夏前に近所の知り合いの女性が悪性脳腫瘍になりました。仲がいいというほどの仲でもないのですが、村のホールの世話役をやってくれている関係で、時々話をします。共通の知り合いがいるので、結構お互いの内情は聞いています。
夏休みが終わり日本に帰ってきて、その人のことが気になったので、共通の友人に聞いてみました。
癌は進行が早くしかも場所が悪いので、手術で摘出することも放射線療法もできないとのこと。抗がん剤だけしか治療の方法は残っていないのだけど、それをすると副作用が激しく、延命効果も知れているそうです。
それで彼女は、何も治療しないという選択をしました。延命効果が限られてるなら、副作用で苦しい思いをするよりも、残された日々を大切に行きたいという決断です。
それで、まず葬式の指示をはじめ、必要な事務的事項はすべて済ませました。そして今は、できるだけ普段どおりに、でも今まで以上に毎日を楽しむように生活しているそうです。
先日はだんなさんと遠出して、有名なシェフが腕を振るうレストランに行ってきました。レストランに着くと、彼女たちがその日そこに行くことを知っていたお姉さんたちが、テーブルに飾る特別の花や、持って帰るお土産を頼んでいてくれたそうです。
そんな風に元気な限り、今まで控えていた贅沢なことも存分に楽しむようです。
そういう決断をした彼女の強さも、それを認めた家族たちも、すごいと思います。
このことを聞いた後、考えていました。
彼女がこの決断をしたのは、副作用で苦しい日々なら生きていてもしょうがないと思ったからですが、私の今までの人生を振り返って、「この日は生きていないほうがよかった。」って思ったことあったかな。
戦争とか飢餓とか命にかかわる重病をしたわけじゃないけど、一般的な意味の不幸も味わってきたけど、「こんな日ならないほうがいい。」と思った日はなかったんじゃないかな。死にたいと思ったことはないけど、「しばらくこの世から消えたい」と思ったことはあったかな。でもそんな日でも、なにやら一つや二つは、生きてる価値のあることがあったんじゃないかな。
そういう意味では、私は幸せな、意義のある人生を送っているのかもしれません。
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2 件のコメント:
そういう決断って難しいのかなぁ。普通に健康に生きてるときは、もうダメってわかったら、無駄な延命治療なんかせずにその人のように生きたいと思ってるけど、いざとなったら悩むんだろうか・・・?
以前、初期よりはちょっと進んだ乳がんになった友人が、抗がん剤治療をせずに自然療法的なものに走ろうかとしていたときは止めました。だって、そのくらいの乳がんなら、今は抗がん剤と手術で治っちゃうし、その後、何十年だって生きられるんだから、わけわからん自然療法的なものに逃げ込むのはいくらなんでも早すぎると思ったのでね。でも、本人にしたら、その辺の冷静な判断も出来かねるほどの精神状態になっちゃうのかもしれないけど。
私達は幸せですよ。生きてない方が良かったと思うほどの苦しみにあったことがないというより、何があってもそんなこと思わないくらい強いんだと思うわ。
私もそういう決断ができるようでいたいけど、やっぱりなかなか普通の人は、死の恐怖や生への執着があるんじゃない。
その人は60代半ば。微妙な年やけど、子供もいないし、心配なのはだんなさんだけやし、その辺は決断しやすいやろうね。まだ若くて、子供や孫がいたら、心配もあるし、この子達の将来を少しでも見届けたいという欲もでるだろうし。
強い。。。かな。たしかに、エイブラハムなどの影響で、強くなってるかな。
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