2013年10月13日日曜日

不幸について再び

数日前、不幸について書かれた子供向けの短編小説について書きました。病気や貧乏は自分で努力や注意で避けられるけど、不幸は避けられない。そういう話でした。

これって取り様によっては、どうにも出口のない、ネガティブな話なんだけど、私はなんか、すきっとする話に取りました。

天災とか事故とか、世の中にはいろいろ、自分ではどうしようもないどころか、やってくる前兆すらなく襲ってくる不幸というのがあるのです。ということは、あれこれ努力しても意味ないって言うこと。

こうして考えてみると、自分を含めた大人のの生活でストレスの原因になってることって、「何とかして不幸を避けよう」と言う努力から来てるような気がするんですよ。 不幸って言うと言葉が大きいけど、トラブルを避けるというか。

具体的に言うと、「何かの時のための貯蓄」。何か楽しい目的があっての貯蓄ではなくて、事故だとか天災とか病気になったときのためのヘッジ。それから似たようなことでは、イギリスはすごく保険産業が盛んで、イギリス人ってきっと日本人よりいろんなものに保険かけてると思うんだけど、これももちろんヘッジ。

健康のためにエクササイズや、健康食やダイエット。こういうのが好きでやってる人はいいんだけど(私もそう]、いやいや健康のためにやってる人。

でもそれよりも何よりも、頭の中が一番問題だと思います。人間って、どちらに転がるか分からないことを心配するじゃないですか。最悪の事態とか想像したり、頭の中でシュミレーションしたり。50・50なら必ずと言っていいほど悪いほうに心配するし、それ以上の確率なら、もう心配で心配で寝られなかったり。

心配してもどうにもならないとわかっていても、まるで心配することによって、少しでもその不幸を避けることができるかのように。

不幸なんて、自分の努力に関係なくやってくるんだから、心配してもしょうがない。だから、不安なことからは目をそらして、楽しいことに目を向けて生きていくべき。そう思うとちょっと楽になりませんか?

そして不幸が来てしまったら。。。。その時はその時で、自分の力を信じて、何とか対処していくのみ。世の中たいていのことは何とかなるもんだし、今まで何とかやってきたんだから、これからだって大丈夫のはず。

・・・・・って、まあ、頭ではわかってるんですけどね。

ではよろしければこちらのクリックお願いしたします。
 
人気ブログランキングへ

4 件のコメント:

本読みと山歩き さんのコメント...

どんなに幸せな(見える)人にも、その人の立場にたてば不幸なことはある、そんな不幸に(見える人)幸せなこともある。自分の立ち位置からの相対比較しかできません。
絶対比較できない、その人が不幸か幸福かはわからないわけです。
〝自分の選んだ道が最善の道”と思うように生きて往くように心がけております。

あくあ さんのコメント...

不幸というより、トラブルと言ってくれた方が意味がわかったけど、あつこ、意外と心配症なのね。引き寄せの法則的にはいかんでしょ。

普通の人はそんなに心配するものなのかな。

私は「なるようになるさ」「ケセラケラ」な感じですねえ。

Atsuko さんのコメント...

山歩きさん、おっしゃるとおりですね。ストレスの度合いも同じ状況でもほとんど感じない人もいるし。

「何を選んでも、それをいちばんいい選択にしないといけない。」ということですね。

Atsuko さんのコメント...

前回書いたときは「不幸」と言う意味だったんだけど、ここではトラブルとか不幸とかまあいろいろ込めて。

分野によってはすごい心配性だけど、分野によっては全然心配してない分野もあるんですよ。老後とか全然心配してないし、家計簿もつけないし。

数年前一時期は心配性と言うよりは、神経過敏症なんじゃないかと思うほどの時がありましたよ。コーネンキとかと関係あるのかなあと思ってましたが、どうなのかなあ。