11月11日は戦没者追悼の日で、その前の日曜の今日、あちこちでセレモニーが行われます。
私は外国人だし、しかも戦時は敵国だった国の国民ですから、この日はなんとなく居心地が悪く、できるだけひっそりと普通に過ごすようにしています。でも今年は、チャーリーが水泳クラブの女子キャプテンを務めているので、クラブを代表してセレモニーに出席して、ポピーの花輪を献花する役目をおおせ使いました。なので私も初めて、このセレモニーに参加・・・というか、遠巻きに見ることになりました。
写真のように兵隊や、消防隊、カブスカウト、その他、いろんな団体がマーチし、その後に市長やら町の偉いさんとか、そして昔の元兵隊(すごい年ですね)がそれに続いて、公園にやってきました。
そこで整列し、教会関係者のスピーチの後、順番にポピーのリースがささげられました。
こういった戦争に関することに接するたび、日本とイギリスとの違い、戦勝国と敗戦国の違いをつくづく感じさせられます。
イギリスでは、兵隊も過去の戦争も軍隊も、すべてひっくるめて「栄誉」あること と捉えらえられています。今日のスピーチにもあった、「わが国のために命をささげた兵隊達」「平和のための戦い」などの言葉が、知的階級にもそうでない階級にも、まったく何の違和感もなく受け入れられています。自分の頭でよく考察してみれば、これはいろんな矛盾を含む言葉だと、少なくとも疑問を感じても良いようなものなのに、おそらく99パーセントの国民は、まったく何の疑問も持っていません。
しかし考えてみれば、一方の日本での、「日本は平和憲法に守られている」と、軍備や改憲への頭からの反対や、アレルギー反応も、立場は違えど、無責任に一般論を鵜呑みにしているということでは同じことです。
私を含め、日本人もイギリス人も大半の人が、「教育」された社会的観念や、マスコミなどを通して入ってくる表面的な社会的論調を、特に疑問視することも、深く考察することもなく、受け入れてるんじゃないでしょうか。
もちろん政府を含め、支配者階級にとっては、国民がそういう問題は深く考えず、一般的な世論に流れてくれるのが一番ありがたいわけでもあります。
そんなことを考えていると、この記念碑の周りの花壇に、10センチくらいの高さの、真ん中に小さいポピーの飾られた十字架がたくさん立っているのに気が付きました。戦争で死んだ兵隊達のお墓の レプリカです。
戦争で死んでいくのは二十歳前後の若者たち。自分の息子がそれに近い年ですから、その両親の悲しみがひしひしと胸にしみました。やっと大人になって、これから大きい将来が開けていくという年での死。無念、無念、無念。
どんなに美しい言葉で飾っても、「無駄死」以外の何物でもありません。
戦争って、やっぱり人類の狂気でしかないと思います。子供を戦争で失うお母さんがこの世で少しでも減ることを祈ります。
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2 件のコメント:
特に何かないとそんなにひっそりしてなきゃいけないものなのか。
私は原爆を落としたアメリカ人に反省しろと言わんばかりの日本人を見ると、remember pearl harborと言いたくなるんですよね。お互い様だろというか・・・。
戦争はほんとやめて欲しいけど、未だにやってる国があるしね。テロもあるし。
人間のサガなのか・・・いい加減学べよ、と思うけど、会社の中のポリティックスをみてるだけでも、人間のサガは変わってないと思っちゃうね・・・
原爆のことは確かに悲惨な過去ではあるけど、マスコミがいまだに「あの日をさかのぼる」とかの特集をやって、それが被害者意識をぜんぜん超えてないのは、本当にマスコミがあほなのか、それとも読者をだましてるのかと、あきれる。
ヨーロッパの難民問題とか、それも中東からの難民やし、本当に戦争がまた起こってもおかしくないレベルと思うと、怖いよね。
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