2009年8月28日金曜日

狂気

Eメールでいくつか毎日自動的に送られてくるニュースレターのようなものがあります。こういうのがもしかしたらスパム(迷惑メール)の原因かもしれないので、本当はよくないのかもしれないんだけど、とにかくその中のひとつは、アメリカから送られてくる「今日の言葉」です。

これは格言のようなものではなく、偉人だとか有名人だとか、死んだ人、また生きている人、そんな人たちが言った言葉が送られてきます。大体は「うん、私もがんばるぞ」というような、心が元気付けられるようなものが多い。これはちょっと納得できないなというのもたまにはありますが、大体においては、退屈で単調な毎日の中で、ほんのちょっとだけ勇気付けられうようなものです。

普段は、ああなるほどと思って、消します。うーん、これは含蓄が深いと思うと、消さないで残しておくけれど、別にそれ以上は何もしません。でも時々、プリントして冷蔵庫に張ったりもします。

たとえばイギリス元首相のウインストン・チャーチルの次のような引用が1年ほどはってあります。

Success is the ability to go from one failure to another with no loss of enthusiasm.

(成功とは、情熱を失わず失敗から失敗へと進んでいける能力である。) 英語の得意な人は、英語のほうで読んでください。

そんな風に失敗をものともしないで、希望と情熱を失わず、物事に向かって生きたいものです。


昨日の引用はロビン・ウイリアムズでした。ご存知かとは思いますが、彼はアメリカの大俳優。ミセス・ダウトファイヤーとか、Dead Poet Society, Good Will Huntingで有名です。でももともとはコメディアンで、コメディーだとかテレビに出ているのを見ると、ちょっとこの人やりすぎというくらい、馬鹿なことやっています。

You are only given a little spark of madness. You mustn't lose it.

(人間はほんの少しの「狂気」が与えられるのみだ。失ってはならない。)

どういうわけかこの言葉、心にしみじみ来ています。たしかにコメディーの彼を見ていると、madnessという言葉がぴったりだなあと思うくらいなんですけど、そうか、あれが大切なんだなあ。

みんなまともに生きているじゃないですか。家庭があったり仕事があったり、若い人でもまじめに勉強していたり、試験があったり、試合があったり。親の目がある、会社の目がある、学校の目がある、夫・妻の眼がある。世間の目がある。羽目をはずしたいなあと思っても、なかなか機会がなかったりするうちに、そんな羽目をはずしたいという心すら失われていく。やがてそんな人を見ると、軽蔑心を持ったりもする。それって、うらやましさの裏返しでもあるんですけどね。

そんな中にあってmadness というのは本当に'given'、与えられたもの、天からの恵みみたいなものじゃないでしょうか。madnessというのは狂気という意味ですが、それは情熱、パッションという風に置き換えると良くわかる。日本語でもキチガイというのは、精神病という意味でだけはなく、何かに狂信的に夢中になってることを差しますよね。たとえば阪神ファンのことを、トラキチというように。

それは趣味だったり、スポーツだったりすることもある。常道を逸するほどのコレクターだったり。そのほかに、「魔が差した」という風に、急に何か衝動的にすることもある。衝動買いだとか。

そういうのって結構困ったなという風にとられがちですが、考えてみれば、そんなことはしょっちゅうあるわけではない。魔が差したように何かをしたくなる、そんな衝動に駆られる、そんなことってめったにない。そう考えれば、この規則正しい文化的な日常において、そのような「衝動」って、ありがたいものではないでしょうか。

普段はとってもお金に慎重なのに、あるものに出会い、衝動買いする。それだって、普段の慎重さを放り出してまで買いたいというくらいほしいものに出会えたんだから、すごい幸運ではありませんか。

こんな風には、もっと若いころは考えなかったかもしれない。でも今は、そんな風にどこかから突然やってきて、理性も理論も吹き飛ばすようなパッションって、ありがたいなあというか、うらやましいです。それこそが人生のエンジンそのものとさえ思います。そういうことをしているときこそが、生きているという実感がするし、そういうものが無ければ、人生何もかも予定通り、計画通りで、味気ない。

私を昔から知っている人は、ああ、あつこらしいなあと思うかもしれないなあ。

でも今はイギリスに帰ってきて、細々と隠遁生活に戻っていますよ。私も今では、普段はそんな静かでつつましい生活をのぞんでいるんです。そうしてやがて狂気がやって来るのを・・・・・

6 件のコメント:

こんの さんのコメント...

「狂気」
あつこさん 書かれた気持が分かるというか、理解できる気がします
「狂喜」も一緒に転換されたのをみて笑い、頷きました
非日常的な抑えがたい気持ち なかなかコントロールが難しいけれど、ぎりぎりの所でなんとか対応している

意識して従ったり、抑制ができるぎりぎりのところでうろうろしている
う~む、「狂気」を客観視できれば蘇生剤ですねぇ

Atsuko さんのコメント...

でも客観視できないところが狂気ではないでしょうか。そうなると厄介ではあるんですけど。だからこそ、失わないように気をつけなければいけないのかなあ。

本読みと山歩き さんのコメント...

今晩は。
「人間には緊張と緩和が必要」です。
ニーチェでしたっけ?
彼のいう「狂気」の定義がこの一文だけではなんともわかりませんが、「羽目をはずす」という程度の意味ならば、
私の常識(これも羽目という枠)内で理解できます。(笑)
 有名人の言葉は、その人となりなどがある程度わかった上ですとより理解できるものでしょう。きっとあつこさんはその人を良く知っているから、その言葉が心に残るんですね。
 「なぜ山に登るのか」との質問に「そこに山があるからだ」と答えたのは有名な登山家マロニーです。
が、本当の意味は、その山は「(エベレストという今だ未踏峰の)山があるからだ」というのが真の意味なのです。
 論点をずらした上に、また山の話をしてしまいました。(笑)
しかし、本当に精力的にブログしていますね。

こんの さんのコメント...

精神病が「精神病」と判断(診断)されるのは、本人が「狂気」の状態であるという「病識」がない状態(の有無)がひとつの診断基準となります
(「狂気」状態だなぁ)という認識があれば、それは「狂気」そのものではない
とまぁ...
っふふ、どうでもいいことですが

Atsuko さんのコメント...

山歩きさん、緊張と緩和って、普通の意味の「メリハリある生活」という意味なんでしょうか。確かにコンテクストなしでは、今ひとつ真意がわからないことってありますよね。私が書いた狂気は、「恋」に近いかも。恋愛はもちろん、山だとか阪神とか音楽とかその他の趣味も含めて、理性を忘れて夢中になれるものというか。そういうのって厄介ではあるけど、それが無いと人生つまらないものというか。

「そこに山があるから」というのはそういう意味だったんですね。


でも話がすぐ山に行くところが、すごいですね。昔よりも山への情熱が強くなったのでは?

Atsuko さんのコメント...

こんのさん、私の書いた狂気って、ひとつ上のコメントに書いたように、「恋」という感じかな。そういうのって後でさめたときに、われながらあれは変になっていたなあと思いますが、そのときにはわからないので、ある種の狂気なんじゃないかな。