2009年8月31日月曜日

Midlife Crisis?

私は普段は仙人のようにとまでは言いませんが、殆ど家族以外人に会うことも無く、静かに暮らしています。土曜に来て今日帰っていったお客さんは、2年ぶりくらいに会ったのですが、うちに人が来るというのは、結構珍しいことなんです。

彼らも含めて、この夏は何年も会わない人にたくさん会えました。




7月にはノルエーから、大学時代の友達が家族とやってきて、2泊していってくれました。同じヨーロッパとはいえ、なかなか会えるものではなく、会ったのは30歳のとき以来、14年ぶりでした。

その後日本に行っていろんな人に会いました。

高校のお友達のMちゃんとMちゃん。いつも日本に行くたびに楽しくあえて嬉しいです。そして今年は、18歳以来会っていないどころか、連絡も途絶えていたPさんとも一緒に、洋楽カラオケに行けました。チープトリックとかクイーンとか、なつかしの歌を歌って、洋楽懐メロでしたね。

中高通して、6年間毎朝学校に一緒に通ったOさん。昔から通いまくったロイヤルホスト帝塚山店で、懐かしくお話しました。

高校の軟式テニス部のみんな。M、S,、A 、Y 、Y. 日本に帰るたびに集まれて嬉しい。恒例の月一、最近は年一くらいのペースかもしれませんが、これからも末永く集まりましょう。

大学のお友達の現在イタリア住まいのFさん。やっと帰国の時期が合いましたね。30歳のとき以来なので、やはり14年ぶりの再会でしたね。今度は子供抜きで、ゆっくり語り合いたいですね。(次は、もう大きくなって嫌がってついてこないでしょうね。)

大学のお友達のK ちゃん。この夏は3度も会えて、とっても楽しかったです。子供たちも仲良くなったことだし、これからも末永くよろしく。会ったのは、おそらく10年ぶりくらいですよね。

大学のサークルの皆さん、K さん、M さん、K さん、S さん、U 君。サークルの人と集まったのはおそらく大学卒業以来ですから、ええっ、22年ぶり!?本当に楽しかったです。また近い将来、集まれますように。

大学のロシア語科の皆様。S さんとだんな様、Sさん、S さん、Aさん、Gさん、Y さん。最近あった人、大学4年以来お会いしていない人、とにかくこうしてまたお会いできました。本当にわざわざ遠くからいらっしゃった人もいて、ご苦労様でした。とっても楽しかったですね。

ロンドンで大変お世話になったMK さん。楽しかったですね。またお会いできて、とっても嬉しかったです。 またすぐ会えますように。



もちろん長く日本に帰ったので、人と会うことは期待していましたが、それでも思いがけなかった人たちにも会えて、なんというか、めぐり合わせのようなものを感じています。特に、中には長く連絡の途絶えていた人たちもいましたしね。

もしかして私くらいの年、40台半ばって、学校を出ていろいろがんばってきて、ふっと立ち止まって昔の友達に会いたくなる年なのでしょうか。それに、仕事も家庭も、時間的にちょっと余裕が出てくるのかもしれませんね。私だって、2年前なら子供2人つれて一人で日本にかえるのは無理だったと思うし、出かけるのもままならなかったから。

そういえばこのくらいの年って、英語ではmidlife crisis(人生半ばの危機)というんですけど、危機というよりは、見直しという感じかなあ。そういうのもあるのかもしれませんね。

今イギリスに帰ってきて、もう生活は正常に戻りましたが、それでも中身はすっかり夏休み前と同じに戻ったわけではありません。いろんな昔からの友人にあっていろいろな話をして、それぞれの人からいろんな意味で影響を受けました。

今日は近所の海まで散歩に行き、美しい大西洋を見渡して、ここでの生活の美しさ、幸せをしみじみ感じましたが、それでもなんとなく、それだけでは満たされない何かを、心のどこかにはっきり感じました。ホームシックというんではないんですけど、ここの生活だけが私のすべてではない、という確信のようなものを。

来客とバドミントンと蟹

昨日からお客さんが泊まっています。デイブの高校生時代からの友達のリチャードとその奥さんのリンジーと6歳の女の子イゾベル。彼らに会うのは2年ぶりくらい。


デイブは出身がここから遠くはなれたイギリス北部なので、普段は親戚づきあいとかありません。昔の友達はロンドンか田舎だし、この町の彼の知り合いは私は付き合いが無いので、お互い義理の付き合いが最小限で、楽は楽です。それでもたまには親戚に会ったりすることがあります。みんないいひとたちなのですが、正直言って、一緒にいてもあまり楽しくありません。苦痛とか馬が合わないというほどではありませんが、共通するものがほとんどないし、会ってもほとんど義務感で世間話する程度です。




そんな中にあって、リチャードとリンジーはとっても馬が合うんです。リチャードはちょっと偏屈なところもあるけれど、ゆっくり話をするととっても面白い。彼も小説を書いているので、いろいろ本の話だとか、話題もあう。リンジーはとにかく良い人で、どんなことでも彼女と話していたら面白い。私の子供たちもすごくリンジーになついています。




今日は午前中は海に行きました。あいにく小雨が降りそうだったのですが、岩場に行くと蟹だとか海老だとかイソギンチャクがたくさんいて、蟹を20匹くらいとりました。それからなんと小さいうなぎも捕まえました。こんなの初めてです。




午後はデイブの知人がバーベキューパーティーをしたので、それに出かけました。そこでは余興にバドミントンのトーナメントが行われました。子供の部と大人の部があり、子供たちはそれぞれ自分の名前の刻まれたメダルまでもらいました。




そして私は10ペア(ダブルス)の中で準優勝!(私以外は、結構酔っていた)それで小さいカップまでもらいました。考えてみれば、トロフィーやカップをもらったのって、生まれて初めてでした。




蟹は家に帰ってきて、リンジーと子供たちと一緒に、大きな中華なべで火をつけて火あぶり殺しにし、スープにして食べました。フランスレストランのような味がして、とってもおいしかったです。

2009年8月30日日曜日

日本から帰ってきたときに、持ってきた荷物は、なんと機内預けだけで64キロもありました。行きはスーツケース二つと旅行かばんひとつだったのが、旅行かばんは3つに増えていました。

それで何をそんなに持って帰ってきたかというと、人にいただいたお土産とか、子供たちが日本で買ったおもちゃやぬいぐるみ、そして食料品です。その割にはぜったい買ってこようと思っていた餃子の皮と、おすしののりを買ってくるの忘れてしまいました。

そんな重い思いをして持ってきた割には、どうしてこんなもの持ってきたんだろうというものがあります。そういうのは、たいてい人にもらったり、ただでもらったもの。沖縄のホテルの浴衣もあります。そのときは、これ良いなあと思って持ってきますが、実際イギリスに帰ってくると、使い道もおき場所も無いものです。

うちの実家にはものがあふれています。たとえば、母と妹の二人暮しなのに、すごい量の食器が食器棚に入っています。これは買ったとは思えないので、もらい物なんです。お中元だとか結婚式の引き出物とかもあるだろうし、銀行やら証券会社やらミスタードーナツやらでもらったものもある。

今回日本に行って思ったのですが、日本って買わなくても物が増える。たとえばたった5週間で、チャーリーは4回もくじに当たりました。そのうちの二つはポケモンセンターとタイガースの試合でしたが、また当たった景品がなかなかかわいくて、中途半端に役に立ちそうなものなんです。だからもちろん大切にイギリスに持って帰りました。でも本当は、自分でお金を出しては買わないものだっただろうから、こうやって要らないものって増えていくんです。

イギリスの場合はそれでも、バザーとかチャリティーショップとか、不要品を引き取って、それを売って慈善事業に役立ててくれる団体があちこちにありますから、処分が楽です。でも日本って、洋服ひとつチャリティーに出すのでも、自前でお金を払って送らなければいけないとか。そんなのをきいているので、うちの実家がものであふれかえっているものうなづけます。

うちの母は実は近所の人から服をよくもらうようです。それがまあまあ物が良いので捨てるに捨てられず、私が行くと、何とかしてもって帰らせようとします。それをかわすのが結構面倒くさい。

おそらくお隣さんも人にもらったりして、物が良いのでうちの母に回ってきて、母が断り切れないでもらうと(普通断れないですよね)、それから何度ももらうようになったのでしょう。そういうのは捨てるのには忍びないから、私のところにも回ってくるようになるというわけです。

もしも私なら、実家の物を半分くらいは思い切って捨てて、家を広く使うと思うけど、私の家ではないので仕方ありませんね。私もこんな人の家のおせっかいを書いていないで、自分の家の物を処理するべきなのですが、物ってたまればたまるほど処分が厄介になるんですよね。

ああ、物があふれているなあ。

2009年8月28日金曜日

狂気

Eメールでいくつか毎日自動的に送られてくるニュースレターのようなものがあります。こういうのがもしかしたらスパム(迷惑メール)の原因かもしれないので、本当はよくないのかもしれないんだけど、とにかくその中のひとつは、アメリカから送られてくる「今日の言葉」です。

これは格言のようなものではなく、偉人だとか有名人だとか、死んだ人、また生きている人、そんな人たちが言った言葉が送られてきます。大体は「うん、私もがんばるぞ」というような、心が元気付けられるようなものが多い。これはちょっと納得できないなというのもたまにはありますが、大体においては、退屈で単調な毎日の中で、ほんのちょっとだけ勇気付けられうようなものです。

普段は、ああなるほどと思って、消します。うーん、これは含蓄が深いと思うと、消さないで残しておくけれど、別にそれ以上は何もしません。でも時々、プリントして冷蔵庫に張ったりもします。

たとえばイギリス元首相のウインストン・チャーチルの次のような引用が1年ほどはってあります。

Success is the ability to go from one failure to another with no loss of enthusiasm.

(成功とは、情熱を失わず失敗から失敗へと進んでいける能力である。) 英語の得意な人は、英語のほうで読んでください。

そんな風に失敗をものともしないで、希望と情熱を失わず、物事に向かって生きたいものです。


昨日の引用はロビン・ウイリアムズでした。ご存知かとは思いますが、彼はアメリカの大俳優。ミセス・ダウトファイヤーとか、Dead Poet Society, Good Will Huntingで有名です。でももともとはコメディアンで、コメディーだとかテレビに出ているのを見ると、ちょっとこの人やりすぎというくらい、馬鹿なことやっています。

You are only given a little spark of madness. You mustn't lose it.

(人間はほんの少しの「狂気」が与えられるのみだ。失ってはならない。)

どういうわけかこの言葉、心にしみじみ来ています。たしかにコメディーの彼を見ていると、madnessという言葉がぴったりだなあと思うくらいなんですけど、そうか、あれが大切なんだなあ。

みんなまともに生きているじゃないですか。家庭があったり仕事があったり、若い人でもまじめに勉強していたり、試験があったり、試合があったり。親の目がある、会社の目がある、学校の目がある、夫・妻の眼がある。世間の目がある。羽目をはずしたいなあと思っても、なかなか機会がなかったりするうちに、そんな羽目をはずしたいという心すら失われていく。やがてそんな人を見ると、軽蔑心を持ったりもする。それって、うらやましさの裏返しでもあるんですけどね。

そんな中にあってmadness というのは本当に'given'、与えられたもの、天からの恵みみたいなものじゃないでしょうか。madnessというのは狂気という意味ですが、それは情熱、パッションという風に置き換えると良くわかる。日本語でもキチガイというのは、精神病という意味でだけはなく、何かに狂信的に夢中になってることを差しますよね。たとえば阪神ファンのことを、トラキチというように。

それは趣味だったり、スポーツだったりすることもある。常道を逸するほどのコレクターだったり。そのほかに、「魔が差した」という風に、急に何か衝動的にすることもある。衝動買いだとか。

そういうのって結構困ったなという風にとられがちですが、考えてみれば、そんなことはしょっちゅうあるわけではない。魔が差したように何かをしたくなる、そんな衝動に駆られる、そんなことってめったにない。そう考えれば、この規則正しい文化的な日常において、そのような「衝動」って、ありがたいものではないでしょうか。

普段はとってもお金に慎重なのに、あるものに出会い、衝動買いする。それだって、普段の慎重さを放り出してまで買いたいというくらいほしいものに出会えたんだから、すごい幸運ではありませんか。

こんな風には、もっと若いころは考えなかったかもしれない。でも今は、そんな風にどこかから突然やってきて、理性も理論も吹き飛ばすようなパッションって、ありがたいなあというか、うらやましいです。それこそが人生のエンジンそのものとさえ思います。そういうことをしているときこそが、生きているという実感がするし、そういうものが無ければ、人生何もかも予定通り、計画通りで、味気ない。

私を昔から知っている人は、ああ、あつこらしいなあと思うかもしれないなあ。

でも今はイギリスに帰ってきて、細々と隠遁生活に戻っていますよ。私も今では、普段はそんな静かでつつましい生活をのぞんでいるんです。そうしてやがて狂気がやって来るのを・・・・・

2009年8月27日木曜日

蟹つり




日本であんなにあちこち行って遊んだのに、子供たちはまだ出かけたがります。まあまだ夏休みなんだから、仕方ありません。それで今日は車で10分のアップルドーという漁村の町に行って、かに釣りをしました。この辺では結構人気のあるアクティビティーで、波止場の前のお土産屋や雑貨屋で蟹釣りセットを買えます。私たちのは去年買ったのですが、先の錘と針のついた蟹捕り用の釣り糸とバケツと網とえさの鯖のセットでたった5ポンド(千円くらい)でした。これをもっていきます。えさは今日はベーコンです。
この写真のように、波止場に座って足をぶらぶらさせながら、潮風に吹かれながらつります。


1時間半くらいで6匹捕れました。これは「さっぱりつれない」というほどではないけど、あまりよくもありません。去年は1時間くらいで20匹くらい捕れたこともありました。






捕れた蟹をどうするか。これはみな当然のように放します。私たちも去年まではそうしてました。



それが7月のはじめに、ノルエーに住んでいる大学時代の友達が遊びに来たときのことです。そのときも一緒にここアップルドーに行くと、蟹釣りをしている人たちがいました。バケツを見ると結構捕れています。それを見て、私たちも去年の夏は何度も蟹釣りしたこと、そしてその後蟹は海に返すことを話しました。


すると彼女が、「ノルエーでは食べるよ。」というのです。ノルエーではそんなもったいないことはしないで、スープにして食べるんですって。それで簡単に作り方も説明してくれました。ふうん。でもどんな蟹でも食べれるのかしらという疑問を口にすると、「食べれる。」と彼女は断言します。



今日つれた6匹のうち、4匹は沢蟹くらいの大きさで、後の2匹は子供の手のひらくらいの大きさ。料理するほどの量ではありません。それで私は放したかったのですが、子供たちが食べたがります。(食べてみたがる、というのが正確)。それで家に持って帰って、とりあえず熱湯に入れて殺した後、たわしでごしごし洗って、また新しい熱湯に入れてぐつぐつ煮はじめました。






でもここからどうしたものか。友達に教えてもらって覚えているのは、スープにすること、茹でている間に甲羅をがんがんつぶすこと、そして最後はざるで濾すこと。この蟹だしをどうして食べるかは、よくわかりません。


それで蟹を茹でながらその友達のメールしました。仕事中だろなあ、メール受け取ってくれるかなあと思いながら、「今、茹でてる最中。できたら早急に返事ください。」と、ちょっと強引に。



するとすぐにお返事が来ました。どうもはじめを誤ったらしい。生きているうちにブランディーをかけて火あぶりにし、それを野菜と炒めてから、スープを取るらしい。そしてそこに生クリームを入れるそうです。そういえば先に炒めると聞いていたような。でももう茹でてしまっているからどうしようもありません。野菜を別に炒めて、そこにスープを入れればいいか、生クリームもカロリー抑えるために牛乳でいいかと思っていたのですが、台所から漂ってくる匂いは、蟹鍋のにおいです。



結局蟹鍋との連想が断ち切れず、できた出汁で、白菜と卵を入れておじやを作りました。もっと蟹の味がするかなあと思っていましたが、ほんのりとするだけで、蟹初心者のわれわれにとっては、かえって抵抗が無くてよかったかも。日本から持ってきた海苔をかけて、おいしくいただきました。



それにしても、メールって便利ですよねー。茹でてる最中にノルエーの友達に、作り方どうだったっけ、と聞けるんですから。まあ昔だって電話できたけど、多分電話では聞かなかっただろうから。
次からはちゃんと生クリームを用意して、ブランデーかどうかはともかく、強いお酒も用意して、レシピーどおり作ってみます。でも6匹じゃたりないだろうなあ。






ところで彼女は、ちょうど昨日蟹のレシピーを見て、厚子に教えてあげようと思っていたところでしたとのこと。虫の知らせというか、引き寄せの法則というか。そういうことって、本当によくあって、もうこの年になると、偶然とも思わなくなりませんか?












2009年8月26日水曜日

猫と鳥



飼っている人ならご存知と思いますが、猫って割りと敏感です。うちの猫も獣医に行く前の日などは、ベッドの下に入ってしまったり、吐いたりします。隣の猫など、獣医の日はいなくなってしまいます。車にはあまりよってこないのですが、去年の夏ホリデーに行くときは、車のボンネットに乗っかって、車を出せなくて困りました。


でも今年私たちがイギリスを発つときは、ペパー(Peppre)ちゃんは結構普通にしていました。何も感じなかったのか、それとも一応デイブがいるから、まあいいやと思ったのでしょうか。それで私たちも、ばたばた急いで家を出たこともあり、それぞれ軽く「バイバイ、ペパーちゃん」と声をかけたくらいでした。


今回日本に5週間いて、子供たちは何度もペパーに会いたいといっていました。私はそれほど猫のことは考えませんでした。賢い猫のペパーは、もしもえさがなくなったら自分でねだれるし、もしもデイブが何日も家を空けるようなことがあれば、猫好きのお隣さんに行って、えさをせがむと思っていました。それになんといっても彼はキラー・キャットですから、いざとなればいくらでも自分で獲物をつかまえられます。だから心配はしていなかったし、そもそも忙しくて、猫のことなんて考えてる時間が無かった。


それでも家について一番初めに思ったのは、ペパーちゃんどうしているかしら、でした。


車を降りて家に入ると、中からそうっと出てきました。まずルイがなでて、私がなでる。でもなんか様子が違う。怪訝な顔しているんです。そうか。やっぱり5週間も会わないと忘れちゃうんだなあ。猫の1年は人間の7年っていうから、5週間は人間にすれば35週間、半年以上という感じなのでしょうか。


でも私たちが家に入って10分くらいすると、急ににゃあにゃあ猫なで声で啼きだしだしました。きっと思い出したんです。その後軽い食事をする間、台所の床のに座って、じっとこっちを見ていました。そしてその夜、子供たちが寝た後、私がシャワーを浴びにお風呂場に入ると、なんだかドアの外で鳴き声がします。そのまま無視してシャワーを浴びて、10分くらいしてドアを開けると、お風呂場のドアの外に座って、私が出てくるのを待っていました。


翌日からはペパーちゃんは、まったく昔どおりのルーティーンです。夜子供たちが寝る時間になると、子供部屋に行って待っているし、私が寝るときに声をかけると、自分で外に出て行きます。(うちは夜は猫を台所の向こうの洗濯室に出すんです。そこから自由に外と出入りできる。)


今日はチャーリーと「猫つり」して遊んでいました。ペパーが椅子の下に隠れ、チャリーがビニールでできた紐をそこに入れると、それに噛み付いて離れず、床をずるずる引きずられています。驚いたことに、チャーリーが「バック!」というと、ちゃんとまた椅子の下に隠れて、つられるのを待っています。


猫って本当に面白いです。


ところで昨日の話の続きになりますが、畑のカリフラワーが育っていたところにネットを張っていました。今日そのネットに大きな穴が開いているのを発見。はさみでも使わないと切れるようなネットではないので、いったい何があったのだろうと思っていました。その後、改めてみてみると、鳥の翼のようなものがネットについています。ああ、鳥が絡まったんだなあと思ってさらによく見ると、そこには鳥の頭蓋骨と脊椎の一部も絡んでいました。


かわいそう。殺生なことをしました。そのカリフラワー、結局は誰も食べずに育ちすぎで捨てられたのに。


でもそれよりも驚くのは、その鳥はもう死骸ですらなく、骨になっているんです。私たちが留守にしたのは5週間でしたから、行ったすぐ後に引っかかったとしても、結構そんなにすぐに白骨化するんですね。


それを素手で取り上げながら、自分ながら、昔はこんなこと気持ち悪くてとてもできなかったなあと思いました。まったく田舎暮らしのせいで、たくましくなったものです。その鳥のことをルイに言うと、早速外に飛び出して、お皿に入れてもって帰ってきました。彼も本当に田舎の少年ですなあ。


しかしデイブは5週間も鳥が腐れ果てていくのに気がつかなかったのか?おそらくそのプロセスは気持ち悪いものだったでしょうから、気がつかなくて良かったんですけど、それにしても一度も畑に行かなかったの?

2009年8月25日火曜日

惨状と秋の気配









予想はしていたことですが、私が手塩にかけている菜園と果樹園は、私が日本にいる間に無残なことになっていました。まあ誰も手入れをしないことはわかっていたので、驚きはありませんが、でもやっぱりなあというかんじです。


日本から戻ってきた同日は夕方7時くらいに家に着きました。私は外に出る気力はありませんでしたが、子供たちはまだまだ明るいイギリスの夕刻の光の中を庭に出て行きました。戻ってきた二人にどうだったか聞くと、チャーリーは「冬の畑みたいだった。」と一言言いました。うーん。いろいろ想像させる一言でした。



翌日、曇り空の中を、ちょっと重い心で見に行きました。今年のイギリスの夏は、寒くて雨が多かったそうで(去年と同じ)、確かにひまわりはまだ咲いていません。でも雨が多かったので、水遣りをしなくてもその点は大丈夫でした。雑草が生い茂っています。行く前に順調に育っていたカリフラワーは、残念なことに誰も収穫しなかったので、全部だめになっていました。それからキャベツ、ブロッコリーもかなり何かに食べられています。ネットをしていたのですが、どうしても青虫がついたり、鳥がつついたりするんですね。アーティチョークの大きな低木も、アーティチョーク自体が盛りが過ぎて、花になって枯れはじめていました。にんじんは順調に育ってはいますが、これも盛りを過ぎても収穫されていないので、一部は地表に出ている部分がだめになって、スズメバチがたかっていました。ほかにもラズベーリー、レタス、トマト、豆類など、書き出すときりがありません。
これを見たときの気持ちといえば、たとえて言えばマイホームに泥棒に入られたり、洪水にあったりしたような感じです。今まで大切に手を入れてきたものが損なわれて、これからまたがんばって元のように戻していかなければいけないなあという気分。


そうそう、ズッキーニという野菜ありますよね。これも育てているんですけど、これって収穫しないで放っておくと巨大化してマローという別の野菜になるんです。なってました。



でも一番ショックというか困っているのは、りんごとなしの木です。今年はりんごは今ひとつですが、なしが豊作のようです。それがそのうちの2本が、強風を受けて斜めになってしまって、今にも倒れそうなんです。支えが腐って折れていたのはわかっていたのですが、もう植えて5年以上になるので、大丈夫かなあと思っていたんです。それが豊作のせいで重みで枝が曲がったこともあり、こんな風になってしまったようです。










それが土曜日。それから毎日少しずつ畑仕事を再開し、今日は火曜日ですが、まあ何とか見通しがたって来ました。週末には木に支柱を付け直す予定だし、菜園もだんだん元のようなかわいく美しい野菜畑に戻れそうです。





ところで今日はルイが友達の家に行ったので、私とチャーリーはダムゼンというウメ科の果物を採集しました。これはうちの生垣に自生しているもので、毎年できるわけではなく、天候によってなったりならなかったりします。ここに越してきて最初の5年間はならなかったので、数年前までこんな木があること、知りませんでした。これはそのまま食べるとすっぱいので、ジャムやパイにします。でもうちは誰もジャムを食べない上に、昨年作ったイチゴジャムがたくさん残っているし、パイはおいしいけどカロリーが高いので作りたくないのですが、でもせっかく実ったダムゼン、やっぱり収穫してしまいました。そのまま放っておいて鳥に食べさせてあげても良いのに、なっているとどうしても採りたくなるんですよね。


ついでに近所の木になっていたへーゼルナッツもとりました。これも別に誰も好きじゃないので食べないんですけど、やっぱりなっていると採りたくなるんです。貧乏性というのでしょうか。でも私だけでなく、誰でも同じだと思うんですけど、違うかなあ。



今日は天気はなかなか悪くなく、ダムゼンやへーゼルナッツを陽だまりの中でとりました。結構温かく、なんとなく優しいひかりには、秋の気配を感じました。まだ8月ですからイギリス人にとってはまだまだ夏なんですけど、日本から戻ってきたせいか、あちらこちらに秋を感じています。イギリスの「暗くて寒くて良いことなんか何にも無い」秋ではなく、日本風の、暑さが緩んで光がやわらかくなってほっとするような秋です。日本にいなくても日本の秋を感じられるなんて、もうけもの。

2009年8月24日月曜日

日本に行くまでの心配事


日本に行く前にすごく心配していたことがあるんです。でもそのことをブログに書くと、引き寄せの法則で、心配したとおりになりそうな気がしていたので、心にしまっていました。でも今は無事に帰ってきましたので、そのことを書いてみます。


そもそもは春に飛行機のチケットを予約したところから始まります。なんせ3人分ですし、5週間とたっぷり時間もあるので、とにかく一番安い切符を探そうといろいろ調べました。媒体はインターネット。簡単は簡単なんですけど、とにかく問題は値段の動きが激しいこと。前の晩調べて、一番良いものを見つけて、一晩考えてから朝予約しようとすると値段が変わっています。そういうわけで、結構ネットを使って一番安い航空券を探すというのは、めんどくさいものなのです。


それでもとにかくTravel Pack というロンドンの旅行代理店のウエブサイトを通してエミレーツ航空の切符を買うのが一番ということになりました。それでネットで申し込み、何回かメールの交換と電話連絡があり、クレジットカードで支払いを済ませそれで完了。一安心でした。


その2週間ほど後、旅行保険をこれもネットで買うことにしました。こちらは値段がたかが知れているし、変動も無いので、それほどはめんどくさくはありませんが、それでも一応いろいろ調べて、一番安いところを見つけ、ネットの申し込みページをタイプ。そのときに、ふとルイのタイトル(苗字の前に付くMr. とかMrs.)が気になりました。ご存知のとおり、未婚の女性はミスなので、チャーリーはミスですが、男性の場合は、子供の場合はMr. ではなくMasterとなります。そのマスターをクリックしているときに、航空券を予約したときにルイのタイトルを間違えてMrs.にしたような、嫌な予感がしてきたんです。


それであわてて調べてみると、やっぱり予感は的中。Master Louis Woodward であるべきところが、Mrs Louis Woodwardになっているんです。


最近海外旅行した人は知っているかもしれませんが、飛行機会社と空港のセキューリーティーは年々厳しくなってきています。それで飛行機の切符もスペルの間違いだとか、名前の書き違いにとても厳しい。たとえばうちのデイブは本名はDavid ですが、これがDaveと書いただけでも、発券のしなおしでキャンセル料をとられるだとか、搭乗を拒否されるときいていました。それなので私は真っ青。


夜中だったのでどうすることもできず、とりあえずネットで調べてみると、タイトルが違っているだけでも拒否されたという話もあれば、それくらいは事情を話せば大丈夫だとかいろいろ。結局その夜は3時くらいまでネットを意味も無く検索し、朝までほとんど眠れませんでした。


運悪くこれは土曜の夜だったので、翌日も何もできません。それで月曜の朝、旅行代理店のtravel packにメールしました。その後仕事に行き、昼前に帰ってくると、返事のメールが来ていました。「エミレーツにきいたところ、チェックインカウンターに連絡を入れておくから大丈夫。」とのこと。それでも安心できず、(イギリスってそういう国なんです。大丈夫でないことが大丈夫で済まされることがたまにあるんです。)今度は直接得ミレーツ航空にメールしました。すると1時間後に返事があり、同じ答えでした。


それで一応ほっとしたのですが、それでもちゃんと飛行機に乗れるまでとっても心配でした。エミレーツ航空からのメール、もちろんプリントしてもって行きました。日本に無事ついてからも、帰りの飛行機で何かトラブルがあるのではだとか。


でも結局はすべて問題なしでした。疑った旅行代理店さん、ごめんなさい。電話での対応はインドアクセントが強くてちょっと聞き取りにくかったけど、とっても親切な代理店さんでした。エミレーツ航空もとっても手際が良く、注文してもいないのに機内食が子供メニューになっていたりと、ちょっとありがた迷惑でしたが、事前に席も予約できたし、スムーズな旅でした。


あんなに夜も眠れないくらい心配したんですが、ただの取り越し苦労でした。飛行機に乗り損ねたり、キャンセル料をがっぽり取られるんではないかという心配もありましたが、私は今まで自分の事務能力を結構高く買っていたので、その自信がくじかれました。なんだかそれ以来、何をするにもダブルチェック、トリプルチェックになっています。そっちの方面でのダメージが結構まだ大きい。


後、心配したのは、豚インフルのことです。イギリスを発つ5日くらい前になって、この辺でもはやりだしたんです。それでちょっとパニックして、日本に来る前の3日間、学校と水泳を休ませました。学校はただでさえ7日間休むことになっていたので、合計10日も休ませてしまいました。


こっちのほうも取り越し苦労で、豚インフルは結局子供たちの通う学校には来なかったのですが、子供たちは余分に3日も学校を休めて、私も余計な心配が減って、まあ問題は無かったです。


とにかくそういうわけで、のんきに5週間も家を空けて日本に来てと思われているかもしれませんが、それなりにいろいろ心を悩ましていたのでした。


豚インフルのほうは、私が日本を出る数日前からまたニュースになっていましたね。妹が最後に買い物に行って膳別にとマスクを家族分くれたのですが、その後すぐ売り切れたとのこと。というわけで、今回も豚インフルを逃げて帰ってきました。
最近写真が無くて寂しいので、沖縄の写真載せました。


2009年8月23日日曜日

Practice makes perfect

え、あつこさんが文学?と驚かれたので、ちょっといきさつを書いてみたいと思います。

詩のほうは、2月ごろのブログに書きましたが、中学生のときから、なんとは無くノートに書き綴っていました。どうしてそういうことになったのかは覚えていませんが、詩との始めての出会いは小学2年生位かな。誰かが詩の本(書き方だとか読み方だとか)をくれて、そのときに詩とはどういうものか初めて知りました。といっても今でも詩は何かと聞かれれば、なかなか答えにくいものだけれど、そのときの印象は、「詩って短くて簡単で、誰でもかけるんだなあ。」というものだったと思います。それが良かったのかもしれない。だってそうでなければ、詩ってとっつきにくいものだなあと思ってもおかしくないですからね。

イギリスの学校では子供たちはよく詩を書かされます。でもイギリスの詩は、日本の小学生が習う現代詩、自由詩とは違うんです。「韻文」という言葉があるように、基本的に英語の詩は韻を踏むんです。だから子供はゲーム感覚で入っていきます。たとえばルイはCrab called Barbという詩を昔書いていました。クラブとバーブの最後が韻になっているでしょ。

でも私は日本の小学校で、詩を書いた記憶はありません。作文は覚えているけれど。自由詩ってルールもないし、先生には教えにくいのかもしれません。

とにかく中学生位から詩を書き始めたのですが、だんだん大人になるにしたがって、書かなくなりました。イギリスに来てからは、ほんのいくつかしか書きませんでした。

エッセイのほうは、15年位前、イギリスの銀行を辞めたときに、しばらく家にいたので、この機会にとロンドンについてのエッセイを書きました。でも1日中家にいて集中して書いたのが返ってよくなかったのか、結構書くのが大変だった。それでも一応書き上げたのですが、人に話を聞いてみると、そのころはロンドンについてのエッセイは山ほど出版されていて飽和状態とのことで、結局は出版社に送ることも無く、それどころか本格的に推敲することも無く、それっきりになっていました。

それが3年位前、ある日本人の人と話していて、その人が転勤で地方の支店に行ったときのことをエッセイにしたいという話を聞いて、私も書こうと思いつきました。今度はロンドンではなくて、イギリスのど田舎のことなので、また違ったアングルで、興味を持ってくれる人もいるのではないかと思ったからです。

それで仕事や家事の合間、子供が学校に行っているときや夜に書いていると、するするかけるんです。あっという間にとはいいませんが、割と短期間で原稿用紙にすれば500枚くらいになってしました。それができたのが今から1年以上前。その後何回か推敲しながら、同時に出版社に当たってみましたが、なかなか良い返事は来ません。今回はそれでぐっとポイントを絞って、3分の2くらいまで減らしました。まああきらめずに、出版社を当たってみようと思っています。

まあそんなことをしているうちに、詩もまたぼちぼちと書き始めました。書いていると思うんですが、私は本当は詩のほうが好きなのかも知れません。エッセイは前後の説明が多いので、書いていて結構退屈な部分もあるし、常に読者を意識して書くけれど、詩はまったく前後の説明なしで、どこまで読者が理解してくれるかとは別の次元で書くので、自己満足だけの世界といえば、まったくそのとおりです。わかってくれる人だけがわかってくれれば良い、というのが基本的な姿勢ですから、どうしようもないですね。

でも詩って何かインスピレーションがないとかけないなあと思うのですが、本当に詩人はそんなもの待っていないようです。とにかく毎日何かを書く。それが大切らしい。それで私もそれを見習おうと、毎日10分でひとつ詩を書くようにしていた時期(1年位前)もあったのですが、いつの間にかそれもやめてしまいました。そんな機械的なやり方、なんとなく詩人らしくないなあという気もしないではありませんでした。

今回、昨日ブログに書いた文学賞に送った詩は3篇で、「私たちが求めるもの」「ボブ・ディラン」「裏切る」というタイトルです。そのうちの「ボブ・ディラン」は、そういえばこんな風に毎晩10分で書いていた詩のうちから膨らませたひとつでした。はじめの「微笑まないユダヤ人」という出だしが気に入った以外はぜんぜん駄作だったのですが、どういうわけか手を入れているうちに、ひとつ送ってみるかという気になるくらい膨らみました。

そんな風に考えると、やっぱりPractice makes perfectですね。インスピレーションなんて頼りにならないものを待っていないで、毎日こつこつと歯を磨くように詩を書いていれば、そのうち何かまた書けるかもしれません。せっかくこんな風に少しでも評価してくださる人がいたので、がんばろうという気になっています。

2009年8月22日土曜日

またイギリスです

昨日の夕方やっとうちに着きました。

20日の木曜の夕方、阪神ヤクルト戦2回裏のあたりで家を出て、ドバイまで10時間弱、ドバイで5時間、その後ドバイ・ロンドン間が7時間くらい。その後ロンドンから車で4時間弱で家に着きました。家を出てから32時間くらいだったと思います。長旅ではありますが、予定通り、遅れも無く到着しました。

今回は誰も具合悪くならず、元気につきました。木曜は朝からイトマンに水泳に行き、その後家で遊んで、夕方家を出たので、飛行機が飛び立った夜11時半には子供たちはつかれきっているはずなのに、飛行機ではあまり寝ず、ドバイでも元気いっぱいで、ロンドンまでの飛行機と車の中でそれぞれ2時間くらい寝たくらいで、夜はまたいつもどおり9時に寝て、今朝朝7時にはおきていました。元気なのは嬉しいけれど、ちょっと元気すぎるのでは?

私は行きはスーツケース二つと旅行かばんひとつだったのに、帰りは旅行かばんが3つに増えていました。チェックインした荷物は64キロ!エミレーツ航空、一人30キロまでなので助かった。それにロンドンまでデイブが車で迎えに来てくれたけど、とても一人では子供2人つれて、この荷物で電車に乗っては帰れませんでした。

旅行から帰ってくると、嫌な仕事がいつくかあります。誰にでも共通することといえば、たまってる郵便をあけて、メールをチェックして、留守電を調べて、荷物を片付けること。

今日は重い腰を開けて、これらをぼちぼち始めました。そしたら郵便物の中に、日本からの見覚えの無い手紙が2通。空けてみると、文学思潮という雑誌の編集部からでした。そこの文学賞の応募が春にあり、そのときに送ったエッセイと、現代詩賞に送った3編が、それぞれ第一次選考、第二次選考に通ったという知らせでした。

それでさっき早速中間発表ののっているウエブサイトを見ると、エッセイのほうは二次選考には落ちたようでした。詩のほうはまだ結果が載っていませんでした。でもさっと見てみると、すごくたくさんの人が一次選考、二次選考に通っているんです。だからそんなに喜ぶようなことではないのかもしれませんが、でも一応、直木賞などを受賞した職業作家の方々が主催する文学賞に、箸にか棒にか少しは引っ掛かったと思うと、またがんばって応募しようという気になりました。

ちなみに送った詩のひとつは、5月15日ブログに載せたボブ・ディランという詩です。良ければ見てくださいね。

2009年8月19日水曜日

明日はイギリスに戻ります




長い夏休みの大阪滞在でしたが、明日イギリスに戻ることになりました。35日間もいたんですよ。長い長いと思っていましたが、明日発つとなると、早いものですね。


でも飛行機は午後11時15分関空溌なので、明日もほぼ1日あります。それで明日は朝はルイとチャーリーのイトマンの最後の日、そしてその後近所のスーパーで食品、お土産などを買い物して、その後荷つくりをしてという予定です。そうそう、時間があればこの間もらってきたザリガニを池に話しに行かなければ行けません。そして最後の最後になりますが、ルイが友達に約束していた手紙を送らなければいけません。全く最後の最後まで、色々雑用があるものです。


今日は7月に一緒に奈良に行った私の大学の友達とその子供たちと一緒に、大阪の海遊館(水族館)に行きました。お盆も終わった平日というのに、しかも結構入場料が高いのに、本当に混んでいた。


子供たちは、お友達になったモエちゃんとヨシキ君とまた会えて、楽しそうでした。




海遊館の後は、天保山の大観覧車に乗り、大阪の港方面の全貌を楽しみました。


イギリスに帰ることで楽しみなことは、まずこの暑さから開放されることと、猫にあえること。それから一人でぐっすり自分の部屋で眠れること。


でもそれをのぞくと、1ヶ月以上留守にした家や庭がどんな状態になっているか、ちょっと不安です。それに、やっぱりすっかり頭が日本モードになっているから、しばらくイギリスモードに戻るのに、時間がかかるだろうなあ。


それにその前にまず、ドバイ経由でまた20時間以上かけての長旅が待っています。今回は待ち時間がちょっと少ないのですが、それでも5時間。ヒースローからはデイブが迎えに来てくれていると思うので、そこから車で4時間近くです。それもしんどいけど、でもまたロンドンで1泊するのも大変だし、かえるとなったら一気に家に帰りたいですからね。


というわけで、ブログはまた数日後に。




日本でお世話になった皆様、ありがとうございました。また近いうちに会えますように!

2009年8月15日土曜日

食べすぎ

今日は母がずっと前に申し込んでいてくれた、姫路セントラルパークのナイトサファリのツアーにいってきました。観光バスで大阪難波から乗っていきます。

サファリ中心のツアーだと思っていたら、メインのイベントは3つあり、一つ目が神戸のマリンピアというアウトレットでのショッピング、その後明石のあたりで、ワールドブッフェというバイキング、そして夕方5時半くらいにやっと姫路に着き、まず遊園地で1時間半あまり過ごして、その後バスでナイトサファリです。

時間としては、アウトレットでの時間が長すぎて、子供たちは文句たらたら。まあ、大人の洋服中心のアウトレットですから仕方ありません。私も妹も母も興味なかったので、(私は子供がいなかったら、もう少し見たと思う。)、ちょっと時間をもてあましました。

時間があるなあ、困ったなあと思っていたら、アウトレットの裏のほうで、ザリガニつりをやっていました。そこでチャーリーはザリガニを釣ってしまい、なんと1匹もらってしまいました。それで今日後半は、1日中ザリガニとともに過ごすことになりました。

その後バイキングで食事のあと、遊園地とサファリパークでした。サファリパークは、夜の動物を見るのは面白かったのですが、バスが徐行はするものの、止まってくれないので、あっという間でした。その後歩いて動物を見たのですが、それも集合時間のせいで、ゆっくり見れなくて、残念でした。

サファリパークでは、最後にリフト(というかロープエーのようなもの)に乗り込むのに並んでいたら、係員の人たちが、虫取り網で虫を取っていました。(お客さんの迷惑にならないように)。それを子供たちが興味深そうに見ていると、それをわざわざペットボトルに入れて、くれました。そこでは時間がなかったので、「これ空気穴が開いていないから、時々ふたを開けてあげてね。」ということでした。そしてそのままリフトに乗って降り場で降りると、そこの係員さんが近づいてきて、虫のボトルに穴を開けてくれたんです。おそらく乗り場の人が無線でおり場の人に連絡してくれたんだと思います。

ルイちゃんは、日本人は親切でフレンドリーだと日ごろからよく言っているのですが、またしみじみ思ったようです。

とにかく帰りのバスではザリガニだけでなく、虫(カミキリムシ)まで同乗しました。難波からのバスも、駅からのタクシーも。またペットが二つも増えてしまいました。

ところでワールドブッフェのこと。昨日の夜このバイキングのことを聞き、今朝は朝はパンなして軽く、昼も抜いてきました。別にバカ食いするぞと思って言ったわけではないのですが、ちょっとセーブしないとやばいなあと思ったからです。

行ってみると、タイ料理などもあり、結構おいしい。それでもちろん沢山食べたのですが、それでも量的には、驚くような量ではありません。

それでも席を立ったとき、まずいなあと思いました。こんなにおなかが一杯になったのは本当に久しぶりだったんです。苦しかった。

この食事はとっても時間が早く、4時半くらいに食べ終わりました。その後もちろん、何も食べていません。で、11時半くらいに家に帰ってきて、12時くらいにシャワーを浴びたときに体重を量ると、なんと昨日から1キロも太っていました!そんなことってあるの?いくら食べ過ぎたとはいえ、いつもの2倍も食べていないというのに。

明日は食べないようにしようと思うまでもなく、食欲がわくとも思えません。

2009年8月14日金曜日

Retail Therapy




ルイとチャーリは秋が誕生日なので、私の母と妹から、早めの誕生日プレゼントとして、お金をもらいました。それで今日は梅田に出て、ショッピングデーでした。




まず行ったのが、ポケモンセンター。これが混んでいた。お盆で、和歌山だとか岡山だとかから出てきた親子連れが沢山いたのかもしれません。とにかく人が多かった。




ところでうちの子供たちは、チャーリーはショッピング大好きなのですが、ルイは大嫌いです。でも今日はおもちゃ中心のショッピングなので、ルイも喜んでやってきたのですが、ポケモンセンターでも、チャーリーはするりといいものを要領よく選んでいるのに、ルイはなかなか決められませんでした。




その後ユニクロで私と妹の買い物(ルイはすごくつまらなさそう)、ランチの後、ヨドバシカメラという大きい店のおもちゃ売り場で、ルイは悩みに悩んだ後、戦艦大和(宇宙戦艦ではなく、海軍の)のレゴよりもピースの小さいモデルを買いました(1700ピースくらい)。チャーリーはその間、嬉々としてルイの買い物に付き合っています。




その後また別のユニクロで(初めに入った店は子供服はなかった)、チャーリーのレギンスとスカート、ルイのサングラスを買いました。これだけ買って2000円弱、安くていい店です。




その後、トトロの店でチャーリーは猫バスのぬいぐるみを買い、一休みしてコーヒーを飲んだ後、阪神デパートに繰り出して阪神グッズを買いました。ここでもルイは阪神のロゴの入ったモデル、チャーリーはトラッキーという阪神のマスコットのぬいぐるみ、そして私はお土産の阪神チョコとイヤーブック。妹は応援用のマフラーとタイガースの枕を買っていました。




仕上げに途中の駅で私の好物のヒロタのシュークリームを買い、家に着いたのは6時過ぎでした。




こんなに買い物をしたのは、久しぶり。いい買い物セラピーになりました。(英語ではRetail Therapyといって、皆よく憂さ晴らしに買い物します。)といっても自分のものは、タイガースのイヤーブックとはユニクロで値引きになっていたカーデガン2枚だけだったのですが。




あまりにも買い物が多くて、感動のあまり写真に取りました。

2009年8月13日木曜日

暑い一日

今日は妹がお盆休みだったので、妹と我々、合計4人で天王寺動物園に行きました。子供たちはこの間1日体験飼育係で、一応さっと見ているのですが、私たちを自分の見た場所や行ったところに案内したかったようです。チャーリーは自慢げにコアラ館を案内してくれ、コアラの名前や血縁関係も教えてくれました。

でも今日は本当に暑かったんです。暑くなる前に行こうと10時ごろから入園したのですが、朝から本当にかんかん。これはまずいと予定を少し変え、さっと足早に回って(大きい動物園ではありますが、街中なので、距離的にはすぐ回れる)、お昼を食べに行って、その足でカラオケに行こうということになりました。

お昼はお好み焼き。たまたま近くにあった店に行ったのですが、おいしかった。しかもドリンクが、コーラもオレンジジュースも(果汁100%)中ジョッキくらいの大きいグラスにたっぷりの氷と一緒に出てきて、たったの200円でした。小さい店内はガンガン冷房がかかっていましたが、やっぱり暑い。まあ、どうしても今日食べたいという事情がない限り、お盆に好き好んで食べるようなものではありません。

カラオケではチャーリーは本当に歌がうまくて、しかも当然ながら洋楽の英語の発音がうまくて、私も妹も聞きほれていました。チャーリーは乗りまくって、ソファーの上に立って歌っていました。もしかしたらそうするものだと思っているのかもしれない。

何でも得意なルイちゃんの、唯一(二つ)苦手なものが歌と踊りで、ルイちゃんはとっても退屈してましたが、何せ暑い動物園帰りだったので、無料のドリンクバーで何倍もコーラを飲んでいました。

帰りにルイに、お母さんは歌が下手なので恥ずかしいといわれました。そしてチャーリーはうますぎるから恥ずかしいだって。何かよくわからん。

今日はとにかく暑くて写真どころではなく、涼しかったカラオケではチャーリーが写真を撮らせてくれなかったので、写真はなしです。

2009年8月12日水曜日

阪神勝つ


今日も京セラドームに阪神中日戦、見に行きました。見るというよりは、参加しに行くという感じですね。中日ファンも昨日よりは目に付いたのですが、阪神のホームグラウンドで中日ファンしても,面白くないだろうなあ。少し前に座っていた中日の帽子をかぶっていた少年は、最後は阪神を声援していました。


肝心の結果のほうですが、今日は勝ちました!やっぱり勝つと全然違いますねえ。昨日は遅く終わって、疲れ切っていたチャーリーも、とっても元気に帰ってきました。


阪神に限らず、どこのチームでもそうだと思うのですが、それぞれの選手にそれぞれの応援歌があります。大体同じようなシンコペーションのついたリズムで、似たように音階でもあるのですが、それでもそれぞれはっきり違う。


さすがに続けていったので、打順一番から7番くらいまで、ほぼ全部歌えるようになりました。もちろん六甲おろしも。子供たちのわけがわからないながら、結構歌ったり声援できていました。


ああ、楽しかった!写真は勝利の瞬間です。

博物館とナイター観戦











昨日は昼間は、大阪南港に新しくできたなにわ海の時空館という博物館に行きました。大阪の例の「大阪が元気」政策で、夏休みの間ただなので行ったのですが、すごく良かった。まず建物が新しくて、近代建築物が好きな人はぜったい気に入ると思います。場所も大阪湾と阪神間が一望でき、六甲や明石大橋、淡路島まで一望できました。


ところで、東京の人って大阪の人間は誰もが漫才師だと思っていると聞いたことがありますが、もちろんそんなことはありません。でもこの博物館で、まあそう思われても仕方ないなあという会話を聞きました。博物館の案内役の人と、小学生の子供との会話です。





「では西洋の国々がインドまで捜し求めた四大スパイスとは、胡椒、ナツメグ、シナモンと、あとひとつなんでしょうか?」

「うーん、塩!」

「塩ってそんなモン、おまえ、カンで言うてるやろ」


「はい!」

「はいってそらなんや、おまえ。」


さすが、小学生君、ボケのタイミングが絶妙でした。









夕方は阪神、中日戦を、大阪の京セラドームに見に行きました。もちろん回りは99.999999%阪神ファン。私はプロ野球観戦は初めてなのですが、イヤー楽しかった。周りのファンと一緒に歌ったり、叫んだり、これはストレス解消になります。

考えてみれば、大阪に住んでると、すごく野球の面では幸せです。阪神のような誰もがサポートする球団があるし、しかもあまり強くないので、余計にあまりシリアスにならず、しかもますます愛着がわく。



でも昨日はこれといった盛り上がりもないまま、負けてしまいました。それでなんと勢いで、今日の切符も買ってしまいました。それでまた行ってきます。

2009年8月10日月曜日

ロシア語同窓会


沖縄から帰った疲れも癒されぬまま、昨日は大学のロシア語科の同窓会でした。数年前に会った人、今年会った人などもいましたが、中には大学卒業以来という人たちも。しかも私はみんなより1年遅く卒業したので、卒業式も一緒でなかったので、本当に久しぶりという感じがしました。


今回帰省して、何回か同窓会に行きましたが、みんな変わっていないんですよね。今回も本当に変っていなかった。声も外見も中身も。多分、大学卒業後5~10年くらいは、みなぞれぞれ仕事、勉強、結婚等々、色々苦しい期間もあったのではないかと思いますが、今くらいがやっとみんな一皮剥けて、色々なことが吹っ切れて楽しい時期かもしれません。
ちなみに、私たちの中では、ロシア語関係の仕事をしている人は一人もいませんでした。50人いた同期生の中では、一人か二人くらいはロシアにいたり、関連した仕事をしてるそうです。


場所は大阪キタ(梅田)のごま料理のレストランでした。とってもおいしかったし、サービスもよく、お値段も悪くなかった。


でもやっぱり思ったのですが、大阪はミナミ(難波、心斎橋)のほうが面白い。そこにいるだけでワクワクするような、町全体のバイタリティーがあります。でもこれって、もしかしたら私がナニワっ子だから感じることなのかなあ。

沖縄




沖縄では台風とかち合ってしまいました。タクシーの運転手さんによると、最近はあまり来ていなくて、4年ぶりとの事でした。うーん。せっかく沖縄まで来たのに。でも「私は晴れ女」と自称する妹を信じて、前向きに。


結局、私たちがいた間に、飛行機はずいぶんキャンセルになったのですが、私たちが返ってくる頃には、すべて平常どおりに戻っていました。風は強かったけれど、ビーチも水族館も閉鎖にならず、行きたかったシュノーケルのツアーがキャンセルになった以外は、問題はありませんでした。最後の日には、別の場所でシュノーケルもできたし、むしろちょっと曇って、涼しくてよかったくらいでした。




ところで、私は車の免許をイギリスでしか持っていないし、妹も運転したくないというので、移動はすべてタクシーでした。しかも私たちは母、妹を入れて5人なので、大型タクシーでないと乗れません。それで、2日目にニライビーチから帰ってきたときに乗った車がちょうどいい大きさだったので、翌日水族館に行くのに、1日チャーターしました。なかなか親切な運転手さんで、あれをするといい、これをするといいと色々教えてくれた上、帰りにマンゴーを買いたいと母が言うと、わざわざ電話をかけて、どこいいか聞いてくれました。




それで、最後の日も空港に行くのに、同じ運転手さんを予約しました。そしたらなんと帰り際には、大きな紅芋タルトのお土産までくれました。




この運転手さんに限らず、ホテルの人も、2度も行ったレストランの板前さんと奥さんも、たまたまその前のビーチに行っただけの日航ホテルの人たちも、とっても親切でした。もちろん商売といえば商売ですけど、それにしても、観光客に対するホスピタリティをしみじみ感じました。

2009年8月4日火曜日

ps.写真とお知らせ











先日子供が海に連れて行ってもらったときの写真ができました。


私は明日から8日まで家族で沖縄に行きます。ブログはお休みしますので、よろしくお願いします。台風が来ているとかなのですが、ポジティブシンキングで、楽しんで来まーす。帰ってきたらまた読んでくださいね。

村上春樹論

村上春樹の1Q84読み終わりました。SF でも推理小説でもないのに、次々読ませていくのはさすがだと思いました。難解な本ではなく、むしろ読みやすいけれど、一筋縄ではいかない本なので、また時間を空けて読み直したいと思います。ある本についての評価が、自分の中で時間とともに変ることは当然ですが、残念ながら、もう一度読み直したいと思うような小説は少ないのですが、これはそれに値すると思います。

彼の本についての一般的な批判としては、あまりにファンタジー過ぎてわかりにくいという話を聞きますが、これはかなり的を外れた批判だと思います。(この同じような批判が、この小説の中の「空気さなぎ」という本についてでてくる。)この本に限らず、彼の本は現実世界の話ではなく、ほとんどすべてがメタファーなんです。この本はその辺のところを、かなりはっきり「これはメタファーなんだよ」と、大声で叫んでいるような気がします。

この本の内容とはちょっとずれますが、村上春樹ってひきつけられるキャラクターがよく出てきますが、女性主人公に関しては、なんだか今ひとつ感情移入できないというか、魅力のある人がいないように思います。それはもしかすると、彼女達は誰もが複雑な事情を持っていて、少し突き放したような、ミステリアスなところがあるからかもしれません。この小説の主人公も、私にとっては今ひとつ魅力がない。

その一方では、主人公以外の脇役に面白い人が沢山出てくる。たとえばこの小説で言えば、「ふかえり」とか、「たまる」とか。海辺のカフカでは、大森さん、猫語のわかるナカタさん、そして星野君という超魅力的なキャラクターがいました。でも1Q84をとっても、なぜか主人公は、心惹かれなくもないけれど、結局は人間的魅力に欠ける人たちに思えます。平たく言えば覇気がない。もしも実際に知り合いなら、箸にも棒にもかからない人と思うかもしれない。でももしかしたら、それが面白い小説を書く秘訣のようなものなのかもしれません。主人公というのは、結局語り手、観察者でもあるわけですからね。 周りの人が面白いほうが、小説としては面白くなるのかも。

それから、「ノルエーの森」、「カフカ」、そしてちょっとマイナーですが私の好きな「国境の南、太陽の西」、そしてこの1Q84、どれもテーマが、幼い、もしくは若い頃の恋愛、出会いの永遠性にあります。理由を超えて圧倒的にひきつけられる何か、そしてそれは生まれたときから決まっていたように、決定的であり、最終的。行ってみれば「運命の赤い糸」のようなもの。そしてその「恋愛」は、どれも何らかの形でだめになり、主人公達がそれによって失われていくのですが、それでも完全に失われきってしまうのではなく、その愛の残り火のようなものを抱えて生きるとがテーマになります。

といっても、もちろんそんな一筋縄ではいくような話ではないので、これはあくまで私の印象なんですけど。

私は村上春樹、ほとんどデビュー時代からのファンなんですけど、その彼ももう50歳を超えました。その作家生活の長い彼が、それでも一貫して、「絶対的出会い、宿命的愛」について書いているというのは、なんだかとても勇気付けられるものがあります。多くの芸術家や音楽化がそうであるように、彼も何かをチャネルしているというか、天啓を受けて書いているのでしょう。

最近はあまり小説、フィクションは読んでいないので、読書家とは自称しませんが、それでも私がいまだに彼の小説が好きなのは、彼の小説の何かが、心というか魂というか、とにかく私の中の内なるものをあれこれ揺さぶるからです。彼以外のどの小説を読んでも、感動はしても、こんなに個人的に揺さぶられることはないんです。こういうもの、ある意味では、運命の結びつきなんでしょうね。

もしも村上春樹なんてメジャーな作家は読みたくないよという天邪鬼な人がいれば、そういわず文庫になったら、読んでみてください。

2009年8月3日月曜日

夏バテ

ご存知の通り、私たちの日本への旅はドバイ経由でとっても長旅でした。そのせいでルイは初日2日くらいは体調がよくなかった。暑さのせいもあり、食欲もなく、疲れやすく元気がなかった。それが3日目くらいに、体調がぱっとしない中無理して水泳に行くと、それこそ水を得た魚のように元気になりました。何か泳げば元気になるような、そんな気がしたんです。やっぱり暑いからかな。

その後は子供たちは超元気です。朝バスでスイミングスクールに行った後、午後は30分くらい歩いて、屋外の市民プールに行ったり。

私は私でちょっとマイナーな不調が続いていました。まず初日は頭痛と、畳の上のお布団の上で寝ることになれず、腰痛というか、夜あまり気持ちよく眠れません。それから、私のイギリスの家はすごい田舎なので、夜や朝は静かなので、朝5時からのせみの鳴き声に加え、朝5時半から炊事を始める母の立てる音で、一晩中ゆっくり眠れません。

それからあせも。初めの3日ほどで足と腕が真っ赤に腫上がり、ハイドロコーティゾン入りの軟膏が必要になったほどです。それから虫刺され。蚊ももちろんですが、家にいると、何か別の虫に沢山刺されました。いつもこのマンションに住む母や妹は刺されないのに、私と子供たちだけが刺されます。それでカーペットとたたみの殺虫剤をすると、刺されなくなりました。

3週間目の今、やっとあせもも出なくなり、虫刺され対策もできてきたかと思うと、今日はまた頭痛が。痛み止めを飲んでもあまり効かず、1時間くらいで口も聞けないくらいの激しい痛みが。暑い台所で料理をしていたので、余計悪かったのでしょうか。困ったなあ、薬も後3時間は飲めないなあと思いながら料理を終え、冷房の効いた部屋でちょっとこのブログのコメントなどを読んでいると、急にすうっと水が引くように痛みが引いていきました。

どれをとっても、やはり20年ぶりの日本の夏に体がついていけてないようです。危惧していた子供たちは全然平気そうなのに、日本で生まれ育った私が一番苦労しているというのも、不思議なものです。

後は、ちょっと太ったような気がします。そもそも飛行機の中から太り始めた。日本食のほうが健康的といわれていますが、それでも、食生活が変るというよりは、イギリスでいつも規則正しくしていた食生活が乱れたのが原因のようです。

運動量はというと、イギリスでは毎日何かしていたので、運動不足という感じがしてなりません。イギリスでは普段はほとんど歩かないのですが、ここでは車がないので駅に行くだけでも15分くらい歩くので、運動量自体が少ないというわけでもないのかもしれませんが、システミックに筋肉を動かすことをしていないので、なんとなく「体がなまってる」という感じが否めません。

そして多分一番インパクトが大きいのは、イギリスでは毎日20分メディテーションしていたのですが、ここに来てほとんどしていないことです。

たとえて言うなら、紐につながれて、そのひもが中心の杭につながれている犬を想像してください。犬は結構自由にあちこちにいけて、しかもそのひもはゴムになっていて、ずいぶん好き勝手にできる。でも本当は中心の杭の近くにいるのが、一番安心で心の平和が保たれている。メディテーションというのは、その杭の部分に毎日戻って、自分の位置やバランスを確認するような過程です。それを最近していないので、なんとなくこう、毎日とっても楽しくやっているんだけど、ちょっと心の平安が保たれきれていないかなあ、という感じです。自分を見失う、とまでは行かないけれど、ちょっと精神的な微調整が必要という感じかな。

近畿地方はやっと梅雨が明けました。そして私たちはあさってから沖縄に行きます。なんだかますます暑くなりそう。ちょっと不安です。

2009年8月2日日曜日

子供たちの海水浴と私の高校の集まり







今日は妹が彼氏と一緒に、うちの子供たちを和歌山との県境の海に連れて行ってくれました。彼氏のNさんの8歳の甥っ子も来ていたので、二人で3人の子供の子守です。朝はちょっと曇りでしたが、午後にかけて天気がよくなり、いい海日よりでした。



その甥っ子のハヤオ君はとっても人懐っこいらしく、始めはちょっと照れていたものの、行きからいきなりルイとチャーリーの隣に座り、ゲームなどをしていたそうです。海では3人ともよく泳げて、ハヤオ君はルイに付きっ切りで、子供同士楽しく遊んだらしい。二人とも晩御飯中、楽しかった楽しかったと言っていました。


子供同士って言葉が通じなくてもコミュニケーションができるというよりは、コミュニケーションしなくても、一緒に遊べるようですね。それで一緒の遊べたら、それでもちろん十分なんです。



朝日焼け止めを塗って、カバンにも入れて塗りなおすように行っていましたが、すっかり真っ赤になって帰ってきました。これは痛くなるよ。そして剥けるだろうなあ。



私はといえば、今日は高校時代のクラブの仲間で集まりました。私たちは10人で、卒業以来26年にもなりますが、いまだに1年に一回くらいは全員で集まろうということになるほど、とっても仲がいいんです。もちろん皆大阪にいるわけではなく、その時によって集まれない人もいて、なかなか全員が揃うことはありませんが、それでもまだ全員仲良くしています。



でもその中の一人が、今年2月に、白血病と6年くらい闘った後、死んでしまいました。それなので、これからはどんなに頑張っても9人しか集まれません。今日は6人集まりました。あと一人、来れそうでこれなかった人がいたのですが、まあ悪くない出席率です。


私たちのうちの一人は、2歳の子供連れで来ました。上の子供もまだ4歳なので、私も結構出産が遅かったのですが、それよりもまたちょっと遅かったんです。20年前くらいに集まった頃は、今年亡くなった友達が、そういえば小さい子供を連れて待ち合わせに来ました。その彼女はもう大学生です。月日は流れました。


そういうことを考えると、高校を卒業して以来、皆それぞれ違う道を歩いてきました。やってきたことも、家庭や出産をとっても。もちろん結婚して出産した人ばかりではありません。それでもこうして26年も、誰かが集まろうというと全員に声がかかって、皆何とかしてあちこちから集まってくるというのは、本当にありがたいというか、嬉しいことだなあと思います。でも奇跡的だとか、そんな感じは全然なく、卒業時点からこうなることはわかっていたような気もします。高校卒業後は「月一」と呼んで、なるべく一月に一度は集まろうとしていましたが、それが「年一」になった、という感じです。



特に私たちの一人が死んでしまったことで、少なくとも私としては、残ったみんなとのつながりを今まで以上に大切にして、集まりを離れれば皆それぞれ家庭や職場で悩みはあっても、集まるときは昔に戻って、楽しい時間を大切にしたいと切実に思っています。




ところで阪神は、昨日は私たちが花火で外出していた間に、巨人に負けていましたが、今日はまた勝ちました。これでこの対巨人戦は勝ち越し。高校野球で、阪神がしばらくロードに出る最後の試合の今日は、満員の甲子園球場は超盛り上がっていました。



写真は、飛行機でもらったアイマスクをして寝るルイとチャーリー。












2009年8月1日土曜日

花火




今日は妹のアレンジで、大阪南の富田林にPLの花火大会を見に行ってきました。PL というのはあの野球で有名なPL学園のあるところです。PLはPL 教という新興宗教です。花火はその教祖の誕生日だとかナントカですが、実際にはそんなことは全然関係ありません。




花火なのだからどこでも見れるのですが、とにかく混むとの事で、観覧席の切符を妹が手配してくれていました。一人3000円もするのに、大きい駐車場というか公園のようなところに入場して、そこの床にレジャーシートを敷いて場所取りをして見るだけです。




花火は7時50分からだったのに、とにかく混むからと、2時半に家を出て行きました。会場に着いたのは4時くらい。そこから、まあ言えば花見のような感じで、お弁当等を広げて、花火の始まるのを待ちます。そんなに早く行ったのに、当日きた人の半分くらいはもう来ていました。




どれだけ混んでいるかというと、沢山ずらりと並んだ簡易トイレに行くのに、女性は1時間待ちの列ができていました。帰りは駅まで1キロくらい歩くのですが、みんなが会場を出てからゆっくり帰り始めたというのに、駅まで1時間半くらいかかりました。帰宅したのは12時前。




花火のほうは1時間近くありました。さすがにこれだけ人が集まるだけあって、すごい!近くで見るから迫力もある。花火ってビジュアルで楽しむものだけでなく、音はもちろん、あのドシンという振動を体で感じる、全肉感的なものだったのだなあと、見方を新たにしました。




子供たちはチャーリーはちょっと音が怖かったみたいでした。ルイは、こんなに沢山の人間を見たのは初めてだとの事。そりゃそうだろう。でも、長く待った甲斐があったと、喜んでいました。




アー、それにしても疲れた。