹猫を飼っているのですが、よく観察すると猫の社会関係があるようで、結構面白い。
一番年寄りの猫は片目のペルシャ猫アニーで、数年前まではペルシャ猫のくせにいつも外で狩りをしていて毛がもつれ、しかも片目で、クールな猫だなあと思っていましたが、最近は寄る年波に勝てずこもりがちで、ペパーはお付き合いがありません。


茶色と白のメスのぶち猫タイガー/ジンジャーボブは10歳くらいの雌猫。これは私たちが今の家を買う前に住んでいた人たちの猫だったそうで、その人たちが出て行った後、お隣のおばさんが世話をしています。ここに引越ししてきたときよく遊びに来るので、あまりかわいがっても悪いかと、お隣さんに一応声をかけると、「あら、それお宅の猫よ」といわれました。家を買ったらついてきたんです。一応お隣さんの猫なのですが、よく家に遊びに来ます。臆病なのか中にはめったに入ってこないのですが、よくドアの近くで餌をもらうのを待っています。ジンジャーボブというのは我々がつけた名前です。

ペパーはこの猫が大嫌い。ちょっとは仲良くすればいいのにと思うのに、彼女を見ると、いつもうなって追いかけます。ソファーで寝ていても、彼女がドアから入ってきた気配がすると、飛び上がって追いかけます。多分、私たちが時々かわいがるので、嫉妬しているのでしょう。

3匹目はスタンリーという白黒の巨大なオス猫。これは5年ほど前にある日ふらりとこの辺に現れて、仕方ないのでお隣さんが飼っています。この猫は、狩りの名人。ペパーを飼い始める前、ウサギが大量繁殖してこまった年があったのですが、見るとしょっちゅうスタンはウサギの赤ちゃんをくわえて歩いていました。

ペパーがスタンリーが大好きです。スタンリーの気配がすると飛んでいって、ついてまわります。スタンリーがただのんびりと寝そべっていると、その周りで気を引くようなことを色々しています。そしてスタンと一緒に狩りに行くのが大好きなんです。去年の夏はよく後をついて、抜き足差し足で草原に消えていきました。


このお隣のおばさんの家に、2年前から彼女の娘夫婦と子供たちが同居し始め、猫が増えました。まずつれてきたのは、ペパーによく似た縞猫のディッピー(Dippy)。ディッピーというのは少し頭が足りないという意味なのですが、まさにその通りなのです。10歳以上だとは思いますが、それにしても動きが鈍く、愛嬌がなく、かわいげがない。動物好きのお隣さんも、あまりかわいがっていない様子。そのディーッピーなのですが、よくドアのキャットフラップ〔猫が自由に出入りするための小さいドア〕からこそっとはいってきて、ペパーの餌をがつがつと食べて、出て行きます。私はこのこそこそした習性に我慢ならず、入ってくると追い出すのですが、何しろ縞がペパーと似ているので、時々間違えて放って置いたりします。

不思議なことに、ペパーはこの猫に無関心。別に一緒に遊んだりもしないけど、追いかけたりけんかはしません。自分の餌のお皿から食べていても、知らん顔しています。

そして最後は、お隣さんが昨年秋に買った子猫のアーチー。全体が青みかかったグレーで、足だけがブーツを履いているように白い。かわいい猫です。でももう今では大人になり、小柄なペパーよりも大きくなりました。


ペパーはアーチーが子猫のころは一緒によく遊び、周りで見ている私たちも、まああ、と目を細めていました。でも最近は中が悪く、ペパーはよくけんかを仕掛けています。アーチーも大きくなったので負けていず、まあ兄弟げんかのようです。


そしておまけは、お隣のビリーという黒の小型犬。ヨークシャーテリアのような感じですが、真っ黒なので、何か別の種類のテリアだと思います。この犬は結構悪く、ルイは一度かまれて、すごく嫌っています。そしてよくペパーを追いかける。時々家にいるとすごい音を立ててペパーが飛び込んできて、その直後に何かがドアにぶつかる音が。これ、ビリーが全速力で走って、キャットフラップにはいれずドアに衝突する音のようです。


性根の悪い犬にいじめられてかわいそうと思っていたのですが、この間見ていると、どうやらペパーがビリーをおちょくっているようです。ビリーのちょっと近くまで行って気を引いて、ビリーがペパーに注意を向けると、全速力で走って、ビリーの登れない木の上などにあっという間に駆け上がります。


私は猫ってペパーが初めてなのですが、猫を何匹か飼ったデイブに言わせると、猫でも性格も習性も色々あるらしい。ペパーちゃんは子猫のときは家の中のトイレを使っていましたが、外に出るようになると、一体どこで用を足しているのやら、糞を見たこともありません。でもデイブが昔飼っていた猫は、よく家の中で粗相をしたとか。うちって本当にいい猫に恵まれてよかった。
色々な性格の猫がいれば、そりゃ確かに、気の合う猫も黄の合わない猫もいるでしょうね。人間と同じだ。写真は右がジンジャーボブ。ペパーの餌を食べて、家を出て行きます。左がペパー。このときは私がいたからか、知らん振りしていました。

2009年3月30日月曜日

忙しい一日と目の事

今日は朝からばたばたと忙しく、でもその割にはこれといって書くことが思いつかず、ブログを前に悩んでしまいました。忙しかったのは昨日から続いていて、昨日は朝7時まえからプリマスに行き、夕方4時過ぎまで帰ってこず、普段日曜にする家事が夜まで片付かなかったことから始まります。

今朝は夏時間が始まったせいで、朝がまだ7時でも薄暗く、また起きるのがすごく辛かった。そしてこの忙しいのに、ルイは学校でオリエンテアリングの遠足があり、お弁当を作ったり長靴や持っていく服の準備をしたり。

そのあとヨガを教えにいったあと、1時に学校の合唱団の練習にいったら、先生が出てきて、上級生がオリエンテアリングにいったので、今週は水曜日に変わりましたとのこと。お昼もそこそこに走っていったのに。それでその足でビデフォードの町にいって、郵便局や銀行といったことを一通り済ませて、友達の経営する美容院で髪の毛を切ってもらいました。これはただ座っておしゃべりするだけなので、私にとっては、ちょっとした休憩と息抜き。

そのあと子供がスクールバスで帰ってくるのに間に合うように急いで家に帰ると、学校から電話があり、ルイの遠足の帰りが遅くなったので、スクールバスに間に合いませんとのこと。でもその割にはチャーリーはバスに乗せたので、チャーリーが帰ってくるのを待って、その足で学校にルイを迎えに行って、そのまままたビデフォーとにいって、今度はルイとチャーリーの眼科の定期健診。そのあとルイの靴に大きな穴があいていることがわかったので、閉まるぎりぎりの靴屋に行って二人の靴を買い、6時の水泳までまだ時間があったので、30分家に帰ってチャーリーの宿題を見たあと、プールに二人を連れて行きました。そのあと二人が泳いでいる間、当然家に帰って晩御飯のしたく。

私は普段は結構余裕のある生活をしているので、こんなに分刻みで忙しかったのは久しぶりです。でも忙しいとなんだかギアが上がったみたいで、10分くらい時間があると、なんか手持ち無沙汰なんですよね。

眼科の定期健診は二人とも問題なし。私ももう前の検診から1年くらい経っているので、本当は受けたほうがいいのですが、子供は無料だけど大人は25ポンドなので、今年はパス。私の目って、日によって見える日と見えない日があるんです。軽い近視で、運転するときだけめがねをかけていたのですが、前回の検診では、近視はないですよといわれました。でもまた半年前くらいから、夜運転するときはかけたほうがよく見えるようになった。眼科医に、「よく見える日と見えない日がある。」と軽い気持ちでいったら、そんなことは絶対にありえないといわれました。でも映画とかでも、字幕の読める日と読めない日があるし、スパーのレジの値段とかも見えたり見えなかったり。

昔中学生のころに若年性緑内障といわれ、ずっと大学3年で留学するまで月に一度眼科医に検査に行って、目薬をもらっていました。それがイギリスで眼科に行くと、しっかりと検査してくれた後、緑内障なんてないとのこと。でも緑内障というのは失明につながる怖い病気なので、年に一度検診を受けていましたが、いつもオールクリアでした。それが、子供を生んで3ヶ月位して、別の眼科医に行くと、また緑内障の疑いがあるとのことで、再検査でした。それでもまだ疑いが晴れず、今度は北デボンの総合病院の専門家に回されたのですが、そこではまたオールクリア。なんか私の目って、一体何なのでしょう。今は全然支障がないので、検査、行かないほうがいいかな。目でも何でも、問題がないうちは医者に行かないほうがいい、というのが私の最近の考えなので。

ところで老眼って一体いつくらいから始まるのでしょう。40代半ばでめがねを作る人もいるみたいだけど。でもこういうことは考えるのがよくないので、考えない。私はいつまでも元気で若いぞ。

2009年3月29日日曜日

ルイの水泳のハプニング


今日は昨日書いたように、プリマスまで、ルイの水泳の選手権で、行ってきました。朝6時45分に家を出て。これはデボン全部の大きな大会で、今日はすべての種目〔平泳ぎ、バタフライ、背泳ぎ、クロール〕のそれぞれの50メートルのスプリントの大会でした。


ウォームアップが終わり、女子のバタフライが終わり、ルイのはじめの種目は背泳ぎ。ルイは2番目のヒートにでることになっていました。〔各種目、それぞれ15ヒート前後ある〕それなのに友達と雑談にふけっていたために、自分の番を逃し、ヒート1が泳いでいるのに、ルイはぶらぶらしています。観客席にいた私からは見えるのですが、大きなプールで、どうすることも出来ません。ヒート2がラインアップしても、もちろんいない。それであわてて私は観客席の一番前まで走ってきて、チームキャプテンに声をかけ、彼女がプールサイドを走って、何とかルイをスタート台に連れてきました。ルイはもうほとんど、スタート台まで走ってきて飛び込んだようなものです。しかも私は、これはバタフライだとばかり思っていたら、ルイは平泳ぎを始めました。ああ、これはもう絶望、と思っていたら、ルイが正しくて、まあまあいいタイムでした。


本当にあせった。タイムが電光表示板に出るのですが、それを書く手が震えていました。


ルイは学校ではよくできるのに、スイミングクラブの人は、この子はちょっと頭が遅いと思ったんじゃないだろうか。その次のレースでは、私とキャプテンとチームメイトの一人が、何度もルイに次のレースに遅れないように、声をかけていました。


ルイってレイドバックなのはいいけど、ほとんど水平に近いくらいレイドバック。ちょっとはしっかりしてよ。次のレース、ちゃんと行くかなと心配したけど、一度くらいは大失敗したほうが、少しは懲りるかもしれません。


結局ハプニングはあったもののルイはとてもよくがんばって、背泳ぎではデボンで1位になりました。総合では2位。私が一度も上がったことのない表彰台に立って、トロフィーをもらっていました。


ところで、今朝から夏時間が始まって、1時間なくなったので、ルイのチームメイトの女の子は、ウォームアップに遅れました。朝出かけにお母さんが、時間が変わったのに気付いて、プリマスまで100キロ近く車を飛ばして、何とか間に合いましたが、多分彼女以外にもそういう人はたくさんいたに違いありません。

2009年3月28日土曜日

眠れない週末と殺生な猫

この週末はルイがプリマスで土曜と日曜、デボンの水泳の選手権があります。プリマスって本当に遠くて、車で2時間くらいかかるんですよ。今日はリレーで、ウォームアップが9時半でした。幸いなことにルイの友達のお母さんが連れて行ってくれたので、朝7時に彼女の家に連れて行って、私はまた9時まで寝ました。



明日はなんとウォームアップは9時。明日は個人種目なので、家族で応援に行く予定なのですが、8時半には着きたいので、6時半に出かけなければと思っていたら、ちょうど今夜から夏時間が始まることを思い出しました。つまり時計を1時間進めます。つまり1時間消滅します。ということは、今の時間で言うと5時半に家をでる。つまり4時半に起きる。日曜にですよ。もう嫌になります。

ところでうちの猫のペパーちゃんは、野ネズミ捕りの名人なのですが、今日は2羽も小鳥を殺してしまいました。しかもスズメなどのありふれた鳥ではなく、ロビンとブルフィンチです。ロビンはクリスマスカードなどによく載っているし、それほど珍しくないのですが、真っ赤な胸と真っ黒な頭のブルフィンチはここでも珍しい鳥なのに。殺生なことしましたね、ペパーちゃん。しかもブルフィンチは、見るときはいつもつがいで見ます。もうすぐ卵が帰る季節なのに、お父さんなしではお母さんは交代で餌を探しにいけないから、雛は死んでしまうでしょう。ああ、自然って酷。






上がロビン、下がブルフィンチ。気の弱い人のために、赤いのは血ではなく、もともとの羽の色です。私は、猫を飼うまでは、死んだ鳥など見るのも怖かったのですが、今では平気で羽をつかんで捨てたりできるようになりました。慣れるものですね。

2009年3月27日金曜日

イギリスの音楽教育

今日学校で、音楽関係のクラブの発表会がありました。チャーリーは合唱と縦笛、ルイはクラリネットの演奏だわと思っていたら、チャーリーは先々週からアフリカンドラムもはじめたということで、それも演奏しました。

合唱団はとても大きくて、全生徒の半分くらいが参加しています。曲はAin't no mountain high enoughという70年代のヒット曲。ヒット曲ではあるけれど、ゴスペルなので、キリスト教の学校でもOKのようです。私は今学期から時々合唱団の練習の手伝いに行くのですが、最近はこの曲のさびの部分を2部に分けてコーラスをつけようと、先生ががんばっていたのですが、なかなかうまくいきません。〔今までは斉唱しかしたことがない〕さびの部分だけの本当に簡単なコーラスなのですが、まったくだめです。

でも先生も、「下のパートのチャレンジしたい人はここに集まってください。」といった具合で、合唱団全体の5分の一くらいしかそのパートは人が集まっていません。そんなのうまくいくわけがない。少なくとも半分は下のパートでないと、なかなか歌えませんよ。Safety in numbers というか、お互いの声を聞きあって集まって歌わないと、なかなか自信を持って声を出すことは出来ない。それに小さい子は、そもそもコーラスで、パートが別れているというコンセプト自体がわかっていない。

それで今日の上演は、声はよくでていたし、よく歌えてはいたけれど、完全な斉唱で全然コーラスにはなっていませんでした。小学生ってこんなものかな。中学のとき合唱部だったけど、コンクールなんかに行くと、小学校でもすごくうまい合唱団とかもあったように覚えているけど。まあ日本は、音楽教育の熱の入れようが、イギリスとは全然違うからな。

縦笛は、初級、中級、上級に分かれていて、チャーリーは中級。どの級もまずます上手でした。縦笛クラブは、あるお母さんが、毎週木曜日の昼休みにボランティアで教えているのですが、子供たちも熱心そうで、うまくいっているようです。結局、少人数で〔全員で15人くらい〕、先生以外に人が教えるほうが、うまくいくのかな。

ルイのクラリネットは、5年生と6年生が音楽の授業で教わります。それで20人くらいが整列して〔なぜか全員ではない。他の生徒はどうしたのか?〕3曲吹きました。はじめの曲は音階が一つ〔つまりソだけ〕、次は2つ〔ソとミ)、3曲目は3つありましたが、曲とはいいがたい。1月から練習してこれです。夏までクラリネットは続くようですが、一体こんなことして、なんの役に立つのでしょう?先生によると、楽譜も教えないどころか、見せもしないようで、耳で聞いて覚えるというやり方らしい。クラリネットという高価な楽器を触って吹く機会が与えられえて、中にはこれからもっと続けようという子もでてくるかもしれませんが、私から見る限りは、時間の無駄のような気が拭えませんでした。

2月14日のブログに書いたように、ルイのピアノの先生がクラリネットを貸してくれて、ルイとチャーリーは時々家で吹いています。縦笛をやっているチャーリーは、自分で1時間も練習したら、結構何曲か、縦笛の本からふけるようになっていました。それなので、このコンサートのあと、チャーリーは「5組のクラリネットはごみ同様。」と、憤慨していました。自分が演奏したくなったのかもしれません。

アフリカンドラムは10人くらいでした。ドラムの数が限られているので、はじめは他に音楽をしていない児童だけがクラブに参加することができて、チャーリーはむくれていました。でも昨日聞いたら、やめた子がいたので、先々週先生に話にいって、自分も入れてもらったとのこと。見ていると、女の子はチャーリーと、一緒に交渉に行った友達の二人だけで、後は皆男の子。男の子だけのドラム部に入るために自分で先生に掛け合いに行くなんて、チャーリーって好きなことには結構度胸あるのねと、感心しました。


演奏のほうは先生がリードする中を、10人くらいの3年生が叩くのですが、リズムがあってパワーがあり、自身ありげな堂々とした演奏で、とてもよかった。

イギリスの音楽教育って本当に申し訳程度です。でもその割には有名なオーケストラとか、著名なコンダクターもいます。結局、広く全般にではなく、一部の好きな人たちや才能のある人たちが最高レベルを目指すのでしょうね。見ていてつくづく思いましたが、やっぱり音楽って、1対1や少人数で、好きな人ややる気のある人だけがやらないと、身につかない。学校で週に一度クラリネット習ったって、何の足しにもならない。だから高いけど、やっぱりピアノなんかは、個人で習わないと上達しませんよね。

イギリスはその辺合理的というか、やっても仕方がないので、音楽教育をしないのか。日本での音楽の時間、いやいやではあったけど、ハーモニカとか笛とか、よく練習して、まあまあふけました。あれはいいことだったのか、それとも時間も無駄だったのか。私はピアノを少し習っていたので、楽譜少しは読めますが、私たちの年代の人って、皆楽譜読めるのかな。中学でも週2回も音楽があって、期末テストとかも厳しくあって、さすがにうんざりだったけど、一体何か一つでも身についたのかしら。

2009年3月26日木曜日

ハロッズのライオン

おととい私がPTAのミーティングに出席しているときに、とてもいい番組をやっていたそうです。タイトルは「ハロッズの赤ちゃんライオン」。

ハロッズって知ってますよね。ロンドンのナイツブリッジにある、世界で一番有名なデパート。そこで60年代まではペットショップがあって、色々なエキゾティックナ動物を売っていたそうです。(もちろん今は禁止されているので、ありません。〕ジャガーとか象とかまで売っていたらしい。そこで、オーストラリア出身の若い男性のカップルがライオンの赤ちゃんを買いました。彼らが住むのは、チェルシー〔ロンドンの街中の最高級住宅街〕のフラットで、そこでまるで猫を飼うように育てました。 だんだん大きくなってくると、公園を散歩させるわけにも行かず、知り合いの牧師さんの教会の庭で放して、運動させたりしていました。

それでも当然ながらどんどん大きくなり、彼らは「野生のエルザ」をプロデュースした人たちにコンタクトを取リます。そして結局クリスチャンと名づけたこのライオンを、野生に返すことにしました。飛行機に乗りライオンをアフリカの一国に連れて行き〔多分ケニア)、ライオンを野生に帰すプロジェクトをしている団体にクリスチャンを託しました。

このあたりは私は番組を見ていないのでよく知りませんが、人間に育てられたライオンを野性に返すなど、簡単なことではなく、色々な苦労があったようです。それで、彼らもしばらくは付き添って様子を見ていましたが、結局は、他のライオンに殺されることを覚悟で手放し、ロンドンにかえって行きました。

そのあとクリスチャンの運命は紆余曲折があるのですが、とにかくその何年後かに、この二人の男性は、クリスチャンに会いにまたアフリカの地に行きます。さて、このライオンとの再会、一体どうなるでしょうか。野生に戻ったライオンは、一体昔の飼い主を見て、どんな反応をするのでしょうか。これは言葉で言うよりも、このビデオを見てもらうのが一番。


http://www.youtube.com/watch?v=zVNTdWbVBgc

このビデオ、YouTubeでは11,000,000人以上ものカウントがあります。そもそもこの番組が作られたのも、このビデオがあまりによく見られているので、そのバックグラウンドを探って行ったのがきっかけとか。

最近嫌なニュースが多い中、純粋に心の温かくなる話だなあと思いませんか。ライオンに再会したときの、二人の笑顔がとても印象的です。でもうちの子供たちは、ライオンや象を売っているペットショップのほうが、想像力をかきたてたようで、そのことで興奮していました。私でも子供のときなら、そっちのほうに心を惹かれただろうなあ。

2009年3月24日火曜日

PTAの会合

こんばんは子供の学校のPTAの総会で、近所のパブで集まりがありました。小さい学校なのでPTAといっても小さく、いつも同じような面子が数人集まるだけですが、今夜は9人集まりました。

ルイが入学した年から、つかず離れずという感じでPTAに参加しています。何をするかというと、結局は資金集め。長期の休暇の前の日に、親が持ち寄ったホームメードのケーキを売ったり、景品を集めてくじを売ったり、バーベキューをやって利益を上げたり。そうやって資金を集めて、学校の教材だとか、遠足だとかのお金を工面します。

実際に手伝いに行くのは、時間さえ合えば結構楽しいのですが、ミーティングは、いつ行っても行くだびに嫌気がさして、途中で帰ってきます。はじめはいいのですが、後半になってアジェンダを大体カバーしたころになると、お母さん、お父さんを交えて、先生や他の保護者についての愚痴になることが多いからです。そうです、お母さんだけではありません。お父さんもミーティングに来るし、お父さんもお母さん方以上にゴシップや愚痴を言います。というか、はっきり言って男のゴシップのほうがひどい。そういえば日本でも中年のおじさんとかは、お酒を飲んではグタグタとえらそうに愚痴を言っていますよね。

今日も例に漏れず、1時間を過ぎると話がそれることが多くなり、2時間を過ぎると、愚痴というか、はっきり言って陰口大会になってきました。それでこっそり抜けて帰ってきました。

PTAなんてやっても役得もないし、毎回毎回ミーティングに行って、うんざりして帰ってきます。もう2度とPTAには顔を出さないぞ、と思っているのですが、また次のミーティングのころには、のこのこといってしまうのかな。

最近ここ1年くらいは、必要最低限以外で人に会うこともなく、それが全然嫌でない。仕事でヨガの生徒にあって、週に一度友達と水泳に行って、一度別の友達とサルサに行く。後は子供の水泳やバレエやラグビーで、周りのお母さんとちょっと言葉を交わす程度。でもこれで本当に十分なんです。土曜のようにたまに夜お出かけということもあるけど、それもたまにで十分。人と会っても2時間くらいで十分なんです。これは一つには、昔のように話の合う友達がいないことでしょうね。子供を通して知り合った友達とか、結局は腹を割って話をするわけではないから、特に話して面白いこともないし、結局はゴシップとか人の噂話になってしまう。

引きこもり、というわけではないのですが、最近は2ヶ月くらいビデフォードの町〔銀行や大きい郵便局や商店街がある地元の車で5分くらいの町〕にすらいっていないし、やっぱりこれって、ちょっと引きこもり状態に近いか。でもそれでも不便は全然ないなあ。人恋しくも全然ない。週に一度大きいスーパーに買出しに行くけど、これだってインターネットで済まそうと思えばできるし、このままではインターネットに頼った、バーチュアルライフを送ることになりそう。

2009年3月23日月曜日

アブラハムダイエット

クリスマスのあとダイエットをして、必死の思いで2キロくらい痩せたのですが、また2月くらいに油断して、今までで最高というくらいの体重になってしまいました。それで1ヶ月くらい前から新しいダイエットを始めて、今回はほとんど努力なしで、3キロくらい痩せました。


私が何度かブログに、「引き寄せの法則」やアブラハムのことを書いたの、覚えてる人もいるかもしれません。これはエスター・ヒックスというおばさんがチャネリングする「非身体的意識」で、私は1年位前から座右の銘にし、DVDやCDもよくきいています。そのアブラハムが肥満で苦しんでいるおばさんに与えたアドバイスに従ったものです。


前ここに書きましたが、体重ってただカロリーだけの問題じゃないのです。科学的な実験の結果、人間の体には複雑なメカニズムがあって、体重のセットポイントのようなものがあって、これが頑固に働く。だからいくらダイエットしても、ちょっと油断したらまたもとの体重に戻るし、細い人はいくらがんばってもなかなか太れない。で、このセットポイントが何かというと、科学的には、子供のときに決まるとか、遺伝とか、これがはっきりしない。これについては1月29日のブログに書きました。(Why are thin people not fat?)


アブラハムはある本で、「毎日アイスクリームを我慢しても、毎日食べても、体重には関係ない」といっていました。私は初めてこれを読んだときは、「いくらアブラハムの言うことでも、それは信じられない。」と思っていたのです。でも引き寄せの法則のおかげか、その後偶然見た上述のテレビ番組とかで、科学的にも、セットポイントというものがあるということを知りました。それで、ふと、このセットポイントというのは、もしかしたら心理的なものなのかな、と思いついたのです。



引き寄せの法則によると、「痩せるには、まず自分は細いという気持ちにならないといけない。」ということです。だからビジュアライゼーションとかで、ほっそりとした自分をイメージしたりするのはいい。でも実際は、鏡の前に立つと太った自分がいるわけで、「自分は細い」と思うのは至難の技です。そこでアブラハムは、次のようなダイエットを、あるワークショップで上述のおばさんに提案しました。

まず_B4だとかA3くらいの少し大きめの紙を横に置いて、縦にいくつか線を引いて欄を作ります。そして、痩せるためにするべき必要なことを別の紙にリストしていきます。〔これは人それぞれなので、自分で考える。)そしてこの用紙の一番右側の欄の一番上に、そのリストの中で一番簡単に出来そうなことを一つか二つかきます。その次の欄には、その次に簡単なことをまたかきます。そうすると、私の場合は8列くらいの欄に、それぞれ2つづつ、なすべきことが記入されます。一番右が一番簡単、一番左が一番難しい。私は一番右は、「毎日水をコップ8杯飲む、」「晩御飯を食べたらすぐに歯を磨く」、です。一番左は、「お皿を小さいのに変えて、お変わりをしない」「夜早く寝る」です。

それでまず第一週目は、一番右のコラムだけを実行することを心がけます。そして1週間それを守れたら、第一週目はその欄にティックします。私はニコちゃんマークを書きます。とにかくここで、「よくがんばった」という気持ちになることが大切。第2週は一番右と2番目を厳守します。そうやって、だんだん週が増えるごとに、決まりが増えていくのですが、少しずつだし、一度それを厳守しているので、だんだんそれが習慣になっていって、全然辛くありません。

私は今3分の2くらいリストを左に来たところです。まだ3キロくらい痩せたいのですが、このままがんばれば大丈夫と楽観しています。どうしてこれが「引き寄せの法則」につながるのかというと、一つ一つリストをティックしていくことで、その週ごとに達成感があるからです。60キロの人が自分は50キロだと思い込むことは難しいけど、「このリストをだんだん消化していっている。だんだん理想の体重に向かっている。」と思うのは易しい。毎日リストを見て、「よしよし、だんだん痩せていってる。目標達成は近い。」という方向に気持ちを向けることが、何より大切。そのためには、体重をあまり量らないことをお勧めします。計らなくても洋服のフィット感とか、わき腹をつまんだ感じとかで、わかりますよね。それで、痩せたかなあと思ったら、大げさに喜ぶこと。

私も実は最初の2週間目くらいで全然体重が減らなくて、ちょっとパニックしました。でも心を落ち着けて、「大丈夫、まだたった2週間だし、予定通り順調に進んでいる。何も問題はない。このまま理想のxxキロに徐々に向かっている。」と、心を静め、体重を量るのを3週間くらいやめたら、昨日計ったら3キロ減っていました。

一度にあれもこれもと食べる量を減らすよりも、少しずつ習慣を変えていくというやり方も、成功の秘訣だと思います。結局ダイエットって、短期間で何キロ痩せたかではなく、食習慣を太らないものにかえるということが大切だと思うのです。だから各項目も、「間食を一切しない」ではなく、「間食は週に一度以上はしない」など、ちょっと余裕のあるほうがいいのではと、個人的には思っています。

ちなみに、最近こちらでは緑茶がダイエットにいいといわれています。それで、私の第2週目の目標の一つは、「紅茶をやめて緑茶にする」でした。日本の女性が細いのって、緑茶のせいか?

私の今週の目標は、「果物以外のデザートを週に一回以上はたべない。」「本当に食べたい物だけを、本当に食べたいときに、本当に食べたいだけ食べる。〔つまり、本当におなかが空いているのか自問する〕」です。こうしてかいてみると、そんなので痩せるのか、というような簡単な目標ですね。

2009年3月22日日曜日

公募


一月ほど前に日本の知人から、「公募ガイド」という雑誌を送ってもらいました。この雑誌のことは妹や別の友達からも聞いていて、夏に妹が来たときは、買って持ってきてくれたこともありました。その時は1年近くかけて書いたエッセイの推敲が終わったところで、何かそのエッセイを送れるような文学賞の公募はないかと探しました。結局ちょうどいいものはなく、その時はそれっきりになっていました。
そのエッセイのほうはコンテストはあきらめて、出版社に直接あたることにしたので、今回はこの公募ガイド、ただの好奇心でぱらぱらめくって見ました。するこうしてみると、結構簡単に応募できるものが色々ある。これは2月号だったのですが、3月、4月、5月末の締め切りで、エッセイやら超短編小説やら、詩やら、文学系だけでもたくさんあります。〔文学だけではなく、写真とかイラストとか、標語とかもあります。)
私にとって一番のネックになるのは、ワープロの縦書き指示のところが多いこと。私はマイクロソフトワードは持っていないので、ワードパッドで書くと、日本語では書けるけど縦書きは出来ない。そこでデイブのラップトップのワードを見ても、縦書きが出来るようにはなっていない。やっぱリ、日本でワードを買わないといけないのでしょうか。
そういうわけで、ワープロや携帯でも応募可だとか、横書き自由なものを探すと、それでもいくつかありました。エッセイも2000字やら4000字やら、それ以内に収めるのが難しいくらい短いものが多いし、詩はいくつも書き溜めたものがあるし、いくらでも書けるし、超短編小説ですら4000字なので、これも2日くらいあれば形にはなりそう。
ということで、今日は3月末日締め切りのエッセイコンテストに応募しました。結果はともかく、作品を書いて応募して、誰か読んでくれる人がいるというだけでも、結構楽しいものです。世界が広がる。それにしても、こんなことしていられる生活というのも、ほんとうにありがたいものです。
ところで今日はイギリスでは母の日でした。私はすっかり忘れていて、ルイをラグビーに連れて行く車のラジオで聞いて思い出しました。子供たちも聞いていたのに、何もいわない。お前ら、日ごろ世話になってるのに、カードぐらい作れよな、と思っていたら、夕方デイブが水泳のトレーニングに連れて行くと、帰りにデイブの行った酒屋でカードを買ってきたのか、カードをくれました。写真はそのカードと庭に咲いていた水仙と、まだ飾ってあるお雛様です。

2009年3月21日土曜日

サプライズパーティー

今日は久しぶりにお出かけしました。友達の40歳の誕生日のサプライズパーティーだったのです。

彼女の旦那さんから、今日7時45分までにxxxxのパブの2階で待っておくような指示があり、別の友人と7時半ごろ出かけました。2階は貸切になっていて、ダンスフロアがあり、壁には風船や「お誕生日おめでとう」の旗などが飾ってあります。50人くらいが集まった中を8時を過ぎるころに、彼女が旦那さんとやってきて、「サプライズ!」となりました。

彼女は全然知らなかったらしく、数人の友達と食事に行くというつもりでパブにやってきたそうです。彼女は地元出身なので、家族やら昔の友達とかがたくさん集まる中、日帰りでは帰れないような遠く、ヨークシャーやスインドンなどからも人が集まっていました。

私と一緒に行った友達は、他に知人もいなかったので、二人でずっと隅に座っておしゃべりしていました。するとちょっと離れた席に、彼女が知っている男性がこちらに背中を向けて座っていました。実は彼は彼女の義理のお姉さんが昔一度夜をともにした相手ということで、ゴシップの好きな彼女は、その彼についてかなりきわどい話をしてくれていると、ふと彼がこちらを振り向いて、私たちににっこり笑いかけてきました。私たちは軽く流して、知らん顔していましたが、微笑み返したりなんかしたら、席を立って話しかけてきそうな気配でした。声が届くはずもないのですが、なんか噂話されているの、気付いたとしか思えません。勘の鋭い奴。不思議でした。

お酒を飲まない私は、運転していったので、ミネラルウォーターとダイエットコークだけで、10時過ぎにかえって来ました。費用はバーで自分のコークと友達のワインを買った2ポンド70ペンス也で、なんとも安いお出かけとなりました。

2009年3月20日金曜日

クロスカントリーラン

今日はルイとチャーリーはクロスカントリーの長距離走をしました。ルイは2キロ、チャーリーは1キロ走ったようです。

この近所に私立の大きい学校があり、そこで催されました。数校が集まるのかと思ったら、なんと33校も来ていました。小学校ではなく、中学のチームも来ていました。近くの小学校が中心でしたが、中にはとても遠くから〔多分車で1時間半くらいかかる〕来ている学校もあった。

2学年ごとがグループとなり競争し、結果のほうは、ルイは180人中90位くらい、チャーリーは120人中80位くらいでした。とても天気がよくて晴れやかな日で、コースも水溜りがあったり、丘があったりと面白かったらしく、またやりたいといっていました。

最後に表彰式があったのですが、中学生の部門で一位になったのは、男子も女子もルイたちのスイミングクラブの子達でした。〔お兄さんと妹〕水泳が出来るだけでなく、陸上も得意なのですね。

そのあと疲れているにもかかわらず水泳のトレーニングに行き、二人とも1時間みっちり泳ぎました。私もあれだけ運動したら痩せるだろうなあ。

2009年3月19日木曜日

誕生日、ガーデン日記


昨日は私の誕生日でした。44歳にもなると誰も覚えていないかなあと、誰にも言わないでいたのですが、カードも何枚かもらったし、プレゼントをくれた人などもいて、まずまずのいいお誕生日でした。この時期の誕生日というのが、昔からとても気に入ってます。子供のときはひな祭りに近かったし、春らしくなってくるころ、というのがいい。日本にいたときは菜の花、今は水仙が花盛りというのもいい。昨日は、風邪気味なことだし、せっかくの誕生日なのだからと、午前中はのんびりとしました。午後は天気に誘われて庭に出ると、本当に春のサインがあちこちにあり、久しぶりにゆっくりと庭を散歩したあと、畑を耕して、にんじんの種を蒔きました。

夕方仕事にいって9時半に帰って来ると、テーブルの上に誕生日ケーキが置いてありました。ルイをラグビーに連れて行ったあと、デイブとチャーリ-が買いにいってくれたようです。それでまたベッドの中でおきていた二人を呼んでで、ろうそくを1本立てて、ハッピーバースデーを歌って、願をかけてろうそくを吹き消しました。

今日は風邪を理由にサルササイズをサボり、午前中買い物や家事を済ませた後、午後はヨガをして、庭仕事をしました。今週は本当に天気がいいんです。イギリスの晴れた日は、本当に気持ちがいい。


果樹園には16本、果物の木があります.梨が4本、スモモが3本、チェリーが1本、りんごが8本。全部自分で植えたんですよ。一番早く花が咲くのがスモモで、その次が梨のはずなのですが、今年は梨が早い。これは梨の木です。足元は水仙。梨は純白の可憐な花が咲きます。


これは私とルイがクリスマスとお正月のあいだに柳の枝で作った、「生きた椅子」です。12月26日のブログに書いてあるとおりです。椅子の足と背の部分、地面に植わっている部分が根を張って、葉や枝が出てくるという仕組みです。よく見ると、上のほうに葉や芽がでてるのが見えます。でてきた枝で背もたれの部分に編み込んだりとか、できるらしい。

 これは果樹園の一部と菜園の一部の写真。後ろの大きい木は30メートルくらいあるんですよ。もしかしたらもっとあるかな。大木なので、これの世話に、すごくお金がかかる。



 今日の菜園の写真です。手前の茶色の土は馬糞。日曜にチャーリーを乗馬に連れて行ったら、乗馬クラブのおばさんがくれました。庭をする人は、特に菜園をする人はのどから手が出るほど欲しいのが、この馬糞です。袋に入れておいてあったので、いくらか聞いたら、ただだから、いくらでも好きなだけもっていって。いつもそこにおいてあるから、こちらのほうに来た節は、いつでも取りに来て、とのことでした。そして重い重い袋を車に積むのまで手伝ってくれました。まあ減らなくても困るだろうから、お互いにニーズがあってよかった。
馬糞の左となりは、最近植えたにんにくです。右は去年植えた長ネギ。今年は長ネギがよく育って、冬中食べてもまだあります。新しい種をまく場所が必要になってきたので、そろそろ全部収穫しなくては。卵と長ネギとパスタのグラタンとか、ポテトと長ネギスープが今週の献立です。




2009年3月17日火曜日

健康の秘訣

風邪を引いてしまいました。といっても鼻風邪で、体は全然しんどくありません。ただ、鼻水が出て頭がちょっとすっきりしないというだけ。最近はここ数年本当に体調がよくて、風邪一つ引いたことなかったのですが、ちょっと週末にかけて心配事がありよく眠れなかったことと、重い生理でふらっとするくらい大量出血したせいかなあと思っています。

昨日の夜寝るときに、ちょっとベッドで本を読もうとすると、1分ごとに鼻をかまなくてはならなくて、あきらめて寝ました。これは一晩中鼻が詰まったりと、寝苦しい夜になるだろうな。明日は友達と水泳に行く約束なのに、朝キャンセルしないといけないなあ、と思いながら寝ました。

でも私には珍しいくらい、丸太のように寝ました。(Slept like a log.)全然鼻も詰まらなかったし、寝苦しくなかった。それでも今朝はまだ鼻はぐずぐずするのですが、それ以外は体調は全然悪くない。それで泳ぎに行きました。

はじめ水にはいると、ちょっといつもより冷たい。これはやっぱり良くなかったかなと思いながら、ゆっくり泳ぎだしました。でも1往復もすると水の冷たさも気にならなくなりました。それで友達と、1往復ごとに止まっておしゃべりして、合計12往復、クロールと平泳ぎを混ぜて600メートル泳いで出ました。いつもならもう少し泳ぐのですが、まあ今日は午後予定もあったので、この程度でやめましたが、でも全然疲れなかった。水が冷たくて水の中にいるのが気持ちよかった。〔ちなみに一人で行くと、止まらずに20往復します。念のため。)

考えてみれば、本当にここ数年、病気をしないだけでなく、疲れない。私は宵っ張りなので、ついつい夜更かしいて睡眠時間が5時間くらいということが続くこともあるのですが、もちろん朝は辛いけど、それ以降は別に昼寝もいらない。

昔から健康だったというわけではなく、子供の頃は大きい病気をよくしたし、ロンドンに来てからもデボンに来てからも、よく扁桃腺を腫らして抗生物質を飲むこともありました。4年位前には肺炎もしました。病院で検査を受けるようなことも何度かありました。今のように、ここ数年間熱を出したことがないなんてことは、今までの人生で無かったように思います。

どうしてなんでしょうね。一つには気持ちの持ちようだと思う。出来る限り悪いことを考えないように、心配をしないように、楽しいことを考えるように心がける。自分は本当はとっても健康でのびのびとした命がみなぎっているのだということを、1日に1度は思い出すようにする。そういったこと。メディテーションも毎日15分から30分くらいしています。毎日ヨガかその他の運動もしている。食事もめったに外食をしないし、出来合いのものを食べない。

でも一番の理由は、ストレスがあまりないことかな。子供たちは病気もしないですくすくと元気に育っているし、仕事はとても楽しいし、通勤とか人ごみとかのストレスもないし。お金はあまりないけど、それとてこんな田舎ではあまり気にならないし、まあ金は天下の回り物だから、必要なときはどこかからくるでしょうと思ってる。

こうして考えてみれば、私の生活ってすごく恵まれているわ、とよいことだけを見るようにして、わるいことを考えないのが、一番の健康の秘訣かな。

2009年3月16日月曜日

わび・さび

今日テレビで、「侘びさびを探して」という番組をやっていました。イギリスのジャーナリストが、理解が難しいといわれる侘び、さびとはどういうものかを探るために、日本を旅するという企画でした。

ジャーナリスト自体は、それについての本も読んでいるし、誠実に希求しているようではあるのですが、それにしても、まず始めは東京の新宿だとかに行ってしまいます。そこで人に「侘びさびってなんですか。」って聞くのですが、なかなか皆首をひねるばかりで、返事が来ない。それで、侘びさびって本当に存在するのか、と疑問を持ちます。なんと、メイドカフェまで行きます。そんなところにあるわけないでしょ。

そのあと東京で句会に参加したり、京都に行ったりします。清水寺では人が多くて、「こんなところにわびさびなんてない。がっかり。」ということになりました。それで、京都のお茶の先生のところに行ったり、禅庭のあるお寺の住職さんと話し合ったりします。

最後まで見なかったのですが、最後は禅のお寺に行くというところでした。おそらく、そこに行って「侘びさびとは何か、少し判った気がする。」というおわりかたになるのだとおもいます。

誠実にまじめに作られた番組だとはわかりますが、でも少しミスリーディングな気もしました。多分見た人には「もう現代の日本にはわびさびはなくなって、禅寺だとか、茶道に行かないと、見つからないんだ。」という印象を与えたんじゃないでしょうか。

私は普段日本にまったく縁のないところで生活しているし、たまにしか日本に帰らないでしょ。だからはっきり言って、私の日本を見る目は外国人の目になってることが多い。それでその目で見ると、侘びさびはあちこちにあります。たとえば、植木の裁ていとかはいい例。前日本に行ったとき、柳の木の裁ていの仕方が全然イギリスと違うので、驚きました。日本ではすごく切るんですよね。それで少ししか枝だとか、葉っぱとかが残らない。それが私の外人の目は、ああ、日本的情緒があるなあ、ということになる。普通の家の松ノ木だとか盆栽だとか、すごくわびさびだと思うけど。

まあ確かに、日本の街はさっと見回して、醜いものが多いですよね。けばけばしい色とか、ごちゃごちゃとした町とか。でもちょっとした竹で出来たざるとか、古い下駄が干してあるのとかでも、探せばわびさびはある。

清水寺にしても、確かに人は多いけど、見ればわび侘びはあちこちにある。結局それは見る人によるのです。侘びさびを見る目・心を持つ人は、見つけられる。だからわびさびは日本人にしかわからないだとか、日本にしかないといわれるのでしょうね。外国人でも日本に1年以上長く住んでいれば、わかると思います。でも観光で2週間来たくらいじゃ、わからないよ。

2009年3月15日日曜日

チャーリーの乗馬


今日、チャーリーは乗馬に行きました。昔、2年ほど前も夏休みにいったことがあったのですが、それ以来初めてです。


イギリスの小学生くらいの女の子って、皆なぜが馬に夢中なのです。おもちゃでもマイ・リトル・ポニーというキャラクターがあってとても人気があります。これはロンドンでもそうなのか、田舎だから特にそうなのか知りませんが。


衛星放送の番組でサドルクラブというオーストラリアの子供向きのドラマがあります。これは子供〔10-12歳くらい)の乗馬クラブを舞台にしたもので、衛星放送なので、しょっちゅう同じものを再放送しているのですが、チャーリーは全然飽きないで毎日見ています。それで最近学校の友達の数人かが乗馬クラブに通いだしたことを聞きつけて、自分も行きたいと言い出したのです。


でもご想像通り、乗馬ってすごく高いんです。こんな風に子供が週に一度行くくらいならたいしたことないけど、本格的にやりだしたり、馬を家でかったりしたら、本当にとんでもなくお金がかかる。チャーリーはバレエというただでさえ高い習い事をしているし、ピアノも習っているし、とても乗馬まで、と思っていました。でも本人は本当にやりたいみたいなんです。家にある馬のおもちゃとかを無茶無茶大切にかわいがってるし。


それで、自分のお金で10ポンド払えば、残り差額の5ポンドは私が出してあげるということになりました。〔1回15ポンド)ちょっとかわいそうかなとも思うけど、いつもクリスマスやお誕生日にお金をもらっても、使うこともないし、取りあえずあと数回はこのシステムでやってみます。次は3週間後です。


乗馬自体は1時間で、馬に乗ったまま自分の順番待ちが多かったけど、楽しそうでした。大人に手綱を持ってもらって、トロットまで練習していました。


今日は今年一番の気持ちよく晴れ上がった春の一日で、乗馬のトラックを見るベンチから、デボンの美しい景色が一望できました。目の前に広々と広がる田園風景には、1件の家も見えなくて、いまさらながらになんとすばらしいところに住んでいるのだと、しみじみ感動しました。

2009年3月13日金曜日

飛行機の予約

おとといの水曜日に丸2日間かけて色々調べた挙句、やっと飛行機の切符を取りました。一人で飛ぶなら20ポンドや30ポンド違ってもあまり気になりませんが、3人となると3倍なので、本気でインターネットで色々探しました。

まずMartin Lewis Money Saving Tipというサイトで安い航空券の買い方をびっしりと抑え、色々サイトを比較しました。そこには、目的地のスペシャリスト、つまり日本なら日本人向けの旅行代理店をチェックするようにとあったので、HISのロンドン支店も連絡しました。いくつかピックアップした航空会社から直接買う値段も比較しました。

それで火曜のよるに、やっぱりいつも使っているexpediaが一番安いということになり、翌日一番で買おうと決心して寝ました。

それで水曜に朝子供を送り出したあとコンピューターを見ると、expediaの値段は150ポンドくらい上がっている。それでまた調べなおしで、航空会社から直接買うことにすると、今度はクレジットカードが通らない。何でもパスポートの名前とクレジットカードの名前が違うからとのことです。(話は全然飛ぶけど、結婚して女性の性が代わるというのは、今の時代にあっては本当に不便この上ない。差別だとすら思う。昔の女性が社会と直接つながりの少なかった時代ならともかく、この、女性が自分の名前で社会に出ている時代、本当に不利です。〕それでまた調べなおし。結局、クレジットカードの手数料が3パーセント取られるけど、インターネットの比較サイトで探したロンドンの小さな旅行代理店のウエブサイトで買いました。

買ってみてわかったのですが、ここはかなり小さいお店のようで、不備というのではないけれど、ちょっと勝手が違ってよくわからないこととかもあって、戸惑いました。でもいいところは、小さい代理店なので電話をしたらちゃんと話が通じるし、メールをしてもすぐにフレンドリーな返事が来ました。expediaで買うと、映画の切符を予約するのと同じくらいあっさりしているというのに。

それで結局、7月15日発8月20日帰国で、エミレーツ航空で24時間近くかけて帰ることにしました。うちからヒースローまで4時間かかるし、ドバイ乗り換えて8時間待ちなので、ちょっと心配は心配なのですが。

でも子供たちは嬉しそうです。車の長旅は嫌だけど、飛行機は長ければ長いほどいいって。評判のいい航空会社で、飛行機自体もボーイング777-300Eという最新の機種だそうです。もちろん座席の前にスクリーンがあって、いろんなゲームやら映画が楽しめます。そういうのがとっても嬉しいみたい。それに空港で8時間つぶすのも、外国だからいろんな人がいるし、普段見れないものもあるし、たくさんピカピカしたお店もあるし、と楽しみにしています。昔15年位前にエミレーツ航空に乗ってインドに行って、その時にドバイの空港で時間を過ごしたことがありましたが、免税店でポルシェだかBMWだかが売っていたので驚いた。あれからドバイはまた発展したし、どんな空港になってるかな。

そういえば、私だって初めて飛行機に乗り始めた大学生のころは、飛行機の旅自体も面白かった。空港も好きで、あのぴかっと緊張した特別な雰囲気が気に入っていた。それがいつの間にか、飛行機の旅は窮屈で退屈で、機内食はおいしくなく、空港はどこも同じでつまらないと思うようになりました。旅慣れたともいえる。年を取ったともいえる。

参考のために、今回の安い旅券探してわかったことは、
1.飛行機の値段は刻々と変わるので、いくと決まったら早めにexpediaなどでトレンドをさがす。

2.日にちが1日違うだけでずいぶん値段が変わることもあるので、前後の日も調べる。

3.航空会社から直接買うほうが安いこともよくある。〔今回も、もしもクレジットカードの問題がなければ、エミレーツから直接買うほうが安かった。)

ということです。

2.の点ですが、子供の学校は7月23日からおやすみなのですが、7月16日から飛行機代が大きく上がるので、15日からお休みさせることにしました。校長先生はいい顔をしないだろうけど、子供たちは大喜びです。

2009年3月12日木曜日

元気な老女たち

去年の9月から通いだしたサルササイズのクラスに今日も行きました。45分のクラスなのですが、日によって曲のスピードとか、振り付けの具合とかで運動量が違うのですが、今日はいい運動になった。汗をかくということがまずない私も、終わるころにはうっすらと汗ばみました。

そこでは私は年が若い部類に入ります。一番若いうちの一人です。平均年齢にすると55歳くらいかな。中でも一人、見るからにおばあさんという年代の人がいます。さすがに体は少し硬そうで、難しい動きや飛んだりはねたりというところは、かなり緩やかにやっていたりしますが、でも始めから終わりまで、いつもちゃんとやります。途中で止まったりとか、休んだりというのは見たことがない。

いつも彼女よりは少し年が若そうなおばさんたちと3人で歩いてやってきます。一体どのくらいの距離かはわからないけれど、つるんでくるくらいだから、ちょっとした距離だと思います。

それが先週、ふとした調子で先生が彼女の年を皆にばらしました。80歳なんですって!それを聞いたときは冗談だと思っていましたが、本当らしい。80って結構高齢ですよね。どう見ても70くらいにしか見えないのに。たいしたものです。

それで今朝このクラスにいったあと、その足で直接待ちのスーパーに行くと、私のヨガの生徒に会いました。ジョイスと言う名前の彼女もおばあさんなのですが、とても元気です。彼女が私のヨガに来はじめて3年くらいになるのですが、彼女もすごい。すごく体が柔かいのです。どんなポーズでもまず出来ないものはないし、安全な床で座ってするポーズだけでなく、足腰の力がかなり要る立ってするポーズだとか、背屈だとかもこなすし、片足で立つポーズも大丈夫。「これちょっと難しいので腰の悪い人はやめてくださいね。」というような腹筋をかなり使うポーズもこなします。やらないのと言えば肩立ちくらい。

そこでスーパーでちょっと立ち話になり、私が今サルササイズのクラスにいってきたことを話しました。彼女が興味がありそうにするので、平均年齢が高いことを教えてあげました。「それに、なんと80歳の人までいるのよ。」といったら、彼女は、「あら、私なんて、80歳とっくに越えているわよ。」と言いました。確かに髪は白髪だし、顔もしわだらけで、そういえばそう見えなくもないけど、でもヨガのクラスから見る限りでは、とてもそんな風には思えません。

先週書いた94才のミセス・ビアだとか、本当に高齢の女性でもすごい人が多い。その一方でヨガのクラスの経験から言えば、50歳代半ばでもう体ががちがちで背骨が硬くなってきているひとだとか、関節がだめになっている人もたくさん見ます。私の経験では、体の衰えや老化は背骨がどれだけ柔かいかに左右されると思っています。背骨が柔かく、背屈が出来てひねりが効く人は、少なくとも年とともに体ががちがちに、と言う風にはならない。

ジョイスは週に1回ヨガに来るほか、毎週フォークダンスのクラスに行って2時間踊るそうです。運動ももちろん大切ですが、そういうところに行って人と交わるのもすごく老化防止に効くのでしょうね。

2009年3月10日火曜日

コモンウェルスデー


昨日ルイはコモンウェルスデーの式典にロンドンのウエストミンスターアビーに行ってきました。そこにいたるいきさつは3月5日に書いたとおりです。


朝の8時30分にルイのほかには女の子が二人学校に集まり、校長先生の運転する車でティバトンと言う本線の駅まで車で1時間くらいいき、そこから電車でロンドンのパディントンまで2時間。そこから先はブラックキャブでウエストミンスターアビーまで行ったそうです。


式典は3時半からですが、セキュリーティーが厳しく、早く行ったようです。それでも時間があり、式典の前に首相の住むダウニング通り10番に行ったり、国会議事堂の中を見学したりしたらしい。その時に作ったセキュリーティーパスをお土産に持って帰りました。


あちこちで警備の厳しくなった今では変わったかもしれませんが、私がロンドンにいたころは、国会議事堂は観光客でも中を見学できました。並んで案内してもらうんだったと思います。でもロンドンに住んでる人はそんなことしません。だから勿論私もしたことがない。考えてみれば10歳にして、もうすでにルイは私のしたことがないことも行ったことがないことも色々経験しているのですが、それにしてもこれはすごくいい体験です。


式典はコモンウェルス国家のそれぞれの文化を尊重して、キリスト教ではなく多宗派の礼拝だったようです。南アのオペラ歌手が歌ったり、スチールバンドが出演したりと、結構賑やかそう。そして勿論エリザベス女王のスピーチがありました。ブラウン首相も出席していたらしい。


ルイのもって帰ってきたプログラムによると、コモンウェルス国家はイギリスも含め58くらいあります。カナダ、オーストラリアを始めとするよく知られた国から、インド、パキスタン、マレーシア、ナミビア、ガーナなどまで、中にはレソト、ナウルと言った、聞いたことのない国もあります。それらの国の旗がオリンピックみたいに入場し〔見たわけではないのでスケールは知りませんが〕、それぞれの国を代表する人たちも集まったことでしょう。


ルイは今学校で、ユガンダについて勉強しているのですが、そこの大統領のユルリ・ムスティンビ〔?〕氏に会ったと、帰ってくるや言いました。


本当にいい機会に恵まれてよかった。ラッキーなルイちゃん。




2009年3月8日日曜日

ラグビー

今朝起きるとまずまずの天気で、昨日の天気予報が外れたのねと思っていました。

今日はルイのラグビーの試合。それで家族でそろって朝ごはんを食べて、出かける用意をしていたら、大雨が降ってきました。家の隣に停めてある車まで歩いていくのも嫌なくらい。それはすぐにやんだので、車に乗り込んでビデフォードのラグビー場まで10分で行きました。

チャーリーも私も合羽を着込んで、チャーリーは長靴をはいて行きました。でもルイは試合なので、赤いラグビーシャツと白のショーツを着ているだけ。ウォームアップの間我々3人はクラブハウスで座って、売っていたベーコンサンドを1つ1ポンドで買って、居心地のいい場所でむしゃむしゃと食べていると、試合が始まりました。

それで仕方なくクラブハウスをでて試合を見始めました。すると、5分後くらいにまた大雨が。空が暗くなり、雨が地面を打つのが遠くからも見えます。風も轟々と吹き出した。その上あられまで降り始めて、すでにぬれねずみの選手たちは、あられが当たって痛そうにしています。顔に当たらないように皆下を向いて。

こんなにぬれて大丈夫かな。すごく寒そう。ルイは明日はコモンウェルスデーでロンドンに行くというのに、と心配しながら見ていました。試合はうちのチームは全然トライが出来ません。タックルも弱々しいし、ポジションも悪い。何よりもチャーリーにまで、「ただ闇雲に放り投げているだけ」といわれるくらい、パスが悪い。後半は寒さと疲れと、泥の重さで、走る足取りもすごく遅かった。結局8対0で負けました。

試合が終わり、着替えが終わったルイが出てくると、まだ顔に泥がついていて、チャーリーまで自分のポケットからティッシュを出してルイに顔を拭くように渡していました。手を洗い、ホットドッグとポテトフライをチームメンバーと食べ、帰途に向かいました。そんなこと今まで一度も行ったことのないルイが、「ああ、早く帰ってシャワーを浴びたい」といいました。「今日の試合は全然面白くなかった。」とも。まあそうでしょう。そういう日もあります。

風邪を引かないかと心配していたルイは元気に夜水泳のトレーニングに行きましたが、寒いところで試合を見ていたチャーリーは風邪を引いてしまいました。

2009年3月7日土曜日

夏の予定

まだまだ夏なんて先のことだと思っていましたが、今年の夏子供二人を連れて長めに大阪に帰ろうと予定しています。ルイちゃんは9月が来ると6年生で、その次の年が卒業です。それで学校が忙しくなる前のこの機会にと思っています。私は今までイギリスに来て以来、2週間以上日本に帰ったことはないのです。ロンドンにいたころは働いていたし、その後もなんやかんやで、長く帰れない事情がその時々にあり、下の子供が生まれてからは、5年も日本をご無沙汰していました。それが4年位前と2年前に2週間ずつ大阪に帰って、子供たちはすっかり日本が気に入りました。

それで、18ヶ月くらい前から毎日日本語を勉強しています。赤ちゃんのときから日本語で話しかけていればよかったのですが、誰の助けもなく海外で小さい子供を育てるのは大変で、とにかく大きくすることで精一杯で、それどころでなかった。

それがある日ルイが、「僕、一体何歳になったら日本語が話せるようになるの?」と聞いたので、笑ってしまいました。大人の私が日本語が話せるので、自分も大きくなったら自然と話せるようになると思っていたようです。それで、これではいけないと反省して、毎日やってます。発音は子供だからうまいけど、完全に外国語としてしか習えません。私がもっと日本語で話しかけるべきなのですが、ついつい英語で話してしまいします。99.99999パーセントくらいは普段の会話は英語。

ロンドンに住んでいる友達などに聞くと、イギリスの学校に平日は行っていても、週末は日本学校に通ったりと、すごくがんばっています。日本人学校に行っていない友達でも、子供は聞くのはわかるとの事。どうしてかというと、やっぱりお母さんが日本語で話しかけるそうです。ああ、私も本当にがんばらな。

うちの場合お父さんのデイブが全然日本語が出来ないし、べつに日本に興味もないし、日本語の勉強には、まったく協力的ではない。それもなかなかはかどらない理由。子供の将来よりも、私たち3人が日本語がぺらぺらになって自分が取り残されることを恐れているのではないかと推測したくなるくらい、非協力的。

それでこの夏、ルイが中学校に入る前の最後の機会なので、長く日本に行くぞと決心しました。まだしゃべれないけど、色々言葉を覚えたので、5週間くらい行って、毎日日本語の環境にいれば、上達するのではないかと思うのです。お互いが英語でしゃべるけど、私の母は英語が出来ないし、私も日本にいればもっと日本語で話しかけると思う。妹は英語をしゃべりたいかもしれないけど、まあそれはいいか。

本当は大人といるのではなく、同年齢のの友達ができるといいのですが。でももう言葉が出来なくても平気で混じっていけるような年でもなくなってきているし、どうかな。ちょっとかわいそうだけど、無理やりクラブとかに行かせるのがいいかな。

それで今、飛行機の値段をexpedia で調べています。日によってずいぶん値段が違って、それも毎日刻々と変わります。安いのは結構安く、500ポンド代くらいからあります。JALでも700ポンド代。急がないし予定が狂っても不便はないので、安いので行ってもいいのですが、子供を二人もつれて、ドバイの空港で8時間つぶすものなあ。それに、やはり地元のブリストルから飛ぶよりロンドンからのほうがずいぶん安いのですが、ロンドンまで電車でスーツケース抱えていくものしんどそう。

しかしもうすぐ4ヶ月くらい前になるし、そろそろ予約したほうがいいかな。それにしても、インターネットで飛行機が取れるようになって、本当に便利な時代になりました。

2009年3月6日金曜日

「雪融け」

晴れ渡った早い春の朝
昨夜降り積もった雪が融けていくのは
淋しい

汚れた長靴も欠けた鉢植えも
トタンの屋根も
コンクリートのひびも
今朝こそは晴れ晴れとしているというのに

冬の使いの魔法のダストは
頭上まで昇った陽に照らされて
醜く形を崩していく

わたしはといえば
大きな窓の近くで
胡坐をかき目を閉じ
呼吸を数える
春の光に
喜びを隠しきれずさえずる鳥の声を
遠くに聞く

すると聞きなれない音を
視覚と聴覚のまじわりがとらえた

雪が
とけている
音だ

宇宙は完璧な調和
季節は止まることなく
その役目を果たす

向かいの屋根から滴る水は
ドライブを流れ車道に届き
坂を駆け下り原へ向かう
そこから先は地面に吸い込まれ
海までたどる

雪が消えた後も
陽は地面を照らし続けている

先週はじめてスノードロップの花を見た
今や生垣は真っ白な花におおわれている

(あつこ)

雪のインスピレーションのせいか、久しぶりに詩を書きました。詩なんてものは何の役にも立たないし、何の足しにもならないし、奇特な人に読んでもらえれば、それでいいものです。読まされたほうは無言になる。だって何を言っていいかわからない。いいのか悪いのかもよくわからない。なんについて書いてあるのかすらわからないことが多い。だから書いても人に見せたりはよっぽどのことがないとしない。読んでくれそうな人ってあんまりいないですよね。でもまあブログというのはそういう一方通行なコミュニケーションというか、自己顕示欲のある人のつぶやきのようなものなので、書きました。

中学生くらいから結構たくさんノートに詩を書いていました。それをたまに見てくれる友達もいました。感想というほどではなくても、あの詩が好きだったとか言ってくれたり。時には何を思ったか、「新しいのは書いた?」と催促してくれるようなこともあったり。今から思えば本当にありがたいことでした。中学生ならではというか、大人になったらそんなことできませんよね。そもそも他人の個人的な心情など、じっくりと読もうなんて、時間もそんな気も無いのが普通です。

その友達は家が近所で、高校もクラブが同じで、今でも日本に帰ればあっています。最近またメールで連絡を取り始め、このブログも時々見てくれているようです。本当にあのころはありがとう。その時はそれがどんなにありがたいことか、少しもわかりませんでした。

大学のころはちょっと現代詩、自由詩に興味を持ち、本や雑誌を読んだりしましたが、最近発行された日本での詩の雑誌なんかを見ると、結構昔から知っていたような名前の現代詩人の詩がまだ載っています。これってやっぱり詩壇というのは浅いというか、よっぽどでないと認められた詩人になんてなれないのでしょうね。だって、過去百年の詩人で簡単に名前が出てくるのなんて、谷川俊太郎くらいでしょ。

私の行った大阪の住吉高校では昔、知る人は知る〔普通の人は知らないだろうな〕日本を代表する詩人の伊藤静雄が教鞭を取っていたそうです。これもその時はそのすごさがあまりわからなかったけど、今になって考えると、最近ノーベル賞を取った誰々さん〔私は知らない〕が住高出身というよりも、すごいことのように思えます。

2009年3月5日木曜日

ルイのラッキーデー




昨日夜ヨガを隣町まで教えに行って、9時に終わって帰ってくると、途中でかなり雪が降り始めました。10分もすると徐行しないと危ないくらいになり、家に着くころには5センチくらい積もっていました。その後も降り続き、朝起きるとゆうに10センチはありました。でも今日は朝から快晴で、さんさんと日が照っていました。


子供たちは2月に2日間学校が休校になったので、ラジオをつけて休校になっていないかと楽しみにしていましたが、残念ながら普通どおりでした。雪が降ると、予定のあるときはすごく困るし、大変なことが多いけど、今日は私はこれといって予定がなかったので、休校になったら子供たちと遊べるなと思っていたので、ちょっと残念でした。それで、子供を送り出したあと、いつもどおりに車で10分くらいのスポーツクラブにサルササイズのクラスに行ったら、それはキャンセルでした。


ルイは今日は学校でいいニュースがありました。来週の月曜日はコモンウェルス・デー(Commonwealth=イギリスの昔の植民地〕で、ルイの学校の5年生と6年生から3人が抽選でロンドンに行って式典に参加し、エリザベス女王やブラウン首相に会えることになっているのですが、今日がその抽選で、ルイに当たりました。5年生と6年生、合計で40人なので、始めからいけないとわかっている人たちを除くと、確率は12分の1くらい。こんな機会はもう一生ないかもしれないので、本当にラッキーです。


月曜の朝8時半に学校で集合で、先生ともう一人の付き添いの大人が電車で連れて行きます。ここからロンドンまで、片道4時間もかかるんですよ。当然日帰りで、帰ってくるのは夜8時くらいだそうですが、長い一日になりそう。考えてみれば私無しでそんな遠くまでやったことはないので、ほんの少し心配になってきましたが、大丈夫でしょう。
写真は、上は家の裏の写真、下は野菜畑の写真です。数日前のと比べてください。

2009年3月3日火曜日

死ぬ人、生きる人

昨日の夜友達から電話があり、1年半ほど脳腫瘍をわずらっていた旦那さんがおととい亡くなったとのことでした。ちょっと普段はかかってこないような時間だったので、嫌な予感がしたのです。

彼女はロンドンで出来た最初の友達でした。初めて勤めた日系の銀行でたった10ヶ月ほど一緒に働いただけだったのですが、それ以来、つかずなはれずという感じでずっと仲良くしていただいていました。昔は一緒に旅行にいったこともあったし、デボンに来てからも2度たずねてきてくれました。

知り合った当時は彼女は離婚をしたシングルマザーで、かわいい女の子がいました。今ではもう彼女は成人しています。亡くなったご主人は10数年前に知り合った人で、5年位前かな、結婚されました。デボンにも一緒に来てくれました。

おととしの秋に調子が悪くなり、検査の結果が悪性脳腫瘍。その時に余命は1年半くらいとのことだったらしいので、その通りになったようです。そのことはその年のクリスマスにわざわざ電話で知らせてくれました。でもそのあと、こっちとしてはどうしていいかわからないんですよね。とても気になる。でも電話をするのも、状況がわからないから怖い。メールとかしましたが、メールなんかでいいものかどうか。それでも今年のお正月休みに、メールの返事としてお電話をいただいて、夏は調子がよくてホリデーにも言ったんだよ、ということを聞いていました。

彼女はとてもきちんとした人だから、電話でも取り乱していなかったし、仕事も〔中学の先生〕休まず、ほとんど穴を開けていないそうです。でもこれからじわじわとくるだろうなあと、心配です。

それにしても訃報が続いて嫌になります。彼女の旦那様、正確な年は知りませんが、多分私と同じくらいだと思う。このあいだ亡くなった高校の友達も勿論同じ年。しかもその上、普段からニュースを避けているのに、たまたまカーラジオで聞くニュースでは、ジェード・グッディーという芸能人が〔私より若いと思う〕子宮頸がん末期で死期が近いということを、まるで実況中継するように報道しています。
これも「引き寄せの法則」なのかと思う。

もう死の話は、これで終わりにします。

ところで今日も先週書いた94歳のミセス・ビアの足のアロマセラピーマッサージに行ってきました。今日は頭はとってもクリアで、私のことも私が来ることも覚えていたし、小切手もちゃんと切ってくれました。でも私が帰る時に、いたたた・・・とおなかを押さえていたので、ややこしいことにならないうちに退散しました。〔一応大丈夫ということを確認して)

彼女はとてもポジティブな人で、同じホームの自分より年下で、家族が冷たいとか愚痴ばっかり言っている友人のことを話していて、「そんなの、若い人はそれぞれ忙しいのだから、しょうがない。中にこもっていないで、スーパーか何かに行って、人に話しかけて、世界を広げていかなければと、はっぱをかけてるのよ。」とのことでした。やっぱりそういう人が長生きするのだと思います。

ところで私は今年44歳なのですが、彼女の年まで生きるとすると、後50年もあります。友達のように早死にするのも嫌ですが、まだ人生の半分も来ていないと思うのも、ちょっとしんどい。そんなに長生きするなら、早くから知っておきたい。それならもっと歯とかもしっかり磨いたりとか、するかな。頭がしっかりとしていて、体が健康で自由がきくなら、そしてまあまあお金の心配がなければ、彼女くらい長生きしても良いかな。

2009年3月2日月曜日

遺伝




ルイの絵がアートギャラリーに展示されたのに、言ってくれないから、行き損ねて、終わってしまった話、先週書きました。

今日ルイはそこで展示されていた絵を持ってきたのですが、人にはりんごの絵とだったと聞いたのに、もってきたのは人が剣道をしてる絵でした。それでそのことを聞いたら、「りんごの絵は学校に張ってある。二つ展示された。」とのことでした。その上チャーリーも絵を持って帰ってきました。これもギャラリーに展示されたらしい。でもチャーリーは知らなかったそうです。学校が一言言ってくれればよかったのに。見に行けなかったこと、ますます悔しい。

それから、自分のことに忙しく、子供のことがおろそかになる傾向のある私は、先日もって帰ってきた中間の成績表に、ルイのアートの所に 「noted talented 」(才能あり)と書かれていたのに気付きませんでした。チャーリーが教えてくれて、改めてみたら、そう書いてありました。

私はアートの才能はありません。全然下手でもないけど、才能があるとはとてもいえない。これは多分、お父さんの血だと思います。家具職人しているくらいだから、まあアートとか工芸とかには、むいているのでしょう。子供たちの絵などを見ても、「これはXXXXXがすごい。」とか、結構私が気がつかないようなところをほめている。

うちの子供って外見は私似なんです。それから、色々私に似ているところも多いけど、背の高いところとアートの才能だけはお父さん似でよかった。それからデイブのお父さんが音楽家なので、ピアノとかも結構うまいのも、私の血ではない。まあ、お父さんに似てなくてよかったと思うところもたくさんありますが、いいところだけ似てくれてよかった。

2009年3月1日日曜日


今日はまったく春らしい一日でした。コートを着ないで外に出たはじめての日です。先週の週末に急にガーデニングのことが気になりだし、それ以来毎日疲れない程度にチョコチョコやっていたのですが、今日は疲れた。

月曜日にあわててジャガイモの種〔といっても、植え付け用に特別に育てられたジャガイモ〕とたまねぎの赤ちゃん〔ラッキョウのようなもの〕とにんにくをガーデンセンターに買いに行きました。にんにくも普通のにんにくで、これを一つ一つ分けて、別々に植えると、夏にはにんにくが出来ます。これは普通のスーパーで売ってるのを使ってもいいのですが、まあガーデンセンターにせっかく行ったので、そこで買いました。それとソラマメの種を買った。にんにくもソラマメも秋に種まきしたほうがいいのですが、すっかり忘れていました。

それ以来去年の秋以来ほったらかしになっている菜園を少しずつ雑草を取ったり、耕したりしています。まだ去年植えた長ネギやブロッコリーやほうれん草が生えていて、あわてて収穫しています。さすがに何ヶ月も放っていたから、すごく雑草取りが大変。本当に草にまみれて見えなくなっていたルーバーップというイギリスの野菜と果物の中間のようなものの生えているところをきれいにするのが、なきたくなるくらいしんどかった。そのあとシーズンの早いイチゴ畑と、アーティチョークを手入れして、もう去年収穫が済んであいていたところを耕して、たまねぎ、にんにく、ソラマメを植えました。

ラズベリーの植えてあるところは、もう絶望的に雑草が生い茂っています。でもラズベリー、イチゴ、アーティチョーク、アスパラガス、ルーバーップなどは多年草で、一度植えると何年も収穫できるので、やはり手入れをしないわけにはいかない。しかもラズベリーが生えている周りの雑草を抜くので、ガーデンフォークで地面を突き刺して根こそぎとるわけにも行かず、結局お茶を濁す程度に、地表に出ている雑草を取るに終わり、すぐにまた雑草だらけになります。ラズベリーはイチゴより季節が遅いので、まだいいかと、手をつけていませんが、暖かくなるうちにはじめないと、もう手の施しようがなくなるかも。

子供たちは、前書いたように、毎年畑の一部を貸してあげて、そこで自分たちで野菜を育てて、それを私が市価で買い、お小遣いの足しにしています。土地の大きさは1メートル四方よりやや大きいくらい。それで今日は、今年の彼らのプロットを教えてあげると〔毎年位置が変わる〕、自分たちで雑草を取ったり、土を耕したりしていました。堆肥の山から少し堆肥を分けてあげると、それも喜んで耕していました。それから、私の畑からすでに植えてあったたまねぎを4つ取り、自分たちの土地に植えていました。お金がかかっていると、よく働きます。でも普段は何があっても疲れた様子など見せない二人ですが、最後にはチャーリーは「ああ、疲れた」座り込んでいました。

そういえば、お隣さんが最近鶏を飼いだしたのですが、今日そこの子供〔11歳〕が、卵を売りに来ました。買ってあげたかったのですが、あいにく週末に15個卵を買ったばかりだったので、お断りしました。田舎の経済は面白い。