遅ればせながら、マイケルジャクソンのThis is itをDVDで見ました。これは彼が死ぬ数ヶ月前の、ロンドンのコンサートのためのリハーサル風景のドキュメンタリーです。
彼って死んだときは、死因は薬漬けになったことで、廃人のようになって死んだかのような報道でしたが、このビデオで見る限りでは、ぜんぜんそんなことはありません。声も踊りも今ひとつ力が入っていないけれど、それはリハーサルだから当たり前のことで、彼自身も「声をセーブしないと」と言っています。
それから報道ではリハーサルはぜんぜんうまく行っていなくて、それも薬漬けになった原因のひとつと言うことでしたが、そんな感じではありません。着々と進んでます。ほんと、報道って当てにならないよなあと思いました。
彼の音楽はファンキーなので、普段はあまり歌唱力を感じることはないけれど、リハーサル風景では、楽器もなしで音程がぴったりだし、そういえば昔ジャクソン5であんなにうまかったんだから、今でもすごくうまいです。でもそれにもまして、踊りがすごいなあと思いました。
ダンサーのオーディション風景があって、100人以上のダンサーが集まるのですが、そこから厳選された数人とマイケルが踊ります。それが、ぜんぜん劣ってないどころか、プロのダンサーたちよりうまい。しかもダンサーたちは20代くらいだろうに、マイケルは50歳になろうというのに。そして良く考えたら、彼の本職はダンサーですらない。
このビデオで見ると、どうしてそんなに薬漬けになって死んだのか、ぜんぜんわかりません。これだけ踊れるくらいだから、きっとフィットネストレーニングもしてたんでしょう。まだまだこんなに歌って踊れるのに、本当に残念。
でもその反面、彼がどうして死んだのか、わかるような気もします。彼ってまだまだすごいけど、それは20年位前の彼のすごさで、そこから変化や進歩をしていない。コンサートではスリラーやビリージーンといった昔の大ヒットがメインで、もちろんファンもそれを望んでる。でも20年前の自分と今の自分は違うはずなのに、それでも同じことをし続けなければいけない。そうすることが期待されている。自分の盛りは過ぎてしまって、今も人気はあるものの、それは昔の名残で、もうあのころ以上のものは新しく作り出すことはできないというのは結構苦しいものがあるんじゃないでしょうか。
話は私の好きなボブ・ディランに飛びます。彼ってもともとはフォークシンガーで、それからロックに変わったとき、ファンにすごく批判されました。その後も彼は常に変わり続け、そのたびにこき下ろされるけど、ぜんぜん気にせず好きな方向に変化し続けます。コンサートでは昔の曲を歌っても、そのアレンジをまったく変えてしまって、オリジナルとはぜんぜんかけ離れたものになることも良くあります。評判がいいこともあるけど、「ああ、彼ってまた自分で自分の歌を無茶無茶にしたな」と言うことも良くある。
今は彼はブルースシンガーになりました。そしてNever ending tour(終わりなきツアー)と言うのを何年もしています。最近(といっても6年位前かな)出したアルバムは、どういうわけかアメリカで20年ぶりくらいに1位になりましたが、それでも本人は特にどうこうすることもなく、マイペースでやってるようです。私は彼の最近の音楽はぜんぜん興味ないので聞いてません。コンサートが近くであれば行きたい気もするけど、行っても昔の曲は、少なくとも昔のアレンジではやらないだろうし、いっても面白くないかな。
マイケルもさあ、ボブ・ディランのように、商業的な成功は関係なく、そのときに好きな音楽を好きなようにやっていれば、ああいうことにならなかったかもなあってちょっと思います。きっと彼は、サービス精神が強すぎるんだろうな。そしてディランのように強く自由に、好きなことをできなかったんだろうな。そして芸術家にとって、好きなことを自由にできないと言うのは、死んでしまうのと同じことなんじゃないかな。
芸術に限らなくとも、人間って変わらなくなったら終わりじゃないかなあ。生きていれば変わり続けるもので、でもそれがさまざまな状況で自由に変われなくなると、いろいろな不都合が生じてくる。特にマイケルジャクソンのような芸術家にとっては、そういうのは普通以上に苦しいもので、そう思うと彼の魂が「ああ、もうマイケルジャクソンでいる限りは自由に成長できないから、もうやめよう。」と思ったとしてもすごく納得が行く気がします。
2 件のコメント:
今日のブログもまた、ある意味でとても面白い!!
あつこさん いかにもあつこさんらしいブログですねぇ(大きな拍手)
マイケルジャクソンのありよう、生き様がよく分かりますです
あぁ、そういう見方があるのだなぁと納得もできます
芸術家は、常に斬新さが求められるのですよね
芸術には新しさが不可欠なのです
だから、はじめのうちは認められないことが多いのでしょう。その新しさがいつのまにか普通になってしまう
芸術家はたいへんです
われわれ凡人は、そういうたいへんさがない
「天童の家」などは大きなマンネリを抱えて平気の平左右衛門?なのである(笑い)
ありがとうございます。芸術家でも普通の人間でも、変わり続けるのが普通の姿だと思うんですが、あまりにも有名になりすぎると、変化できなくなるのかなあ。そう思うと、凡人は楽ですね。
私も自分のブログマンネリかなと思うこともありますが、そういう時は自分でもちょっとつまらないですね。そういう波を超えながら変化していくものなのでしょうか。天童の家も、そりゃあ、毎日毎日変化し続けるなんてことはないにしてもマンネリなんてことはないですよ。
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