2011年9月13日火曜日

断捨離

今の家に越してきたのは2000年です。購入したのは改造しかけの農家の牛舎で、改造が住むまで庭の隣のプレハブみたいな家に半年住んで、越してきました。

そのはじめて入居した日、本当に家の中がすごく素敵でした。まっさらのカーペットが敷き詰められていて壁は真っ白。「ああ、まるで映画の中みたいに素敵」と思ったんですが、一瞬後に素敵のその最大の理由がわかりました。

物がなかったからです。

ああ、明日になったらプレハブの家から家具や家財道具を運び込むんだなあ、そうなるとまた物で家の中がごちゃごちゃするんだなあ。そう考えたら、「エイ、物なんてややこしい、わずらわしい。できるものなら物なんてなしで生活したい。まあそれは無理だから、最小限で生活したい。」と思いました。その時は家に赤ちゃんが二人いたので、それはそれは物がたくさんありました。

あれから11年。たった11年でこんなに物って増えるんだなあ。小さなプレハブの家にあったものと、人の家に預かってもらっていたものを入れただけだったのに、いつの間にか今はあのころから少なくとも3倍には増えています。

そういうわけで今回日本から帰ってきて、いちばんやる気が起こったのが断捨離です。 戻ってきてから2週間くらいは腑抜け状態だったんだけど、どういうわけか断捨離だけはするぞ! という意欲を燃やしていました。

家族がいるので、家族の意向を聞かなくてはいけない物はなかなか進まないしややこしい。それなのでとりあえず今はキッチンからやってます。1日棚をひとつとか二つとかいうペースが一番心地よいですね。それ以上やりだすと、あまりのものの多さに圧倒されてしまいそう。

キッチンは大体終わりました。捨てる物は案外少ないんだけど、これはやり方が甘いのか。もっとごっそり捨てられたらかなりの快感のような気もしますが、まあ無理やり捨てることもないか。キッチンが終わったら次はバスルーム。ここまではまあ大丈夫ですが、そのあとユーティリティー・ルームという勝手口兼洗濯室兼物置のような部屋をタックルする予定です。これが大変そう・・・でも大変であれば大変なほどごっそり捨てられて気持ちいいかな。

断捨離の敵は、捨てることと片付けることがごっちゃになることではないかと思います。捨てながら片付け始めたり、おき場所を変えたりし始めるとキリが無いんですよ。今は捨てることに専念、と言い聞かせながらやってます。まあでも棚から物を出したついでに、拭き掃除はやってしまいますが。

今日は忙しくて断捨離できませんでした。そうなるとそうなったでなんとなくそれがストレスに感じます。なんかよくわからん。断捨離ってセラピーの一種だろうか。

ではややこしいことを言ってすみませんが、お手数でなければこのボタンのクリックよろしくお願いいたします。
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2 件のコメント:

あくあ さんのコメント...

断捨離はセラピー効果あるみたいですよね。私も祝日が続くからやろうと思ってます。私は断捨離よりときめくお片づけの方に納得したので、そっちの方法でやりますが。

Atsuko さんのコメント...

あくあさん、私は断捨離って流行り言葉を使ってるだけで、別に本読んだわけではないんですけどね。なにやら哲学的なバックグラウンドとかセラピー効果とかあるみたいですね。そのときめくお片づけの本読んでみたいです。ときめくって言葉がチャラっぽいけど、難しく言えば「この物を所有することで心が豊かになるか、それとも家の中がごちゃごちゃして貧しくなるか」という基準だと思えば納得です。