昨日、雉猟(きじ)のことを書きましたが、誤解があるといけないので、書き足します。
日本でもよく知られていることかもしれませんが、イギリスは基本的に動物愛護の気持ちが強い国です。動物保護関係のチャリティー団体はたくさんあるし、菜食主義者も多いです。
国家としては、動物保護の法律は世界でも一番厳しいほうだと思います。ペットや家畜をひどい扱いをしたり、ネグレクトをすると、近所の人がRSPCA(動物を虐待から守るチャリティー団体)にすぐに通報するし、ひどいときは警察沙汰になって、裁判にかけられます。個人や農家だけでなく、家畜のトサツ(漢字変換できないよ~)にも、動物が苦しまないようないろいろな規制があります。
私なんか、実は犬があんまり好きじゃないんだけど、それを人に言うことはありません。別に怖いとか憎いとかじゃなくて、知らない犬でも「ま~、かわいい~、いらっしゃ~い」というほどじゃない、犬に対して、特に愛情がないって言うだけなのに、そういうことを口にすると、「子供が嫌い」というのと同じような目で見られますよ。
下手すると、肉食するというだけで、批判的な目で見られたり、肩身の狭い思いさせられたりします
でも一方で、ヨーロッパの貴族の伝統や文化として、狩というものが存在するのです。狩をするのは、(特に鹿や狐狩は)もちろん貴族階級か、すごいお金持ち。まあ、スポーツカーやヨットみたいに、一台買って終わりって物じゃなくて、土地や屋敷や馬や厩や、それらを管理したり世話したりする人を雇ったりするから、日本のお金持ちくらいじゃやれるような趣味じゃないです。(ただし雉狩の背景は、農民の害鳥退治にも関係あるかもしれません。)
イギリスでも、一般人にはぜんぜん縁のない世界です。
それが、こういった動物愛護の背景で行われるから、すごい摩擦があります。狩が階級社会の象徴であることも、その摩擦の背景にはあります。
鹿と狐狩は、何年も国会で議論されては時間切れで流れて、どちらも10~20年くらい前に、すったもんだのすえに禁止になりました。でも、禁止になったとはいえ、狐狩りは法律の目を潜り抜けて、まだ行われてるとも言われています。
すったもんだになった理由は、国会に貴族階級や上流階級とつながる人が多いこともあるかもしれませんが、日本の捕鯨と同じように、文化として成り立っているものを急に違法にすることへの抵抗が大きかったと思います。
たとえば狐狩の場合は、一度の狩に30頭とかのハウンド犬と人数分の馬が必要ですから、それだけの動物を常時世話する人が雇用されているわけだし、その他の銃や馬具、猟のコスチュームなどなど、経済的インパクトも大きいわけです。
長くなったけど。
まあそういうわけで、雉狩りが私の家の近くで行われてるからって、イギリス人が動物の血に飢えた、残酷な国民というわけでは全然ないのです。
そういう対極が存在するって言うのは、けっこうイギリスらしいといえるかもしれません。
ではこちらもよろしくね。
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2 件のコメント:
なるほどねぇ。奴隷制度と似てる気もするけれど。昔の価値観と現代の価値観の差というか。
全然関係ないんだけど、今日、山崎豊子さんについてのドキュメンタリーを見ていて、彼女が小説に描いた元軍人への取材時のインタビューの録音が流れてたんですよ。山崎さんはその人のことをシベリアで死んだ仲間へ強い思いを寄せながらも日本のビジネス界で成功し、引退後、まだ戦争への思いが深く、シベリアに行くというように描いてるんだけど、その人本人は、軍人のときに自分がやった戦略がいかに素晴らしかったかを自慢し、ビジネスも同じで大局を掴んで戦略を立てるんだと自信満々で話してたんです。要するに戦略家であり、勝負に勝つのが好きな男性のようで、生まれ変わっても大本営参謀になりたい、但し勝つ戦争のね、と言ってたんですよね。何と言うか、戦争はいけないという現代的な価値観をベースに美談として描きたいのは分かるけど、本人は根っからの軍人なだけなのかもしれない・・というか。
なんか、価値観が全く相容れないという意味において、通じるものがあるような。
価値観といえば、戦争に関する価値観も、イギリスに長く身を置いて考えれば、日本の価値観が世界でも稀なんじゃないかと思っています。いい悪いじゃなくてね。ただ、今後の防衛に関するディベートにおいてすら、感情的になるのはよくないなあとおもうけど。
その人のような価値観は、日本では珍しいけど、世界的、特に第一次大戦前までの価値観としては、結構よくあることだったのかも。「戦争と平和」とか。って、またトルストイがでてきたか。昨日の狩の話でも、トルストイが頭にあってんけどね。
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