2011年12月6日火曜日

イスラム教

先日法人内の差別を無くすために研修に行ったときに聞いた話を書きます。

ここ北デボンはさすがにイギリス人以外は少なく、日本人もめったにいないし黒人やインド人などもめったに見かけません。でもこの研修の講師は40歳くらいの、おそらくパキスタンかバングラディッシュか、とにかくアジア出身の人でした。イスラム教徒です。

その先生が最近どこかの会議でプレゼンテーションをしたときのこと。レクチャーの後で同じくアジア系の人が話しかけてきました。

その人は国籍はアメリカ人で、 現在はイギリスのシェフィールド大学の教授でした。9人兄弟だか8人兄弟だかで、兄弟合わせると60以上も学位があるというエリートの家系の出身で、お父さんはシーク教徒、お母さんはヒンズー教徒とのことです。

その教授が「あなたはイスラム教徒ですよね。(名前でわかる。)」と話を始めました。

御存知でしょうが、ヒンズー教徒とイスラム教徒というのはいろいろ歴史的にもいざこざが多く、仲がよくないとされています。この教授の家庭は、シーク教徒のお父さんはそうでもないのですが、とにかくお母さんがイスラム教徒を毛嫌いしていました。

それで教授はことあるごとに、そのような闇雲な差別や偏見はよくないとお母さんに言っていました。少なくともイスラム教の教えがどういうものであるのか理解して欲しい。そのためにはコーランを手にとってみて欲しいと訴え続けていました。

それで今年のお母さんの誕生日にコーランをプレゼントしました。ラッピンクを開けたお母さんは、「また今年もコーランか。これで10年以上になる。」と、例年のように本をその辺に放り投げました。

でも今年はなぜかお母さんはコーランを手に取る気になったそうなんです。そしてまず初めのページを読んだだけで、涙があふれてきたそうです。そしてこの息子に、自分は今まで何も知らずに謝った偏見を抱いていたと謝ったそうです。

アジアの地域紛争や宗教紛争というのは今も続いているし、そんなインテリなお母さんがそこまで偏見を持つとは、それなりの体験があったからなんだろうけどね。それがイスラム教の本質を知らずに偏見を抱き続けることになったんでしょう。

教授のお母さんなんだからかなりの年だと思うんだけど、それでも偏見からほんの少し心を開いて歩み寄ることで、長年のイスラム教徒に対する嫌悪や憎しみから開放されたんですね。それってまるで心の中の囚人を解放したようなものだと思います。

この話を聞いたときに、1時間の講習の途中だったんだけど、ちょっと涙が出そうになりました。鼻をかむ音とかも聞こえたので、私だけじゃなかったのかも。

イスラム教徒ってアメリカでは眼の敵にされてるようだし、イギリスでも胡散臭い宗教だと偏見を持つ人も多いんですよ。私もイスラム教のことはほとんど知りません。でも美しい教えだと言うことは聞いていたので、これを聞いて私もコーランを読んでみたいなあと思いました。

こういうことは善は急げですから、次に図書館に行ったときに調べてみます。

ではよろしければこちらのボタンのクリック、よろしくお願いいたします。
人気ブログランキングへ

2 件のコメント:

あくあ さんのコメント...

宗教間の問題は日本人にはわかりにくいですよね。でも興味があって以前調べたこともありました。けどコーランまでは読んでないな。引退したら読んでみたいと思います。またサマリー載せて下さい。楽しみにしてます。

Atsuko さんのコメント...

イスラム教なん本当に日本からは遠い宗教なんだろうなあ。できるだけ早くイスラム関係の教えの本を読んでみて、また感想を載せますね。

子供の本に載っていたのは、赤ちゃんが生まれたときにその髪の毛を剃って、その髪の毛と同じ重さの金を貧しい人たちに寄付すると言う習慣があるそうですよ。お金持ちの人だけだろうけど、今は金が高騰したから大変やろうなあ。