2011年9月17日土曜日

ジャム作りと中産階級的暮らし

庭にダムソンというスモモ科の実が勝手になっていて、それでジャムを作ったという話を昨日料理のブログに載せました。fordfarmkitchen.blogspot.com/

すると今度はピアノの先生が家にたくさんダムソンがなってるから、次のレッスンのときに持ってきてあげるわといってくれました。

その時にりんごとミントジェリーの作り方を教えてくれました。ジェリー(Jelly)と言うのはまあ日本語のゼリーと同じ言葉ですが、ここで言うジェリーとはジャムのようなものです。ただジャムと違ってふきんで濾して、果物の繊維を抜いて果汁だけで作ります。なので外見が透明できれいなんです。

りんごは家でも取れる上に先週近所の人が5キロくらいくれたので、山ほどあります。ミントも庭にたくさん生えています。なので買う物は砂糖だけ。1ポンド弱のコストで5瓶もできました。ミントをたくさん入れたので普通のりんごジャムとはまたかなり違っておいしいです。私はパンにつけて食べたけど、こちらではチキンだとかローストポークなどの肉料理と一緒に出されるようです。作り方はまた料理ブログに書きますが、写真だけ載せときます。

本当はもっと透明になるはずだったんですが、事情によりこうなりました。詳しくは料理ブログにまた書きます。


そういうわけで今日は早速晩御飯をローストポークにして一緒に食べました。私にとってはちょっと肉料理と食べるには甘すぎるかな。

私はそんなに料理上手でもないし、料理が大好きと言うわけでもないんですが、ジャムを作ったり先日のスローウォッカをつくったりするのは結構楽しいです。そのウォッカに入れたスローの実ですが、まだたくさんなってるので、今度はりんごとスローのジェリーを作ってみようかと思います。スローって口が曲がりそうな渋い味なんですよ。だからどうなることか。

田舎に越してきてからは、この季節はりんごやその他の作物をもらったり、自然になってる木の実を集めたり、それをジャムなどに加工したりということが多いです。子供が学校に行ってる間にエプロンをして台所でジャムやお菓子作り・・・・などと言うのはコンセプトとしてはあまりにも凡庸で中産階級過ぎて気持ち悪いんですが、でも実は結構好きです。

人と会ったり話していても、「XXXXがたくさんできたからいる?」だとか、レシピや作り方のコツを教えあったり。くれると言うものがあれば大体もらいますね。そして本やネットで調べて、ジャムやらピクルスなどに加工します。秋も深まるこの季節に棚の中にそんな手作りの保存食が並ぶと、しみじみと満足感というかなんとういか、感じますね。こういうのは英語ではHomelyっていうんだよね。家庭的と同じ意味か・・・

でも心の片隅では、小さいながらもこういう声も聞こえます。「私はそんな人間じゃないんだ。おとなしく台所でしゃもじでナベをかき回すような女ではないんだ。エプロンなんてしたくもないんだよ。できるものなら星空の下で寝起きして、ひとつの場所に居場所を決めず、帽子を置く場所が今夜の棲家って具合に世界をふらふらといつまでも渡り歩いていたいんだよ。」

つまりは家庭的って言葉にすごく抵抗を感じてるわけです。ちがわいちがわい、私は家庭的なんかじゃないわい!!って。
結局いつまでたっても、放浪癖というか漂流していたいという性分は抜けないようです。そういえばこの家に住んでから、もうなんと12年ちかくだなあ。生まれてからこの方、ひとつの住所にこんなに長く住んだことはいちどもありません。

なんかこういうことに幸福感を感じていると、ちょっと年取ったと言うか、守りに入ったというか、保守的になったというか、もっと若かった頃の(今も若いけど)自分に対してちょっと後ろめたいような気もしないでもないですね。まあ、角が取れていいことじゃないの、という人もたくさんいるかもしれません。いつまでも昔のように転がる石でいることなんてできないんじゃないのって言う人もいるかもしれない。



自分としては、昔から価値観は変わっていないと思うし、いつまでも最後まで生き生きと生き続けたいと思ってるけど、でも実際的なところは変わってきてるんだろうなあ。結局人生はお金よとは思わないけど、貧乏こそが正しいとも思わないし、優雅に左団扇で暮らすのがブルジョワジーの悪だとも思わないし。

だから1ポンド弱でジャムを作ってささやかな幸福感に浸ったって、別に悪いことじゃないよね。

取り留めないことを書いてしまいましたが、今日もクリックはよろしくお願いしますね。
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2 件のコメント:

あくあ さんのコメント...

確かにその家庭的な暮らしぶりは昔のあつこからは想像もつかないけど、それに幸せを感じられるようになったんならそれでいいんじゃないの。

世間的な常識にてらしてこうじゃなきゃいけないと思って偽善者やるんじゃなくて、逆に、世間的な常識に無理に逆らって斜めに構えて生きるのに憧れるのでもなくて、そのときそのとき自分の価値観で自分が幸せを感じられるように生きてればそれが一番いいと思いますね。

Atsuko さんのコメント...

あくあさん、おっしゃる通りかもしれないですね。まあ深く考えて悩んでるわけじゃないんだけど、ふとね。ちょっと着心地の悪い服着ているような感じかな。

でも田舎では田舎、都会では都会と適応力が強いところが私の持ち味だとおもってます。