2018年10月30日火曜日

うつ病にならないように

ここ数週間なんですが、なんか気分が優れない。身体的なことではなくて、ちょっと鬱っぽい感じです。特に朝がダメです。元々朝は苦手なんですが、日照時間が減って来たし、しかも夏時間が終わって一気に朝が暗くなったので、気を付けないとうつ病になってしまうんじゃないかと思うくらい。

それで今日から一週間、実験的にマインドフルネスと 睡眠時間確保を頑張ってみることにしました。

マインドフルネスといっても、瞑想は今までも毎日やっているので、瞑想という意味でなく、「今」に気持ちを集中するという意味のマインドフルネスを実践してみます。

今まででももちろんその効用は知っていて、頑張ろうと思ったことは何度もあるんですが、すぐに忘れてしまって、全然まともに実践したことがありません。

まあ人間の頭はすぐに過去のこととか将来の心配とか、ネガティブなループをぐるぐる回るようにできているので、よっぽど強い意志で心掛けないと、マインドフルネスとは難しいことです。

とにかく、今日から一週間、頭の中の雑音を無視して今を生きることを心掛け、睡眠時間7時間確保頑張ってみます。

どちらも難しいなあ。

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2018年10月29日月曜日

プラハの食べ物

プラハの話題を引きずります。

プラハのガイドブックによると、チェコの食べ物は中央ヨーロッパの典型的な、ドイツ的な食べ物とのことでした。つまり肉とポテト中心。もしくはポテト団子。それでベジタリアンのチャーリーはちょっと心配してました。私はベジタリアンではないけど、肉とポテトという食事は苦手なので、食べ物は一番期待していなかったことでした。

が、実際に行ってみると、すごくおいしかったです。私たちがたまたま運良かっただけでなく、一般に旅行者はそういう印象を持つようです。

典型的チェコの料理は確かに肉とポテト中心なんだけど、これがとってもおいしく味付けしてありました。イギリスの肉料理の基準の何段階も上。特に「チェコ風の料理」というのは、ランチに食べたグーラッシュとパン・ダンプリング(蒸しパンみたいな感じでした) くらいでしたが、これが本当に美味しかったです。
食べかけですみません。あとで知ったことですが、割と有名なレストランらしいです。(が、その理由は建物が歴史的な建物だからだとか。)


こちらはイタリアンレストランで食べたイカ墨のリゾットです。最初はちょっと魚っぽすぎる気がしたのですが、パルメザンチーズとレモンをかけたらちょうどよくなりました。テーブルやレストランの内装が黒が基調だったので、妙なところでカラーコーディネート。イタリアンレストランは多かったです。


これはわざわざ探していったベジタリアンレストラン。混んでました。(ちなみに写真は二人前)チャーリー曰く、今までで一番おいしいベジタリアンの肉料理(っていうのも変ですが)だったとのこと。前菜の後これを完食し、そのあとデザートまで食べました。

 朝ご飯に入ったプラハ風ゴージャスなカフェ。私のは瓶に入った完璧な半熟卵x2と生ハムとイタリアンチーズ。美味しかった!チャーリーはクロワッサンとフルーツヨーグルトで、こちらも美味しかったです。
 これも探していった、ハーレ・クリシュナ(ヒンズー教の一派)のベジタリアンレストラン。ここはメニューが大か小しかなく、どちらもすごく安かったです。カウンターに行くと「ハーレクリシュナ」とあいさつされましたが、あとは全然普通でした。ふつうのチェコ人の会社員や親子づれが普通にランチを食べてました。別に勧誘とかもされません。



これはカフェで食べたラベンダーの入ったメレンゲ。大きさは私のこぶしの2倍くらいの大きいものでした。さすがに食べきれず部屋に持っていきましたが(ホテルのカフェ)、ラベンダー味がきつすぎて今一つでした。ラベンダーって食べ物には向いてないと思いました。

他にはいろんなカフェで飲んだコーヒーは美味しかったし、ホットチョコレートも格別でした。

プラハって案外美味しい国でした。昔ベルギーに旅行した時も、予想以上にすごくおいしかったのを覚えています。ヨーロッパって意外なところに美味しい国があるものですね。

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2018年10月27日土曜日

プラハのホテル

プラハで泊まったホテルは、Booking.comで探したU Zlateho Jelana、もしくはGolden Deerというホテルでした。

前回アムステルダムで泊まったホテルは街中から20分ほどトラムに乗る郊外だったので、今回は街中で探そうと、予算内のホテル20軒ほどピックアップし、レヴューを読んで、結局は勘というか、インスピレーションで選びました。

このホテルがすごくよかったです。値段はツインルームで1泊1万円くらいでした。

プラハの街中の街中、大阪でいえば心斎橋筋にあるような感じ。でも大きい教会の裏で、夜は驚くほど静かでした。(まあプラハは大阪ミナミとは比べ物にならない街ですが)

古い14世紀の建物で、多分10個くらいしか部屋がないと思うんですが、どの部屋もそれぞれ違う形や間取り、家具のようです。家具はシックなアンティークで、プラハ感がいっぱいです。私たちの部屋は入るとそこがホールで、左にバスルーム、右に大きい観音開きのドアがあり、その先がベッドルーム。これが20-30畳くらいの広さで、しかも天井まで5メートルくらいありました。あまりにも部屋が広すぎて、ソファーとか机とかあるんですが、殺風景な感じすらしました。



部屋からの眺め。窓がコートヤード側とこちら側と二つありました。



一番気に入ったのはコートヤードとカフェです。コートヤードにはカフェのテーブルがあり、夏はここで朝ご飯が食べられます。カフェ自体はちょっと狭いんですが、まさにシックなプラハという内装で、静かにジャズが流れているところがまた素敵でした。


細かいところを言えば、ベッドが寝心地が悪いとか、部屋に金庫がないとか、テレビにBBCが入ってないとか、その他あげればいろいろあるとは思うんですが、清潔だしスタッフはすごく親切だし、欠点を補って余りあるホテルでした。

が、今戻ってきて、これを書くのにホテルのレビューを読んだら、一つ星とか二つ星のレビューもいくつかありました。まあ人によって感じ方が違うんでしょうね。

モダンな5つ星のホテルになれてる人にとってはいろいろ気になるところがあるのかもしれませんが、私はこのキャラクターたっぷりのホテル、すごく気に入りました。このホテルをモデルにして、小説やテレビドラマができるんじゃないかと思ったくらい。そういえば、ジョン・アービングのホテルニューハンプシャーを思い出しましたよ。

我々にとっては、プラハ感満々のこのホテルが旅のハイライトのひとつとなりました。

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2018年10月26日金曜日

プラハの旅

ハーフタームのお休みを利用して、チャーリーとプラハに3泊4日で行ってきました。

去年から、毎年親子でどこかに行こうと計画し、去年は同じ時期にアムステルダムに行ったんですが、今年はその第二弾です。

プラハはヨーロッパではパリに並ぶ美しい町と古くから言われていたのですが、共産圏だった頃は観光で気軽に訪れるような場所ではありませんでした。共産圏の崩壊以来、どっと観光客が押し寄せるようになったそうです。きっと夏はすごく混んでるんだろうけど、今頃の季節はそれほどでもありませんでした。

とはいえ、プラハ城くらいしか特に観光の目玉らしきものはないです。いろいろ教会とか塔とか美術館とかあることはあるんですが、入場料が高い割には、たいしたことなさそうです。ロンドンで入場料なしで美術館や博物館に入るのに慣れてるから、10ポンドも入場料がかかるなんて聞くと、驚きます。

観光は主に街をぶらぶら歩いて、美しい街並みを楽しみ、プラハの雰囲気を味わうって感じ。ちょっと歩いてはカフェやレストランで一休み。それを一日3回ほど繰り返しました。

プラハはしっとりとした成熟した、まさに中央ヨーロッパって感じです。歴史の重みをひしひしと感じます。カフェなどの内装は、シャンデリアや金色のブラスなどのゴージャス系で、でもそれがすごく洗練されて趣味がいいんです。私の普段の好みとはずいぶん違うんですが、それはそれですごく素敵でした。

街の中は、もう見る建物がどれも美術館にあってもいいような建物ばかり。上を見て歩いてました。が、足元はどこを歩いても石畳で、コンクリートやアシュフェルトはありません。なので下も見ながら歩かないと、こけます。

去年行ったアムステルダムは、まさに若いヨーロッパの最先端という、楽しいワクワクする雰囲気でしたが、プラハはそんな若々しいエネルギーのある町ではなく、ヨーロッパの長いややこしい歴史の渦の真っただ中という、重厚な雰囲気でした。プラハ城のあるあたりの紅葉は美しく、秋のちょっとメランコリーな雰囲気もぴったりでした。

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2018年10月19日金曜日

プラスチックに溺れる話の続き

昨日書いたテレビ番組の話の続きです。

番組の後半はノルウェーの北部の北極圏に行きます。ここも文明と遠く離れた場所です。が、ここでもプラスチックのごみが落ちています。探すと見つかるレベルではなく、その辺に普通に落ちているんです。大体が海を長時間流れてきたなあという感じの古いごみです。(誰も住んでいないので当然ですが。)

ここで地面の表面2センチくらいの土をすくい取り、海水に溶かして顕微鏡で見ると、小さなプラスチックがたくさん浮いているんです。マイクロプラスチックと呼ばれています。肉眼で見えない小さい粒。海などに流れたプラスチックの成れの果てです。

これがプランクトンやオキアミのえさになり、それを魚が食べますから、こうやって食物連鎖の下のほうから、上のほうの哺乳動物に上がってくるわけです。プラスチックを食べたらどうなるのか。ホルモンが影響されるとかいろいろ言われています。決定的な答えはないようですが、なんか非常に非常に体に悪い予感がしませんか?

で、このマイクロプラスチックなんですが、プラスチックやペットボトルのごみを出さなければいいっていう簡単な問題ではないらしいです。

例えば化繊の衣料を洗濯すると、繊維からマイクロプラスチックがはがれて、それが下水に流れて海に行きつきます。そして車のタイヤも、すり減るごとにマイクロプラスチックが発生し、それが大気に混じったり雨で流れたりするわけです。

こんなの聞くと、もうどうしようもない、何をしても手おくれって感じです。もう地球は破壊の一途をたどるわけ?

今日のニュースでは、イギリスの地方自治体の一部では、リサイクリングのポリシー変更で、ヨーグルトのポットなどのごみはリサイクリングではなく燃えるゴミに出すように通達し始めたとか。

イギリスは国内ではプラスチックのリサイクリングの工場が足りず(無く?)今までは中国などの第三世界に輸出していたのですが、そこでもちゃんとリサイクリング出来ているという保証はなく、無責任だと非難が上がっていたのが、この政策変更の理由のようです。

どうしたものか。とりあえずただ細々と、できるだけプラスチックのごみを出さないように生活するしかないようです。

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2018年10月18日木曜日

プラスチックに溺れる

先日上記のタイトルのドキュメンタリーをテレビで見ました。(Drowning in Plastics)。人から勧められて見た長い番組だったんですが、怖いというか面白いというか、とにかく見る価値のある番組でした。

前半、まずはオーストラリアの近くの無人島です。ここで海洋生物学者のチームが、この島に生息する海鳥の雛をいちいち捕まえて、口から水を流し込んで、胃の中身を吐き出させます。生後数か月の雛なんですが、大体平均してどの鳥も20個くらいの小さい(1円玉の半分くらいかな)プラスチックのかけらが入っているのです。親鳥が口移しで餌をやるときに食べてしまうそうです。

この種類の鳥は特にプラスチックを多く誤飲するらしいんですが、それにしてもショックでした。プラスチックが多くなりすぎると、胃が重くなって飛べなくなり、死んでしまいます。死んだ鳥の解剖では、胃の中から200個くらいのかけらが出てきました。

怖いのは、ここは本当に太平洋の中の無人島なんですよ。それなのにこんなに毒されているのです。

そして次はインドネシアの川。ここに1.5キロ四方くらいのプラスチック(主にペットボトルなど)の塊が浮かんでいます。大雨で流されてきたようなんですが、その理由は、自治体がごみを回収しないので、村民はそれぞれ勝手に河原などでごみを焼き、それが川に流れ込むからです。

イギリスでは自治体がリサイクリングとごみを別々に回収するんですが、私の住む町では、緊縮財政のため、リサイクリングは毎週来ますが、ごみは2週間に一回になりました。そのせいか、道端でごみをよく見るようになりました。先日はうちの外側のヘッジ(生垣)にガラス瓶などの山が捨てられていました。明らかにわざとです。回収されなくて持て余して捨てたんでしょう。

イギリスですらそうなんですから、考えてみればアジアなどのまだ貧しい国や田舎では、ごみがきちんと回収されなくて川に捨てられるってことは、ぜんぜん不思議ではありません。

まだ続きがあるので明日以降書きますが、考えさせられましたね。ペットボトルなど、リサイクリングに出せばそれで満足してましたが、ちゃんとリサイクリングされてる保証は全然ないし、それまでの途上で取りこぼされて海に流れ込む可能性も十分あるし。

今日、週に一度の大きい買い物に行きましたが、裸で買ったバナナ以外のほぼ100パーセントの物がなにがしかのプラスチックやビニールのパッケージに入ってました。 せめて買い物袋だけは持っていきましたが、問題は深いです。

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2018年10月15日月曜日

ストレスの素

思うんですが、ストレスの元というのは、「こうあるべきだ」という前提というか仮定というか期待があるからなんじゃないかな。

「こうあるべき」というのは高飛車に聞こえますが、そこまでの上から目線じゃなくても、普通に生活してるといろいろ先を想定しながらやってるわけですから、 無意識のうちにそういうものがたくさんあると思うんです。

簡単なものなら、家から仕事まで1時間くらいとか、郵便はだいたい2-3日でつくとか、大学は4年で卒業とか。(こうして考えると、時間に関係あることが多いですね。)

人間関係なら、メールを送ったら返事をもらうとか、日本の場合は上下関係とか、夫婦間の家事の割り当てとか。

もうちょっと複雑なら、結婚したら旦那さんがメインの稼ぎ手になるとか、子供は大学を4年で卒業するだろうとか、定年までは退職しないとか。まあいろいろありますよね。

それがその通りにならないと、腹が立つこともあるし、 失望したり絶望したり、イライラしたり。

「こうなって当然」とまでは思わなくても、「こうなることが自分の幸せになる」ってい思い込みも不幸の元だと思います。

失恋したとか離婚するとか、大学受験や就職に失敗とか、そういうのは やっぱり自分の想像とか期待とか希望がかなわないから、絶望等々を味わうことになるわけです。

人生万事塞翁が馬って言葉ありますが、英語でもBlessing in disguise(不幸に思えることが実は幸いなこと)という言葉があり 、本当、人生何がいいか悪いかなんてわからないよ~、っていうのは、西洋でも日本でも同じように言われています。

自分で自分の人生をあまりにも思うように運ぼう、プランしよう、こうすることが絶対に一番いいことだ、そんな思い込みが、不幸の元凶なんじゃないかな。

そんなこと思ってメディテーションしていると、こんな言葉が頭に浮かびました。
 Relax your mind and let good things in.
そして
Let things unfold .

「いいことが自然に起こるように、頭をリラックスしなさい。」
「物事を自然の成り行きに任せなさい。」

なんでも、頭をリラックスさせることは、何よりも重要だそうです。

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2018年10月14日日曜日

白髪

私の年代の日本人女性なら、マリーアントワネットの髪の毛が一夜にして白髪になったことを知らない人はいないでしょう。(出典ベルばら。)

ちょっと前に美容師の友達と話していたのですが、彼女のプロとしてのオピニオンでは、ストレスと白髪は関係ないとのことでした。それでも彼女のお母さんは、昔お父さんが半身不随になったときに一気に白髪になったと言うので、彼女自身も、まあでもそういうこともあるのかなあというあいまいな感じでした。

私は今でもほとんど白髪がないのですが、5年ほど前母がすい臓がんの手術をするので日本に1週間帰ったときに、戻って来たら急に白髪が何本も見つかりました。同じ時に、中年以降に発生するというほくろのようなイボも突然出来たので、どちらもストレスのせいだろうなあと思ってました。

その後も白髪は、そのころよりは見つかるようになったけど、でもほとんどありません。それがごく最近、ちょっとしたことですごくストレスを感じることがあり眠れない日々が2-3日続いたのですが、そのあとも急に白髪が見つかりました。

やっぱり関係あるんじゃないかな。

そのストレスフルなことについては、心の中で折り合いをつけたというか、一応収まりまして、落ち着きました。

それでですね、心を決めましたよ。ポジティブ思考と引き寄せの法則で、今後一年は白髪が絶対増えないようにするぞと。

来年の私を見てくれ!

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2018年10月11日木曜日

強靭

高校を卒業するときの文集のアンケートで、何が一番欲しいかみたいなことを聞かれました。「強靭な心」って答えたと思うんですが、友達が一人「タフな心」と答えていて、この人も同じようなこと考えてるんだなあと思ったことがあります。

強靭な心。そのころは、何があっても凹まないしょげない落ち込まない強い心って思ってました。メンタル強いっていうのかな。

大人になって、ちょっと見方が変わったかな。鋼のようにタフなわけではなく、かといって柳のように折れずに曲がって受け流すというわけでもなく、何が起ころうと、「そういうこともあります。」と淡々と生きていく力というか。達観かな。

先日書いたインドの聖典の バガヴァッドギーターにはこう出ています。

Equally welcoming pain and pleasere, self-sustained and brave, to whom a clod of earth, a peice of stone and a nugget of gold are just the same, who makes no defifference between those that are dear and those who are not and is the same in praise or blame.

The same in honour and calmny, the same to freind and foe; having abandoned all worldly undertaking - such a one is declared as having overcome natural propensities.

(苦しみも喜びも同じく受け入れ、自立し勇敢で、土くれも石も金塊も区別せず、近しい人もそうでない人にも同じく接し、褒められようと咎められようと変わらない。
讃えられようと中傷されようと 変わりなく、友人にも敵にも同じく接し、世俗とのかかわりを捨てた人。こういう人は生まれつきの性質を克服したと言える。)


 有名人でメンタル強いなあと思う人は、羽生君です。オリンピックでは泣いてたけどね。まあそういうところがまた、強靭でもやっぱり人間なんだなあって感じて、余計に愛しくなりますよね。

そう言えばそろそろ日本ではスケートシーズン?

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2018年10月9日火曜日

The waiting place

イギリスならだれでも知っている子供の本、Cat in the Hat。この著者ドクター・スースの書いた、Oh the Places You will Go.という本があります。

本自体は素晴らしい前向きな本で、大学に入学する子供たちに送ったりするのにぴったりな内容なんですが、この中にThe waiting place とい場所が出てきます。落ち込んでスランプに落ちて迷い込む誰も行きたくない場所。

簡単な英語なのでそのまま載せます。

 THE WAITING PLACE 
by Dr. Seuss
Waiting for a train to go or a bus to come,
or a plane to go or the mail to come,
or the rain to go or the phone to ring,
or the snow to snow or waiting around for a Yes or No
or waiting for their hair to grow.
Everyone is just waiting.
Waiting for the fish to bite
or waiting for wind to fly a kite
or waiting around for Friday night
or waiting, perhaps, for their Uncle Jake
or a pot to boil, or a Better Break
or a string of pearls, or a pair of pants
or a wig with curls, or Another Chance.
Everyone is just waiting

これを思い出したのは、今日つくづく、私って待つのが苦手だなあって思ったから。別に電車を待つとか信号が変わるのを待つとか、そういう「いらち」という意味じゃないんですが、もっとストレスフルな意味で。誰かの返答とか、結果とか、何かが届くのを待つとか、誰かの決断とか。

本当にドクター・スースの言うように、待ってる状況って嫌ですね。身動きが取れなくて、気持ちを切り替えて他のことに集中するのも難しく。その待っている内容をいろいろ想像したり、最悪の事態を考えたり。遅れていると、なんで遅れているんだろうとか思ったり。

この本のほうは、この後前向きに話が向かっていき、また下降し、でも最後はやっぱり前向きに終わるという話(っていうか、詩というかなんちゅうか)です。久しぶりに読んでまた感動しました。(全編3分くらいで読めます。)

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2018年10月8日月曜日

猫の予知能力


猫を飼ってる人たちにお聞きしたいのですが、猫って予知能力あると思います?


うちの猫は、いつもツナ缶を開けると、ふたを切り取って缶の中をなめさせてあげるのですが、だいたい開ける前に寄ってきます。それどころか、今日は缶を棚から出そうかなあと思っていたら やってきました。

実際に開けるときの音や匂いで寄ってきますが、もしかしたら視覚で、私が缶を手にしただけで来るのかもしれません。が、今日は、「えーと、次はツナを・・・」と思っていたら寄って来たから、本当に予知したかのようです。

それとこんなこともあります。

ペパー(猫の名前)は寝室に入ることは禁止されているので、滅多に寝室に来ることはないんです。(自分が体調悪いときは時々入り込んでます)。でもなにかあってチャーリーが一人で部屋で落ち込んでいたりすると、入ってくるんです。まあ別に入ってきても特に慰めるとかいうわけじゃなくて、その辺を嗅ぎまわってベッドに座るくらいなんですけどね。

昨日は私の寝室でちょっとチャーリーと深刻な話し合いをしていたら、なんか心配そうに入ってきました。で、私たちが部屋を出ると、やっぱりついて出てきました。

よく聞くのは獣医ですね。最近は予防注射もしなくなって滅多に獣医に連れて行くことはないんですが、昔は獣医に行く予約をするたびに前日吐いたり、子供たちのベッドの下に入り込んで隠れたりしてました。

隣のおばさんも言ってました。その人の猫も、獣医の予約の時間になると外に行ってしばらく帰ってこなくなるとのことです。

きっと忘れていることや、微妙すぎて書けないこともあると思うんですが、なんか猫ってサイキックな能力があるような気がしてなりません。そして人間が思ってるよりも相当頭いいと思いますよ。

犬も同じかな。ペットのいる人はコメントしてくださいね。

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2018年10月7日日曜日

バガヴァッド・ギーターのコース

夏にオックスフォード大学と提携しているヒンズー学研究所のヨガ哲学のオンラインコースを受けて、予想通り、いやそれ以上によかったので、今度は同じく12週間の「バガヴァッド・ギーター」のコースを始めました。

 バガヴァッド・ギーターはインドで紀元前後に書かれた聖典です。ヒンズー教には聖書やコーランのようなまとまった聖典がなく、代わりにヴェーダと呼ばれる莫大な量(一生かかっても読めないくらい膨大らしい)の聖典があります。そのなかで、このバガヴァッド・ギーターはコンパクトにまとまっていて、どの宗派からも敬われ、そして民衆からは愛されています。

内容は省きますが、あの多分日本でも知っている人は知ってるであろう青い人、クリシュナの話です。

このコースが本当にいいんです。週に一度レクチャーのビデオと20-30ページくらいの教材が来ます。そしてそれとは別に先生がいて、先生がフォーラムでのディスカッションとか質問に答えたりします。

昨日は初日で、Dr.リトル先生からフォーラムにメッセージが届き、今日は参加者が時差をつけながら自己紹介してます。オックスフォード大学に本部があるんだけど、参加者は(10人くらい)イギリスに住んでいるのは私だけでした。リトル先生もカリフォルニアに住んでます。オンラインコースならではですね。

コース費は95ポンド。1万5000円くらいかな。ヨガのコースは20人くらい参加者がいたんだけど これは10人弱だから、950ポンド。レクチャービデオや教材は使いまわしとしても、これじゃ赤字でしょうね。

他に興味のあるコースが5つくらいあるので、あと1-2年はいろいろ楽しそうです。

しかし人生って不思議ですよね。日本に住んでいたころは、まさかヒンズー教とかイン哲に興味を持つようになるなんて、思いもつかなかったですよ。 私が日本で行った大学にはヒンディ語科があり、そこでは変わった人たちが割と多かったっていう印象なんですが、今ならぜひ行きたいです。日本に住むことになったら、2部で行けるかな。

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2018年10月5日金曜日

「インドの光」読書感想

日本から持ってきてもらった上記のタイトルの本がすごくよかったので、ちょっと書きます。作者は田中カン玉(カンギョク、女偏に間という漢字です)

これはラーマクリシュナという19世紀のインドの聖人についての本です。このころは、インドはイギリスの植民地支配の元で、自国のアイデンティティについていろいろ考えが発達した時期で、このラーマクリシュナをはじめ、ラマナ・マハルシとかシルディ・サイババ(あの有名なサティア・サイババの前世とのこと)とか、女性の聖人のアーナンダマイ・マーとか、有名な聖人がたくさん出てきました。

ラーマクリシュナについてちょっと書きます。彼は貧しいバラモンの家庭に生まれ、早くに父を亡くしろくに学校にも行かず、生活のために寺院の僧侶の地位につきます。(寺院の僧侶はインドではすごく身分が低いそうです。)そこで悟りを得、素晴らしい教えを残しました。ラーマクリシュナの素晴らしさは書きだすときりがないんですが、「まるで5歳の子供のように」純粋な信仰と教えを貫いた人です。

が、、この本の一番素晴らしいところは、この作者田中カンギョクさんです。

この手の昔のインドの聖人についての本って、大体英語で書かれた本の翻訳がほとんどなんですが、この本はそうではありません。すごく丁寧にわかりやすく書かれてあり、すごく文章のセンスがいいです。文才があるっていうのかな。

しかもこのカンギョクさん(女性)はインド哲学の学者でも僧侶でもなく、どうやら「普通の」おばさんのようなんです。自分では「碌な大学も出ていない」とあとがきに書いてらっしゃいます。

戦争の時代に学校に通い、その後結婚して子供を育てながら、中国語やロシア語の語学に興味を持ちます。そしてその後インドの霊的指導 、ヴィヴィーケーナンダの講演を読んだのを機にラーマクリシュナのことを知り、ヒンズー語、サンスクリット語を学び、ベンガル語で書かれたラーマクリシュナの教えの本を翻訳するに至ります。文才もありますが、語学センスもあるんですね。

その後その翻訳等をもとにこの本を書き、それを昭和49年に自費出版したのがこれです。

そしてその本は昭和55年に中公文庫から再版になり、今私が手にしている本は1991年の出版です。 この夏日本のアマゾンで古本で買いました。

ま、興味おありの人は少ないでしょうが、お勧めです。

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2018年10月2日火曜日

寂しさ

イギリスでは最近、Minister of Lonelinessというものが出来ました。孤独感の大臣っていうのかな。そう、Lonelinessが社会問題になってます。

今日聞いたラジオ番組では、最近の調査では、人口の30パーセントが孤独感を感じていて、しかも若者にその傾向が多いとか。

LonelinessというのはBeing aloneとは微妙に違います。Lonelinessは寂しく孤独に感じることで、ネガティブな感情。でもBeing aloneというのは一人でいるという中立な出来事。

今の社会って、特に若者の場合、ソーシャルメディアで常に人とつながってるし、YouTubeでもネットフリックスでもあるから、退屈ということもないだろうし。それでも孤独っていうのはどういうことなんでしょう?

私の時代なら、家に帰ったら家族と話す以外は、友達と電話でもしない限りは人は話さなかったし、その昔ならテレビのない時代だったから、一人で下宿でもしてる若者は、それこそ家にいるときは一人で本でも読んでたんだろうな。それでも別に私は孤独って感じたことなかったし、昔の人もそうだったんじゃないかな。

ソーシャルメディアでつながることによって、余計孤独感が増すのか?

それとも常にテレビとかYouTubeとか、情報過多、刺激過多になっているので、一人でいると「なにこれ?ひとり?」って感じでパニックするのか。

孤独を感じているのは若者だけに限らす、老人の間でも問題らしいけど、こっちは昔の比較してどうなんだろう?確かに 今は専業主婦って立場の人もほとんどいなくなって、老人の相手をする時間のある人が少なくなったっていうのはあるかもしれないけど、まわりを見てる感じでは、老人は老人同士で集っていろいろ楽しそうにサークルやらクラブやらやってるみたいですけどね。

私に限ると、ようやく子育てもゴールが見えてきたので、しばらく孤独を楽しみたいくらいです。

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2018年10月1日月曜日

チャーリーの大学受験

息子ルイの大学1年目が無事に終わり、2年目以降の家も見つかり、ほっとしたのもつかの間。今度は娘チャーリーの受験です。

大学に入学するのは来年の9月なんだけど、出願の時期は前年の秋で、医学部は今月の15日が締め切りです。出願するには、高校の先生からの推薦書類を添えてもらわないといけないので、それも含めて15日午後5時59分を逃したら今年はもうアウトです。それで早め早めにとドキドキしてましたが、先週やっと出願が終わりました。

調べてみたらルイの時は、同じように早く出したつもりだったんだけど、10月9日に出してました。それって本当にぎりぎりでした。

出願が終わるってことは、これからがいろいろ長い道のり。だけど取りあえず学校の選択が終わって、腹を決めたってことで、なんとなく気持ちの上ではスッキリと次のステージに向かってる感じです。

私はオックスフォードに出願するものだとばかり思っていたのですが、なんとなく決めかねているようで、もしかして私が気づかずにプレッシャーかなとけてるのかなと思って、「別にオックスブリッジに出願しなくてもいいんじゃない。」と言ったところ、あっさりと諦めてました。やっぱり無言のプレッシャーだったのかな。

ということで、志願校はロンドンが1校と家から車で4時間以内で行ける距離の 学校が3校です(医学部は最高4校までしか受験できない)。今年合格しなかったらまた来年挑戦ということで、滑り止めの医学部以外の第5志望はなし。

これからいろいろ面接のための勉強をして、6月にはAレベルの試験。だから山場はこれからなんですが、取りあえずリラックスして、ハーフタームはプラハでぶらぶらしてきます。

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