2009年8月4日火曜日

村上春樹論

村上春樹の1Q84読み終わりました。SF でも推理小説でもないのに、次々読ませていくのはさすがだと思いました。難解な本ではなく、むしろ読みやすいけれど、一筋縄ではいかない本なので、また時間を空けて読み直したいと思います。ある本についての評価が、自分の中で時間とともに変ることは当然ですが、残念ながら、もう一度読み直したいと思うような小説は少ないのですが、これはそれに値すると思います。

彼の本についての一般的な批判としては、あまりにファンタジー過ぎてわかりにくいという話を聞きますが、これはかなり的を外れた批判だと思います。(この同じような批判が、この小説の中の「空気さなぎ」という本についてでてくる。)この本に限らず、彼の本は現実世界の話ではなく、ほとんどすべてがメタファーなんです。この本はその辺のところを、かなりはっきり「これはメタファーなんだよ」と、大声で叫んでいるような気がします。

この本の内容とはちょっとずれますが、村上春樹ってひきつけられるキャラクターがよく出てきますが、女性主人公に関しては、なんだか今ひとつ感情移入できないというか、魅力のある人がいないように思います。それはもしかすると、彼女達は誰もが複雑な事情を持っていて、少し突き放したような、ミステリアスなところがあるからかもしれません。この小説の主人公も、私にとっては今ひとつ魅力がない。

その一方では、主人公以外の脇役に面白い人が沢山出てくる。たとえばこの小説で言えば、「ふかえり」とか、「たまる」とか。海辺のカフカでは、大森さん、猫語のわかるナカタさん、そして星野君という超魅力的なキャラクターがいました。でも1Q84をとっても、なぜか主人公は、心惹かれなくもないけれど、結局は人間的魅力に欠ける人たちに思えます。平たく言えば覇気がない。もしも実際に知り合いなら、箸にも棒にもかからない人と思うかもしれない。でももしかしたら、それが面白い小説を書く秘訣のようなものなのかもしれません。主人公というのは、結局語り手、観察者でもあるわけですからね。 周りの人が面白いほうが、小説としては面白くなるのかも。

それから、「ノルエーの森」、「カフカ」、そしてちょっとマイナーですが私の好きな「国境の南、太陽の西」、そしてこの1Q84、どれもテーマが、幼い、もしくは若い頃の恋愛、出会いの永遠性にあります。理由を超えて圧倒的にひきつけられる何か、そしてそれは生まれたときから決まっていたように、決定的であり、最終的。行ってみれば「運命の赤い糸」のようなもの。そしてその「恋愛」は、どれも何らかの形でだめになり、主人公達がそれによって失われていくのですが、それでも完全に失われきってしまうのではなく、その愛の残り火のようなものを抱えて生きるとがテーマになります。

といっても、もちろんそんな一筋縄ではいくような話ではないので、これはあくまで私の印象なんですけど。

私は村上春樹、ほとんどデビュー時代からのファンなんですけど、その彼ももう50歳を超えました。その作家生活の長い彼が、それでも一貫して、「絶対的出会い、宿命的愛」について書いているというのは、なんだかとても勇気付けられるものがあります。多くの芸術家や音楽化がそうであるように、彼も何かをチャネルしているというか、天啓を受けて書いているのでしょう。

最近はあまり小説、フィクションは読んでいないので、読書家とは自称しませんが、それでも私がいまだに彼の小説が好きなのは、彼の小説の何かが、心というか魂というか、とにかく私の中の内なるものをあれこれ揺さぶるからです。彼以外のどの小説を読んでも、感動はしても、こんなに個人的に揺さぶられることはないんです。こういうもの、ある意味では、運命の結びつきなんでしょうね。

もしも村上春樹なんてメジャーな作家は読みたくないよという天邪鬼な人がいれば、そういわず文庫になったら、読んでみてください。

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