夕方仕事に行くのに、住宅地を車で走っていました。ここは車が道の両側に駐車してあり、対向車に出会うと、どちらかが止まって道を譲らないといけません。そして結構対向車が来るのです。
私は右折して、学校の門に入りたかったのですが、その門から車が出てこようとしていて、その門の前にまた別の対向車が来たので、停車しました。厳密に言えば私の車に優先権がある位置だったのですが、その2台の車が通り過ぎないと学校の門に入れないので、待ってました。向こうは、私の意図がすぐにわからなかったので、あちらはあちらで止まって、私が行き過ぎるのを待っていました。
その間ほんの5秒くらいだったのですが、私の後ろから来た車が、クラクションを鳴らしたのです。私の前の様子が見えないから、私が意味もなく止まっていると思ったのでしょうね。
それで無視して、ヘッドライトをフラッシュしたり指示器を出したりして、その向かいの車も私の意図を理解して、無事にみんな通れました。
でもその間も、私の後ろの車は、何度も、住宅地というのにクラクションを鳴らすのです。せいぜい2~30秒くらいの間にです。
過去に、これは経験ある人も多いと思うけど、こんなことも数回ありました。 細い道から大きい道に出るときに、車の流れの切れ目を長く待つことがあります。その時に、後ろの車がじれったくなって、クラクションを鳴らして、早く行けと催促するのです。
つまりどちらも場合も、彼らの車の場所からは、私が見えているものが見えないのに、発車しろと文句つけているわけです。
(まあ、住宅地で必要もないのにクラクションを鳴らすようなマナーのないドライバーは、気にすることもないのですけどね。)
これで思いました。人生って、人があれこれ、求めてもないアドバイスしてきたり、どんな風に思われても、ぜんぜん気にすることないなあって。
他の人には、自分の状況、自分に見えているものが、全部はわからない。他人はもちろんのこと、家族や仲のいい人でも、自分にわかっている状況がすべてわかるわけではない。そういう人達に何を言われても、思われても、ぜんぜん気にすることないのです。そういう人は、私の目の前の道路状況が見えずにクラクションを鳴らすドライバーのようなものなのです。
大げさな人生論に発展しちゃいましたが、仮免をとったルイにも言っておきました。後ろでクラクション鳴らされても、あわてて発車しないで、常に自分の目と判断力で運転するようにと。
ではこちらもよろしくね
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チキン、おいしく出来てました。ごろごろしてるのはしんじゃが。でもちょっと脂っぽかったので、次回は工夫します。 |
4 件のコメント:
「人は自分の見たいものしか見えない」
…真理ですが、他人の立場でものを考える事できないとこうなります。
車に関していうと、相手の動きを創造できない自分勝手な人はいますが、「親が危篤で急いでいるんだなぁ」と
いつも思うことにしています。
私は、「奥さんが産気づいたのかな」と思います。実際に自分が破水して陣痛始まって、慌てて病院に行ったことがありますから。
私は他人迷惑なぶっ飛ばしドライバーがいたら、まだ若いのかアホなんだな、ということで特に気になりません。自分も若い頃はそうだったので、相手にするだけ無駄だなと。
あくあさん、若い頃そうだったの?でもむやみにクラクション鳴らしたりしなかったでしょ。
時々ラウンドアバウトで出るところわからなかったり、大きい道で車線間違えたりして、クラクションならされて、「ごもっともです」と思うときもあるわ。
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