2009年5月15日金曜日

先日の話の続きとボブディラン


先日の飛び降り自殺した人のことが昨日出た地方紙の一面の端のほうに載っていました。
54歳の地元の男性でした。私が見たのは1時半で、そのときはパトカー1台、おまわりさんは二人だったのですが、その後パトカーが3台くらい、救急車も来て、橋の下で救急車とおまわりさんが待機していたそうです。
警察を呼んだのは彼自身。自殺する前に警察に電話し、妹を慰めるように友達に連絡してくれと通報したそうです。それではじめに駆けつけたのは地元のおまわりさんだろうけど、その後こういった交渉のプロのおまわりさんもやってきたそうです。
新聞には3時過ぎに飛び降りたとのことなので、2時間近くも警察とすったもんだがあったんでしょうね。新聞によると、その場にいたおまわりさんはかなりショックを受けているとか。そりゃあショックでしょう。交渉のプロはともかく、そうでない普通の巡査のおまわりさんは特に。
でも警察に自分で通報したというところが、なんか変というか、哀れというか。こういうの英語ではcry for helpというんです。狂言自殺とまではいわないけれど、本当に死にたいんじゃなくて、もう自分で切羽詰ってどうしようもなくなって、命を張って助けを求めるということです。もしも本当に死にたいんだったら、その友人に直接連絡するか遺書を残して、人目のつかないところで死ぬでしょうね。
それに3日前のブログに高架の高さが「50メートルくらいかな」とかきましたが、新聞を見ると25フィート、つまり10メートルもないらしいんです。(写真でご覧のとおり。)それにビデフォードにはこれとは別に川にかかる大きい橋があって、こちらは本当に50メートル近く(?)ある。こちらのほうが自殺の名所で、2年に1件位かな、自殺があります。本当に死ぬ気ならこちらで飛び降りるでしょうね。
それでこんなことになったんだろうなあ。かわいそうに。本当は死にたくなかったけど、警察と話しているうちにだんだんいろんなことが腹が立ったりいやになったりして、もうやけくそになって飛び降りちゃったんだろうなあ。
私最近、こんな風に生と死の壁の薄いところにいる人に遭遇することが続いているのです。引き寄せの法則で、こういう話すればするほどそういう人に引き寄せられそうなので、もうやめなければ。
でも世の中の物事はどんなことでも両極があります。光が強くなると影も強くなる。死について考えるときは同時に生についても考えている。命について考えると、死もついてくる。だからこういうことが続くのかな。
死について語るときは、命について深く思う。人の死に直面するたびに、生きている限りはは、ほんの一瞬たりとも、いやなことや不満や将来の不安について考えて時間を無駄にすることなく、できる限り楽しいこと、いいことに心を向けようと、あらためて思います。
「生きてるうちが花、死んじゃえばすべておしまい」とはぜんぜん思っていませんが、「私」という殻の中で生きている時には、そのときにしかできないことがある。この現世では、ここでできる限り生き生きと思いっきり生きたい。
はなしはごろんと変わりますが、昨日友達にメールでブログに載せるといった詩を載せます。高校のときの同級生で、最近になって文章を書くことでいろいろ相談に乗ってもらっている人です。昔からお互いに音楽ファン、ロックファンで、そういう話しよくしました。私はそのころはブルーススプリングスティーンとダリルホールが好きで、彼女は通にプログレが好きで、ELP(知ってるひといるかなあ)ファンだったんです。でも最近になってお互いそのころはぜんぜん興味のなかったボブディランが好きだという話になって、驚くやら、年を感じるやら。
それで、ボブディランというタイトルの詩を書いたので、載せるという約束をしたのでした。
ボブ・ディラン

微笑まないユダヤ人
神をチャネルする
それほどの才能のあることの
それほどの前が見れることの
責任をあなたは負わない

逃げよ
つかまらず
ただ自由であることを証明するだけのために

自分の声で自分の歌を歌い続けるために
自分の歌を自分のものにし続けるために

愛を歌わない
反戦を掲げない
時代を代弁しない

歌わないために
笑わないために
語らないために

走り続けよ
評論家もファンも
誰も追いつけないスピードで

変わり続けよ
批判され続けよ
失望させ続けよ
裏切り続けよ

あなたが潔く捨てていくものを
振り返らずに
後にしていくものを
拾い上げることで
私たちは魂の枷を少しだけゆるめる


少しでもあなたを捕らえようとするものから
永遠に逃げ続けよ

3 件のコメント:

こんの さんのコメント...

「命と死」のことを書くって、ほんと難しいなぁと思いますです
「死」って未経験のことだから、何をどう書いても、それは書く人の「思い」(または考え」でしかない

あつこさんが、ころっとちがうこと(詩)を書くのも、誰かと約束したからというだけでない必然を感じます

いつ読んでも「面白い」ブログですねぇ

あくあ さんのコメント...

そういう事情だったんですね・・・。まったく現実に起こったことのように感じられませんが、実際に、亡くなる直前のその人を見ているんですから、なおさら妙な感じですよね・・・。

Atsuko さんのコメント...

こんのさん、面白いといっていただいてありがとうございます。
 
実は10代後半のころ、私は早死にするもんだと思っていたころがあったんです。子供のころ病弱だったのもあるけど、なんとなく自分でも「生き急いでるなあ」という感じがしたんです。

でも今はぜんぜんそんなこと思っていなくて、ただやりたいことが多くて貪欲なんだなあと思っていますが。

あくあさん、そうなんです。かきかけたことが、とりあえず最後までレポートできたのはよかったんですけど、やっぱり私の悪い予感が当たってしまったんですよね。なんとなくあの時見た姿が、しばらく頭から離れなさそう。