空を越えて、ラララ
星のかたな
行くぞ、アトム、ジェットの限り
心優し
ラララ
科学の子
十万馬力だ鉄腕アトム
(谷川俊太郎)
この詩を読んで、あの音楽が頭に自然に流れてこない人は一体日本に何人くらいいるでしょう。
この上記の文章は谷川俊太郎の詩集のあとがきに載っていました。本当にそうですよね。最近の子供達(10歳以下)は例外かもしれませんが、少なくとも私の年代上下20年くらいの人はみんなあの音楽が頭に浮かんでくることでしょう。
それで他にもそういう歌詞があるかなあと思ってみたのですが、童謡の赤とんぼやめだかの学校などを除くとなかなか思い浮かびません。 しかも童謡の場合は学校で歌わされたので、自然と身についていたとはいえません。
無理やり頭をひねると・・・
「お魚くわえたドラ猫、追いかけて・・・・ 」
「きゅう、きゅう、きゅう。お化けのQ。僕はお化けのQ太郎・・・」
なんてのが浮かびますが 、それでもたぶんアトムの曲の浸透度にはぜんぜん及ばない気がします。(ちなみに上はサザエさん)
わたしは実は年代的にはちょっとアトムより下の年代なので、テレビでアニメを見たことは数回しかないし、ほとんど記憶もありません。おそらくテレビでこの曲を聴いたこともない。それでもこの詞を節なしで音読することなんて不可能です。
それって考えてみたらすごい。
それにこれは贔屓目かもしれないけれど、やっぱり詞の格が違うと思いませんか?一つ一つの言葉を取るとどのフレーズも特に目新しい表現はないですよね。空を越えても、星のかなたも、ありふれてると言えばありふれた表現。でも科学の子・・・・これはなかなかユニークな言葉でぴったりだと思います。
それでそれを全部つなげて詩にすると、言葉の世界以上のものが、なんだか心が広々するような感じがします。私のつたない説明じゃわかりにくければ、「お魚くわえたドラ猫追いかけて」と比べてみてください。なんかやっぱり心に伝わってくるものが違うじゃないですか。
手塚治虫ってアトム以外にももちろん作品を書いたけど、アトム以上に愛され評価されてるものってないですよね。(私は実は個人的にはリボンの騎士が無茶苦茶好きだったんですが。)これってもしかすると、その理由のひとつはこの谷川俊太郎の詩じゃないか。そういう気がします。
じゃあさあ。リボンの騎士にも谷川俊太郎が歌詞を書いたらもっと歴史上に残る名作になって、今でもリバイバルとかされたり、簡単に昔のビデオが手に入ったりするんじゃないの・・・・なんてことを考えてみましたが、実は谷川俊太郎は最近では宮崎駿作品の歌詞など、いろいろ幅広くやったようです。校歌もいろいろ依頼されて書いたらしい。
だから谷川俊太郎なら大ヒットって言うわけでもないし、誰が書いたって校歌は校歌で、あんまり歌いたくはないだろうなあ。
話は詩から大きく変わって・・・・
今日は阪神はやっと勝って連敗を脱出。不遇の岩田君にも勝ちがつきました。(涙)。自力優勝の可能性どころか、自力2位の可能性もないらしいですが、阪神ファンはしつこいです。自力でも他力でもなんでもええ。とにかく最後まであきらめずがんばれ!
ではよろしければこちらのボタン、ポチッとクリックお願いします。
2 件のコメント:
なるほどね、そう言われてみたらそんな気がしますね。しかし、そういうことを考えることのできる日常の温度感を感じますよ。さすが詩人。
あくあさん、書いた後で思ったのですが、詩もいいけど曲もまたいいですよね、これ。
「日常の温度感」というのもまた詩的な表現ではないですか。
コメントを投稿