2016年4月5日火曜日

Taming the Monkey Mind

上記のタイトルの、サイババの信者でアメリカ人のセラピストが書いた本を読みました。

Monkey Mindとは「サルのあたま」ということですが、メディテーションについて語られるときに、よく出てくる言葉です。つまり、瞑想して心を静めて集中するべきときなのに、頭の中に次から次から取り留めなく、日常的なことやら心配事などの俗事が浮かんでくる状態のことを、Monkey mindと言います。

本当か嘘か知らないけど、インドでは、猿捕りがいるそうです。その捕り方とは、口の狭いつぼの中にバナナなどの猿の好物を入れて、置いておくだけ。すると猿がその中に手を入れて、えさをつかみますが、口から手を引き出すことが出来ません。バナナを握ってるからなんだけど、猿は、壷の中で誰かが手を捕まえていると思うそうです。

これが、人間の心にたとえられていました。

人生に躓いたり、すごく悪いことが起きて、もう身動きが出来なくなる。それは猿のように、欲望や「こうあるべきだ」という固定観念に、固執しているから。

たとえば、大学受験に失敗して不幸に感じるなら、それは「XXX大学に入りたい」という欲望や、その大学に入ること=成功という固定観念があるから。失恋して苦しんでいるなら、その相手に固執 しているから。破産して自殺を考えるなら、破産したら人生終わりも同然で、これから生きていくすべが得られないと思っているから。

別の大学に行ったり、就職することで、人生を変えるすばらしい出会いがあることもあるし、その大学が実はぜんぜん向いていないのに、そここそが自分に向いていると思い込んでいるだけかもしれない。

別れたり振られた相手は、所詮自分とは合わない相手で、別れたほうが幸せになれるのかもしれない。

破産してもぜんぜん人生終わりでなく、そこから新しい道を切り開いて生きていっている人もたくさんいるし、ゼロからスタートすることで新しく得るものがたくさんあるのかもしれない。

さらに踏み込んで言うなら、死ですらも、死=終末と思い込んでいるから。死の先は何があるのか、本当のところはわからないのに、死が何よりも最悪の出来事と思い込んでいるのかもしれません。

確かに、大きい失望を味わった後は、そこから這い上がってくるには、膨大なエネルギーが必要ですけどね。

それは、猿がせっかくつかんだバナナを手放して、またえさを探しに行かなければいけないのと同じですよね。

なかなかわかりやすい本でした。心に留めておきたいと思います。

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2 件のコメント:

あくあ さんのコメント...

へえ、面白そうですね。でも、ほんとその通りだと思いますよ。何かうまくいかないことが起きた時、私は「ああ、そっちには行くなということなのね」と解釈して、さらっと流します。それが何があっても幸せでいる秘訣かなと思います。そうはいっても、恋愛沙汰に関してはなかなかそうはいかなかったけどねぇ。

Atsuko さんのコメント...

恋愛沙汰って、なんですっきりあきらめられないのかね~。こだわるよね。結局どこかでツキが落ちたみたいに、さっと冷めるときあるけど。
私は別れた相手にお金貸していて、それが戻ってきたとたんに、冷めたことあるわ。金の切れ目が縁の切れ目って言う言葉が頭に浮かんだ。