2010年7月6日火曜日

なぜヘレンケラーは有名か

昨日のヘレンケラーの本の話の続きです。面白い本なのだけど、一応子供向きの本なので、ベッドに持ち込んでまで読む気もせず、ちょこちょこまた朝ごはんや昼ごはんのときに読みました。

ヘレンケラーの話って誰でも知っていますよね。イギリスでもたいてい誰でも知ってるし、アメリカではさらにそうじゃないかと思います。これってちょっと考えたら不思議だと思いませんか?だってただのアラバマの田舎の裕福な家の少女の話です。その頃は今よりもさらに盲目で耳が聞こえない子供っていたはず。もちろん彼女の話はすごいけれど、それがこんなに世界的に有名なのってちょっと変でしょ。

この伝記を読んで知ったのですか、子供の頃彼女はかなり大人に利用されたようでした。ヘレンの先生のサリバン先生も視力障害者で、彼女が卒業した盲目のための学校がサリバン先生をヘレンの家族に紹介しました。それでヘレンが言葉を覚え始めると、サリバン先生はその学校の学長にいちいちその進度を報告していました。

それをその学長はその度に新聞に発表していました。自分の学校の評判を上げるためにです。はじめはそれでよかったのですが、それが社会の注目を集め始めると、彼は誇張してヘレンの進歩を書き始めました。この学校自体が慈善事業のようなもので、その資金集めのためにそれは仕方の無かったことで、彼が私腹を肥やすためにしたわけではありません。名誉欲はあったかもしれませんが。

それでヘレンが10歳のクリスマスに、彼にプレゼントとして短編小説を書いて送りました。それを彼はまたいつものように発表しましたが、しばらくするとこれにそっくりの話がすでに存在することが明らかになりました。それで批判の的となった学長は、手のひらを返したようにヘレンをひどく扱います。

ヘレン自体はその話は聞いたことは覚えていないのですが、実はその話はサリバン先生が2年前にヘレンに読んだ話でした。それが頭に残っていて、そうとは知らずに自分のオリジナルのつもりで書いたのでしょう。そういうことは子供ですからよくあることです。

それでもヘレンはその学長と学校の委員会にひどく批判され、アラバマから電車で3日もかかるボストンにあるその学校まで出向いて、委員会で尋問をされました。学長自体も、新聞等に謝罪の記事を載せると同時に、ヘレンを厳しく批判する記事を書いたそうです。

その後ヘレンは深く傷ついて、しばらく勉強もやめ、文章を書くのもやめたそうです。それはすぐにまた復帰しましたが、それ以来「自分の頭の仲にはオリジナルの考えが無いんじゃないか。」という不安が一生付きまとったそうです。

ヘレンにしたら、別に出版を頼んだわけでもなんでもなく、ただのクリスマスプレゼントとして送っただけなのに、学長が自分の学校の利益のために勝手に出版し、こんなにひどい目に合わされるんだからたまったものではありません。しかもまだ10歳なのに。

この辺がやっぱり時代が違うな後も感じましたね。今なら著作権が厳しいですから、ヘレンの承諾なしに発表なんてありえないし、しかも10歳の子供が、盗作の罪で委員会にかけられるなんてありえません。

ヘレンはそういうこともありましたが、10歳くらいですでにアメリカで名前をよく知られるようになりました。大統領をはじめとする有名人にあちらこちら招待され、アーサー・カーネギーをはじめとする著名人から金銭的補助も受けることができました。ヘレンは裕福な家の出身ですが、お父さんの事業が失敗し、お金の問題は常々あったようです。それもあり、彼女自身も自伝を書き、アメリカを回って講演もしました。「お金が無い」なんていうことはこちらはなんとなく思いつきませんが、そういえばもちろん生活のためのほか、教育費には莫大なお金がかかったことでしょう。

今日読んで考えたのはこんなところです。ほかにもまだあるんだけど、それはまた。

4 件のコメント:

あくあ さんのコメント...

へえー、なんだか超現実的な話ですねぇ。まあしかし、ありそうな話だなぁ。それはしかし、日本人のヘレンケラーの記憶をこっぱみじんにするねぇ。そんな話が子供向けの本に書いてあるのか。すごいね。

こんの さんのコメント...

あつこさん この続きが、たいへん待たれます

Atsuko さんのコメント...

あくあさん、でしょ。昔の日本でも伝記は、ヘレンケラーに限らず、いろいろ美化してあったんじゃないかなあという気がしてきました。

Atsuko さんのコメント...

こんのさん、この続き、今日も書きますのでお楽しみに。