2009年8月23日日曜日

Practice makes perfect

え、あつこさんが文学?と驚かれたので、ちょっといきさつを書いてみたいと思います。

詩のほうは、2月ごろのブログに書きましたが、中学生のときから、なんとは無くノートに書き綴っていました。どうしてそういうことになったのかは覚えていませんが、詩との始めての出会いは小学2年生位かな。誰かが詩の本(書き方だとか読み方だとか)をくれて、そのときに詩とはどういうものか初めて知りました。といっても今でも詩は何かと聞かれれば、なかなか答えにくいものだけれど、そのときの印象は、「詩って短くて簡単で、誰でもかけるんだなあ。」というものだったと思います。それが良かったのかもしれない。だってそうでなければ、詩ってとっつきにくいものだなあと思ってもおかしくないですからね。

イギリスの学校では子供たちはよく詩を書かされます。でもイギリスの詩は、日本の小学生が習う現代詩、自由詩とは違うんです。「韻文」という言葉があるように、基本的に英語の詩は韻を踏むんです。だから子供はゲーム感覚で入っていきます。たとえばルイはCrab called Barbという詩を昔書いていました。クラブとバーブの最後が韻になっているでしょ。

でも私は日本の小学校で、詩を書いた記憶はありません。作文は覚えているけれど。自由詩ってルールもないし、先生には教えにくいのかもしれません。

とにかく中学生位から詩を書き始めたのですが、だんだん大人になるにしたがって、書かなくなりました。イギリスに来てからは、ほんのいくつかしか書きませんでした。

エッセイのほうは、15年位前、イギリスの銀行を辞めたときに、しばらく家にいたので、この機会にとロンドンについてのエッセイを書きました。でも1日中家にいて集中して書いたのが返ってよくなかったのか、結構書くのが大変だった。それでも一応書き上げたのですが、人に話を聞いてみると、そのころはロンドンについてのエッセイは山ほど出版されていて飽和状態とのことで、結局は出版社に送ることも無く、それどころか本格的に推敲することも無く、それっきりになっていました。

それが3年位前、ある日本人の人と話していて、その人が転勤で地方の支店に行ったときのことをエッセイにしたいという話を聞いて、私も書こうと思いつきました。今度はロンドンではなくて、イギリスのど田舎のことなので、また違ったアングルで、興味を持ってくれる人もいるのではないかと思ったからです。

それで仕事や家事の合間、子供が学校に行っているときや夜に書いていると、するするかけるんです。あっという間にとはいいませんが、割と短期間で原稿用紙にすれば500枚くらいになってしました。それができたのが今から1年以上前。その後何回か推敲しながら、同時に出版社に当たってみましたが、なかなか良い返事は来ません。今回はそれでぐっとポイントを絞って、3分の2くらいまで減らしました。まああきらめずに、出版社を当たってみようと思っています。

まあそんなことをしているうちに、詩もまたぼちぼちと書き始めました。書いていると思うんですが、私は本当は詩のほうが好きなのかも知れません。エッセイは前後の説明が多いので、書いていて結構退屈な部分もあるし、常に読者を意識して書くけれど、詩はまったく前後の説明なしで、どこまで読者が理解してくれるかとは別の次元で書くので、自己満足だけの世界といえば、まったくそのとおりです。わかってくれる人だけがわかってくれれば良い、というのが基本的な姿勢ですから、どうしようもないですね。

でも詩って何かインスピレーションがないとかけないなあと思うのですが、本当に詩人はそんなもの待っていないようです。とにかく毎日何かを書く。それが大切らしい。それで私もそれを見習おうと、毎日10分でひとつ詩を書くようにしていた時期(1年位前)もあったのですが、いつの間にかそれもやめてしまいました。そんな機械的なやり方、なんとなく詩人らしくないなあという気もしないではありませんでした。

今回、昨日ブログに書いた文学賞に送った詩は3篇で、「私たちが求めるもの」「ボブ・ディラン」「裏切る」というタイトルです。そのうちの「ボブ・ディラン」は、そういえばこんな風に毎晩10分で書いていた詩のうちから膨らませたひとつでした。はじめの「微笑まないユダヤ人」という出だしが気に入った以外はぜんぜん駄作だったのですが、どういうわけか手を入れているうちに、ひとつ送ってみるかという気になるくらい膨らみました。

そんな風に考えると、やっぱりPractice makes perfectですね。インスピレーションなんて頼りにならないものを待っていないで、毎日こつこつと歯を磨くように詩を書いていれば、そのうち何かまた書けるかもしれません。せっかくこんな風に少しでも評価してくださる人がいたので、がんばろうという気になっています。

6 件のコメント:

こんの さんのコメント...

詩もエッセイも「表現」という営為でしょね
なにをどう書くか、誰に何を伝えたらいいのか...無意識のうちにも工夫する
結局は、こころの内にあるものを言葉というもので表現する
それでどうした、どうなるというものでもないが、ある種のカタルシスを得られる
ブログの繁盛もそういう人々の気持ちの結果でしょう
急ぎませんですが『妻の手』批評文 読ませてくださいね
うふふ まぁ、のんびりとまいりましょう

Atsuko さんのコメント...

こんのさん、日本ではひとりになれる時間がほとんどなくて、せっかく送っていただいたエッセイ、半分くらいしか読めませんでした。今日子供たちがお父さんと遊んでいるうちに、じっくり読みました。面白いです。後10ページくらいです。読みながら、こういうところをメールにしようとか、いろいろ考えていますが、なかなか考えがまとまりません。読み終わったら、ぼちぼちと少しずつ感想メールしたします。もう少々お待ちくださいね。

あくあ さんのコメント...

Practice makes perfectっていい言葉ですね。perfectはちょっと言いすぎな気もするけれど、結局、インスピレーションとか才能を待っているよりpracticeするのが人生の意義のような気がしますね。こんな運動音痴の私ですら毎日走ってたらハーフマラソン大会に出られるまでになったしなぁ。何でもいいから少しずつpracticeして、昨日より一つでもちょっとでも何かが出来るようになってるといいなと思います。

Atsuko さんのコメント...

あくあさん、そうですよね。天才と呼ばれる人たちだって、朝から晩まで練習したり、打ち込んでいるんですからね。すきこそ物の上手なりといいますが、その苦労や努力が苦にならないところが、天才なのかもしれません。
ところであくあさん、運動音痴なんて一度も思ったことありませんよ。大学の体育のサッカーの活躍ぶり、覚えています。

本読みと山歩き さんのコメント...

文学!この高尚な響き!
そうですか、幼きころから好きで、
学生時代“雑記帳”で腕に磨きがかかり、
イギリスで花咲こうとしているのですね。
自分の表現方法を知っていて、それが好きになれるとはすばらしい。
私もそんなものを探したい。

あつこさんが「なぜ文学?」
よくわかりました。
「継続は力なり」がんばってください。

Atsuko さんのコメント...

山歩きさん、文学って言葉は、確かに仰々しいですね。自己表現っていうのもなんだか気恥ずかしいものです。
ブログは確かに雑記帳の延長ですね。(私は「交換日記文体」と呼んでいます。)エッセイはそのまた延長です。
好きで打ち込めるもの、山歩きさんも一貫してあるではありませんか。山が。それが自己表現となってブログになっているのですから、同じですよ。