数週間前にエイブラハムの教えの話で、ヴォルテックスの本に出てくる「誤った思い込み」について数日連続して書きました。
それで今度は私の中の個人的な「誤った思い込み」について考えてみました。
いくつかある中で一番大きいのはお金に関することだと思います。あげてみると、
「お金は(硬貨など)汚いもの」
「お金で幸せは買えない」
「お金の話をするのはいやらしい」
「お金など世俗的な下等なもの。」
「ヨガの先生やセラピストなどはお金のことを考えてはいけない」
「お金はスピリチュアルではない」
「お金は木にならない Money doesn't grow on trees」
「倹約は美徳、贅沢は罪悪」
「備えあれば憂いなし」
「お金とは身を粉にして働いて 稼ぐもの」
「お金は爪に灯をともすようにして貯めるもの」
ああ、たくさんありました。つまり要約すると、「お金は世俗的な下等なもので、スピリチュアルとは程遠いところにある。その一方で、お金は簡単には手に入らず、時間を切り売りしてせっせと働いて初めて入ってきて、それを節約して貯めないと、何かあったときにとんでもないことになる。」
どういうわけでそう思い込むようになったか考えても仕方がないとエイブラハムはいいますが、前半はたぶん自分でそう考えるようになり、後半は周りの影響で考えができていったのだと思います。
スピリチュアル云々というのはヴォルテックスの中にも書いてありました。あらゆるものはお金も含めてスピリチュアル。だからお金を汚いものと考えることは間違っていました。そして自分がお金持ちになったからって、そのせいで他の人の取り分が減るわけでもない。お金をはじめとするあらゆるよいものの源は無限なんですから。
そして後半の倹約は美徳云々も、最近は考えを改めました。世の中には素敵なものがたくさんあり、やりたいこと、行きたいところもたくさんある。お金があれば幸せになれるっていうわけではないけど、自由になる部分はたくさんあるし、お金があれば実現する夢もたくさんある。ひとつでも多く夢を実現させるために生まれてきたのだから、お金もそのための手段の一つです。
エイブラハムに出会うまでは私の金銭に関する夢というか希望は「嫌な仕事をしないで、好きな仕事をして食べていけること。」でした。それはそれでなかなか立派な希望だと思いますし、今の生活を見てみるとその夢はかなったといっても良いでしょう。でもそのせいで、結構自分に贅沢を禁じてた部分が大きい。
それが今は「お金の心配をぜんぜんしないで、欲しいものを自由に手に入れられるようになりたい。」に変わりました。
「思考が現実化する」という話の流れから行くと、そのスタートの時点で大きくポジティブに変わったので、これからはどんどん私の経済状況はよくなって、そろそろ新車のゴルフが買えるくらいにはなる・・・・・・と良いんだけど。
ところでこの思い込みの一番最初の「硬貨は汚い」というのは母から教え込まれました。お金はたくさんの人が触るから汚いから、すぐに手を洗わなければいけないって。で、ごく最近になってこれって間違った思い込みだなあと思いました。だってそれなら図書館の本なんて読めないし、地下鉄のつり革や自動販売機のボタンなんて触れないことになりますよ。
子供の頃からの刷り込みで、お金をちょっとでも触ったら石鹸で手を洗わないと気持ち悪かったんですが、これをやめようと思います。こうして少しでもお金との関係とフレンドリーにしていきたいです。
写真はトマト鍋。クリスマス前に母がトマト鍋のレトルトのもとを送ってくれて食べたらおいしかったんですが、 わざわざ日本から送らなくてもこちらでもできそうな味だなあと思ってレシピを調べたらいろいろありました。とってもおいしかったです。
7 件のコメント:
おはようございます。
今、お金がなくって困っています。
お金とは「物の交換価値を客観的に表す尺度でああり、ツール」である。
長い歴史の中で、人はそれぞれの意義をその中に見出しますが、それ以上でもそれ以下でもないと思っております。
つぶれた冷蔵を買い替え、ブラウン管のテレビを地デジ対応液晶テレビに、なかった車を購入し…、もうちょっと貯蓄機能を有効に使えばよかったと反省の今日この頃です。(笑)
山歩きさん、お金はエネルギーの交換のツールだと思うんですよ。でもお金ほど誰もがそれぞれに思い込みや思い入れを持っているものもないと思います。
それにしてもいまさらですが、子供がいるととんでもなくお金がかかると思いませんか?学費や習い事といった大きいことだけでなく、旅行でも外食でも一人のときの3倍(連れ合いも入れれば4倍)もかかる。喫茶店でお茶飲んだり31のアイスクリーム食べたり、子供がいるとどうしようかなって考えますよね。
引越ししたらお金かかりますね。まあクレジットもありますから・・・
すごいなぁ、そんなにひどい思いこみ持ってたのかぁ・・・。私は商売人の娘なのでそんなふうには全然思ってないけど、でも父譲りでお金があるとすぐに欲しいものを買ってしまうので入ってくるお金の割にお金が残りません。この前読んだ本の影響で今年は1/4貯金を始めてみました。でも、アブラハムを信じるなら別に貯めなくてもきっと必要な時に必要なだけ入ってくると思うんだけどね。今までもそうだったし。それってそう思い込んでたからだろうね。きっと。
あくあさん、たぶん私のように考える人のほうが多いと思うんですよ。特に昔の人やバブルがはじけてから生まれた世代の人は。
あくあさんの経済状況と私の経済状況を比べると、やっぱり考え方の差が実現してる良い例でしょうね。今までうまく廻ってきてるんだから、貯金とか考えないほうが良いかも?
でも私も信じ込みを変えましたから、これからはがっぽり行きますよ。
そういうふうに考えている人の方が多いのかなぁ?少なくとも私の周りにはいなさそうだけど。「お金で幸せは買えない」「備えあれば憂いなし」と思ってる人はいっぱいいると思うけど、ていうか私も思ってるけど。一番多いのはお金は欲しいけど、いつも足りないっていう人じゃないかな。おそらく、いつも必要なだけはあるって感じるのがいいんでしょうね。
思い出した。うちは子供の頃というかおじいちゃんが死ぬまでだから大学生くらいまでずっと、おじいちゃんが毎年お正月に必ず「つかみどり」と言って、小さなバケツに硬貨をいっぱいに入れたものから親戚中のおじさん、おばさん、子供たちが競ってお金を掴んで取り、取った分だけもらえるというゲームをやってましたよ。いかにうまくたくさん取るかいろいろ工夫していました。育てられ方によって随分と価値観が変わるよね。
あくあさん、お金が必要なだけいつでもあるって思ってる人はすごく少ないだろうね。でもそう考えられたらいいね。
その硬貨のつかみ取り、いいね。でもバケツいっぱいなんてなかなかすごい量のお金。
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