2010年7月23日金曜日

明日ロンドンに発ちます

 この週末いよいよ日本に行きます。明日のランチの後出発してロンドンの空港の近くのホテルに1泊し、日曜の朝8時40分のフライトです。そこからまずアムステルダムに飛び、3時間の待ち合わせのあと日本に飛び、つくのは月曜の朝8時です。だから長旅といえば長旅。でも去年はドバイ経由で行き、空港でのトランスファーが8時間もあり、しかも飛行時間が長く全部で24時間以上でした。それに比べれば、途中アムスで乗り換えても、ほぼ直線距離だし、乗り換えも入れて全部で15時間くらいなので、たいしたことはありません。

 水曜に卒業式で、昨日と今日で旅のしたくの予定でした。でも昨日はずっと1日雨。3回も洗濯機を回したのに、雨で外に干せなくて、全部乾燥機で乾かしました。今日は天気がよかったので、やっぱり3回洗濯して、これを全部外に干し、たまっていたガーデニングや雑草取りを片付けました。

 でも天気が良いとどうしても海に行きたくなるんですよね。日本では沖縄に行きますが、実家は大阪なので簡単には海にはいけないし、それで昼食の後、えび獲りに行きました。でも残念ながら潮が満ちてきていて、1匹も取れませんでした。それでもえび獲りなんていうのは海に行く口実みたいなもので、海辺に座ってあたりがどんどん海に沈んでいくのを見ながら、子供たちはお菓子を食べて、結構満足して帰ってきました。

 そのあとスイミングに行き、チャーリーは例のトップガールのトロフィーをもらい、荷物もやっとできて、ほぼ準備完了。明日の朝はルイはテニスに行き、私は最後の洗濯と掃除という予定です。猫の蚤取りの薬もつけたし、今から植木に水をやります。

2010年7月22日木曜日

エッセイ賞

インターネットの調子がよくないので、デイブのラップトップで書いています。

金曜に日本から郵便が来ました。何かと思ったら、4月に送った文芸思潮という雑誌のエッセイコンテストの結果でした。その手紙の内容を見るまで、一体どんなエッセイを送ったのかも忘れていました。結果は3次審査に通貨とのことでした。8月に最終選考があるそうです。

去年初めて送ったのですが、そのときはエッセイは1次審査通過、現代詩は2次審査通過だったように覚えています。なので今年は去年よりも進歩しているようです。

5月には現代詩のほうも送ったのですが、こちらはまだ通知はありません。もうしばらくしたら来るかな。もしも1次審査で落ちたら、多分何も言ってこないとも思うんですが。

エッセイよりも詩のほうが気になりますね。やっぱり詩のほうが身を削って書いているという気がするし、パッションを感じるからかな。だからエッセイのほうは評価されるとうれしいけれど、別にだめでも気になりません。詩のほうは1次審査で落ちると、かなりがっかりしますね。

どちらにしても結果は日本から帰ってきてからになりそうです。日本で売ってる文芸思潮アジアウェーブという文芸誌に結果が載ってるそうです。

2010年7月21日水曜日

ルイの卒業式




今日はルイの卒業式でした。朝から普通に学校があり、午前中は教会に行ったり式の練習があったそうです。そして午後2時から式でした。

数年前の卒業式に行って、その年の卒業生が全員号泣し、先生も父兄もみんな泣いたということがあったので、そうなるとまずいなあと思いながら行きました。一応万が一に備えてティッシューを片手に。

そうしているうちに20数人の6年生が入場。ステージに上がりました。内容はといえば、それぞれが立ち上がって、今までの一番面白かった思い出、一番楽しかった思い出、そして将来何になりたいかを言いました。それがなかなか面白いのが多く、全員爆笑というのもいつくか。

キリスト教の学校なので、賛美歌を2曲歌いましたが、どちらも子供向きのアップビートの楽しい曲です。2曲目には自分たちで振りまでつけて、踊りながら歌っていました。そして生徒二人による短いお祈り。

 そして最後は6年生による歌とダンスということで、「チャチャ・スライド」というディスコでよくかかる曲を全員で踊り、曲の終わりにコンゴ状態でつながって手を振りながら退場。短く楽しい卒業式でした。校長先生がほんのちょっと(1分以下)話をしましたが、あとは全部自分たちで仕切っていました。
そういうわけで誰一人として泣く人は無く、無事に式が終わりました。

日本だとまず卒業証書の授与というのがありますが、そんなものはぜんぜんありませんでした。校長先生の堅苦しい話もお説教も、国歌も国旗もお涙頂戴の蛍の光のような曲もなし。からっとしていました。数年前は「メモリー」を歌い、しみじみと父兄の涙を誘ったのですが、そんなものはまったくなし。ああ、本当によかった!
そのあと教室に戻ってTシャツにサインなどをして、解散でした。


ルイはみんなと同じ中学だし、チャーリーはまた9月には同じ学校に戻ってくるので、私はそんなに深い感慨は無いのですが、ルイもぜんぜん無いみたいです。

2010年7月20日火曜日

高速道路での子供たちの退屈しのぎ

先日結婚式に行ったときに、6時間くらいかかったと書きました。途中でバーミンガムを抜けるのですが、ここに金曜の5時前後に入ったので、1時間くらいのろのろ運転でした。別に事故があったり工事があったりというのではなく、ただ車が多すぎて渋滞でした。

そしたら後ろの子供たちが「イエーイ!」だとか歓声を上げています。何かと聞いてみると、3車線同じ方向に向けて渋滞している中で、隣の車に手を振り、何人くらい手を振り返してくれるか、実験しているようです。すいすいと走っているときは隣の車の中なんてみないけれど、のろのろしてると隣が見えますよね。それで結構手を振り替えしてくれる人たちがいたようです。

私も1件そういうのを目撃しましたが、黒人の男の人でした。それまでむっつり運転していたのが、白い歯を見せて微笑みながら手を振っていました。こうして考えてみれば、渋滞で1時間近くものろのろ運転していると、隣の車から子供たちが手を振ってくれると、ちょっとでも退屈しのぎに振り替えしてみようと私でも思いますね。

運転しているときって周りの車って「車」としか思わないけれど、こうしてほんのちょっとでもコミュニケーションがあると、どの車にもそれぞれ人間が乗ってるんだなあという感じがしみじみしました。

ちなみに二人はこういうことを高速だけでなくよくやってるようですが、自転車に乗ってる人は必ず振り替えしてくれるとのことです。車は10-20パーセントくらいとか。まあ運転してると普通は見えないですからね。

2010年7月19日月曜日

結婚式から帰ってきました。



結婚式に行ってきました。金曜の午後に行ったのですが、ここから400キロくらいの北イングランドまで車で6時間もかかりました。式は土曜の1時です。結婚式自体は近所の小さな教会でした。これは説教も短く全部で30分くらいで、なかなか軽くていい式でした。結婚式のオルガンの伴奏はデイブのお父さんでした。彼はよく頼まれて結婚式でオルガンを弾くのですが、孫の結婚式に弾くとは、なかなか良いですね。


披露宴は新郎(デイブの甥)の家です。庭にマーキーと呼ばれる大きなテントを建ててそこで行われました。というと、一体どんなと思うでしょうが、なんとも豪華けんらんでした。百聞は一見にしかずなので、写真をご覧ください。
これはマーキーの外。式と披露宴の間の時間にカナッペやシャンペンが出ました。みんな写真を撮ったりしています。




披露宴は結婚式のあと4時くらいから始まり、これには70人くらい出席でした。そのあと2次会があり、更に70人くらいの人がやってきました。、2次会には「豚の丸焼き」の業者が入っていて、本当に豚の丸焼きが出ました。これをバーガーのような感じのパンにはさんで食べます。

これがそれです。右側のフォイルで包んであるのが尻尾。


私はもう10時くらいで引き上げたのですが、夜中まで音楽は続いていました。

今日の写真は残念ながら新郎新婦はありません。これはデイブの電話で取ったので、また別の日に載せます。今日は私のカメラでとったものだけ。

2010年7月16日金曜日

行って来ます

例の結婚式に行って来ます。ルイとチャーリーは学校を早引き。式と披露宴は土曜です。日曜に帰ってきます。写真撮ってきますね。

2010年7月14日水曜日

チャーリーはトップガール

日曜に水泳の競技会があったことを書きました。ルイは金メダル3つ、銀2つ、チャーリーは金メダル5つもらって帰ってきました。これは9歳から12歳までが朝8時から3時過ぎまで、13歳以上が4時からでしたので、私たちは次の部の人たちを入れ替わって帰ってきました。

すると昨日スイミングクラブのコーチからメールがあり、チャーリーがこの競技会のトップガールに選ばれて、トロフィーをもらったとのことでした。全部の競技が終わってから発表になったようです。選手は全員で1400人とのことですので、なかなか立派なもの。私たちはそんなものがあることすら知らなかったので、チャーリーはすごく嬉しそうです。考えてみれば競技は5種類あり、それで5つ金メダルなので、当然というか納得です。

ルイはとってもがんばったのですが、12歳の年齢グループのトップのの男子が(ルイは11歳)5つ金メダルを取っていたので、彼がトップボーイに選ばれたのでしょう。ルイは別に悔しそうでも無く、チャーリーに「よくやったね」とほめていました。そういえば背泳の決勝で2位になったときも、1位の男の子と握手していました。なかなかスポーツマンシップができてきて、よろしい。

トロフィーは今日はコーチが来ていなかったので、まだもらっていません。だから写真はなし。日本に行くまでにもらえると嬉しいんですが。

ところで昨日のフランスのベールのことですが、下院では大多数で通過したそうです。でもこの新しい法案は憲法違反だという声や、ストラスブルグの欧州人権裁判所で違法とされるんじゃないかといわれています。(欧州人権裁判所の決定は最終決定)まあこちらでも小さなニュースなんですが、なんとなく個人的に気になるニュースです。

2010年7月13日火曜日

イスラム教のベール

イスラム教の女の人が頭からかぶるベール、ありますよね。普通の人は額が隠れるか隠れないかという程度なんですが、イスラム教のある宗派の女性は頭からすっぽりかぶる真っ黒のベールをかぶります。目のところだけが細く開いています。そういう人は少ないんですが、ロンドンではたまに見ます。なれるとどうってこと無いですが、はじめてみたときや久しぶりに見るとちょっとドキッとしますね。

フランスの下院で今日これについて投票がされているようです。これを違法にする動きらしい。論法としては、女性保護の立場からだそうです。イスラム教の女性が超男尊女卑の夫にこのようなベールとかぶることを強いられているという見方のようです。

でも今日テレビでインタビューされていた女性は、自分の意思で着ているといっていました。彼女は白人フランス人で、アルジェリア人の夫と結婚して改宗し、ベールをかぶるようになったとか。そしてニュースでは、こういったベールをかぶるハードコアのイスラム教徒は大体が改宗した人たちだとのことです。

私だってそういう人に出会うとちょっとぎょっとするから、まったくわからないわけではないけれど、でも違法というのはちょっとね。個人の自由の迫害のような気がして、ちょっと気分が悪いです。

結果はまだ知りませんが、予想では少なくとも下院では通過する見込みらしい。でもそうなると、道で頭からベールをすっぽりかぶっている女性を、本当に警察は手錠をかけて逮捕するのかとか、つかまった女性がヨーロッパの人権裁判所に訴えると、おそらく負けるだろうとか、なかなか実際問題は法律を強制するのが難しいんじゃないかといわれています。

2010年7月12日月曜日

ルイの散髪など



ルイを連れてまた美容院に行きました。簡単に済むかと思ったら、結構20分くらいかかりました。写真を見ていただければ、違いがわかるはず。ちょっといつもより短く切ったのですが、日本に行く前なので、日本で暑いので短めにしました。

それから写真は収穫したにんにくです。これを乾かすと、来年までもちます。20個くらいできたけど、これで半年以上は足ります。

夕方は私はミーティングに。水曜の夜教えてるクラスが、この辺の短大がやっているアダルトコースなので、たまにこういう面倒なことに呼び出されます。内容はというと、政府が変わって政府の資金援助が減り、これからコスト削減やスポンサーの受け入れなどを考えていかねばならないというもの。はっきり言って本当につまらない。こちらにしたら時間とガソリン代がもったいなかったです。(おととしまではミーティングに行くと時給を払ってくれたんだけど、それも払ってくれなくなった。お茶のひとつもでませんでした。)こんなつまらないミーティングをやめたほうがよっぽどコスト削減になると思うんだけど。こういう大きい団体は官僚主義で、ペーパーワークが多すぎる!

2010年7月11日日曜日

水泳のメダル



今朝は朝6時に起きて、車で1時間くらいの町に水泳の競技会に行きました。ルイが昨日具合が悪かったので、無理かなあと思っていたんですが、本人が行くというので、まあ行くだけ行って、泳げなければそれでもいいかと思って、家族4人で行きました。

8時からウォームアップです。ルイはなんとなく顔色がよくない。気分はどうかと行くと、ちょっとよくないとのこと。それでもウォームアップしているところを見ると、大丈夫そうです。

その後だんだん顔色がよくなり、結局は無事に終えました。結果はルイは金メダルが3つ、銀が二つ、チャーリーは金メダル3つでした。ルイは背泳ぎで自分の出したクラブ歴代記録をさらに更新、チャーリーは100メートルメドレーでクラブ記録を出しました。

それにしても疲れた。私はただ見ていただけなんだけど、疲れた。泳いだ二人は結構けろりとしてます。今晩も水泳のトレーニングがあるんですが、二人は行ってもいいという感じでしたが、それはこちらから、今日はやめようと言いました。たまには休まないと・・・

写真はルイの髪型とチャーリーのメダル。メダルは直径10センチ近くあって、二人とも嬉しそうです。

2010年7月10日土曜日

ルイの変な髪形

今朝はルイはおなかが痛いと朝の6時に目が覚めました。その後朝ごはんをちょっと食べ、顔色も普通、熱も無いので、髪の毛を切りに行く予約が入れてあったので、お父さんと行ってきました。

その間私はチャーリーを連れてバレエへ。12時ごろどうしているかと思って携帯でメッセージを送ると、「ルイが髪を切っている途中で具合が悪くなった。半分切ったところで、帰ってきた。」とのことでした。

半分の散髪?一体どうなってることかと思って帰ってみると、ははは、大笑い、というほどではないんですが、やっぱりへんです。ご存知のようにルイはサーファー風の長髪なんですが、それを長さを5センチほど切って、段を短くしないままに帰ってきました。それですごく変ではないけど、やっぱり変です。

夕方には具合がよくなったので、またその美容院に電話して、月曜の4時半に残りを切ってもらうことになりました。

「どうする?月曜このまま学校に行く?」ときいたら、ルイはいつものとおり、「大丈夫大丈夫。友達に笑われたら、美容院で具合が悪くなったって言うよ。」とぜんぜん気にしていません。これがチャーリーなら絶対に学校を休むと思うんだけど。ルイっていい性格だなあ。それにルイのクラスメートもいい子達ばっかりだから、変な髪形でもルイもぜんぜん気にならないんだろうなあ。

明日は水泳の大会です。ルイは無理だろうなあと思ってたんですが、晩御飯もたくさん食べたし、大丈夫そう。明日は6時起床です。最近毎週末、こんな感じで平日より早起きです。

2010年7月9日金曜日

ルイの学芸会

今日はルイの学校で、6年生の学芸会のようなものがありました。学芸会といっても昔風の歌やお遊戯ではなく、ジャイブダンスで始まり、最後は映画グリースからのダンスで締めくくりでした。内容は全員でしたものは先生が指揮したようですが、あとは個人やグループで好きなことをします。ルイが出たものだけを写真で紹介します。

これはオープニングのジャイブ。グレンミラーの曲に合わせて、全員が男女ペアになって踊りました。


これも全員の「ラン・ラビット・ラン」という曲。女子がウサギになり、男子が猟師の演技をして、歌にあわせてウサギを撃ちます。


ルイちゃんのピアノ。曲はスコットジョプリンのエンターテーナー。直前まで練習していたんですが、何箇所か間違えました。珍しくもすごく緊張していました。

これはルイが友達4人でしたコメディースケッチ。なかなか面白かったです。これは医者の待合室で、順番を待っているところです。何度もくしゃみをするのがルイの役でした。誰が筋を書いたのかと思ったら、YouTubeで探したらしい。


そして最後の2枚はフィナーレのグリースライトニング。アップビートな曲にあわせて振り付けもなかなかよく、よくできました。

合計あわせて1時間くらいのパフォーマンスでした。中にはとっても演技のうまい女の子や、自分で書いた歌を上手に歌った子もいました。卒業記念として、結構思い出に残ることでしょう。

2010年7月8日木曜日

ヘレンケラー、完

ヘレンケラーの本を読破しました! なんて、実は120ページしかない子供の本なんですけどね。

意外にもいろいろ気づくところがありました。多分昔読んだ自分の印象とずいぶん違うから、特に気になったんでしょう。それで今日はあと2点、書いておきたいことがあります。一つ目はサリバン先生のことです。

彼女は貧しいアイルランドの移民の家に生まれました。幼くして視力障害になり、母親を結核で亡くしてからは、孤児院で育っています。とっても気性が激しくかんしゃくもちで、子供の頃はこれでいろいろ問題が持ち上がったようです。

彼女が盲学校を卒業してヘレンの家に来たのは22歳のときです。そのときのヘレンはまるで野生動物のようで、かんしゃくもちで何でも自分の本能のままに好きなようにすることに慣れていました。それなのではじめは二人の意志と意思の対決で、身体的に押さえつけたりなど、なかなか壮絶だったようです。子供を持つ親なら、ある程度までは簡単に想像できることです。

サリバン先生は別に先生になる教育を受けたわけでもないし、自分の子供もいないし、22歳の何の経験も無い女性が、よくここまでやったなあと本当に読んでいて感心します。上に書いたとおり彼女は激しい性格で、ヘレンが成人してからも、ヘレンの周りの人とぶつかることも多く、敵も多かったようです。ヘレンはその頃は有名人ですし、貧しい移民の出身の出というだけで、ヘレンの後見役にふさわしくないという人もたくさんいました。

でもこの激しい気性がなければ、きっとヘレンを教育することはできなかったんじゃないかなあ。ヘレンが大きくなってからも、予備校、大学とずっとサポートし続けたし、その後も死ぬまでヘレンの面倒を見続けました。私も子供の頃から母に気が強いと批判され続けました。母の考えでは「気が強い=性格が悪い」だったんですが、それって一概に言えないですよね。サリバン先生が気弱い女性であれば、きっとヘレンをここまで教育できなかったと思います。「気が強い=意思が強い」。そういう気性の人がいなくなれば、きっと世の中はうまく回らなくなりますよ。

それから最後まで読んで何より思ったのは、ヘレンの成功の何よりの原因は、彼女の向上心でも努力でもなく、楽観的な前向きな性格だったと思います。パイオニアというのはなんでもそうですが、彼女も何かをしようをするたびに、それは無理だという世間の声にぶつかりました。でもそういう障害があればあるほどますますがんばったそうです。そして全体としての印象は、「逆境にめげずに強く生きた女性」というよりは、「どんなときでもいいことに目を向け、いつも楽しく人生を前向きに歩き続けた人」です。

アブラハムによると、人間は生まれてくるときに「こういう人生を送ろう」というような目的なようなものを持って、それぞれそれにあった環境を選んで生まれてくるとか。きっとヘレンの場合は、すごく才能と生命力とエネルギーのある魂が、大きなチャレンジを選んで生まれてきたんじゃないかなあ。それを克服することで、世界中の人をインスパイアするのが彼女の目的だったんですよ。

この本は写真もいろいろ載っていました。どれをとっても、80歳を過ぎても、ヘレンはいたずらそうな目をして楽しそうに写っています。世界中で講演し、何冊も本を出版し、歴代の大統領全員と会見し、映画に出てアカデミー賞までもらっています。

けれどもその楽しそうな笑顔の向こうで、彼女は生涯沈黙と暗黙の世界に生きたのかたかと思うと、強く胸を打たれました。

2010年7月7日水曜日

ヘレンケラーのお金の苦労

ヘレンケラーの話の続きをまた書きます。

この伝記の最後から3分の1くらいは、彼女たちがお金のためにどれだけ奔走したかということがいろいろ書いてあります。考えてみればヘレンと先生の女性二人、これといって経済活動をしているわけでもないのだから、もちろんそれは深刻な問題だったことでしょう。

今と違って、特に裕福な家の出身の女性がするような仕事、今で言うキャリアははその頃は無かったんでしょう。ましてや盲目の人が働く場所なんて皆無だったことでしょう。社会保障もないし、年金も無い。若い時はともかく、年をとってからも何とかして自分でお金を捻出しないといけません。

ヘレンのお父さんは裕福だったので、後年はビジネスが行き詰ったとはいえ、土地だとか家だとか資産はあったとは思うんですが、あの時代の裕福な家の出の女性は、それなりのライフスタイルしか送れなかったんですね。きっとお金が無い無いといいながらも、住み込みのお手伝いさんとコックさんががいる家で暮らしていたことでしょう。伝記にも、「ヘレンとサリバン先生は節約することが下手だった。贅沢が好きで、お金が入ってくるときはどんどん使い、無くなると資金作りに奔走した。」と書いてありました。

お金を稼ぐために、ヘレンは本も書いたし、講演のツアーを延々としたそうです。その一環で日本にも来たんですって。

そして講演だけでなく、庶民向けの娯楽ツアーのようなものにも参加し、歌手やダンサーなど、その時代は地位が低く見られていた人たちともショーをしました。それをサリバン先生はすごく嫌っていたらしいのですが、ヘレンは周りの役者や歌手、ダンサーたちとも気があい、結構楽しんでいたそうです。

ヘレンケラーって、三重苦を克服した天使のような女性と思われていますが、彼女自身はそれ以上にすごく生き生きした、エネルギーいっぱいの人だったようです。もちろん頭もすごくよく、英語を含め5ヶ国語をマスターし、ハーバードの姉妹校(その頃は女性はハーバードにいけなかった。)を卒業しました。自分と先生の生活を維持するために、次々とお金を稼ぐ方法を生み出し、それだけでなくチャリティーの為に活躍しました。

先生が病気になり死ぬ数年前からは、お金の為に奔走するのが嫌になり、ただ盲人の社会的地位を向上させるためのチャリティーに全力を注いだそうです。すると世の中はよくできたもので、ヘレンの貢献に深く感謝したそのチャリティーは、ヘレンを金銭的に生涯世話をすることを提案しました。年金ですね。

私が昔読んだ伝記には、金銭的なことなんてぜんぜん出てませんでした。昔の伝記には偉人を聖人化する傾向があったんでしょう。最近の子供向きの本は、こんなことや先生やヘレンの恋愛のことなども書いてあります。「ヘレンが生理痛で寝ているときに」なんてこともありました。

なんか気づかないうちに時代ってすごく変わったんだなあという気がしました。

2010年7月6日火曜日

なぜヘレンケラーは有名か

昨日のヘレンケラーの本の話の続きです。面白い本なのだけど、一応子供向きの本なので、ベッドに持ち込んでまで読む気もせず、ちょこちょこまた朝ごはんや昼ごはんのときに読みました。

ヘレンケラーの話って誰でも知っていますよね。イギリスでもたいてい誰でも知ってるし、アメリカではさらにそうじゃないかと思います。これってちょっと考えたら不思議だと思いませんか?だってただのアラバマの田舎の裕福な家の少女の話です。その頃は今よりもさらに盲目で耳が聞こえない子供っていたはず。もちろん彼女の話はすごいけれど、それがこんなに世界的に有名なのってちょっと変でしょ。

この伝記を読んで知ったのですか、子供の頃彼女はかなり大人に利用されたようでした。ヘレンの先生のサリバン先生も視力障害者で、彼女が卒業した盲目のための学校がサリバン先生をヘレンの家族に紹介しました。それでヘレンが言葉を覚え始めると、サリバン先生はその学校の学長にいちいちその進度を報告していました。

それをその学長はその度に新聞に発表していました。自分の学校の評判を上げるためにです。はじめはそれでよかったのですが、それが社会の注目を集め始めると、彼は誇張してヘレンの進歩を書き始めました。この学校自体が慈善事業のようなもので、その資金集めのためにそれは仕方の無かったことで、彼が私腹を肥やすためにしたわけではありません。名誉欲はあったかもしれませんが。

それでヘレンが10歳のクリスマスに、彼にプレゼントとして短編小説を書いて送りました。それを彼はまたいつものように発表しましたが、しばらくするとこれにそっくりの話がすでに存在することが明らかになりました。それで批判の的となった学長は、手のひらを返したようにヘレンをひどく扱います。

ヘレン自体はその話は聞いたことは覚えていないのですが、実はその話はサリバン先生が2年前にヘレンに読んだ話でした。それが頭に残っていて、そうとは知らずに自分のオリジナルのつもりで書いたのでしょう。そういうことは子供ですからよくあることです。

それでもヘレンはその学長と学校の委員会にひどく批判され、アラバマから電車で3日もかかるボストンにあるその学校まで出向いて、委員会で尋問をされました。学長自体も、新聞等に謝罪の記事を載せると同時に、ヘレンを厳しく批判する記事を書いたそうです。

その後ヘレンは深く傷ついて、しばらく勉強もやめ、文章を書くのもやめたそうです。それはすぐにまた復帰しましたが、それ以来「自分の頭の仲にはオリジナルの考えが無いんじゃないか。」という不安が一生付きまとったそうです。

ヘレンにしたら、別に出版を頼んだわけでもなんでもなく、ただのクリスマスプレゼントとして送っただけなのに、学長が自分の学校の利益のために勝手に出版し、こんなにひどい目に合わされるんだからたまったものではありません。しかもまだ10歳なのに。

この辺がやっぱり時代が違うな後も感じましたね。今なら著作権が厳しいですから、ヘレンの承諾なしに発表なんてありえないし、しかも10歳の子供が、盗作の罪で委員会にかけられるなんてありえません。

ヘレンはそういうこともありましたが、10歳くらいですでにアメリカで名前をよく知られるようになりました。大統領をはじめとする有名人にあちらこちら招待され、アーサー・カーネギーをはじめとする著名人から金銭的補助も受けることができました。ヘレンは裕福な家の出身ですが、お父さんの事業が失敗し、お金の問題は常々あったようです。それもあり、彼女自身も自伝を書き、アメリカを回って講演もしました。「お金が無い」なんていうことはこちらはなんとなく思いつきませんが、そういえばもちろん生活のためのほか、教育費には莫大なお金がかかったことでしょう。

今日読んで考えたのはこんなところです。ほかにもまだあるんだけど、それはまた。

2010年7月5日月曜日

ヘレンケラー

今朝子供たちと一緒にスクールバスを待っていると、チャーリーがかばんの中から本を一冊出して、これはもう読んだから家においていくといいました。私が去年買ってあげたヘレンケラーの本です。

私が子供の頃、学校の図書館に偉人の伝記のシリーズがあり、よく読んでいました。その中でもヘレンケラーは記憶に強く焼きついているので、チャーリーにも買って薦めました。

子供たちのバスが行った後、私はその本を手に家に帰り、テーブルについて朝ごはんです。それで食べながらぱらぱらとその本を見ると、ヘレンの先生のサリバン先生の子供の頃の話が書いてありました。その部分は私は知らなかったのけ、興味深く読みました。そうするうちに気がついたら30分くらい朝ごはんの食卓でこの本を読んでしまいました。

その後ランチタイムに水泳に行き、帰ってきてまた一人で遅い昼ごはんを食べながら、食卓にあったこの本を手にしました。

私が知らなかったことがいろいろ入っています。私がヘレンケラーの伝記を読んだのは10歳くらいのときですから、忘れた部分も多いし、その本自体が子供向きであまりうまくかけてなかったという可能性もあります。どちらにしても、なかなか興味深いことがたくさん出てきます。もちろん今の私の大人の視野で彼女の伝記を読むのも、またぜんぜん違った感慨が出てくることでしょう。

まだ5分の1くらいしか読んでないんですが、これからしばらく朝ごはんの食卓で読むことになりそうです。読み終わったらまた読後報告を。

2010年7月4日日曜日

ホースフライという悪い虫

イギリスにはHorse flyという厄介なハエがいます。もしかしたら日本にもいるのかもしれません。家畜などの血を吸うハエで、これにかまれると痛くてかゆくて、そしてすごく腫れます。人によって反応は違って、デイブなどは蚊に刺されたときのような感じの超大きい腫れができます。大きさは3-5センチくらいかな。これが2-3週間直りません。でもこれなどは軽いほうです。

私は刺されるとまず医者に行くことになります。まずデイブと似たような状態になり、そのあとこのあれがどんどん大きくなり、パンパンに膨れ上がります。痛く熱くなって、透明な液体のようなものがにじみ出てくる。こうなると英語ではCellulitisという感染症とされ、抗生物質が必要になるんです。私の場合は7日間薬を飲むとやっとよくなります。

でも薬を飲まないで放っておくと敗血症になって、最悪の場合は手足の場合は切断や、命を落とすこともあります。医者に行くのが遅れると、入院して抗生物質の点滴が必要になるという話も聞いたことがあります。

おとといの金曜、ちょっとだけ菜園を見に行ったら、刺されてしまいました。いつも気をつけて長袖長ズボンでいるのですが、このときは油断していました。でも刺されたのは首なので、長袖でも同じだったかもしれません。刺されたとき痛くは無かったので、「刺されたかな」という感じだったんですが、一応熱いお湯と石鹸で患部を洗って、オキシドールをつけ、そのあと殺菌のクリームと抗ヒスタミンのクリームをつけました。

その後痒くもならなかったし、大丈夫、きっと刺されなかったんだと思っていたら、土曜の朝起きたら3センチくらいの大きさに赤く腫れ上がっていました。週末で医者は閉まってるし、デイブは出張なのでもしも悪化して敗血症になって救急車を呼ぶことになったらどうしようかと、ちょっと不安が心をよぎりました。できるだけポジティブに、大丈夫大丈夫、まだ普通に腫れているだけだし、悪化すると決まったわけではないし、と前向きに考えながらも、急患の医者の番号や日曜もやってる薬局の時間をチェックしたりと、万が一に備えていました。

それで土曜は朝から抗ヒスタミン剤を飲み、ステロイドと抗生物質の入った昔もらったクリームをつけていましたが、どうもだんだん悪化してるようです。赤みも大きくなってきてるし、腫れもひどくなってきてる。

その夜デイブと電話していたら、「ウィッチ・へーゼル」をつけたらと薦められました。自分も先日刺されて、これをつけたらよくなったとのこと。ウッィチへーゼルというのは日本で言えばへちま水のような感じのものです。

そういえば先日偶然インターネットでウッチへーゼルのこと読んだのでした。それで私もなんとなくこれをつけたら効くんじゃないかなあと思っていたら、デイブがそういったので、これは何かのお告げのような感じて、ウィッチへーゼルとラベンダーのエッセンシャルオイルを混ぜて、コットンにつけ湿布しました。そしてしばらくしてそれをはずして、そこに抗生物質のクリームを塗って寝ました。もしかしたら夜中にパンパンに腫れあがるんじゃないか。場所が首なので、息ができなくなったら困るなあな。悪化したら朝7時に病院に電話しようと思いながら。

そして今朝目が覚めたら朝の10時。首は少しも痒くも痛くもありません。触ってみたら、まだ腫れているけど、ちょっと引いてるみたいです。このままなら、少なくとも月曜に医者が開くまでは大丈夫だなあと安心しました。

その後も普通に生活しながら、この湿布とクリーム、そして抗ヒスタミン剤を飲み続けました。

今は夜の10時過ぎです。もう腫れはすっかり収まりました。まだ赤くてちょっと痒いけど、ぜんぜん痛くはありません。もう医者に行く必要も抗生物質を飲む必要もなさそうです。

ああよかった。一体何が効いたのかな。ウィッチへーゼルとラベンダーと思いたいけど、抗生物質のクリームかな。それともはじめにすぐに殺菌したのがよかったのか。それともポジティブに考えたおかげか。どちらにしても、今まではホースフライに刺されると必ず医者だったのが、これからは自宅療法で直るように抵抗力ができたのなら、嬉しいんだけど。

2010年7月3日土曜日

ルイちゃんの残り少ない小学校の日々

ルイちゃんは先週は2日しか学校に行っていません。水曜は例の学校から数人選ばれるスポーツプログラムで1日中陸上をしていたし、木曜と金曜は9月から行く中学の体験入学でした。

今の学校の6年生は20人強んですが、新しい学校は1学年300人以上います。木曜はクラスが発表され、歴史と地理と数学の授業を受けました。同じ学校から2人同じクラスになったようです。金曜はチームビルディングアクティビティーということで、1日中体育やゲームやらをしていたみたいです。

学校は7月21日が最後の日。その日の午後に卒業式のようなものがあります。日本のように厳かなものではなく、生徒が詩や文章を読んだり歌を歌ったりするものです。

おととしのこれに出席したんですが、卒業する男の子とたちがほぼ全員壇上で号泣し、私などの関係ない父兄ももらい泣きで大変でした。これに懲りて去年は行かなかったんですが、今年は行かないわけには行かないだろうな。

ルイちゃんは絶対に泣きません。これはすごく断言できる。泣く様なタイプではないんです。クラスには明るい楽しい子供たちが大半なので、全体的に楽しい卒業式にしてほしいです。

ああ、後2週間半か。なんか感無量だなあ。

2010年7月2日金曜日

シングルマザーの忙しい毎日

先週から忙しい忙しいといっていたんですが、予定がかなり狂ってしまいました。

まずおそらく忙しすぎたことも原因なんですが、水曜からチャーリーが高熱を出しました。今日も学校には行きませんでした。午後は37度代に下がっていたし、食欲もあるし、明日には元気になるとは思うんですが、そのせいで私もルイも予定が変わってしまいました。

そしてその同じ日、デイブが帰ってくるなり、「明日から月曜までドイツに出張。」といいました。

それで週末の予定が狂いました。明日の土曜はルイの先週出た水泳の大会の2日目で、車で1時間半のエクセターに朝の9時からのウォームアップに行かなければ行けません。土曜はチャーリーのバレエとダンスのレッスンがあるので、私がエクセターに連れて行かないといけないとすれば、チャーリーはバレエにはいけません。

チャーリーはまだ体調が完全ではないし、できれば誰かがルイを連れて行ってくれないかなあ。

そう思っていたら、7人乗れる車を持っている人が、連れて行ってくれることになりました。よかった。

日曜はまた朝早くからカーブーツセールで不用品を売るぞと思ってたんですが、これはできなくなりました。まあしょうがないですね。とにかくチャーリーは早く完治して、ルイが水泳で無事に失格にならずよい記録を出して、デイブが予定通り月曜に帰ってくることを祈るばかりです。

テニスでは急にひいきになった、フェデラーを負かしたチェコ人のバーディッヒが決勝進出。ナダルも進出したので、日曜が決勝です。どちらも好きなので、ぜひゆっくり見たいけど、残念ながら子供たちの人命救助クラブの練習に連れて行かなければいけません。ああ、デイブがいたら任せて私はテレビ観戦だったのに。シングルマザーはしんどい。

2010年7月1日木曜日

追伸 ウィンブルドン

テニスのことでふと思いついたんで、追伸です。

今インターネットのBBC i Playerというので昨日のToday at Wimbledonという番組を見ました。これってネットでただで最近のBBCの番組が見れるというものです。

これもしかしたら日本でも見れるのかな。だとしたらテニスファンの人にはお勧めです。このToday...の番組はその日のテニスのダイジェストなんですが、ゲストがいつもすごいんです。私が今見た昨日のToday・・は、パット・キャッシュとボリス・ベッカーがゲストでした。まあもちろん英語ですが。

唯一の欠点は翌日以降にしか見れないことなんだけど。

ゴーグルでBBCi Playerで検索したら出てきます。

テニスの話

いよいよウィンブルドンも2週間目、今日は女子の準決勝、明日は男子です。そういうわけで、いよいよいろんなことを放っておいてでも、真剣に見始めました。

チャーリーは昨日学校から熱を出して帰ってきました。そういうわけで今日はお休みです。それで私も出かけることもできず、午後はテニスをじっくり見ました。

昨日は男子の試合で、フェデラーが負けるのと見ました。途中でルイが帰ってきて一緒にみたんですが、二人ともチェコ人のトマス・バーディヒを応援してました。フェデラーファンのあくあさんには悪いんですが。

フェデラーってすごいと思うし、息を呑むようなすごいショットもよくあるんだけど、それでも「勝つのが当たり前」になってきてるので、どうしても弱いほうを応援してしまいます。英語ではこういうのをUnder Dogというんだけど、日本語はXXX ひいきという言葉があったような気がするんですが、なんだったっけ?

明日の準決勝では、彼はジョコビッチと当たるんですが、ひいきになってしまったので、ここはまた応援したいと思います。

イギリスの(本当はスコットランドの)マリーはナダルと当たります。サッカーでイングランドが負けた今、イギリス人は皆マリーを応援してますが、私はもちろんナダル。彼のガッツあるプレーのファンです。

ところでフェデラーは昔はバックハンドが弱点だったんですが、最近はそれを克服してきたそうです。それでインタビューで「僕のバックハンドを攻撃してくれた試合相手たちに感謝している。そのおかげで強くなってきた。」といっていました。これってすごくかっこいいなあ。

「あらゆることに感謝しなさい、敵に感謝しなさい。」なんてことを人にいわれると説法臭くてうそ臭くて、ぜんぜん耳を貸そうという気がしませんが、こういったスポーツヒーローが身を持ってそれを示して、軽くこういうことを言うと、なるほどなあという気がします。ホント世の中って、自分が見本を示さずに他人にあれこれ説教する人が多すぎる。こんな風に若者が見上げるようなスポーツ選手たちがこういうことを言ってくれると、若い人たちにもいい影響があると思うんだけど。