2010年2月28日日曜日

スケート・ガラとクロスカントリー

今日はテレビでちょこっとスケートのガラ(エクジビション)をやっていました。こういうのを解説もなしで、衛星放送の奥のほうに申し訳程度に流してるところが、この国ではフィギュアスケートがどれだけ人気がないかを物語ってます。日本ならたっぷりやってるんだろうけど。

しかも残念ながら全員はやっていませんでした。だから真央ちゃんも高橋選手も、フィナーレで出ていたから滑ったんだろうけど、見れませんでした。

キムヨナは見れました。ジャンプがひとつ飛べなかったみたいですね。確かにきれい。でもなんとなく今ひとつ心を打たれるところがないのはどういうわけだろう。4年前の荒川さんの時は、なんかこう感動するものがありましたけどね。

真央ちゃんのはフリープログラムの本番を見ただけですが、あくあさんのブログのコメントに「ジャンプにこだわってる限りは金は無理」と書いていた人がいましたが、そうかもしれません。何回空中で回ろうと、どれだけきれいに飛ぶか、そしてそれ以外が全体としてどれだけ「踊れてるか」で印象が決まりますからね。

高橋選手も本番を見ただけですが、これはいいなあと思いましたね。彼は踊れる。ライサチェックのときも思いましたが、踊れると観客がついてくる。

でも今日見たガラの中では一番よかったのはやっぱり金メダルを取った中国人のペアです。やっぱりペアというのは二人いるから面白いしドラマがある。それにリフトがあるから高さができて、迫力がある。でもそれよりも、本当に楽しそうに心のそこからのびのびと滑ってるという感じが伝わってきて、一番感動しました。

日本はスケート、ブームみたいですね。だからオリンピック以外でもテレビでやってるんだろうなあ。イギリスはぜんぜん人気がないから、また4年間見れそうもありません。残念といえば残念。

その後クロスカントリー50キロを見ました。クロスカントリーって興味なかったんですが、今回何度か見て、本当に苦しそうなので興味が出てきました。マラソンもしんどいけど、クロスカントリーってスキーをつけて坂を上ったりするんだから、そりゃあ苦しい。

それが今日は最後の種目の50キロ。マラソンよりも長いです。

晩御飯作りながら見てたので、上位の選手がゴールするところはよく見なかったんですが、最後の数人がフィニッシュするのを見ました。これがすごく感動でした。

50人くらスタートして、数人が棄権。最後から3番目の選手はトップから12分くらい遅れています。ニュージーランド人です。彼が本当にうれしそうにゴールしてます。観客もみんないろんな国の旗を振って声援してます。

そしてその後最後の二人がゴールに向かっています。それがゴールの100メートルくらいから二人ともラストスパート。二人同時にゴールになり、写真判定となりました。47と48位です。

こういうのみてると、これこそオリンピックスピリットだなあと思いますね。彼らは一生「僕は2010年に冬のオリンピックに出て、一番厳しいといわれている50キロクロスカントリーを完走した。」という誇りを持ってやってくんだろうなあ。金だの銀だの、国対抗のメダル争いもいいけど、結局は「自分のために」というところが一番心を打つなあと思いました。

2010年2月27日土曜日

オリンピック種目

オリンピックもそろそろ終わりが近くなってきましたね。寂しいなあ。いろいろな競技を見ましたが、その中でどれが面白かったか、どれがつまらなかったかあげてみました。

面白かったもの
1.スノーボード・ハーフパイプ
私にとっては冬のオリンピック最大のハイライト。ショーンホワイトは神だ!
2.スノーボード・クロス
3.モーグル
4.ショートトラックスケート
結果がどうなるか、誰が失格になるか、最後までわからないところが面白いです。リレーなんてまるでカオスだし。
5.フィギュアスケート
何のかんの言ってもオリンピックの花ですね。私はペアスケートがよかった。
6.スキージャンプ

意外に面白かったもの
1.クロスカントリー
2.バイアスロン
射撃なんて全然興味なかったのですが、真剣な顔がアップになって、なかなかドラマがあって面白かった。

意外につまらなかったもの
1.ダウンヒルをはじめとするアルペンスキー
すごいなあとは思うんですが、なぜかあまり見ていて面白くないですね。
2.スピードスケート
上と同じく。要するにマラソン見てるみたいに、単調なんだろうなあ。

ぜんぜん興味を引かないもの
1、カーリング
2.ボブ、ルージュ、スケルトンなどのそり競技
それなのにイギリスはスケルトンとカーリングがメダルの可能性ありだったので、こればっかり放送してました。ボブはルイとデイブは好きみたいです。彼らはF1 レースが好きなので、その乗りかなあ。
3.アイスホッケー
何度も見ようとしたのですが、パッカーが小さすぎて早すぎて、しかも選手が大きすぎて、何がどうなってるのかよくわからない。

射撃のことで思い出したことがあります。ルイがまだ小さい頃オリンピックで射撃を見ていると、興味深く見ていたルイが「負けたら死ぬの?」と聞いてきました。

2012年はいよいよロンドンオリンピックです。私は別にそれほどスポーツファンというわけではないから、どうでもいいやと思ってたんですが、だんだん楽しみになってきました。

2010年2月26日金曜日

時計の謎

先日ヨガに誰かが腕時計を忘れていきました。それでクラスで聞いてみても、誰も自分のだという人がいませんでした。その後遅れてきた人がいたので、「これあなたの?」と聞いたら、「私時計ができないから違う。」という答えでした。

よく聞いてみると、彼女が腕時計をすると、必ず止まるか時間が狂うんですって。私はこういう話が大好きなので、「え、ほんと?すごい。じゃあ部屋の時計とかもと止まるの?」ときいたら、それはないとのことでした。ほかにも根掘り葉掘り聞きたかったんだけど、私があまり興味を持って聞いたのでちょっと怪訝な顔をされたような気がして、それ以上聞くのはあきらめました。

時計が止まることって、今まで何度か聞いたことあります。7年位前にデイブのお母さんがなくなったときも、お父さんの家の居間の時計が止まり、電池を換えても何をしても動かなくなりました。

それから去年仲良くしていた友達が亡くなったのですが、たまたま彼女の死ぬ数日前に二人で食事したということがありました。そして彼女がなくなった数日後に、腕時計が止まりました。そのときは特に考えず、電池が切れたのだなあと町の時計屋さんにもっていったら、電池は切れていませんよといわれました。その時計はまたすぐ動き出して、今もちゃんと動いてます。

「おじいさんの時計」の歌、知ってますか?「大きなのっぽの古時計、おじいさんの時計。100年休まず動いていた・・・・」という歌詞です。この歌はイギリスにもあって、歌詞の内容も大体同じです。この歌の最後、「今はもう動かないその時計」で終わります。おじいさんが死んで時計も動かなくなったという話。歌にもあるくらいだから、こういうことってよくあるのかな。

ユリゲラーって覚えてますか?彼はイギリスのエクセター、つまりここから割合近くに住んでます。今でも時々テレビに出てます。彼って昔スプーン曲げのほかに、テレビで視聴者に壊れた時計をテレビの前に持ってこさせて、それを念力で直していました。実際、本当に直ったといってテレビ局に連絡してきた人がたくさんいたそうです。

何を言いたいのかというと、やっぱり時計って何かあるんじゃないかなあ。誰か似たような話知りませんか?

2010年2月25日木曜日

ロンドン3

ロンドンでは、朝9時半に総領事館でパスポートの申請の手続きをして、4時に受け取って、夕方の電車まで時間がたっぷりあります。友人と会う予定以外の時間をつぶさなければいけません。

時間をつぶすといえば、ロンドンほどすばらしいところはありません。買い物、劇場、映画と、何でもお金さえあればやることはあります。でもお金のない私は美術館に行くことにしました。ロンドンは誰もが知っている大英博物館のほかに、有名で大きい美術館がたくさんあります。中でも有名なのはナショナルギャラリー、テートギャラリー、テートモダンギャラリー。どれも無料。それで私はナショナルギャラリーに行くことにしました。場所は便利なトラファルガースクエアの向かい。

10時くらいについて地図をもらってプラン作り。何しろ部屋が60くらいあるのでとても全部は見れません。それで18世紀以降の絵を中心に見ることにしました。それだけでもたくさんあるので、全部いちいち見てられません。興味のあるのだけはしょって見ます。イギリスの有名な画家のゲインズバラやターナーが数点。それから次の部屋ではゴヤ。いくつかの部屋を回って、いよいよスーラーなどの印象派の部屋に。

すると10時45分に館内アナウンスメントが。なんと今から職員のストで、閉めるから出て行ってくれとのことです。イギリスだよなー、まったく。1時からまた開くそうです。向こうにはゴッホのひまわりがかかってるのが見えます。でも見れない。

それで仕方なく隣の美術館、ナショナルポートレートギャラリーに行きました。ここも無料。大きさはナショナルギャラリーほどではありませんが、それでも3階建てでかなり大きい。ここは肖像画がおいてある美術館です。1階が現代、2回が19世紀以降、3階がその昔です。私は歴史に興味がないので、1階と2階だけ行きました。ナショナルギャラリーほどは有名な絵はありませんが、それでもよく知られたプリンスチャールズとダイアナ妃の絵や、アンディーウォーホールのエリザベス女王の肖像がありました。ほかにもなかなかいい物がありました。

中でも心を引かれたのは、5年ほど前に脳腫瘍でなくなったモー・モーランという女性の大臣の大きな肖像でした。彼女は労働党の大臣で、北アイルランド問題解決のために活躍した人です。率直な庶民的な人で、脳腫瘍が治ってからも何年も活躍しました。髪の毛が抜けてかつらだったのですが、時々暑いといってはずしたりするような人でした。日本人の政治家があんなに国民に愛されるなんてありえないくらい、庶民に敬愛されていた人でした。その彼女のカラフルな大きな肖像画があったのですが、彼女の人柄が出ていて、なんか涙が出そうになりました。

ここを1時間ほどで出て、友人とランチに。その後、はじめの予定では、午前はナショナルギャラリー、午後はテートギャラリーだったのですが、朝追い出されて見たいものが見れていなかったので、またナショナルギャラリーに戻りました。

まっすぐに印象派の部屋に戻って、いよいよ有名な名前の並ぶ部屋を回りました。モネー、マネー、レノワー、ピサロ、ゴッホ、ピカソ、ゴーギャン、デガ、クリムトなど、よだれが出そうな有名な画家の絵がかかってます。外国人の学生の団体を連れて、美術館員の人が案内をしています。それにちょっと混じって聞いているとあっという間に時間が過ぎてしまいました。ここを3時に出て総領事館に向かいます。

私は昔ここから歩いて20分くらいのところに8年くらい住んでたんですよ。だから来ようと思えば毎週でも無料でこんな絵を見にこれたんですが、もちろんその頃はたまに気が向いたときに年に1度くらいくるくらいでした。

うーん、こういうのが無料なんだなあ。建物や美術品の価値は想像もつかない額ですが、そのほかにも日々の維持費だけでもすごい額のお金がかかってるでしょうね。それを住人でも観光客でもただで見れるって言うのは、すごいですよ。何のかんの言ってもイギリスってやっぱり腐っても鯛。本当に懐の深さが違います。

逆に言えば、これは国民の共有する財産であって、税金を払っている私もあのゴッホやクリムトの絵を6百万(イギリスの人口)分の一所有してることになるんです。こう考えると、急にすごく人生が豊かになった気がします。

イギリスに住んでいる人だけでなく、日本人だって今はかなり安くロンドンにこれて、こんなすばらしい美術品をただで心ゆくまで鑑賞できます。本当にすばらしいことです。

ちなみに今回一番心に残った絵は、ゴッホの杉の絵です。なんかね。妙に心に惹かれました。美術館員の人がゴッホについて情熱的に語っていたからというのもあるんだろうけど。彼って27歳出始めて筆を取って37歳で死ぬので、10年しか描いてないんですって。

2010年2月24日水曜日

ロンドン2

ロンドンでは日本人のお友達N さんの家に泊めてもらいました。彼女は中学校の先生で朝が早いので、夜の10時にお邪魔して失礼してしました。でも1時間半ほど日本茶を飲みながらいろいろ久しぶりにお話しました。

彼女はロンドンでできた最初の友達です。シティーで勤めた銀行の先輩で私よりも5歳くらい年上かな。私がイギリスに住みだした時点でもう10年以上も住んでいらしたので、何かとお世話になりっぱなしの人です。一緒に働いていたのはほんの1年弱だったんですが、かれこれもう22年もお付き合いしていただいています。

彼女は5-6年前に年下のだんなさんと再婚したんですが、なんと気の毒なことに彼はちょうど1年前くらいに脳腫瘍でなくなりました。まだ40歳だったんですよ。配偶者が死ぬとちょうど1年目くらいがきついと聞いていましたが、彼女も季節のこともありちょっとしんどそうでした。久しぶりに会ったんだけど、むかしの友達と日本語でゆっくり話できて、Nさんほんの少しくらい気がまぎれたらいいんだけど。

翌日の昨日は、領事館でパスポートの申請を済ませ、ナショナルギャラリーで絵を見た後、昼に別の日本人の友人Y さんとこれも久しぶりに会って御飯を食べました。彼女はロンドンにいたときに一緒の合唱団で歌っていた友達です。彼女とももう15年くらいの付き合いになるのかな。最近はすっかりご無沙汰してたんだけど、ネットのおかげでまた連絡がつくようになりました。

彼女ももう20年くらいロンドンに住んでるんですが、彼女もバツイチで一人で住んでいます。彼女は去年急に大決心して、今年の末にすべてを引き払って日本に帰る予定でいます。それでその話を根掘り葉掘り聞きました。

彼女と2時ごろ別れたら、ちょうどメールが入りました。友達のヘンリーからです。今ロンドンでミーティングが終わったから、4時に会おうとのことでした。

彼は私がロンドンで会社をやめてヨガをやっていた頃の一番の親友でした。彼はニューヨーク出身のコンテンポラリーダンサーです。こういう職業の人がたいていそうであるように彼もゲイです。彼って実はイギリスではとってもよく知られていて、新聞などにちょくちょくレビューが載るような、この世界では実力派のアーティストです。

彼と最後に連絡したのは1月の半ばで、彼はロンドンのアパートメントを売って、そのときはイタリアの彼氏の家に住んでいました。ロンドン郊外のケントに家を購入の途中だったんですが、それがなかなかうまくいかず、もうこのままロンドンに戻らないで、イタリアに移住しようかと思ってるといっていました。

それで月曜日ロンドン行きの電車に乗ってから、だめでもともとと「今ロンドンに向かってるけど、もしも明日ロンドンにいるなら、時間が合えば会いましょう。」とメールしました。その時点で彼が国内にいるか、もしかしたらアメリカに公演に行くといっていたような気もするし、私のスケジュールもきついし、会える可能性はゼロに近いなあと思ってたんですが、たまたまその日、彼もロンドンでミーティングに出てきてたんです。

それでパスポートの発行をしてもらった後、4時にカフェで会いました。彼はケントの家も買えて、仕事も2件プロジェクトがあって、たった数週間前とは違ってとっても元気でうれしそうでした。5時過ぎには彼は帰らなくちゃいけなかったのでほんの1時間ちょっとしか話せませんでしたが、すごく楽しかったです。

というわけで20時間くらいの間に3人もの昔の友人に会えて、とってもうれしかったです。

それにしてもNさん、Y さん、ヘンリー、誰もつい数年前に知り合ったような気がするのですが、N さんは22年、ヘンリーとYさんは15年くらいの知り合いとなりました。ほんと、時のたつのは早いなあというほかに、そんなに長い間お付き合いしていただいて、ありがたいことだなあって思いました。

2010年2月23日火曜日

ロンドン1

さっき帰ってきました。いろいろ書きたいことがあるのですが、遅いので、ここからどれだけかかるか、ロンドンまでどんなに遠いか書きます。

行きは一番近くの鉄道の駅、バーンスタプルから電車で行きました。家を午後4時20分に出て駅まで送ってもらって、5時10分の電車に乗ります。そこからエクセターまでローカル線で行って6時半着。そこから今度はロンドンまでの特急に乗って、7時5分初で9時21分着。友達の家に着いたのがちょうど10時でした。家を出てから5時間40分です。

帰りはロンドン、パディんトン駅を午後6時36分発の電車です。この時間はもうバーンスタプルまでこれる電車がないので、主要線(特急)の家から100キロくらい離れた駅まで着ました。ここについたのが9時ちょうど。そこまで車で迎えに来てもらって、家に着いたのが10時過ぎでした。

ここデボン州はイギリスで一番地理的に大きい州で、うちはその北デボンにあります。南デボンだと州庁所在地のエクセターを始め、主要線の止まる駅があるので、ロンドンまで2時間くらいでいけるんだけど、うちはそこからが遠いんですよね。

まあとにかく無事にパスポート出してもらって、帰って着ました。前回更新にいった時はルイは1歳で、デイブは1日半お休みをとって赤ちゃんの世話でした。私はチャーリーを妊娠中でした。今回はデイブは昨日は早退、今日は遅刻と早退でした。次の更新のときはルイは21歳。チャーリーは19歳。どちらかが運転して行ってくれるかな。いやそれよりはどちらかがロンドンに住んでいて、とめてもらう可能性のほうが高いかな。

ロンドンではいろいろ楽しかったので、それはまた書きます。
こんのさん、あくあさん、山歩きさんブログ読んでます。まだコンピューターが壊れてることもあって、コメントする時間がありません。ごめんなさい。

2010年2月22日月曜日

いってきます

 明日ロンドンに一泊で行ってきます。別に楽しいことがあっていくわけではなく、10年に一度のパスポートの更新です。朝に申し込んで、午後遅くににできるのですが、その間友達とランチをして、美術館を回って、中華街で買い物の予定です。

 久しぶりのロンドン、楽しみです。

2010年2月21日日曜日

追伸 Johnny Wier




昨日ちょっとフィギャースケートのジョニー・ウィア(Johnny Weir)という選手の事書きました。どうして点数が伸びなかったんだろうって。

その後インターネットを見たらそういう記事がたくさんありました。「彼はメダルを奪われた」というキャンペンがトゥイッターでできたそうです。

彼はこの後すぐに、僕はスケートをやめてファッション業界に入りたいと宣言したそうです。彼は自分でコスチュームをデザインするんですが、オリンピックで着る予定だったコスチュームに毛皮を使ったため、動物愛護者からターゲットにされ、脅されていたそうです。それでコスチュームは急遽変更になったとか。

彼ってすごくかわいいというかきれいというか。とにかくほんの数分見ただけで、ゲイ街道の真っ只中のゲイというのがわかります。何しろショートプログラムのコスチュームは黒にピンクのレースだったし。フリースタイルの後はバラの冠をかぶってたし。当日はウォームアップの前に、緊張で泣き出したとか。かわいい。

すっかりファンになっちゃいました。女性ってゲイの男性が大好きなんですよね。え、そんなことない?イギリスの女性はゲイの男性が好きですよ。彼らっておしゃれで面白くて文化的で。女同士で話す以上に話が合うし。

でももうオリンピックも終わったし、彼を見ることもないでしょう。残念。

春まであと少し

今日は本当にすごく久しぶりに何の予定もない日でした。チャーリーのバレエもルイのテニスもなし。水泳の競技会もなし。人命救助クラブもなし。

私のコンピューターはまた壊れて(というかちゃんと直ってなくて)また修理に行ってます。これで3週間くらいになります。そういうわけで昼間コンピューターに向かうこともできないので、なんだか手持ち無沙汰な一日になりました。おまけに毎日山ほどする洗濯は今日に限ってなかったし、晩御飯は中華料理をテイクアウトする予定だったので、食事も作らなくてもよかったし、掃除も昨日済ませたし、何にも家事もありません。

それで、かなり寒いのですが天気がよかったので庭仕事をしました。といっても本格的に土をいじるには地面がぬれすぎているので、裏のコンクリートのヤードの枯葉のごみを掃いたり、物置小屋を片付けたりといったことです。

最近うつ状態というほどではないのですが、なんだか何をしても心が躍らない、ちょっと元気がない状態だったんですが、外で1時間ほどこまごま働いただけでずいぶん気分がよくなりました。晴れてはいたけど、いた場所は日陰だったんですが、それでも外の空気を吸って、気になっていた仕事を片付けるというのは精神衛生にいいようです。

特に意識してたわけではないけれど、やっぱり知らないうちに日射時間が減って、ちょっと気がめいるというか、元気がなくなってたのかなあ。だんだん日が長くなってきているし、そのうち気分もよくなるでしょう。

その後ゆっくり庭を観察。野菜畑はほぼ荒れっぱなしで、春が来るまでは何もできそうにありません。でも果樹園はだんだん芽が膨らんでいるのがわかります。りんごの木などは、先端にはうっすらと産毛のようなものが生えている芽もあり、春まで後1歩という感じです。

明日は今日とは打って変わってルイは忙しい。朝8時から人命救助クラブのトレーニングがあり、その後10時半からラグビーの試合。そして夜は6時半からスイミングのトレーニングです。

2010年2月19日金曜日

フィギャースケート

最近はオリンピック観察ブログになりつつあります。きょうはフィギャースケートを見ました。

小田選手、ドラマでしたね。スケートの紐が切れるなんて本当にアンラッキー。

でもイギリスの解説はさすがにシビアです。スケートの靴紐というのは簡単に切れるようにはできていない。すべる前に何度もチェックして、少しでもほころびかけていたら新しく変えるべきだったといっていました。でもそういうことって、言われなくてもちゃんとチェックしてたんじゃないかなあと思うんだけど。それともそういうことってめったにないから、気がつかなかったのかなあ。

もしかしてライバルの誰かが仕掛けた?

高橋選手はよかったですね。ジャンプがどうのというより、ステップだとか全体の踊りがよかった。まるでバレエを見てるようでした。こちらの解説者はFlamboyantという言葉をよく使ってました。これは派手なとかけばけばしいとか炎のようなとか言う意味ですが、いい意味です。

ところで思ったんですが、彼ってすごく自分に自信があるというか、悪いことをすぐ忘れるというか、前向きというか、とにかくポジティブな人ですね。オープニングで失敗してしりもちをついて、でもそれをすぐ忘れて残りの演技にあんなに集中して。

しかもそれが表面だけではない。終わったときには大きなガッツポーズで、まるでミスひとつなく滑ったような振る舞いだったし、点数が出たときは、(その時点では)2位でちょっと不満そうでした。これ見てると、本当にミスがあったことは彼の脳裏から消えてしまっているんじゃないか?と思いました。

いいですね。そういう性格って。多分スポーツでトップになる人は、そういうメンタリティーがないとやっていけないんでしょう。そんなメンタルトレーニングを受けてるのかもしれませんね。私もそんな風に悪いことを即時に忘れられる性格になりたいです。

ところで6位だか7位だかにおわったJonny Weirというアメリカ人選手ですが、(得点を待つあいだバラの花の冠をかぶっていた人)彼はぜんぜんミスのないいいすべりだったのに、なぜか点数がよくありませんでした。それはイギリスの解説者もすごく不満そうでした。

こういうの見てると、やっぱりこんな風に審査員がいる競技って後味がよくないなあって思います。スケートなんて特に、ひとつも審査員の基準が問題にならずに競技会が終わることって無いようだし。

おまけ 国母選手のこと

今改めて国母選手の服装問題の経緯読んだんですが。アー、あほらしい。オリンピック出るのやーめたって言いたくなる気持ちがわかりますよ。つまらないことでけちつけられてかわいそう。

こういうの聞くと、ああ、だから私は日本に住めないんだよなあって改めて思います。ほんと他人ごとながら気分悪い。

アラン・シリトーというイギリスの作家の長距離走者の孤独(The loneliness on a long distance runner)という小説を思い出しました。

ある少年院にいるランニングに才能ある若者が、少年院対抗の長距離レースに出るんです。それで少年院の院長の名誉がかかっているので、すごくはっぱとプレッシャーが掛けられる。それでも彼は文句も言わずいわれたとおりにしています。そして当日。彼はトップで後もう少しでゴールというところで、走るのをやめるんです。

自分のためになら走るけれど、少年院の院長の名誉のためには走れない。

まあ国母選手の場合は何とか表面上は丸く収まったみたいですけど。彼も川口さんみたいに国籍捨ててアメリカ人になりたくなったんじゃないかな。

2010年2月18日木曜日

スノボ

先日フィギャースケートの高橋のショートプログラムを半分見逃したので、Youtubeで探してみました。すると日本のテレビの解説が入っていました。それを見て思ったんですが、結構解説というか実況アナウンサーがくさいんです。「世界に認められたこの表現力!!」「この表情!!」。など。20年前の日本じゃないんだから、もうちょっとプロらしく、感情べったりのくさい表現をやめてもらえないだろうかと思ってました。

もちろん日本でオリンピック見て日本人が出ているとひいきになるのは当然で、イギリスでも少ないイギリス人が出てくると、コメンテーターの口調が変わるのは同じで仕方がないんですが。

その点イギリスで見ていて日本人が出てくると、解説が客観的なので面白いです。イギリスでオリンピックを見るのも何回も経験してますが、この冬のオリンピックほど日本人が活躍してるなあとおもったことはない気がします。

スケート、モーグルなどこちらの解説者からも日本人の選手の評価は高いですね。上記の高橋はイギリスの有名な元スケーターの解説者が、「僕は彼が大好きだなあ」と入れ込んでほめてました。

スノーボードのハーフパイプは、解説者が日本のスノーボードのレベル全体をほめていました。そしてその中でも特に国母選手についてはべた褒め。というよりは、個人的に熱狂的ファンという感じでした。彼はどんな大きな場でも本当にリラックスしてるし、こんなにすごい才能を持ったスノーボーダーはめったにいないって。彼がファイナルで失敗したときは、本当に悔しがっていました。それから「彼は日本では反抗者と思われていて権力者とぶつかった。」といっていましたが、結構面白がってるようでした。そりゃこういうスノボのカルチャーではそういうのお笑い種かもしれない。

その後日本のネットでその事情ちょっと知りましたが、気の毒になあと思いました。そんな服装なんてどうでもいいじゃない。小林秀雄がモーツアルトについて言ってるように、天才に普通人の常識を押し付けても意味ないんですよ。

それはそうとショーンホワイトはやっぱりすごかった。こちらではルイくらいの年の男の子はみなショーンホワイトを知ってます。彼のスノボのコンピューターゲームがいろいろ出てるんですよ。2回連続金メダル。やっぱり彼は生きる伝説です。

2010年2月17日水曜日

オリンピックと国

おとといなにも知らずに日系日本人のことを書いたら、こんのさんにスケートのペアのロシア人の川口悠子さんは最近ロシアの国籍に換わったのだと教えていただきました。

そういう話、今回のオリンピックだけでもちらほら聞きました。フランスのスケートのペアの女性は最近イギリスからフランスに変わったとか、モーグルの2位になったオーストラリア人の男性は、実はバンクーバーで生まれ育った地元っ子だとか。それからカメルーン代表の唯一の選手は実はイギリスで生まれ育っただとか。

オリンピック以外では、イギリス人のテニスナンバー2だったグレッグ・レデンスキーは、キャリア半ばにしてカナダからイギリスに国籍を変えたことで有名です。はじめはよく思われてなかったけど、ランキングがあがるにつれ、イギリス人は現金にも彼を受け入れていました。

昔南アがオリンピックに出れなかったころ、南アのトップ陸上選手のゾーラ・バットという女性が国籍をイギリスに変えて出場して問題になったことがありました。その是非はともかく、そのとき彼女が、

「どんなスポーツ選手でも、究極的には国のためではなく自分のために競い合う。」

といっていたのが印象的でした。それはそうだろうなあ。子供のころからスポーツに秀で、幼いころは学校で一番、市で一番を目指し、だんだん舞台が大きくなっていく。でもいくら舞台が変わっても、選手自身は自分がどこまでやれるか、究極的にはそれだけを目標にがんばっているんだろうなあ。

親としては子供にがんばってほしい。学校にしたら自分の学校の選手にがんばってほしい。それが行き着くところはオリンピックなんだろうけど、「日本のために」「イギリスのために」などというのは、彼らにとっては迷惑なこともあるんじゃないでしょうか。彼らだって別に国のために多くを犠牲にしてトレーニングをしたわけではなく、自分のためにやってるんだから。

先の川口さん、彼女が日本の旗のためでなくロシアのためにスケートすることについて、いったい日本ではどう思われてるんでしょう。もしも彼女が入賞してロシアの旗が上がったらマスコミは何を書いたんでしょう。ちょっと気になります。きっと彼女はそんなことには少しも動じない鋼鉄のような人なのでしょうけれど。

スケート

ブログを書く時間が全然ないのに、テレビを見る時間はたっぷりあるんです。というのはまたコンピューターが修理に出てるからです。それでデイブが寝てから彼のラップトップを借りてます。

昼間はそういうわけでフィギャースケートのペア見ました。中国人の優勝したペアと2位になったペア、すごくよかったですね。

もうこの年になるとスケートも見飽きるほど見たし、ちょっとやそっとではすごいとは思わないのですが、今日はどちらにも感動しました。滑り終わった後の顔がいいですね。特にどちらの男性も。中国人って昔からこんなに表情を顔に表す人たちだったっけ?

川口ゆうこさんは残念でしたね。こんのさんから事情を聞いて、見る目が変わりました。そんなに切羽詰った事情があったのですか。このオリンピックのために国籍を変えることについてはまた改めて書こうと思ってます。

2010年2月16日火曜日

日系人

オリンピックを見ていて思ったことがあります。今日でまだ3日ほどですが、日系の外国人の人がかなりいるんですね。わたしが見ただけでも、ショートトラックスケートのアポロ大野(小野?)、スノーボードのグラハム渡辺、そしてロシアのペアのアイススケーターの川口ユウコ。 

日本って鎖国もしていたし島国だし、単一民族なんていって外国や外国人とあまり交わりたがらない国民性のような印象ですが、こうして考えてみると、世界的に活躍している日系人って結構たくさんいますね。有名なところではペルーの元大統領フジモリさんだとか、先日私がブログにかいたイギリスの作家のカズオイシグロ。こちらのテレビではアメリカ人の有名な物理学者カク・ミチオ氏がよく出ています。

日本って今では外国人が増えたけど、それでもまだまだ外国人には住みにくそうな国だし、差別も当然のことのようにおこなわれているし、移民も後30年くらいは受け入れられそうにもないし。先進国としてはすごく意識が遅れてると思うんだけど、一方ではこういった日系の人たちが世界中にはたくさんいる。それぞれの国で受け入れられて活躍している。

こういった人たちは昔いろんな事情があって日本を出て行った人たちの子孫なんでしょうね。その辺を考えると、その頃のほうがまだ国際性があったのか。それともその頃は背に腹は帰られない事情があって、泣く泣く日本を後にした人たちがたくさんいるのでしょうか。

などということを、オリンピックを見ながら考えていました。日本の移民政策、突然気になりました。

2010年2月14日日曜日

ヘザー・ミルズ


イギリスで今ダンシング・オン・アイスという番組をやっています。これは有名人が何週間かアイスダンスのトレーニングをして、テレビで競い合い、毎週視聴者が電話投票して振り落とされていくというものです。普段は見たことがないのですが、今日チャーリーが見ていたのでちょっと一緒に見ました。すると今週は5週目なんですが、へザー・ミルズという人が落とされました。これを見てちょっと驚きました。

彼女の名前をはじめて聞いたのは20年近く前、私がシティーではたらいていた時です。彼女は売れないモデルかグラビアモデルか何かだったのですが、110番で呼ばれてスピードを出していたパトカーにはねられて足を切断したんです。それがその頃の大衆紙に載っていました。

その頃私の隣に座っていた女性の元彼氏がへザーとつきあっていたので、なんとなく記憶に強く残っていました。

その後も彼女のことは時々聞きました。チョコチョコ芸能活動をしてるとか、第三世界の国に先進国で不要になった義足を送るチャリティーをしてるとかそういうことです。

それが7-8年前に彼女の名前がイギリス中に知れ渡ることかが起こりました。なんと彼女はあの元ビートルズのポール・マッカートニーと結婚(ポールにとっては再婚)したんです。そのときの世論は、諸手をあげて祝福するという感じではなく、人のよいポールがだまされてるんじゃないかなあというマスコミの書き方でした。でもポールも若い奥さんをもらって鼻の下を伸ばして幸せそうだし、まあうまくいけばいいねという感じです。

でもやっぱりうまくいかなかった。おととしくらいに離婚しました。これが大ニュースだったんです。だって何しろ慰謝料だとか養育費だとかすごい額のお金が絡んでいます。そのときにマスコミはここぞとばかり、今までたまりにたまっていた彼女の悪口を書き始めました。元モデルなんていっても実はポルノ女優だったとかで、そのビデオとかも出てきました。ほんとその頃、イギリスで彼女ほどの悪者はいなかったという感じです。

それが今はこうしてアイススケートの番組に出てるんですね。スケートしてるところを見ると、確かにちょっと硬い感じがしますが、とても義足だなんて思えません。今までの練習風景なんかを見てもそうです。それで今週で振り落とされはしましたが、今まで5週間も勝ち残ってきてるんですね。

私もあんまり彼女のことはよく思っていませんでしたが、それにしてもすごい人だなあと思います。あんな大きな事故やハンディキャップに負けないで、テレビでアイスダンスにまで挑戦してるんだからなあ。好き嫌いはともかく、その前向きさには脱帽するばかりです。見直しました。

2010年2月13日土曜日

クラブ記録

先週の日曜にデボン州の水泳競技会がありチャーリーがデボンで平泳ぎ200メートルで2位になったと書きました。そのときのタイムは予選が3分40秒14、決勝が3分39秒74でした。

この記録、チェックしてみたら、このスイミングクラブの歴代の9歳女子のクラブ記録でした。チャーリーは9月うまれなのでまだ半年くらい更新の可能性があります。しかもコーチに言わせたら、平泳ぎはチャーリーの一番苦手なストロークなので、よくがんばった。ほかの泳法でも記録更新の可能性ありと、喜びながらもはっぱを掛けられました。 

ルイもクラブ記録を狙っています。50メートルの自由形と背泳です。ルイは10月生まれなのでまだまだ時間はあるのですが、公式にタイムを測る機会というのはそれほどないので、がんばらなければいけません。それにルイは2秒くらい更新しないといけないのですが、50メートルの2秒というのはかなり大きいですからね。どうかなあ。

このクラブ、一体どのくらい歴史があるのか知りませんが、この大きな北デボンのかなりの地域をカバーしています。たかがクラブ内の新記録とはいえ、なかなか更新は難しいらしく、年に数回あるかないかです。それをどうしてこの二人がそんなに意識しているかというと、去年ルイの1才下の友達がバタフライで新記録をだしたので、現実味が湧いてきたみたいです。

私はどちらかというと スポーツは苦手なほうだったし、高校のときはテニス部でしたが、ファイティングスピリットというものにまったくかけていました。勝ち負けにこだわりがなかったと言えば聞こえがいいですが、要するに勝とうという闘志がまったくなかったんです。

だからルイとチャーリーががんばってるのはとってもうれしいけれど、アドバイスのひとつもできないし、むしろわが子ながらすごいなあと感心するばかりです。

競技会の前にコーチが If you want to win, it will hurt. (勝つには痛くなるほど早く泳がなければいけない。)といっていました。根が根性なしの私はそんなことはしたこともないし、がんばってほしいけど、たいへんそうだなあと他人ごとのように思うばかりです。 

オリンピックを見ていて、チャンピオンになるためのイメージトレーニングや精神集中の話になると、二人とも興味深そうに見てました。私にはまったく縁のない世界だったのですが、この年になって子供を通して経験しています。

2010年2月12日金曜日

小確幸なにおい

先日ラジオを聴いていたら、「幸せを感じる瞬間」というテーマでリスナーが電話をしていました。それを聞いていて、昔村上春樹が書いていた「小確幸」を思い出しました。これは彼のつくった言葉で、「小さな確固とした幸せ」の略だそうです。

彼があげていて印象に残ってるのは、「引き出しに整然と並べられた下着や靴下」というもの。どうやら彼はきちんと秩序正しいものが好きなようです。

そこで私も考えてみました。テーマを絞って、「幸せを感じさせる匂い。」を。

まず朝起きて窓を開けて吸い込む外の空気の匂い。

日本茶の茶筒を開けるときの匂い。コーヒーは飲まないのだけど、匂いは好きですね。

やきたてのパンの匂い。スーパーでたまにすごくいい匂いをかぎます。

外に干した洗濯物を取り入れてたたむときの匂い。これって太陽の匂いなのかなあ。

夏に芝を刈った後の草の匂い。

新しい本を開けるときの匂い。インクの匂いでしょうね。

チャーリーの部屋の匂い。女の子なので、いろいろシャンプーとかの混じったにおいがします。

アロマセラピーをした後の部屋の匂い。

自分の部屋の匂い。多分アロマセラピー用のオイルがおいてあるから。自分の部屋に行くたびにいい匂いがするって言うのは、幸せなことですね。

暖炉の匂い。うちにはないのですが、冬に隣の家の煙突から匂いが漂ってくる。

オレンジの花の匂い。これってなんともいえないすごくいい匂いです。時々オレンジやみかんをむいても、すごく気分のよくなる匂いに出会います。

こうして「幸せな匂い」を考えるのって楽しいですね。皆さんも何かこれはというのがあればコメントしてください。

2010年2月11日木曜日

日本人のお友達

今日は日本人のお友達がお茶にいらっしゃいました。

I さんといって、彼女のお子さんが同じ学校に通っています。娘さんはうちの子供たちよりずいぶん年下なのであまり知らなかったのですが、なんか日本人のようなお母さんがいるなあと思っていると、やっぱりそうでした。半年くらい顔を知ってからも話した事はなかったのですが、去年の夏前にはじめて口をききました。それからも機会がなくてゆっくり話したことがなかったのですが、先日土曜に近所のスーパーであって、じゃあ今週会いましょうということになりました。

彼女は私よりも長い間デボンに住んでいるということです。私は自分が唯一の日本人だとばかり思ってたんだけど、違ったのでした。彼女によると、この北デボンにも10人近く日本人がいるそうです。ふうん、本当に日本人って世界中どこにでもいるんですね。

このメンツで夏に集まったそうです。そのことは聞いていて、呼んでもらっていたのだけど、その日は何かがあっていけませんでした。

彼女の娘さんも日本語がぜんぜんできないそうです。どうもルイとチャーリーよりもできないようです。その割には宮崎駿の映画が好きということで、そういう話題で盛り上がりました。

お互い久しぶりに日本語を話して楽しかったです。なかなか普段は学校では回りに人がいて、二人だけでゆっくり日本語で話すというわけにはいきませんからね。

2010年2月10日水曜日

コンピューターと車が戻ってくる

やっとコンピューターが帰ってきました。そして車も帰ってきました。無い間結構つらかったです。

不便は不便でしたが、一番つらかったのは「引き寄せたなあ」と思っていたからです。これらが壊れる前にかなり心配なことがあり、そのことについつい浸ってたんです。英語で言えばIndulge in negativity ということになるんだけど、日本語で言えば否定的な考えに甘んじていた。つまり同じことを何度も何度も繰り返して心配して、最悪の場合の考えに浸っていました。楽天的に考える努力をしないで。

それでそのせいでコンピューターと車が同時に壊れちゃったんだなあって思ってました。

でもそんな風に思うのが余計よくない。人生なんだからうまくいくこともあればいかないこともある。車だってコンピューターだって物なんだから壊れます。形あるものはいずれなくなるようにできている。

私って実は考えすぎちゃうんですよね。特に昼間あまり人に会わないで一人でいるから、そういう傾向が強くなる。その上泣きっ面に蜂で、車がないから余計外に出られなくて、コンピューターがないからジェドワードのビデオ見て気分を良くすることもできない。

でもまあよい。こうして直って戻ってきたんだし、深く考えないで、気楽に楽しいことに目を向けるようにします。何でも真剣になりすぎるって言うのが、ちょっと私の欠点というか、弱さなんですよね。

それにしても、つい7年位前まではうちにはコンピューターは無かったし、しかも我が家に2台あるようになったのはここ2年くらいなんだけど、その前っていったい何してたんだろう?どうやって夜の時間をすごしてたのかしら?

今夜直った車で仕事に行って来ました。帰りにすいている夜の道を走っていて、ああ、自動車ってこの世の最高の発明としみじみ思いました。

2010年2月9日火曜日

アガサクリスティーとカラオケ

まだコンピューターが戻ってきていません。なのでデイブのラップトップで書いてます。ほんと、ありがたいことです。2台あって。昼間は使えないのでそれが困るんですが、それにしても夜は使えるし、そんなに不便はないです。しかもすごいことに、子供たちがクリスマスにもらったお金で買ったWiiをワイヤレスにセットアップしたので、それでメールを見るくらいならできるんです。ほんと、便利な時代になりました。

昨日はすごく久しぶりに友達と5人で劇場に行きました。アガサクリスティーのWitness For Procecutionという劇です。これは殺人にまつわる話ではあるんですが、いつものアガサクリスティーのように探偵が出てくる話ではなく、裁判が舞台になってます。

もちろんイギリス人の役者が出ています。舞台もイギリス。私はアメリカ映画を見ると時々わからないことがあります。筋がわからないほどではないけど、聞き取れないところがいくつもある。イギリス映画だとそういうことはなく、テレビなどでも外国語という意識なしで見れます。でも昨日は普段見慣れていないお芝居だし、特に推理ものだから話がわからないとぜんぜん面白くないので、しっかりと身を乗り出して聞きました。

筋はわかったし、大体聞き取れたのですが、それでもほかのお客さんが笑うところが笑えなかったりということはありましたね。休憩にワインを飲んだんですが、飲まなければよかったと後悔しました。
いくら長くすんでいても、やっぱりネイティブと同じようには行かないなあと久しぶりに思いました。

ところで今日はチャーリーの先生のお葬式で休校でした。イギリスってお葬式が1週間後というのが普通なんだけど、やっぱり自殺というのは警察も入るし、時間がかかるんでしょうね。

子供たちは1日中隣の子供たちと遊んでいました。ルイはWiiのリモコンを持っていって隣の家で男の子と遊んでいたし、チャーリーは隣の女の子が来て、自分の部屋でカラオケを歌っていました。

なんか子供の自慢ばっかり続いてるんだけど、チャーリーって本当に歌がうまいんです。特によその子がきて歌ってると、チャーリーのうまさがしみじみわかります。

その後二人が外に遊びに行った後、私もカラオケを借りて一人で数曲歌いました。ちょっとここのところ内面的に調子がよくなかったのですが、すっきりしました。楽しかったです。時にはこういうつまらない遊びも大切ですね。

2010年2月7日日曜日

チャーリーがんばる

今日は遠くのプリマスという町までチャーリーの水泳の大会で行って来ました。片道2時間です。これはデボン州の年に一度の大きい大会で、今日は女子200メートルの平泳ぎでした。

朝9時に出て行って、帰ったのが7時前ですから長かった。しかも二人は帰りはそのまま直接またトレーニングに行きました。

ルイはこの大会は残念ながら予選落ちでした。それで2月と3月にもたれるこの長距離の大会には出場できません。

チャーリーはとってもがんばって、州で2位になりました。しかもこのデボンという州はオリンピック選手がたくさん出る、水泳ではがんばってる地域なんです。ほんとよくがんばりました。

ちなみにルイの名誉のために言っておくと、去年はルイは短距離で総合でデボン2位になりました。

親は水泳苦手なんだけど、これは不思議です。チャーリーもきのうポツリと、
「わたしたちは、水泳にかんしては、いい遺伝子をもらわなかったなあ。」といってました。

2010年2月6日土曜日

サリンジャーの娘

「ライ麦畑でつかまえて」「フラニーとゾーイー」「大工よ屋根の梁を高く上げよ」のどで有名なアメリカ人作家のJDサリンジャーは、人嫌いで知られています。特に後年は一切作品を発表せず、人里はなれた田舎で隠遁生活を送ったとか。

その彼の娘が彼のことをかいた本をだし、その抜粋が今日の新聞に載ってました。

彼女が生まれたのは彼が有名な作家になって、人里離れた土地に移ってからです。ここは我が家なんてとても足元にも及ばないすごい田舎らしく、彼女はほとんど両親以外の人間をみたことなくそだったとか。自然療法を信奉していたサリンジャーは、病気になっても医者にも見せてくれなかったそうです。学校に行きはじめてからも、友達を連れてくることは許されず、家には誰もきたことがなかったそうです。

彼女と弟が病気になると、すごく怒ったそうです。なので、具合が悪くなってもそれを親に隠し続け、かくしきれなくなると、彼が自ら木製の鍼(?)で鍼をうったとか。それがすごく痛かったと書いてありました。

お母さんはすごく若くして(大学生)30代半ばの彼と結婚しています。彼女はこんな生活ですから当然のようにうつ病になりました。そして娘と心中しようとしたことまであったとか。

新聞の抜粋はこの程度で終わっていますが、どう読んでもポジティブなことは書いてありません。理想と夢を子供に押し付けようとした、現実離れした自分勝手な人間という書き方でした。

わたしも大学生の頃はサリンジャーが好きだったし、感化された作家の一人だったんだけど、現実にはそういう人だったんですね。これを読んで、おどろいたというよりも、やっぱりそうかという感じがしました。天才というのはなかなか普通の生活は難しいものなんだろうなあ。そもそも天才は結婚したり子供をもったりしちゃいけないんじゃないかなあ。考えてみれば太宰治をはじめ、天才的な作家は家庭人としては最低という人が多いし。

小林秀雄が「モオツアルト」で、「モオツアルトのような音楽が書ける人間にとって、だらしがないなどのごく普通の人間的欠陥が何の意味があるだろうか。」というようなことを書いていました。やっぱり天才ってなかなか普通の世では生きにくいんだろうなあ。

このブログを書くのに、サリンジャーの略歴をしらべていたら、彼はつい先月27日に亡くなったばかりでした。それにしてもこの娘さん、お父さんが死んだとたんにこんな本出すんだね。彼女自身も苦しんで大人になっただろうから、これを書くことで救われる部分も多くあるんだろうなあ。

ライ麦畑、昔は日本語訳で読んだので、英語版をちょっと読みかけておいてあるんです。また読み始めようかな。

2010年2月5日金曜日

果報は寝て待て

昨日書いたとおり、今週はこのままだったら医者に行って何か処方してもらわないとパニックアタックになるだろうというかんじだったんですが、このままではいけないと気持ちを新え、昨日からちょっとよくなってきました。

ネガティブにかんがえまくったので、今日はコンピューターも車も壊れて修理屋に入ってます。それでちょっと調子が狂ってる。出かけるべきところに出かけられないので、家にこもってるのでよくない。でも逆に、普段なかなか時間がなくて見れない引き寄せの法則のビデオをしっかり見ました。

それからインターネットも見れないんですが、これもわるいことではない。心配事がある時ってネットで情報を探そうと長時間検索して、ますます不安感がたかまったりするから、ないほうが却っていいです。壊れる前から、もうネット気になることを調べるのはよそうとおもってたので、ちょうどよかったといえばよかった。

アブラハムは
You can go from anywhere to anywhere
どこにいようと関係ない。どこにでもいけるといいます。つまり今どんなひどい状態でも、少しでもまえむきにかんがえることができれば、引き寄せの法則が次々、さらに前向きな考えをもたらしてくれる。気分が改善さえすれば、状況も改善する。

だからぜんぜん気にしていません。コンピューターは明日直ってかえってきて、車も月曜には直ることでしょう。デイブのラップトップが使えるし、今回は万全にコンピューターはバックアップしてるし、車もいろんな人が便宜を図って乗せてくれるし、ほんと、それほど不便はないんです。お金がかかるといえばそうなんですが、まあ金は天下の回り物ですからね。どこかからやってくることでしょう。

笑う門には福来る。果報は寝て待て 。
今からアブラハムのビデオのつづきを見て、寝て果報を待ちます。

2010年2月4日木曜日

引き寄せちゃいました

コンピューターが壊れてしまいました。(今デイブのラップトップ)ルイがPC ゲームをオークションで買って、その日はよかったのですが翌日にまたそれで遊ぼうとすると、フリーズして画面が動かなくなるんです。それでもその夜は普通で、今日も昼間はちゃんと作動していたので、やっぱりあのゲームのせいと思っていたら、夕方にはワードが開かなくなり、何度も何度もフリーズします。これは明日コンピューターショップにもっていくしかありません。

でもこれは私のせいなんです。このゲームがきたときに、よくないんじゃないか、作動しないんじゃないかと心配したので、そのせいだと思います。

実は引き寄せたくないので詳しくは書きませんが、今週は次々に不都合なことが起こった週でした。先週ルイが「スポーツ才能児」の遠征に行くのにそのフォームを間違えたところに出してしまったことに前々日に気づいてパニックしたのを始め、先週から今週に掛けていろいろ心配したり不安に思うことがあり、動悸で夜も寝られない食事ものどを通らないという感じでした。多分先生の自殺も、悪いムードに関係あるんでしょう。こんなことではいけない、もっといいことに目を向けなければ。そう思いながらもどんどん考えが悪いほうに。心を切り替えるのは難しいことですが、それにしてもネガティビティーに流され続けました。引き寄せの法則なんてないんじゃないか。神もスピリットもなくて、人間は死んでしまえばそれだけで、この世はただ目に見える物質だけでできてるんじゃないだろうか、とまで考えました。それだったら、ポジティブに考えて何がいいことがあるんだろうって。

そうしたらやっぱり引き寄せました。ありがたいことに心配していたことではないんですが、次々にまるでコメディー映画のように物が壊れて行きます。

それでなんとなく安心しました。やっぱり引き寄せの法則、引き寄せてます。効いてます。アブラハムの「アーア。だからやめとけって言ったのに」という声が聞こえてきそう。

ちなみに付け加えると、引き寄せの法則は神ではありません。だから誰かを罰したり、ご褒美にいいことをもたらしたりはしない。これはただ重力のように、「考えていることが引き寄せられる。」という宇宙の秩序なんです。いいことも悪いことも。

でも私は今は大丈夫です。昨日はストレスが続いてちょっとダウンしてましたが、これではいけないと本気になって体制を立て直しました。ヨガとメディテーションをしっかりして、昨夜はクリスタルを胸において、アロマセラピーオイルと枕に振って寝ました。悪い考えが浮かびそうになると、無理やり考えをほかに向けて。今日はローズクオーツのネックレスをして、クリスタルをブラの左胸に入れ、フラワーレメディーを飲んで、EFTというテクニックをつかっています。まだネガティブな考えは去ったわけではあありませんが、こうして少しずつでもいい風に考え始めたり、気持ちをほかに向けると、引き寄せの法則がもっと明るい気分を引き寄せてくれることでしょう。

そして午後には引き寄せの法則のDVD「The Secret」もみました。

今私の周りには修理にお金がすごくかかる物がいくつもあるんですが、全然平気です。これは今の私ではなく、昨日までのネガティブな私が引き寄せたもの。このことでまた引き寄せの法則を確信しましたから、これからはますますあらゆる手段と小細工を使って、とにかく明るいことだけに目を向けるように今まで以上にがんばります。(あっ、そう思うと早速今夜10ポンド宝くじがあたってました。)

イヤーこれもいい経験でした。

ちなみにアプラハムは、「時速5マイルの車が木にぶつかってもたいしたことないが、100キロだと大事故になる。」といっています。つまりエネルギーがたくさん流れてる人は、ちょっとのネガティビティーですぐ悪いことを引き寄せるとのこと。ということは、ちょっとポジティブに考えられるようになると、いいことがどんどん起こるということ。

うーん。がんばります。

2010年2月3日水曜日

若さの証明

今さっき見たテレビです。仕事の後で見たので半分しか見てないんだけど、「加齢」についての番組です。そこで1970年代にハーバードユニバーシティーで行われた実験のことをやってました。

70台半ばの人たちが実験対象です。彼らは杖をついていたり補聴器をしていたり、歩きや動きも緩慢で老人老人しています。誰も日常的に誰かの世話になっているような人たちです。

その彼らを20年前、つまり1950年代の環境において、1週間そこに缶詰にします。家具もテレビも何もかもが50年代。そしてヘルパーなしで自分たちで食事を作り生活します。

すると一週間もしないうちに彼らは自分でほとんどのことができるようになりました。そして実験後の検査でも血圧、視力、聴力、関節、どれもすべて若返ってるんです。杖がいらなくなった人もいました。

この実験以降いろいろな実験がもたれましたが、今では「肉体的年令は精神的にどう年齢をとらえるかによる。」というのは証明されているそうです。それから加齢だけに関わらず、人間の肉体は本当に考え方で変化するそうです。

尚これはBBC2のホライズンという高く評価されている科学番組なので、やらせということはありえません。

やっぱりアブラハムの言ったとおりですね。というか、アブラハムだけではなく、多くのニューーエージやスピリチュリズムの著者が言っています。

ですから皆さん、周りに若作りだとか、いい年をしてとかいわれても気にせず、どんどん好きなこと楽しいことをしましょう。いいたい人には言わせておけば良いんです。自分のことをおばさんなんてぜったに呼んじゃだめです。

2010年2月2日火曜日

またもやおまけ

http://www.youtube.com/planetjedward

ジェドワードのビデオが出ました。よかったらどうぞ。今ナンバー2です。

Velveteen Rabbit 

このブログによくコメントしてくれるあくあさんが、最近シンガポールに出張に行って、かわいがっているトラのぬいぐるみをホテルに忘れてきたという話を彼女のブログに書いていました。

何でも同棲中の彼氏と一緒にペット代わりというか子供代わりとして大切にかわいがっているぬいぐるみです。それを成田についてから忘れてきたことを思い出し、ホテルに電話したものの、見つかるまでに数時間かかったようです。遺失物係りに連絡がついて、保険をかけてDHLで送ってもらう手続きをして、やっと昨日戻ってきたようです。

忘れたのに気付いて手配が出来るまでいろいろ考えたようです。そのままシンガポールまで飛行機でとりに行って月曜までに帰ってこられるかとか、一体いくらまでなら出すか。100万なら出すけど1000万は出さないだって。

まあエクストリームといえばそうですが、ペットと同じでこいうものは本人にしかその大切さはわかりませんからね。でもまあ無事に戻って着てよかった。実は私も心配してました。

この話を聞いて、こちらの子供向けの本、Velveteen Rabbitというお話を思い出しました。

ある子供がたくさん持っているぬいぐるみの中から、ベルベットのウサギがとっても好きになりました。毎日毎日寝てもさめても一緒です。それなので結構はげたり痛んだりしてきましたが、少年はそんなこと気にせず大切にしています。

そして(この部分ははっきり記憶にないので、もしかしたら私が勝手に想像したのかもしれませんが、)手垢で汚れてきたそのウサギは他のぬいぐるみたちから馬鹿にされ始めました。でもそのウサギもちっとも気にしません。

でもその少年はある日病気になりました。麻疹とかしょう紅熱とかの伝染病だったと思います。毎日高い熱が出てうんうん苦しみました。その間彼は一度もウサギを手放しませんでした。

そしてその少年はやっと元気になりました。でもウサギは病気のばい菌で汚れているからと取り上げられてしまいました。そして少年の懇願にもかかわらず、そのぬいぐるみは焼却されてしまうのです。

かわいそうなウサギ。でも大丈夫です。人間に大切にされたぬいぐるみは、その役目を果たした後は本物のウサギになって野原を自由に駆け回れるようになるんです。

というお話です。

5年位前に読んだ話なので記憶違いがあるかもしれませんが、イギリスではとっても有名なお話です。

このあくあさんのトラのガーちゃんも、そのうち本物のトラになるかもよ、どうする?

2010年2月1日月曜日

ふるさとの橋

子供のころ両親が離婚しました。私が小学校2年生に上がる春でした。妹はまだ幼稚園に上がる前です。大阪の住之江区というところから西成区へ。距離にしてはほんの少しだったんですが、子供心に遠くに越してきたつもりでいました。

母は看護婦の資格を持っていたので、文化住宅を借りての母子家庭の暮らしが始まりました。私は小学生ですから午後まで学校に行っています。それで妹は母の働いてる病院についていってぶらぶらするということだったんですが、短期間でそれは無理だということが明らかになってきました。そりゃそうです。彼女はたった3歳。朝から晩まで母のいる職場とはいえ、一人で自分の世話など出来るわけがありません。

それで妹だけ母の岐阜の実家に預けられることになりました。かわいそうですが仕方ありません。3歳児が病院で一人で一日中ぶらぶらしてるよりはまだましです。その頃はまだ土曜も仕事していましたから、毎週土曜に母が昼に仕事を終えて、午後から4時間かけてそこまで妹に会いに行っていました。そしてまた日曜に4時間かけて帰ってきます。体も疲れたけど、お金もさぞやかかったことでしょう。何せ新幹線で行ってましたから。

その初めて妹が祖父母の家に置いていかれた日のことを良く覚えています。幼い妹に説明してもしかたがないと大人たちは思ったのでしょう、妹が祖母と出かけているか従兄弟と遊んでいる隙に、何も言わずに彼女を置き去りにして大阪に戻ってきたんです。

私は7歳でしたが、子供心にもひどいことをするなあと思いました。別に妹思いの優しいお姉さんというわけでもなかったんですけどね。置いてきぼりにされたと気付いた妹は、どんなに絶望して泣いたことでしょう。私だったらとても自分の子供には出来ません。

妹が祖父母の家にいた期間はそう長くはなく、せいぜい数ヶ月だったと思います。その後、また彼女は大阪に連れてこられて、今度は保育所に入れられました。でもそこでも長く続かず、1ヵ月後位から3歳にして登園拒否を始めました。

お迎えの時間は5時だったか6時だったかと思うんですが、うちのは母いつもこれに遅れていました。そして妹はいつも一人で、皆が帰ってしまった後保母さんと待っていました。保母さんが母に文句をいていたのを覚えています。

妹は登園拒否の理由は、お昼寝の時間が嫌だったからだといっていました。それはたぶん本当でしょう。でもこのことも関係あるんじゃないかなあと私は思っています。

先日「公募ガイド」を見てたら、埼玉県羽生市主催の「ふるさとの橋」詩コンテストというのが募集されていました。橋についての詩を原稿用紙2枚以内で応募とのこと。募集要領には返信用に80円切手を同封とのことだったので、メールで外国からですがどうしましょうかと訊くと、「こちらで用意しますから大丈夫です。」と親切に返事をくれました。

橋についていろいろ思いをめぐらすと、この祖父母の家の近くの橋のことが頭に浮かびました。それでここに書いたようなことを詩にして先日投稿しました。
その詩を詩のブログに載せましたので、ぜひよかったら見てください。
http://fordfarmpoems.blogspot.com/