2012年12月12日水曜日

思い出の品最後の断捨離

こんまりさんの本によると、断捨離の最終段階は思い出の品。私も写真を片付け、子供達の絵を片付け、最後はいよいよ手紙です。といっても毎年受け取るクリスマスカードは1月には捨ててるし、ここ10年くらい個人的な手紙というのはあんまり受け取ってないので、数は多くないです。

最後の最後まで残っていたのは、3年前に亡くなった高校の友達からの手紙です。

彼女は2003年に白血病になりました。それから亡くなるまでの5年くらいの間に約10通くらい手紙を受け取りました。別にそのくらい大した量でもないから捨てなくてもよかったのかもしれません。でも持っていても読み返すことがないのも事実。それに彼女だって、私に死後、今までの手紙全部を持っていて欲しいとも思ってないことでしょう。

それで今日はその手紙全部に目を通し、最後の1通と、プリクラの家族で撮った写真の入った一通だけ残して捨てました。手紙を読むと、彼女の病状の経緯がよくわかりました。その時はたまにぽつぽつ手紙受け取るだけだから、経緯なんて考えもしなかったけど。でもそれはそれで興味深くはあったけど、結局は過去の、もう今では何の意味もないことです。

彼女からは今までもいろんな(特に子供達に)プレゼントとか、手作りのものとかもらったのだけど、それも徐々に処分してきました。

彼女が亡くなって 数ヵ月後にPCが壊れて、それまで受け取ったたくさんの彼女からのメールが消えて、少しショックだったことがありました。それでその翌日、鏡に向かいながらそのことを考えていたら、彼女とおそろいで買ったその時していたローズクォーツのペンダントがポトリと首から落ちたのです。首からわけも無くネックレスが落ちることってないですよね。なので、その友達が、「そんなしょうもないことでがっかりしなや。」といってくれてるような気がしました。

で、彼女の手紙を処分した途端、捨てようかなあどうしようかなあとちょっと迷っていたようなものを、一気に捨てたくなりました。あの子の手紙を捨てられるくらいなんだから、他の家財道具ぐらいいくらでも捨てられるという気になったみたいです。

でも、なぜそんなにしてまで物を捨てるの?って思われるかもしれません。たしかに、初めはとにかく散らかった家を片付けるためには、まず物を減らさないことにはどうにもならないっていうのはあります。でもしばらくするとそれも収まってくるし、とくにうちは屋根裏もあって収納場所は多いし、手紙が10通減ったところで変化ないといわれればその通り。

でも、一旦物が減ってくると、たとえば引き出しの中がパンパンなのが嫌になってくるんです。引き出しの中も戸棚の中も、風通しよくゆるゆるに収納したくなってくる。そしてなんにも物が乗っていない棚なんかが欲しくなってくる。

たかが物。でもそれを捨て始めると、なかなか捨てられない自分に気づく。それは結構驚きというか意外な発見でした。捨てられないのは、結局は「せっかく買ったのに」とか「そのうち必要になるかもしれない」っていうのがたいていの理由です。それはつまり過去の自分の行動にこだわってるわけでもあり、将来の自分に、「その時に必要なものを引き寄せる(調達できる)自信がない」ということです。

そういうわけで、物を捨てることによって、 「ときめく」物だけを厳選することによって、ちょっと自分が変われるんじゃないかな、一皮向けるんじゃないかなっていう期待も抱いて、断捨離ってみなさんしてるんじゃないでしょうか。

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2 件のコメント:

あくあ さんのコメント...

なんか、感動的な話でした。特にネックレスが落ちるところ。やっぱり彼女からのメッセージなのかなぁ?

ほんとそういう気持ちで過去を整理すべきですね。私も手紙捨てよう。

しかし、私は洋服を捨てすぎて、結構困ってますよ・・・。持ってた服の半分以上捨てた気がする・・。

あ、また地震だ!

Atsuko さんのコメント...

ありがとう。やっぱり彼女からのメッセージだと私はとったけどね。

精神病になると物が捨てられなくなるみたいですよね。よくイギリスでそういうテレビやってます。もう家中がすごいゴミの山で、折れた傘でも10年前の新聞でも「何かの役に立つから」と回りに捨てさせないような人たち。

まあ普通の人はそんなこととは無縁だけど、でも物への執着って結局過去への執着と将来への不安、ただそれだけのような気がしてきました。深いね。たかが物なのに。

私も洋服捨てすぎてちょっと困ってるけど、でも物がなくて困るのって、「あら、困った」という程度のものだからね。全然大したことないよ。