2009年9月30日水曜日

解凍

今日は一年に一度の、世の中で一番つまらない家事をしました。冷凍庫の解凍です。これって本当に誰にも感謝されないし、目に見えるところがきれいになるわけでもないし、つまらない。でも年に一度くらいはしないと霜で一杯になるし、そうなると電気代が無駄らしいし、しょうがありません。昔友達のとこにディナーに呼ばれて、お土産にハーゲンダッツのアイスクリーム買って行ったら、その家のフリーザーが霜でいっぱいで開かなくて、入れられなくて溶けてしまったということがありました。 そういうことにならないためにも。

シティーで働いていたときは、セールスデスクで隣に座っていた女性が、上司に「週末は楽しかった?(Did you have a nice weekend?)」と聞かれるたびに、「冷凍庫を解凍した」と答えていたのを思い出します。彼女はその上司が嫌いで、しかも彼女はだんなさんと仕事の関係で別居していて(ご主人はオーストリアの銀行で働いてた)、一人で週末を過ごすことが多く、週末の事を聞かれるのが嫌だったみたいです。それでこんな返事してたんだけど、そういわれると確かに返す言葉がないですね。

本当は年に一度といわず、2ヶ月に一度位するべきなんだろうけど、うちはたいてい冷凍庫がいっぱいなので、なかなか機会がありません。でも冬になったらフリーザーのドアを開けておくと寒くなるし、重い腰を上げて、明日買出しに行く前の今日しました。

2週間くらい前から計画していたので、先週は買い物も控えてなるべく中身を減らすようにしていたのですが、やっぱりまだまだたくさん中身がありました。

写真で見ると、お肉4パック、魚2パック、ソーセージ、ムール貝、パン2斤、ピタブレッド、自家製パン粉、アイスクリーム、アイスキャンディー5つ、ベーコン、日曜にIKEA で買ったミートボール、グリンピース、スモークサーモン2パック、去年取れたえんどう豆、同じく去年からあるパンプキンの身2袋、今年採れたソラマメ、イチゴ2袋、ブラックベリー3袋、かに捕りの餌用の魚、パイの生地、使いかけの餃子の皮、そして納豆一パック。 よくあるなあ。3週間くらい買い物に行かなくても良いんじゃないだろうか。

3時間くらいで解凍できたので、冷蔵庫に移し替えていた上記のものは溶けていなくて大丈夫でした。よかったあ。

そういえば家の保険で、泥棒とか火事のための家財道具の保険をかけているんだけど、その中に冷凍庫の物という項目もありました。冷凍庫が壊れ中の物がだめになったら、保険が下りるんです。そういえば確かに金額にすれば100ポンド近くにはなるなあ。

それで思い出しましたが、作家の村上春樹さんはコロッケが大好きで、昔たくさん自分で作って冷凍していたら、冷凍庫が壊れて全部だめになってしまったことがあるんですって。そういうのは、お金が戻ってくれば良いって物でもないなあ。(でも彼の作ったコロッケ食べてみたいなあ。)


とにかくこれでまた1年解凍しなくても良いので、またいろいろなものが冷凍庫にたまっていきそうです。

2009年9月29日火曜日

追伸、IKEAの机のその後

今日仕事から帰ってきたデイブがルイの机を組み立てました。同じものを組み立ててわたしは昨日1時間くらいかかりましたが、彼は10分くらいでできました。ぐっすん。チャーリーは「お父さんはずるして電動ドライバーを使ったらからだよ。」と慰めてくれましたが。

読書感想文 Midnight Press






今日も一人でプールに行きました。今日はちょこっとクロールも交えながら、平泳ぎで1200メートル、ノンストップで泳ぎました。結構自信がついてきた。その気になれば、5キロくらいなら泳げるような気がしてきました。 

マイ電動ドリルの話がコメントで出ましたが、私もマイかなづちを持ってます。これです。よく見るとgirly hammerと書いてあります。girlyというのはただ「女の子の」という意味だけではなく、「おんなおんなした」というか、ほんのちょっとさげずむ様なな意味合いのある言葉です。でもこれがよくできていて、持つところをあけるといろいろなサイズのドライバーが出てきます。


さて、今日書くのは、1年ほど前に日本から2冊送ってもらったMidnight Pressという詩の雑誌についての読書感想です。内容は半分くらいが詩で、半分くらいが散文とか書評とかインタービュー、対談になっています。

詩のほうはわかりにくいというか、難解な詩が多い。こういうのをまじめにこつこつ読むのはしんどいので、1日ひとつとか二つのペースでさらりと読んで、気に入ったのだけ読み返すという読み方をしていました。

学校で読まされた詩って、読解だとか意味を考えたりだとか無理やり暗誦させられたりだとか、堅苦しい読み方が多かったですよね。でも本当はそんな読み方よりも、意味なんか考えずただ気に入ったものだけを何度も読んで、それでその一部だけでも記憶に残って、ふとしたときに思い出す、なんていうのが詩を読む醍醐味ではないかなあと思うようになりました。その詩の一部を自分の考え方の一部に取り込んでしまうような。
詩っていうのは歌にもつながるもので、意味だけでなくリズムだとか音感が大切な要素ですから、気づいたら覚えてた、口ずさんでたというのが、詩なんじゃないかなあ。

たとえば私は時々美しい光景なんかに出会うと「世はすべてこともなし」っていう言葉が浮かんできて、どう頭をひねってもこれ以上の表現って思いつきません。それでこれがどこから来たかというと、多分ロバート・ブラウニングというイギリスの詩人の詩の翻訳を昔どこかで読んだのが頭に残ってるんだと思うんだけど、その辺は良くわからない。でも確かに、この一節は私の精神の一部になってるんです。

ああ話がそれた。midnight pressにもどると、谷川俊太郎が田村さと子というラテンアメリカ専門の詩人をインタビューする記事があります。これを読むと、詩にはぜんぜん関係ないんだけど、南米ってほんとに半端じゃなくまだ危ない国なんだなあと、しみじみ思いました。英語ではLife is cheapという表現があって、これって命は尊いの逆なんだけど、ほんと南米ではライフ・イズ・チープなんだなあ。

それから谷川俊太郎さん。彼って戦後の日本を代表する現代詩の第一人者ですが、彼って詩人的な敷居の高いところがぜんぜんなくって、今ではかなりお年だと思うのに、すごく精力的にいろいろ活躍されています。この雑誌でも、詩はもちろん載っているし、前述のインタビューだとか、アバンガルドでパンク的な若者の詩のムーブメントに参加して、その対談をしたり。彼って昔はスヌーピーの漫画を翻訳していたし、確か鉄腕アトムの作詞も、宮崎駿のアニメ、ハウルの動く城の主題曲の作詞も彼だったように記憶しています。もっとも彼の書いた本によると、「詩では食べていけないから」ということなんですが。谷川俊太郎でも詩で食べてはいけないんだなあ。

あとは詩の教室というページがあります。これはある意味ではとっても日本的だと思いました。投稿されてきた詩を分析して批評するわけですが、こういうのってすごく勉強になる反面、それはある一人の詩人(おそらく)の意見でしかない。その辺を忘れないで読むと、とっても参考になるけど、こういうのをまったく文面とおりに100パーセント真に受ける人もいるんだろうなあ。すごい詩人とか作家とかアーティストって言うのは、こんな風に細かく分析されて徐々に上達するというようなものでもない気もします。他人の批判だとか規制の価値観なんかをぜんぜん意に介さないほどでないと、すごい詩人にも芸術家にもなれないんじゃないかなあ。まあわたしのような人間には、ありがたい記事ですが。

ひとつ気に入った詩を見つけたので載せます。岡田すみれこという詩人です。彼女の詩が何篇か載っていて、結婚して何年も経つ旦那との仲が今ひとつうまく行っていないんだろうなあと思わせる詩のあとに、これが出てきます。

「わたしとかれ」

三日ほど家を空けた
猫は玄関に寝そべったまま
黙って待っていたという
わたしが帰宅すると
家人の間からのっそり顔を出して見上げた

夜も更けたので寝ようと思うと
かれは階段の横に
ひっそりとすわっていた
秘密の約束のように
わたしは胸躍らせてしゃがみこみ
深い思索のようなかれの目を見つめて
柔らかな毛並みに手を入れる
確かめるようにわたしのからだの匂いを
何度も嗅いでいるときに
ふっと電気が消えた

「わたしね、かえってきたでしょ?
でもまた出かけるのよ」
「知ってるよ、またいなくなるんだね」

暗闇の中で会話をすれば
ほてったからだに猫の小さな鼻が冷たく
心地よい
その夜かれは
夫のベッドの脇をすり抜けて
わたしの腕の中にそっと滑り込んできた
つかの間の愛しい時間を、慈しむかのように


この猫との会話がなんだか胸にひしひしと来ます。それでどういうわけで、この人は3日家を空けていて、また出て行くのかなあとか、あまり良い事情ではないんだろうなあとか、そんな大変なときに猫なんてかまってる余裕はないんだろうけど、その中にあってつかの間の猫との会話がなんか心に響くんですよね。猫と人間の愛情、なんていう安っぽい感情以上のいろいろなものを感じます。

こんなに良い詩のあとで恐縮ですが、わたしも詩のブログのほうにひとつ載せましたので、よかったら見てやってください。短いですから。
http://fordfarmpoems.blogspot.com/

リクエストをいただきましたので、そこに去年撮ったこの辺の海の写真を載せましたが、詩アレルギーの人のために同じ写真をここにも載せておきます。

2009年9月28日月曜日

IKEAを組み立てる







昨日買った机と洋服ダンスは自分で組み立てないといけないということを、昨日書きました。それで今日は子供が学校から帰ってきてから、チャーリーの机を組み立ててみました。大体こういうことはデイブがするのですが、気が乗らないとやってくれない。それで私がやると、もちろん家具を作るのが本職の彼のようには完璧にはできないので、文句を言われるということが多い。それでも子供たちも私も楽しみだったし、いったい素人でも簡単にできるものなのか興味もあったので、やってみました。

まず箱を空けて部品がちゃんとあるか調べます。日本だったらこんなことする必要ないのかもしれないけれど、イギリスではこういうところで手落ちが多いので、入念にチェック。結果は全部そろっていて問題なし。でも結構机のパネルって重い。インストラクションを開けると、とってもシンプルな図解なんだけど、ぜんぜん言葉が書いてありません。すべて絵です。「わからなかったら、IKEAに電話しましょう。」ということも絵で書いてあります。これはもちろん、ほかの国でも同じものが売られているからです。 まあほかのややこしいものならともかく、机くらいなら言葉なしでもわかります。(机といってもコンピューター用の机で、引き出しのように机の下から板が一枚出てくるようなデザインです。)

実際にやってみると、所要時間は1時間くらい。ただの机にしたら、結構かかったほうかもしれない。内容は難しくはないのですが、「組み立て」というようほどシンプルでもありません。まず、自分で組み立てるタイプの家具にしてはしっかりできているので、それぞれの部分が重くて、一人では無理。要所要所で誰かに支えてもらわないとできません。

それから私は過去にもIKEAの家具を組み立てを手伝ったことがあるので、アレンキーというちょっと専門的なねじの使い方を知っていましたが、知らなかったらちょっとわかりにくかったと思う。それと、ねじを留める場所など、ややこしくはないのですが、結構力が要るし、技術がいるというか、経験がいるというか。とにかく一度もこういうことをしたことがない人には、きちんと作るのは結構難しいかもしれません。

それでも、本当によく考えてデザインしてあるなあと感心するところがいくつかありました。たとえば机の下に引き出しのように板がスライドして出てくるようになっているのですが、そのレールの金具をねじで取り付けるのに、失敗してねじがうまく留められなかったときのために、金具に予備の穴が開いていました。それから机の下の床に触れる部分は、床が痛まないようにプラスチックの部品を釘で打ち付けるのですが、その釘の頭が床に触れないようなちょっとした工夫など、本当に大衆向けにシンプルに、かつ効果的に考案されていました。

判定としては、組み立てというほど気軽なものではないけれど、落ち着いてゆっくり時間をかけてすれば、そして誰か子供でも良いのでちょっと手伝ってくれる人がいれば、問題なく組み立てられます。でもまあ、うちの母なんかにはちょっと無理かなあ。

ルイの机はまだできていません。私がやっても良いんだけど、ルイはお父さんにやってもらうといっています。何でや!でも私のワードローブも、週末にやってもらうつもりでいます。難しくはないと思うんだけど、これはなんといっても机より大きくて、フラットパックの箱を私一人では動かせないくらいなので、残念ながら私には手が出ません。

でも一人暮らしだったら、週末に友達に手伝ってもらったりして、自分でやるんだろうけどなあ。私って実は何でも自分でやりたい人なんですが、まあ今回は、たまにはデイブを頼りにしてあげましょう。

2009年9月27日日曜日

IKEA


今日は日曜というのに早起きしてIKEAに行ってきました。日本ではイケアというようですが、イギリスではアイキアと発音します。でもこれが正しい発音って言うわけではありません。私の家から一番近いIKEAはここから車で2時間もかかるブリストルという街にあります。


どうして早起きして行ったかというと、イギリスは日曜は6時間しか店を開けてはいけないという法律があって、日曜の営業時間は11時から5時まで。5時に閉まってしまうのなら11時には行きたいということで、7時半におきて8時半に家を出て行きました。


前に行ったのは3年くらい前。その頃は引越しして間がなかったこともあり、年に一度くらい行っていましたが、行くたびにあれこれ買って、でもそれをぜんぜん取り付けないで(壁に穴を開けて取り付けるタイプのものを多く買った)屋根裏にそのままになってるので、これを全部取り付けるまではもう行かないぞと宣言していたのです。でも最近ルイとチャーリーが別室になったので、それにあわせていくつか必要なものが出てきたので、これを機に日ごろから欲しいと思っていたものを買いに行くことにしました。


日本のIKEAはどうか知りませんが、イギリスは基本的に届けてくれないんです。手続きをして頼むことはできるんだけど、手数料がかなり高いので、たいていの人は何とかして自分で持って帰ります。私たちが今回買いたかったものは子供の勉強机二つと私の洋服ダンス(ワードローブ)とベッドの下における収納箱だったので、普通の車では無理なので、デイブの仕事先のライトバンで行きました。


せっかく遠くまで行って売り切れになると馬鹿らしいので、まず着いたら早速お目当てのワードローブと机を買って、これを車に詰めました。こうしてまた入り口から入りなおして、今度はゆっくりあれこれ買い物です。一応ショッピングリストも持っていきました。


買ったものはレシートを見ると、ベッドの下の収納箱、前に買った収納箱のふた(これは失敗。サイズが合わなかった)、壁に取り付けるフック、勉強机の上のライト二つ、ブックエンド、ラッピングペーパー、ねずみのぬいぐるみ、食器洗いのブラシ、ソファーなどについた猫の毛を取るローラー、洗濯物のかご、お皿、茶碗、ナイフとフォークセット、トイレブラシ、以上。まあ、こまごまとしたものをいろいろ買いました。


ショッピングリストにあって買わなかったのは、ルイのカーテンとフライパン。これは良いのがなかった。


はじめの買い物(机とたんす)は私が、残りのものはデイブが払ったのですが、私のほうが数ポンド安かった。これには驚きました。おそらくこういった大きい家具の値段を抑えて人が来るように仕向け、雑貨で利益を上げてるんだろうなあ。


まえにIKEA に来た時って、特に雑貨のセクションはほんとに何でもかんでも安くて、欲しいと思えば値段なんて気にしなくても買えるというくらいでしたが、今回はなんだかどれも高いなあという気がしました。たとえば前回と同じトイレブラシを買ったのですが、今日は倍以上の値段でした。(といっても99ペンスなんだけど)食器洗いのブラシも同じ。


これっておそらくポンドが弱くなったからじゃないかなあ。何でも外国で作られているから、輸入するのも高いし、スエーデンの会社だから、その辺も関係あるのかもしれない。こうして考えてみると、イギリスって5年位前から洋服がすごく安くなったんだけど、最近はまた高くなってきた。これもポンド安せいかなあ。ガソリンの値段も関係あるのかなあ。こういう時ってユーロじゃないって不利だよなあ。


そういうわけで前回のように、何でも気楽に買い物籠に放り込むという感じではなくて、いろいろ頭をひねりながら買い物し、レジに並び始めてから、やっぱり辞めようと返したものもいくつかありました。


それでも買い物が終わってバンに入れると、あれ、たったこれだけしか買わなかったの?って感じでした。家に帰ってからも、「数ポンドのことだし、次はまたしばらくいけないんだから、買って置けばよかった。」と話し合ったものがいくつかありました。普段はこの逆で、こんなの使わないのにどうして買っちゃったんだろうということが多いんだけど。


お昼ごはんはそこのレストランで食べました。私は蒸しサーモンと野菜、デイブはフィッシュアンドチップス。子供たちはスエーデンのミートボールとパスタ。味も値段も悪くなかった。


最後にレジを出たところで、帰りの長旅に備えてアイスクリームを食べました。これは小さいのは一つ35ペンスで、相変わらず安かった。


まだ机とワードローブは箱も開けていなくて、自分で組み立てなければいけません。難しくないと良いんですが。


2009年9月26日土曜日

無駄な時間

私たちが日本から帰ってきて、早いもので1ヶ月以上たちました。ルイとチャーリーの学校が始まって、3週間ちょっとになります。私の仕事も再開し、子供たちのお稽古事もいつもどおりになりました。ご存知のように、私の仕事は毎日する時間も場所も違うし、もちろんこどものお稽古事も毎日違うから、その日その日行くところ、することが違います。

たとえば月曜日を例にとると、朝7時過ぎに起きてお弁当を作り子供たちを8時半にバスに乗せ、そのあと朝ごはんを食べて、20分瞑想のあと家事を少ししてから9時40分に歩いて仕事に行きます。

そのあと12時前に帰ってきて、家事の残りを済ませたり帳簿をつけたりしたあと、昼食。1時半までには済ませて片づけをします。このあとコンピューターでメールなどをチェックして、1時間ほどヨガ。そのあと3時位からエッセイを書いたり、日によっては庭仕事をします。子供が4時前に帰ってくるので、おやつを食べさせて宿題、ピアノ等をさせたあと、小一時間ほどコンピューターに向かったり、庭仕事の残りをしたりします。そして5時45分に水泳に連れて行って、私は帰ってきて食事の支度。7時半ごろデイブと子供が帰宅。食事。子供を9時ぐらいまでには寝させます。

そのあとまず洗濯物を片付けて、お風呂。そしてブログをつけたり、人のブログを読んだり、メールを書いたりします。11時半には寝室に行きたいんですけど、これがついつい遅くなって、コンピューターを消すのは大体12時過ぎ。

このあと、すぐにベッドに入れば7時間くらい寝れるんですけど、私はここからが長い。まず明日の着るものを決めて、それの準備。それから詩を15分くらいで書いて(毎日簡単でも良いから書くトレーニングしているので。)、日によっては日記をつけます。そして枕もとの電気だけにしてベッドに入る。すると枕もとの本が気になります。最近は詩の本を手にとってひとつ詩を読んで、そのあと20分くらい本を読んで、やっと電気を消します。

そしてベッドの中で、眠ってしまわないように目を開けて、引き寄せの法則の本にあるとおり、自分の心に描く人生を思い浮かべます。そしてやっと眠りが訪れて、1時過ぎには寝るかなあ、という感じです。

たとえばこの日を例に取ると、必ずしなければいけないことは、子供の面倒、仕事、家事、食事の支度。

切羽詰っているわけではないけれど、しなければいけないのがメールのチェック等、庭仕事。

自分の趣味でやっているのだけれど、自ら日課として課しているものは、瞑想、ヨガ、エッセイ書き(これは時間のある日だけ)、ブログ、作詩、ベッドのなかでのビジュアライゼーション。

そういうわけで、私は自由業だし、それも拘束時間短いし、いくらでも自由時間があるようなんだけど、実際には毎日毎日、次々と予定に追われています。

なのですが、コンピューターをつけたりブログを書いたあとや、家事をしながら退屈しのぎにテレビをつけてしまったりしたら、ついつい時間をとられてしまい、ああ、時間を無駄にしたと毎日のように思うことがあります。夜本を開くだびに、ああどうしてこんなに読み進まないんだろう。もっと時間を有効に使って、たくさん本を読みたいと思うし、朝は朝で毎朝一番に思うのは、「ああ、もっと早く寝ればよかった。今日は早く寝よう。」です。でもここ20年くらい、病気のときなどを除いて一度も早く寝たことなんてありません。

でもね。時間の無駄のない生活って、すごく疲れる気がします。私が忙しい忙しいと思ってやってることの半分くらいは、ヨガだとか瞑想だとか、まったく100パーセント私が好きでやってることのはずなのに、そしてこれこそ究極のリラクゼーションというようなことなのに、「やらなければ」と思うだけで、ちょっと疲れる。

逆に私が「時間の無駄」とみなしている、ウエブサイトをあちこち見るとか、洗濯物をたたむ間にちょっとだけとつけたテレビ番組を1時間見てしまうとか、庭に野菜をとりに行って、そこで30分ほどぶらぶらしてしまうとか、そういうのがリラックスになる。心がつかの間時間から解き放たれて、スケジュールどおりに時間をこなさなくってもまあ良いか、という気になる。心に余裕が出てくる感じ。

夜寝室に行ったあとも、ついつい長々と日記をつけてしまったり、昔の日記を読み返して1時間くらいたってしまったり。ちょっとだけと思って読んだ本を、1時間くらい目がかすむまで読んだり。早く寝なきゃ思う反面、まだ夜明けまでは4-5時間あるし、大丈夫、たっぷり時間あるよ、なんて気になってくる。こういう時って、時間の無駄なんだけど、すごくリラックスしてるんです。

結局、時間の無駄って言うのは、もちろん無駄は無駄なんだけど、それがないとあまりにも時間にがんじがらめになって、つかれきってしまう。無駄な時間というのは、自分に課した義務もターゲットもない、自由なだらんとした時間で、実は結構それが大切なんじゃないかなあと、最近思うようになりました。そういう予定のギャップというか、ふと緊張の緩んだ空白の時間って、もしかしたら総合すると、結構クリエーティブなエネルギーの糧になっているのかもなどと考えてます。

2009年9月25日金曜日

サーファー

何回か書きましたが、ここ北デボンはイギリスの中ではサーフィンのメッカで、よその土地からそのためにこしてきた人などもいます。それでルイは夏には学校で1週間サーフィンのレッスンがありました。

もう二回も今年はこれで海納めだろうと思ったのですが、今週もまずまずの天気で、しかも波がよかったので、昨日も学校のあとに海に行きました。サーフィンではなくボディーボード。ルイは本当は本格的なサーフィンをしたいんですが、ここの海はすごく遠浅で、肩まで海に漬かるまでにはずいぶん沖に出て、岸から見えないくらいの波のむこうに出て行かなければいけません。それで今はボディーボートを持って私も一緒に海に入ります。ボディーボードは私も楽しいので、一緒にするのは好きなんだけど、本格的なサーフィンまで付き合って海に入ってられないので、それは中学に入るまでお預けです。

私は子供たち、特にルイにはサーファーになって欲しいなあと思っていたんです。彼らっていつ見てもリラックスしてて楽しそうで、仲間内の結束も固そうで、幸せそうで良いなあって。それにせっかくこの北デボンに住んでるんだし、サーフィンをせっせとすれば、こういった娯楽の少ない田舎でありがちなドラッグの問題だとか、毎週末パブでのみまくって、酔っぱらって問題を起こすとか、バイクや車にこって事故るとかもいうこともないんじゃないかなって。

昨日海に行ったのは、学校が終わってからなので、4時20分くらいでした。夏の間はここは入り口に小屋があって、入場料(駐車代)3ポンド取られるのですが、9月末ということもあって、もう小屋は今年は閉まっていました。

私たちがつく頃、どこかの学校の団体のサーフィンレッスンが終わったところでした。彼らのほかにも引き上げていく車が数台で、駐車してあるのは5台くらい。一番良いところに止められました。天気もまあよくて、波も良いのに、ああ、すっかり夏も終わったなあという感じでした。

浜に出ると、それでもまだ律儀にライフガードのバンが海を見張っていました。その車の近くで海に入ると、私たち以外に3人くらい大人の男性がボディーボードやサーフィンをしていました。ついこの間までは家族連れや子供たちがいたのに。平日だから、もう子供は地元の子も来ないんだろうなあ。

それでも私たちが上がる5時半頃に、ぽつぽつとサーファーが来ていました。年は30代くらいが中心かな。ぴちぴちした若者たちという感じではありません。そんな人たちがそれぞれ一人でやってきて、顔見知りのサーファーに挨拶したりしても、それでもそれぞれ別々に、日が傾いてきた海でサーフィンしていました。

デイブの仕事先にもサーフィン目当てでこの土地に越してきた人がいます。30歳位かな。彼は昨日は朝の5時に海に行ってサーフィンをしてから仕事に来たそうです。彼は去年のクリスマス前後も、すごく良い波が続いた頃、朝早く働きに来て、昼休みにサーフィンして夜は残業していました。その頃は地元の人だけでなく、かなりあちこちからサーファーが集まってきたようです。

12月の暗くて冷たい海に肩まで漬かって、じっと水平線の彼方を見やりながら、息を詰めるようにして良い波が来るのを待っていたんだろうなあ。

そんなことを考えると、サーフィンって私がイメージしていたような、楽しくてさわやかで軟派な娯楽ではないんだなあという気がしてきました。ハワイやカリフォルニアならともかく、波さえよければこういうところで凍えるような冷たい海に、季節や天気を問わず漬かって。そしてただひたすら良い波がやってくるのを待つ。別にそれによって、何も良いことにつながるわけでもないのに、ただ数秒間波に乗るために。

それってちょっと禅に通じるものがあるような気もします。そして、ただ波の先頭に立って海をスピードをつけて横切っていくその喜びのためだけにサーフィンに情熱を傾けるのって、まるで人生の生き方そのもののお手本のような気もしてきました。

昨日すっかり冷え切って海から上がり、砂浜を歩きながら海のほうを振り返ると、太陽が海のに傾きかけ、息をのむほどきれいでした。海の中にはまだ一人サーファーがじっと波を待っていました。そしてライフガードのバンには、ライフガードのお兄さんが双眼鏡を手に彼を見守っていたんだろうなあ。

それを見ていると、「ああ、世はすべてこともなし」という幸福感が心に広がって行きました。この景色を心に刻み込んでおきさえすれば、どんなに嫌なことがあっても悲しいことがあっても、やっていけるんじゃないかと思ったくらい、感動しました。

この海の写真をリクエストしてくれた人がいましたが、この景色は広角レンズでもだめなんじゃないかなあ。言葉でも写真でも伝えきれない、自分の目で見るしかない感動というものもあるんですよね。

2009年9月24日木曜日

買い物考


毎週木曜日は私の週に一度の買出しの日です。今日も1時間半くらいかけて、70ポンド以上も買い物しました。でもこれでも少ないほうです。というのは来週は暖房を入れる前に絶対冷凍庫を解凍したいので、中のものを減らすために、今日は肉や魚は買わなかったからです。野菜も果物もまだ庭になっているので、これもあまり買わなかったし、いったい何にお金を使ったのだろう?

小型の冷蔵庫くらいの大きさはある冷凍室なのですが、大きければ大きいほどいろいろ入れてしまうものなので、いつも満タンです。うちは基本的に週に一度しか買い物に行かないので、パンを8斤くらい買ってきて全部冷凍するので、それだけでもすぐ一杯になるんです。それで、いつもすぐ中に何があるかわからなくなります。今日買い物行く前に怖々調べたら見たら、アイスクリームとかキャンディーとかたくさんあった。去年のハロウィーンのかぼちゃの実だとか、かにつり用のえさの魚だとか、去年の夏に取れたえんどう豆だとかも入ってます。

そこにまた今日買ってきたパンをどっさり詰めました。来週本格的に中のものを出すと、いったいどんなものが出てくることやら。

最近(ここ10年くらい)イギリスってスーパー間の競争が激しくなって、一つ買うともう一つ無料でもらえるとか、二つ買うと安くなるとかいう特価が多くなりました。今日の買い物のレシートを見ると、

6つ入りのマフィン1パック 72ペンスが、二つで1ポンド
6本入り飲むヨーグルト、1パック1ポンド91が、もうひとつ無料
ラザニアソース 1ポンド70が、もうひとつ無料
4つ入りチーズのスナック2ポンド04が、二つで3ポンド
インゲン豆1パック1ポンドが、二つで1ポンド50
イチジクひとつ69ペンスが3つで1ポンド
合計すると8ポンド近くも値引きになっていました。

でもこれって我が家のようにの家族が多くてよく食べて、大きい冷蔵庫のある家は良いけど、老夫婦二人だとかだとぜんぜん良いことがないですね。それから車で買い物に行かない人は一度にたくさん買えないし、クレジットカードとか持っていない人は、その週に必要ないものを前払いで買いだめするの嫌だろうし。ひとつ無料ならまだ良いけど、複数買うと安くなるっていうのはね。

私だって、いくら安くてもそれはなあというものもあります。今日はマーガリン、ひとつ1ポンド24のものが二つで2ポンドだったけど、でもマーガリンってあまり使わないし、賞味期間もあるので、一つしか買いませんでした。ハムやらお肉やらも、3パック買うと10ポンドとかいうことも多いんだけど、生鮮食品そんなに買いだめできないし、冷凍庫の大きさも限りがあるし。それに一度にそんなに多くのお金を使うことへの抵抗もあって、これは買いだめしません。

それから子供が週に一度ポテトチップの小袋をお弁当と一緒に持っていくんだけど、これが普通は6つとか12個とかがパックになって売っています。12個パックだとかなり大きい。こういうのも複数買うと安いことが多いんだけど、あまりにもかさばっておき場所がないので、これもパス。パスすると、すごく損した気がします。

うちですらそうなんだから、たいていの人はその恩恵はあまり受けてないんじゃないかな。こんな風に考え出すと、こういう値下げの仕方をしても、それで得するのは、まず車があって大きい冷蔵庫と冷凍室があって、家族が多くて、クレジットカードでバランスを気にせずに何でも買えるような人たち。つまり中流以上の子供のいる家庭ということになりますね。この辺に多く住んでいる年金生活の老夫婦だとか、一人暮らしの人とか、生活保護を毎週もらって生活している母子家庭だとか失業者にとっては、ぜんぜん良いことがない。

今日のブログは、買い物に行ったら何もかもが複数で値引きになっていたよという話を書くつもりでしたが、なんだか書いているうちに、社会のひずみを見つけてしました。こんなとこにも貧富の格差が開くような構造になっているんだなあ。

ところで、たまには「ウソでしょ」と思うような値引きもあります。一つ買うと二つ無料でついてきたり、ひとつ2ポンド50のものが、二つ買うと2ポンドとか。ありえないよ、そんなの。いったいどうやってこんな値段決めてるんだろう。

今日の写真はルイの作った修道女の折り紙。ルイはとっても折り紙が上手です。教会は嫌いだけどね。

2009年9月23日水曜日

Assisted Suicide


まず今日の写真は、夏に集まった大学のサークルのOB会の時のものです。広角レンズで撮ってもらったのを送ってもらったので、懐かしがる読者の方もいらっしゃるので、載せておきます。  


今日ちょこっとニュースを見たら、自殺に手を貸すことについての法的ガイドラインができたということでした。自殺といってもただの自殺ではなく、体が動けなくなる不治の病などで余命いくばくもない人が、その病気ゆえに自分では自殺ができない場合のことです。内容は法律変更というわけではなく、今の規制の法律の枠内で裁判されるが、それについての情状酌量についてのはっきりとしたガイドラインができたということです。


この問題は数年前からマスコミで取り上げられるようになリました。当事者の人たち(病人)で、自分の死期が近づいたら、配偶者や子供などに自殺を手伝ってくれるように頼んである人達が、現在の法律では手伝う人が殺人罪に問われるため、法律をかえるキャンペーンをはじめたからです。


スイスにはそういった人たちに死の場所を与えてくれる有名なチャリティー団体があります。つまり自殺を手伝ってくれる団体です。ディグニタット(Dignitat)という名前だったと思います。そこに不治の病等を理由に自殺を望む人が申し込むと、いろいろな厳しい審査のあと、まるで病院のアポのように日を指定され、ホテルのような部屋で家族に囲まれて薬で安楽死されてくれます。


これはスイスでは合法なので、イギリスからも安楽死を望む人が行き、何度かニュースで取り上げられました。


ある女性は体が動かなくなるmultiple sclerosisというイギリスでは割とよくある病気にかかり、成人した息子と娘に連れられてここに来ていました。法律の変更を望んでいる彼らは、自分たちからメディアにコンタクトし、ニュースチームが彼女の最後の日、ホテルを出て娘と息子とタクシーに乗りそこに行き、その部屋の中に入るところまで撮影していました。自殺がすみ、その場を出てきた息子たちがインタビューされていました。彼らはもちろんこれはイギリスでは違法なので取調べがあることは覚悟しているから、空港からその足で警察に向かうと言っていました。


なんかこういうの、本当に切ないですねえ。でもこういう問題って、これからますます増えてくるでしょうね。森鴎外の高瀬船でも似たような話があるくらいだから、昔だってあった問題なんでしょうね。


この息子さん娘さんはどうなったか知りませんが、おそらくスイスで起こったことなので、法律的には罪に問われかったんじゃないかなあ。もちろん似たようなケースがイギリス国内でもあります。そういう場合は、多分過失致死だとか罪状はつくけど、実刑にはならないんだろうとは思うんだけど。


もちろん今日テレビでは、賛成派と反対派が出ていました。反対派は、神にもらった命は貴重だとか、そんなことをしたら老人や寝たきりの人は死ななければいけないというプレッシャーを感じるんじゃないかとか、そんなガイドラインは濫用する人が出てくるとか、まあ昔からある安楽死反対と同じ論点でした。


私は安楽死も自殺の手助けも賛成派です。何をもって、もうこれ以上生きている価値はないと思うのかはわかりませんが、そういう時点に達すれば、さっさと逝きたいです。猫や犬が死期が近づくと安楽死させてあげるのに、どうして人間はできないんでしょう?


もしも自分の愛する人がそういう立場になり、自殺の手助けを望むなら、自分が罪に問われようと問われまいと、助けてあげると思います。


私も昔はそう思っていたわけではなくて、神様にもらった尊い命だからと思っていたんですが、ここ15年位かな、こう思うようになったのは。死ぬことよりも、回復する見込みもなくて人間の尊厳(陳腐な言葉で失礼)もなくなって、たくさんのチューブにつながれてあれこれ薬を送り込まれて、ぼろぼろになっても死ねないで生かされ続けるほうが怖いです。


そう思ってる人は多いと思うんだけど、安楽死はまだまだしっかりとイギリスでは違法です。これもあと10年もすれば、風向きが変わっていくんじゃないかと思うんですけどね。


引き寄せの法則さん、こんなこと書いたからって、悪いこと引き寄せないでね。私は100歳まで毎日ヨガをして元気で長生きして、120歳までは一日おきくらいにペースを落として、ある日ぽっくりと心臓発作で逝くから、関係ないと思ってるからね。

2009年9月22日火曜日

テレビをぐるぐる


今日は久しぶりに日本食をつくって見ました。メニューは豆腐と沖縄で買ったあーさー(海草)のお味噌汁、わかめときゅうりの酢の物、肉じゃが、そしてご飯です。悲しいかな、酢の物の作り方がよく思い出せなくて、友人に借りっぱなしのJapanese Cookingという英語の本を見て作りました。肉じゃがのほうは大体知っていましたが、これも最近見た雑誌に載っていたレシピで作りました。

うちの子供たちは、日本食は結構好きなんですが、今まで甘辛い味というか、おしょうゆにお砂糖の混じった味が苦手だったんですが、日本から帰ってきてからは大丈夫になっていて、今日は全部食べてくれました。

食事中の会話の話です。日本ではどうか知りませんが、今でもイギリスでは電話番号を押すことを「ダイアルする」ということもあります。それで子供たちは、電話のキーパッドを押すことをダイアルすると思っていました。それで、昔は(!)電話はプッシュ式ではなく、ぐるぐると指で回すようになっていて、それをダイアルするというんだよというと、驚いていました。チャーリーは、「あっ、そんな電話見たことある!」とのこと。それが珍しい世代なんだなあ。もちろんダイアルの仕方も知らなくて、説明したんだけど、わかったのかわからないのか。すごいなあ。私が日本を出た21歳のときは、家の電話は黒ではなかったけど、ダイアル式でした。

それじゃあ、テレビのチャンネルを回すってどういう意味かわかるかという話になりました。まず昔はテレビにはリモコンがなかったんだよというだけで、驚いていました。それで丸いものがついていてそこに1から12まで番号が書いてあり、それをガチャガチャとまわすんだよ、と教えました。

するとデイブが、You are lucky といいました。「えっ、テレビなかったの?」ときくと、そうではないんだけど、テレビのチャンネルはそんな簡単に選曲できなくて、ラジオのようにねじのようなものをぐるぐる回してチューニングしなければいけなかったとのことでした。ふうん。彼って私より4歳年上なんだけど、日本でもそうだったのかなあ。それともイギリスがそうだったのか。

それから私は6歳位にカラーテレビを見た記憶があるんだけど、デイブは白黒を見た記憶がないとのこと。これは
1、日本がカラー放送が遅かった。
2、私のうちが白黒テレビを長くつかっていた。
3、デイブの記憶が10歳位から始まっている。
のどれかだと思うんだけど、どうでしょうね。
ちなみに私は昭和40年生まれです。

高校生くらいのときからビデオを持ってるお家が出てきて、私がビデオデッキを手にしたのは結婚して日本に住んでるときでした。(1回目の、というか1回しか結婚してないんだけど、とにかく22・3歳のとき。)そのあとロンドンでは30歳くらいのときに人にもらって、そのあと買い換えたのが今もありますが、子供が時々見るくらいですね。そうして思えば、うちの子供の今までの短い人生のうちですでに、幼児時代から使っていたビデオがもういまや時代遅れの代物になってるわけですから、最近って情報テクノロジーの発達って、加速がついてるんですねえ。

ブルーレイって何ってチャーリーに聞かれて答えられませんでした。DVDのシステムのひとつだと思うけどって。いったいなんですか?もうお母さんにはついていけません。

2009年9月21日月曜日

アイス・マン




今日もジャムを作りました。このところ毎日山のように取れる家のドアから2メートルのところに生えている野生のブラックベリーとりんごのジャムです。ブラックベリーを700グラム、りんごを500グラム、これに砂糖1キロ入れて、できたのは5瓶弱。今回は梨と違って手早く1時間くらいでできました。

写真は1キロの砂糖。すごいでしょ。これを一気に入れます。お菓子でもケーキでもジャムでも、自分で作ると砂糖やバターの量がすごいので、食べるのが怖いんだけど、ジャムの場合は砂糖が保存料なので、たりないとカビが生えたり腐ったりするから、手加減せずどっさり入れます。

今日テレビで、アイスマンというドキュメンタリーを見ました。ある北欧出身の50才の男性についての番組です。彼は昔から寒さに対して体と精神を鍛え、今では世界中を耐寒のショーなどをして回り生計を立てているという人です。

前半は見なかったのですが、話を総合すると、若い頃インドで修行して(他に一体どこがありえるか?) 特別な呼吸法を極め、普通の人では一発で死んでしまうような極寒を耐えられるようになったとのことでした。

この番組でチャレンジしていたのは(番組のためにチャレンジしたのではなく、チャレンジしているところをいろいろな世界中のテレビ局が撮影した)、北極圏のフィンランドで凍てつく湖に穴をほり、2メートルの氷の下を呼吸を止めて25メートル(位)泳ぐというのが前座であり、そのあとのトリが、同じくその場所で(当然真冬)、裸で足にサンダルだけ履いて、フルマラソンするというもの。しかも彼はアスリートではないので、マラソンのトレーニングはしていません。

彼がこれを挑むに当たって、北極探検の専門家だとか医者だとか、いろいろ意見を言います。総合すると、水泳のほうは、そんな水に入ったら呼吸が速くなり血圧が上がり身体的なパニック状態に陥り、即死だということでした。それからマラソンのほうも同じような意見で、寒いだけでなくそこでマラソンなんてするとエネルギーが一気になくなって絶対無理。まず手足に激痛が走り動けなくなる。そもそも20分もそんなところで裸で走ったら肌と目が凍り付いて失明するとのことでした。

でも結果は水泳のほうはほとんど朝飯前という感じでこなし、さすがにマラソンのほうは最後の5キロあたりで走れなくなり歩いてしまいましたが、それでも5時間半くらいで完走していました。歩き出してからは、元気にカメラに向かって話し続けていました。そしてゴールして小屋の中に入ると、なんとおいしそうにタバコをすっていました。

そのあとまた専門家が出てきてあれこれ言います。こんなことありえない。どうして彼だけが、人間には決してできるはずのないことができるんだろうって。

でもこれをきいて、ちょっとこれはなあと思いました。人間には決してできないなんていったって、それは西洋医学での話。多分こんな人はインドに行けば今もいるし、昔はそれこそあちこちにいたんじゃないかなあ。Pramhansa Yogananda という人の書いたAutobiography of a Yogiという本にもそういう聖人がいろいろでてきました。これってかなり感銘を受けた本なんですが、それについては5月7日のブログに「現代詩壇とインドの聖人」というタイトルで書きましたので、興味のあるひとは読んでください。

はっきりと覚えているわけではないんですが、昔は日本でも密教のお坊さんたちなどが、修行の一環か何かで地面に何日も生き埋めになって、掘り返したら生きていたとかいう話を聞いたことがあります。キリストだって40日断食したし。

それにファイアー・ウォークってきいたことありますか。まだ真っ赤で熱い焚き火の燃えあとの上を裸足で歩く芸で、サーカスとかでやってそうですが、これって実は練習すれば誰でもできるらしく、イギリスでは時々1日ワークショップなどをやっています。これを体験してみて、「自分もマインドパワーを使えばなんでも可能なんだ。」ということを実感するために行くところです。

このアイスマンの場合も、呼吸法もありますが、結局はマインドパワー。日本語で言えば気。文字通り心頭滅却すれば火もまた涼しです。彼の場合は、水にもぐった前と後の心拍や血圧、呼吸回数などを比較してみると、ほとんど変わりなし。驚く科学者を前に、「だから精神の持ちようだって言っただろう。」と涼しい顔で言っていました。

結局西洋科学の医学者も科学者も、わかってることはほんの一握りなんだろうなあ。普通の人は自分の精神の力の可能性の数パーセントしか使っていないという話を聞きますが、これってほんとだと思います。不治の病といわれた人が完治するなんていう奇跡は、世界的に見ると日常茶飯事で起こっていますからね。

そういえば私も10歳くらいに原因不明の心臓病になり、1年くらい学校は行ったり行かなかったりで、ペースメーカーを入れなければいけないと言われ、結構危なかったんですが、6年生の後半位から、親の言いつけにそむいてに勝手に外で遊ぶようになったら、自然に治りました。今はそんなことがあったなんてとても思えないくらい健康でしょ。

それから中学の頃わずらっていた若年性緑内障も、これも不治の病なのですが、数年したら完治してました。その後10年くらい空けて2度精密検査していますが、絶対問題ないとお墨付きをもらっています。今はほんの少し近眼なのですが、去年目医者さんに「よく見える日と見えない日があるんです」と軽く言ったら、そんなことは絶対にありえないと言われました。でもそうなんです。映画の字幕、読める日と読めない日があるんです。

人間の体って多分そういうものなんですよ。

2009年9月20日日曜日

シルバーウイーク?冗談?







今日も良いお天気でした。でも朝夕は冷えるし、なんと行ってももうすぐ秋分だし、光のやわらかさなんかをとっても「秋晴れ」というのが一番私にはぴったり来る表現ですが、これをイギリス人はインディアンサマーといいます。こんな風に夏が終わるころや初秋の天気の良い日のことです。

今日はチャーリーは久しぶりに乗馬のレッスンがあったのですが、其処に行くまでの道がすばらしいのなんの。うちでも相当田舎ですが、ここはそれよりもさらに森を抜けてますます深い田舎に進みます。舗装されている道の上に木々の緑が生い茂り、深い影となっている中を抜けていきます。木漏れ日がさして本当に綺麗。

チャーリーの乗馬の間は座ってそれを見ていたのですが、陽の中でじっと座っていると暑いくらいでした。

そのあとまた海に行きました。今日はちゃんとボディーボードできました。引き潮が満ち潮に替わって水かさが増してくることも手伝って、すごく良い波で乗り易かった。水もここ10日くらい好天気が続いたせいでちょっと温かかった、というか勇気がくじけるほど冷たくはなかった。それでも40分くらいで寒くなってきて、凍えないうちに帰ってきました。来週末はいろいろ予定があるし、本当に今日こそ海じまいだろうなあ。

うちに帰ってくると台所に私の大好きなイチジクが4つおいてありました。イギリスでは栽培が難しい果物なので、あまり売っていないのですが、向かいの人が庭でできたのをくれたそうです。ひとつ食べました。おいしかった。

ところで日本ってシルバーウィークですって?もう休みが多くて、この国これはふざけてるんじゃないかと、外から見てると思いますよ、正直言って。会社とか経営してる人は、困ってるんじゃないですか。手元のカレンダーを調べてみると、1年で16日も祭日があります。しかもその上お正月の三が日、年末、そしてお盆休みもある。それを足すと20日以上じゃありませんか。私が日本に住んでいた頃は土曜もお休みじゃなかったです。大学ちゃんと土曜も通っていました。

お正月休み、ゴールデンウイーク、お盆、そしてこのシルバーウィーク。日本人って昔は働きすぎって言われてなかったっけ?

イギリスなんて祭日は年に8日だけ。しかもうちの5日は元旦、イースターの2日、クリスマスの2日。それ以外のお休みは年に3回しかありません。しかも!!このうちの7日は学校がお休みのときに当たるので、学校が祭日に当たるのは5月のメーデーだけです。年にたった一日だけ。私たちは夏休みも終わった今、クリスマスまで一日もお休みはありませんよ!そしてクリスマス明けの27日からはまた31日まで働きに行って、新年は2日から出勤ですよ。イギリス人って働かないなんて思ってる人がいるとしたら、それは間違いです。

でも確かにヨーロッパは労働者の権利が守られているから、年休は多いですけどね。普通は4週間、20日はもらえるはず。それに病欠や医者に行くのは有給とは別にお休みがもらえるし。でもそれは被雇用者のことで、自営業の人はお休みはなしです。

日本はお休みが多いのは良いけど、みんなが同じときに休むから、高くて混んでるから、もちろん年休が多くて、それがきちんと消化できるイギリスのほうが良いといえば、それはそうなんですが。でもなんか年のあちらこちらに祭日が散らばっているのって、「あー、来週はそういえば1日休みだなあ。」とか思いつくと、嬉しいでしょうね。

イチジクの詩を最近書いたので、それも詩のブログのほうに載せておきます。まあせっかくだし、読んでやっても良いかという太っ腹な方は、ちょこっと昨日のリンクにクリックしてくださいませ。

写真は上から今日の景色、やっと咲いたひまわり、そしてバタースカッシュと呼ばれるかぼちゃの1種です。

2009年9月19日土曜日

チャーリーの誕生日と壊れたベッドと女の子のけんか











今日はチャーリーの誕生日パーティーでした。どんなパーティーにしようかと相談して、今年はローストディナーパーティーとなりました。

それで今朝はデイブがチャーリーをダンスのクラスに連れて行って、私は朝から台所に立ちっぱなし。ますデザートのトライフルと昨日焼いたチョコレートケーキの仕上げをしました。

トライフルというのは層になったデザートで、大きなボウルに下からスポンジケーキ、ゼリー、果物、カスタード、そして生クリームの順で入れていきます。前の日に用意さえしておけば、これ自体は簡単。本当はガラスの大きな器に入れるときれいなんですが、ないので上しか見れません。フルーツの写ってる写真が作ってる途中。

そしてメインコースはローストチキン、ローストポテト、人参、グリーンピース、ローストかぼちゃ、ローストスイートポテト、マッシュポテト。ベジタリアンの友達用にチーズ。

やってきたのは女の子4人。好き嫌いがあるかなあと心配していましたが、みんなお行儀よく、たくさん食べました。私とデイブとルイも一緒に食卓に着いたので、最初は恥ずかしそうにしていたけど、途中からは楽しい会話も弾みました。

そしてデザート。トライフルのほうは二人食べない子がいましたが、チョコレートケーキは大人気で、おいしいおいしいとおかわりまで。これって「悪魔のフードケーキ」と言う名前のケーキで、レシピーを図書館で借りた本で見つけたのですが、本当にこの世のものとは思えないおいしいのができるんです。興味あるひとはレシピーをお送りします。

そのあとはチャーリーのカラオケの機械で遊び始めました。まあ、仲良く遊んで、女の子って良いわと思っていたら、それからがよくなかった。まあ詳しくは書きませんが、とにかく無事に会が済んでよかった。被害はチャーリーのベッドの底がちょっと壊れたのと、一人の女の子(ハンナ)が別の女の子をひっぱたいただけで済みました。

チャーリー、来年からはパーティーはうちでやらないよ。お友達を連れて映画か何かに行こう。それからハンナは二度と家に呼ばないよ。

午後から天気がまたよくなったので、遅くなりましたが、みんなの帰った6時前にウエットスーツを着て海まで行きました。でも残念ながら満ち潮で水が防波堤まで上がっていて、海に入れませんでした。それでもやわらかい秋の夕方のひかりに満ちた誰もいない海は、すばらしく美しい。まったく描写する言葉がありません。大きな波が打ち寄せるところで遊ぶルイとチャーリーを横目に、私はしばし海と景色を眺めていました。

こういう時って、なんかちょっと困ったような、ほんの少し悲しいような気持ちになります。と言うのは、こんなにすばらしいのに、どうすることもできないし、それを持って帰ることも保存することもできない。自分が画家や写真家だったら良いのにって思うけど、多分それでも自分の無力さ、表現力のなさを思い知って歯がゆい思いをするだけかもしれません。でも悲しいって言うのはまったく見当はずれなことで、ただそのすばらしさと一体になって吸収すれば良いんだろうなあ。もしも毎日こういう体験ができれば、きっと引き寄せの法則はすばらしいものを引き寄せて・・・。

そんなことを思ってるうちに、ちょっと心配そうに私たちを見ていたライフガードも、店じまいして帰ってしましました。ルイとチャーリーはだいぶ水をかぶり、ルイは頭までびしょぬれになったので、私たちもかえってきました。海にいた時間はせいぜい10分くらいでした。

海に入れなくて残念だったけど、こんなすばらしい景色を見れたから、わざわざ運転してきた甲斐もありました。まあたった10分くらいのの距離なんだけど。

最後のお知らせ。日本から帰ってきてからこつこつ毎晩書いていた詩がたまってきたので、新しいブログにしました。これは「激しい魂の叫び」などでは全然なく、簡単にさらさら書いた、ぜんぜん難しいところのない読みやすい詩です。今日載せた二つは昨日とおとといブログに書いたことを題材にしています。まだあまり推敲もしていなくて、これからまたどんどん手を入れていかなければいけない荒削りな物なのですが、ぜひ目を通してください。

アドレスは
http://fordfarmpoems.blogspot.com/
です。
よろしくお願いします。


2009年9月18日金曜日

優等生ママ

今日から新しいヨガのクラスを教え始めました。それで午前中家の近くで一クラス教えた後、家に帰ってきて帳簿をつけ、午後1時から車で30分弱の隣町で教えて、帰ってきたのは3時でした。子供が帰ってくるまであと40分。本当はお茶でも飲んで一休みしたいところなのですが、明日はチャーリーの誕生日パーティーなので、そのためのケーキを帰ってくるなり作り始めました。ちょうどバスがついた頃にケーキのねたができて、オーブンに入れました。

そのあとはケーキを焼きながら子供たちにトーストを食べさせ、宿題を見てピアノを練習させ、夕食を作って5時半にはスイミングのために出発。帰ってきてご飯にありついたのは8時半でした。

そういうわけでお母さんは今日は一日中座る時間もなく忙しく、まともに何も食べていなくておなかもすいて、ちょっとイラついて子供たちにきつく言い過ぎたりしました。特にチャーリーがたった1分前に着替えた洗い立ての白いTシャツに、ボウルに残っていたチョコレートケーキのねたをべったりつけたときには。怒鳴りはしませんでしたが、愚痴愚痴と、今日どんなに忙しかったか、どんなに疲れているか、昨日そのTシャツを二度も手洗いしてきれいに汚れを取ったところだったのにとか、愚痴ってしまいました。ごめんね。

でも私は割りと人に良いお母さん、優等生ママと思われたりいわれたりします。デイブのお父さんは、遠くに住んでいるのであまり会わないのですが、たまに会うと、ルイとチャーリーがこんなに良い子なのは、お母さんががんばっているからだとほめてくれます。(まあ、うちの母なんかは、昔から私のことを、「勉強ができるだけで優しくない、気の利かない子」と言い続けてきたので、私なんかに育てられているにもかかわらず、ルイとチャーリーはけなげな良い子だと思ってるようですが。)

まあ「良いお母さん」だといわれると、やっぱりある限りの全エネルギーで子育てしているわけですから、嬉しいんですけど、でも良いお母さんって一体なんなんだろうって思いますね。

うちの母は、私が叱るのがかわいそうなので、叱るお母さんイコール悪いお母さんだと思ってるようです。自分自身が5人の子供を育て、10人孫のいるデイブのお父さんは、ちゃんと叱るところは叱っているからこそ、ルイとチャーリーは良い子に育って、だから私は良いお母さんだと思っているようです。

こちらでも最近のお母さんは、子供を叱らないお母さんもいます。叱ると自主性を損なうと思ってるお母さんもいるようですし、ただ叱る気力も体力もないお母さんもいます。でもそれってやっぱりよくない、絶対。友達と仲良く遊べない子供や、わがままな子供、悪い言葉を使う子供は、ほかのお母さんたちから敬遠され、遊びにも誕生日パーティーにも呼んでもらえないし、結局しつけが悪くて損をするのは子ども自身なんです。先生にも嫌われます。

でもその叱り方がね、時々は感情的になってしまいます。ルイちゃんの場合はきつく叱ると、ただごめんなさいと謝って、そのあとまたすぐいろいろ楽しそうに話しかけてくるので、こちらもすぐに気分が変わります。まさに暖簾に腕押し。ぬかに釘。でもチャーリーはすねたり言い返したりと反応が悪く、1年半位前は、このまま行くと将来すごく仲が悪い母子になりそうという心配していたんですけど。

でもそれがちょうどその頃を境に急に関係が変わって、またチャーリーとママは大の仲良しになりました。何があったかというと、これも例の「引き寄せの法則」なんですけど、「まあ、この子はこういう性格で、これが彼女の生き生きとしたすごいところでもあるのだ。」とふと思ったら、それ以来あまり衝突しなくなりました。

悪いことをすると、そのことをねちねちと怒るとますます引き寄せてしまうので、お母さんは怒っているということは見せますが、あまり何もいわずに「自分の部屋に行きなさい」と今は言います。そうやって距離を置くようになると、だんだんそういうことがなくなってきました。「悪いこと」に注意を集中するから関係が悪くなって今っていたんですね。

まあ今でも細かいこと、ルイはとにかく注意力散漫で、行く先々で忘れ物をしてくるだとか、チャーリーはルイのすることに口を出しすぎだとか、腹の立つことはしょっちゅうなのですが、お母さんが爆切れすることはめったになくなりました。私たちは今は母子3人とっても仲が良いです。毎晩寝る前に抱きしめて、「なんて可愛くていい子達なの。」と言ってあげます。

体罰についての是非はいろいろいわれますが、イギリスでは基本的にご法度です。先生がそんなことすると免職だし、親でも体罰をしてはいけないという法律を作るべきだといわれています。日本のほうが暴力に対しては容認する風潮がありますね。

法律で禁止するのはともかく、やっぱり体罰はしないという方針で子育てするべきだとわたしは思います。なぜなら、そう思っていてもやってしまうんです。私は何度かしか叩いたことはないけど、でもそんなことしても誰も良いことはありません。親は自己嫌悪になるか、かたくなに自己正当化するだけだし、子供との溝は深まるし。でも体罰しないで育てるぞと思っていても、ぶっ切れてそうなることもあるんですから、厳しくバシバシ手を上げて育てるぞと思っていたら、感情だけで体罰を振るうことが日常茶飯事になるんじゃないかなあ。

そういうわけで、まあ私は少なくともここ1年くらいは良いお母さんです。これからだんだん子供が大きくなって、関係も変わっていって、もっとあっさりしたものになっていくんでしょうね。それが寂しいというお母さんは多いですが、もともと自分勝手で自分のしたいことをしたい私は、早く自立してくれって思ってます。

今までたっぷり愛情を注いで大事に育てたので、これからは彼らを信じて放任して、好きなようにさせてあげるよういいお母さんになりたいです。お母さんも好きなことするからね。

2009年9月17日木曜日

宝くじ

今日2度目のブログでです。

今ブログを書き終わって、テレビでやっているツアー・オブ・ブリテンを見ていたら、明日の夜抽選のユーロミリオンという宝くじは、今週は1等が850万ポンド、円にしたら200円換算で17,000,000,000円(170億円!!!)だという宣伝がありました。

そんなに当たらなくても良いんだけど、でもそれを聞いたらやっぱり遊びで買おうという気になりますよね。買うぞ。

Tour of Britain




快晴。秋というか、でもまだ夏の名残の残っているような、すばらしいレース日和です。

今日はおととい書いたツアー・オブ・ブリテンの自転車レースの日でした。8日間にわたってイギリスのいろんなところで、世界中から選手が集まって行われるロードレースです。これのフィニッシュがビデフォードで行われます。ご存知ように2012年はオリンピックがロンドンで行われます。しかも自転車は実はイギリスは結構強いので、かなりあちこち、政府からもお金が入っていて、プロモーションがなされています。

ルイちゃんは本物の選手がゴールに入ってくるまでの前座で行われる地元の子供の自転車レースに学校代表で出ました。それで今日は学校は堂々とお休みして、12時15分の集合場所に行くために11時15分に家を出ました。レースのせいで町中通行止め、かつ駐車場が閉鎖になったので、学校の近くまで運転して行って、そこから今日だけ出ている無料のシャトルバスで行きました。二人でダブルデッカーの2階の一番前に座って、ちょっと高いところから見慣れた景色と楽しみました。


本物のレースのフィニッシュの推定時間まで3時間近くある町は、それでもまずまず人が出ていました。道路はこのために整備され、道の中央のアイランドなどは取り外され、立派なゴールや表彰台や、たくさんのテントや仮設の施設ができています。そして道化師やら一輪車乗りやらジャグラーといったエンターテナーが道を歩いています。お祭りが本格的に始まる前の、わくわくするようなすごく良い雰囲気です。


だんだん人が増えてくる1時くらいに、ルイたちのレースは始まりました。もうかなり聴衆が集まり、地元のテレビ局も来ていて、選手たちは緊張しています。レースは4人一組でするチーム・スプリントスタイル。(オリンピックでトラック競技としてやっていますね。)

まずはじめはリハーサル。これはルイのチームの先頭の女の子がヘアピンカーブで倒れて、惨敗でした。次が予選。これは転んだ子の代わりの補欠の女の子が大奮闘で、勝ちました。予選のタイムを比較して、決勝チームを決めるのですが、なんとルイのチームが進出していました。がんばれ!

結局決勝では惜しいところで負けました。それでメダルは逃したのですが、レースのあと記念品のTシャツとBritish Cyclingのロゴの入った水筒をもらってきました。(イギリスでは景品や粗品をもらうことはすごくめずらしい。)

子供たちのレースを最後に余興はおしまい。そのあと、だんだん本物のレースのフィニッシュの時間が近づくにつれ混んできました。何とか場所を見つけ、待つこと40分。ただで配っていたデボンとブリティッシュサイクリングの旗を振って、フェンスを叩いて景気をつけます。レースの実況中継がスピーカーで流れ、徐々に観衆の興奮が高まってきます。

そして選手たちが入ってきました!

びゅーん、びゅーん。

これだけです。たった一瞬で選手の大半が過ぎ去っていきました。

そのあとはチャーリーが学校から帰ってくるので、大急ぎで無料バスで帰ってきました。レースのあともお祭りは続き、4時からは町の大きな公園でいろいろなエンターテーメントやジャズバンドが出るのですが、残念ながら今日はピアノの先生が来る日。それには行けませんでした。

ルイちゃんは学校はお休みで、ダブルデッカーバスに乗れて、お祭り気分いっぱいで盛り上がる街を太陽を浴びて徘徊し、レースには出るし、本物の選手も見れるし、その上おみやげまでもらって良いことだらけの一日でした。

それなのにチャーリーは朝から学校で、お土産にただで配っていたデボンの旗を私からもらっただけ。まあ次にはチャーリーにも良いことが起こるからね。

2009年9月16日水曜日




きょうはbreamという鯛に似た魚が1匹1ポンドで売っていたので、2匹買って2枚におろしました。








イギリス人はここ海に近いビデフォードですらほとんど魚は食べず、ましてや自分でさばける人なんてまずいません。私もイギリスに来て魚をさばいたのは2回目くらい。人生あわせて5回もしたことがありませんでした。でも不思議なもんで、日本に行ってきただけで、なんとなく魚をさばける自信が出てきたんです。やっぱり日常的に魚を食べる国にいると、生魚を触ったりさばいたりするのに抵抗がなくなってくるんでしょうね。








写真は魚の頭。猫にあげてみましたが、ぺろぺろなめたり、くんくんにおいをかいだりしていたけど、食べられませんでした。でもお皿に残っていた魚の身はおいしそうに食べていました。チャーリーがこの頭を見て「かわいい!」といったので、写真に撮ってみました。かわいい?


猫なんですけど、先週水曜日から好天気が続いているせいか、ここ2-3日のみが多いんです。9月の頭に獣医で買うすごく高い蚤取の薬をつけたのに。しかもこれは1ヶ月に1度でいいはずなんですが。ペパー自身は蚤がいるのかいないのか、ぜんぜん痒そうでもないし、平気なんですが、私がだめなんです。うちの家族誰も刺されないのに、私だけが刺される。日本でも科に刺されやすい人っているけど、私はそうでもないんですが、蚤にはすぐよって来られる。


のみは人間も刺しますが、本当は猫や犬が一番良いので、家の中にいても動物が入ってくるとそちらに移り住んで、そのペットがこの例の薬をつけていれば奴らはイチコロという道理。実際今まではこれで大丈夫だったんだけど。多分今年の夏は寒かったそうなので、急に温かくなって大繁殖したのか、それとも私が猫体質になってきたのか。


そういえば最近までは刺されると蚊に刺されたみたいに腫れ上がったのですが、今回は痒いことは痒いけど、小さな赤い点ができるだけです。ちなみにそれは本当に蚤なのかと疑っている人がいるかもしれませんが、しっかり証拠を捕らえたので、(4匹殺した)間違い無しです。


昔ルイが1歳にもならないときに半年だけ住んだフラットが蚤だらけだったことがありました。夏の暑い日に引越ししたのですが、その日から何か虫に刺されたようで痒い。暑いから蚊でもいるのかなあと思っていたら、のみだったんです。それも半端じゃなくたくさんいて、害虫駆除会社の人に二回も来てもらわなければなりませんでした。


多分前の人が猫を飼っていて、その猫がいなくなったので蚤が人間を襲い始めたんでしょう。そのときは今よりもひどく反応して、片足に30個ずつくらい刺されているのが、どれも腫れ上がって、坑ヒスタミン剤を飲まないと眠れないくらいでした。


今だから笑い事ですが、そのときは駆除会社に来てもらっても改善せず、赤ちゃんはいるし、また引越ししようかと本当に思ったくらいでした。


今はそれほどひどくないし、刺されてもあまり痒くならないから、そんなには気にしていないけど。またしばらくして寒くなれば自然にいなくなると楽観しています。猫はかわいいんだけど、面倒なことも多いです。



写真一番上は、ナスターシャンという庭で勝手に咲いている花です。

2009年9月15日火曜日

クロール

今イギリスでTour of Britainという自転車のロードレースをやっています。フランスのTour de Franceは有名ですが、ちょうどそんな感じで何日もかけてイギリス中を回るサイクルレースです。それがこの木曜日にビデフォードに来るのです。その日はデボン北部のエックスムーアから始まって、ゴールがここの街です。
それで木曜は町の中心のすべての駐車場がクローズになり、道も閉鎖になります。

そのレースのフィニッシュが町にやってくるまでの間、街でいろいろエンターテイメントがあります。それでそのひとつが子供たちの自転車レースなんですが、ルイが今日学校で、学校代表のチームに選ばれました。

まあそれは本人も喜んでいるし良いことなんですが、当日は12時にそこに連れて行かなければいけません。学校からは、その日は休んで良いと許可までもらっていますから、多分11くらいに家を出て、何とかそこにたどり着かなければいけません。うちから3キロくらいの場所から無料シャトルバスが出るということなんですが、どれだけ混んでいるのか、予想もつきません。しかもチャーリーは学校なので、学校の終わるまでに私たちは帰ってこなければいけないし、いったいどうなるんでしょう。ちょっと心配しています。いけないいけない、引き寄せの法則。余計な心配しないで、すべてスムーズに運ぶと心を落ち着けなければ。

今日は友達とプールに行きました。1往復ごとに止まっておしゃべりしていたので、1時間以上かけて泳いだのは850メートル。でも平泳ぎとクロールを交互にしたので、カロリーは消費したはず。平泳ぎって楽に泳げるけど、クロールは25メートルがやっとです。それで、今まではほとんどクロールはしなかったのですが、今日まじめに練習したので、最後の方は結構楽に泳げました。

今どれだけカロリーを消費したかを見てみると、平泳ぎは170カロリーなのに、クロールは117。これって間違ってるよなあ。絶対クロールのほうがカロリーを消費しているに決まっている。それにプールって平泳ぎの人は多いけど、クロールで優雅に泳いでいる人がいると、この人できるなあという感じがするので、これからも練習を続けよう。ちなみに水泳のそれぞれの泳法の効用を見ると、平泳ぎは胸を大きくする効果もあるとか。ふむふむ。

ついでのほかのアクティビティーを見てみると、45分の運動でゆっくり歩くのが161、ダンス・エアロビックス282、私のやっているアシュタンガ・ヨガ300カロリー、そしてヨガを80分教えて178カロリーとのこと。昨日は15分歩いて30分ヨガ、そして一クラス教えたので、合計380カロリー、今日は街で10分ほど歩いたのも入れると330カロリー。多分ワイン2杯分にもならないと思います。運動でカロリー消費ってなかなか大変ですね。

日本にいたときは駅まで徒歩15分くらいだったから、結構毎日歩いて、運動にはなってたとは思うんだけど、それでも体がなまったという感じがすごくしたんです。ヨガも2回くらいしかしなかったし。水泳は子供たちとプールに何度も行ったけど、夏休みの混んだプールなんて、ぜんぜん泳いだ気しませんでした。

それでイギリスに帰ってきてから、また前のように毎日運動するようにしています。まあ、週末天気がよかったときは、海でボディーボードをしただけなので、どれだけカロリーを消費しているのかは不明なんですけど。海に使って良い波が来るのを待って、波に運ばれるだけといえばそうなんですが、でも海の中を結構歩いたり泳いだりするしなあ。

そのおかげで、やせたというわけではないですが、やっぱり体調というか、体が調子よく動くなあという感じはしますね。体だけでなく、多分精神的にもきちんと運動するというのは、良いんじゃないかと思います。何が良いのかは説明できないんだけど、その満足感かな。ガーデニングというのもかなりカロリーを使うそうですが、これはどちらかというと仕事という感じがするので、疲れはするけど、運動をしたという満足感にはなりません。

確かに毎日というのは時間の都合が難しいのですが、でもせっかく続いているし、がんばろう。

2009年9月14日月曜日


今日はSPRATSという魚を食べました。写真にあるとおり、小魚です。小麦粉につけてフライにして食べました。この魚時々スーパーで見るのですが、値段がすごく安いんです。10匹くらい入っていて50ペンスくらい。でも食べ方がわからなかったんですが、実家の母がやっていたとおりにして、まあうまくできました。私は揚げ物をしないので、要領が良くわからなかったけど、味もおいしかった。安くて健康に良いので、そして割と簡単にできるので、また作りたいと思ってます。猫もチャーリーの残した頭を目の色を変えて食べていました。


家の周りにはいろいろな木が自生していて、へーゼルナッツやらブラックベリーやら、食べれるものがなっているのですが、その中にスローという実があります。さくらんぼをさらに小さくしたくらいの大きさで、スモモの仲間だと思うのですが、甘みがなく食べられません。でもこれを梅酒のようにお砂糖と一緒にジンにつけてスロージンという果実酒を作ることができます。今年はこのスローがたくさんなっています。しかも例年より大きくて、おいしそう。それでスロージンをつくりたいなあという気持ちが高まってきました。


でも私は最近、というかここ10年ほどほとんどお酒を飲まないんです。それで去年作ったスロージンも、強すぎることもあって(まあジンですから)、まだ残っているんです。それにジンがどうも好きでない。でもジンでなくても、たぶんウォッカでもできると思うし、どうしようかなあ、と迷っています。


私は昔はずいぶんお酒を飲みました。大学生の頃もしょっちゅう飲んでいたし、社会人になってからは365日中、体調の悪い数日くらいを除いて毎日飲んでいた時期もありました。ちょっとやそっとやぜんぜん酔わないから、シティーで働いてたときは、昼休みにワイン2杯くらい平気で飲んでました。その頃友人のうちに泊まりに行って、二人で日本酒1合とワイン4本からにしたこともありました。


でも12年位前にちょっと禁酒しようと思い立って、それからほとんど飲まなくなりました。


禁酒するようになったきっかけは、些細なことです。大学のサークルの後輩のF 君からはがきが着いたんです。彼はもともと読書家だったんですけど、その年は1年で200冊本を読んだと書いてありました。それでちょっと自分のことを振り返ってしまいました。私も毎年100冊は読もうとその頃はよく目標にしていましたが、実際には30冊がやっと。200冊なんて2日で1冊以上のペースです。こんなに読むなんて、とてもお酒なんて飲んでる時間無いだろうなあと思ったのがきっかけ。


そのときに考えたのですが、私はお酒がそんなに好きなわけではないんです。ただそうするものだと思って飲んでいました。お酒によっては味がおいしいものはありますが、でも酔った感じというか、ちょっと頭があやふやな感じになるのが嫌なんです。それでそんなに好きでもないお酒を飲んで、頭がぼやっとして本とか読める時間が台無しになるのってもったいないなあと思しました。それにお酒を飲むとちょっと感覚が麻痺するでしょ。そんなふうに、せっかく生きて体験していることを、思いっきり実感できないなんて損な気もしてきた。


そうするうちに妊娠して、本当にお酒は飲めなくなりました。出産後は授乳で飲めないし、子供が3歳くらいまでは夜中に何度も起こされるし、急病で夜中に運転しなければいけないこともあるし、5年くらいはほとんど飲めませんでした。


それが今に至っています。飲んだって好きでもないものでお金がかかるし、それに最近はなんと言ってもカロリーが気になって、ワイン1杯飲むくらいなら、トーストにピーナツバターつけて食べないなあ、なんて思ってしまいます。(あ、今ダイエット中です)


そんな私ですが、日本ではちょっと飲みました。暑いから冷たいビールを飲んでいる人を見ると(妹は毎日飲む)、ちょっとの飲んで見たいなあという気になったり、友達と出かけて、メニューに載っている梅酒だとか頼んだりしました。確かに日本はイギリスにないおいしいお酒、私にとっては梅酒とかチューハイとかなんですけど、甘くて口当たりが良いお酒があって、おいしく何杯か飲みました。(でも私は実は結構熱燗は好きなんです。)
こうして思うと、お酒自体が飲みたいというよりも、みんなでがやがやとにぎやかに飲みに行く宴会、飲み会というものが昔から好きだったんだろうなあ。それとか、仲の良い人とこじんまりと話し込みながらグラスを傾けたり。だからイギリスに住むようになって、特にデボンに来てからはそういう機会もなくなって、お酒飲むのがつまらなくなったのかなあ。

でも今回何度か飲んで思ったのですが、別に酔わないですね。ぜんぜんほろ酔いにもならない。気持ちよくなったりもしない。だからやっぱりこれからも何か楽しい機会でもないと、普通にしていたらぜんぜん飲みたいと思いません。


でもこれを書いていたらちょっと例のスロージンが飲みたくなってきました。もう歯を磨いちゃったんだけど、まあ少しくらいなら良いかなあ。


そうそう、読書のほうですけど、別にお酒をやめてもぜんぜん読めていません。ちなみにこれを読んでいる元サークルの人、その読書家さんは中国語科の別称U 君です。

2009年9月13日日曜日

コルラビ











今日も好天気というか、昨日よりさらにいっそう温かくなっているようです。また海に入りました。4日続けて行ったのなんて、初めてじゃないかな。明日もまだ天気は持ちそうですが、明日は学校のあと子供たちの水泳があるので、もう海はいけないと思います。そういうわけで、まず間違いなく今日が海納め。寂しいです。


今日は昼ごはんにローストチキンを作りました。前は日曜の夜によくローストをしていたのですが、子供が日曜の夜遅くまで水泳のセッションがあるので、時間のある日は最近はランチにたくさん食べます。メニューは

ローストチキン
ローストポテト
茹で人参
ローストスイートポテト(日本のサツマイモとはちょっと違う)
コルラビのヨーグルト煮


りんごとスモモのクランブルとカスタードソース



コルラビというのはイギリスでも珍しい野菜です。普通の人は知らないし、店でも売っていないのですが、ガーデニングの本には必ずのように載っています。それで今年初めて育ててみました。写真は葉と根を取ってしまいましたが、上に葉が生えていて、すぐ下が根です。育てたのは良いんですけど食べ方がわからなくて、インターネットで調べました。皮をむいて茹でれば良いんですけど、ちょっとこってヨーグルト煮にしてみましたが(写真ではチキンの隣)、さっと茹でてにんにくとしょうがでさっと炒めておしょうゆをかけたほうがおいしいような味でした。ブロッコリーの茎のような味。


それでどうしていったい、私はこんな野菜、見たことも食べたこともないものをわざわざ育てたんだろうと、考えてしまいました。結局私って、とにかく何でも新しいことを試して見たいんだろうなあ。ガーデニングの本やカタログに載っているの、とにかく一度は試したい。失敗したって、どうせ元手はたかが種一袋なんだから。

それで今日は今年育てた野菜、果物をリストしてみることにしました。

じゃがいも
人参
ビートルート(赤紫のボルシチの材料になる根菜)
パースニップ(白い人参に似た根菜)
たまねぎ
にんにく
ほうれん草
セロリアーク(セロリ味の根菜)
スイスチャード(ほうれん草に似ている)
アスパラガス
アーティチョーク
小松菜
大阪しろ菜
ブロッコリー
カリフラワー(日本にいる間に害虫にたかられて、ひとつも食べられませんでした)
キャベツ
ケール(ごわごわしたキャベツっぽい菜っ葉)
大根
ターニップ(かぶに似ている)
コルラビ(上述!)
白菜(多分だめ。今までひとつも育ったことがない。)
長ネギ
レタス
とうもろこし
トマト
きゅうり
パプリカ(ひとつもならなかった!)
茄子(同じく、だめでした。一度も成功したことがない。)
ズッキーニ
かぼちゃ(ハロウイーン用と食用。ハロウィーン用はだめみたい)
さやえんどう
グリーンピース
そらまめ
絹さや
ラナービーンズ(日本に行ってる間に季節は終わっていた)
パセリ
チリ



果物が
イチジク(日本に行ってる間に食べられた)
りんご
さくらんぼ
すもも
ルーバーブ(ピンクのセロリに似たもので、砂糖と似てデザートにする)
イチゴ
ラズベリー
グーズべりー(すっぱい実)
レモン(まだ実がなったことがない)



そしてこれとは別にセージ、タイム、ローズマリー、ミントなどのハーブが手入れもしないのに花壇で育っています。


こうしてみてみると、どうして毎年失敗するものを育て続けるんだろう?多分、まずは挑戦してみようと種を買って、まだそれが残っているので、今年こそという気になって撒いてしまうんでしょう。ナスは大好きな野菜で、よく使うのですが、イギリスで買うと高いので、何とか今年こそ、と思うんです。白菜も途中までは簡単に育つんだけど、とにかくナメクジにやられるので、まともにできたことがありません。


日本の野菜ではごぼう、シソ、水菜、三つ葉、枝豆を育てたことがありますが、それぞれ理由がありあきらめました。セロリもできたことはできたけど、スジだらけの惨めなものでした。


こうしてみてみると、日本もイギリスも温暖気候で、そう気候が違うわけではないのに、ずいぶん野菜が違いますねえ。日本にない野菜もたくさん。そういう野菜が私にとっては普通の野菜なので、知らないうちにこっちの食文化に馴染んでしまったなあ。


最後の写真は生垣のへーゼルナッツ。手の届く位置のは採られてしまっていて、ちょっとうまく撮れなかったけど、わかるでしょうか?
















2009年9月12日土曜日

好天気


最近私のブログ長すぎるなあと反省しています。昔ある人に、長すぎると読む気がそがれると言われたのですが、確かにそうかもしれないと思うほど、最近は同じことを長々と書きすぎかなあ。


今日も昨日と同じような好天気でした。それで午前中はバレエやテニスなどの習い事に行ったあと、昼にバーベキューをしました。太陽を背に当てて座っていると背中が暑いくらいでした。まああの日本の、本当に焦げてしまうんではないかと怖くなるほどの太陽に比べたら、かわいいものですが。9月はスズメバチや蜘蛛が多き月なのですが、食事中も蜂がたくさんやってきて、チャーリーは怖がっていました。


そのあとデイブと子供たちは外で庭仕事(チャーリーは主に遊んでいた)、私は2キロの梨をむいて芯をとって切ってジャムを作り始めました。でも外はとってもいい天気で、どうも気になります。それで5時位から子供たちとまた海に行きました。今日も波がなく、ルイはボディーボードなしで泳いでいました。波がないながらも空は快晴で気持ちよく、しかも今日は土曜日で人がいたのでにぎやかな雰囲気もあり、私とチャーリーはまだ海で泳いでいたかったのですが、皮下脂肪ゼロのルイは30分くらいで鳥肌だらけになり、仕方なく帰ってきました。これから本格的にサーフィンとかするんだったら、もうちょっと脂肪をつけないとだめだよ、ルイちゃん。


引き潮のときも満ち潮のときも、晴れた日の6時くらいの海は、なんとも言葉にできないほど素敵です。まだ夕焼けという時間でもないのですが、どうしてでしょう。光がやわらかくなるからかなあ。海で楽しい時間を過ごして、さあこれから帰途に着くというその前に、「まあ良いや。少しくらい帰るのが遅くなっても。」と海岸に座って海を見ていると、本当に胸が痛くなるくらいすばらしく満ち足りた気持ちになる。海で遊んでいるほかの人たちの楽しい気持ちがビーチ全体にただよって、自分たちの気持ちと混ざるからでしょうか。


6時半くらいに家に帰って庭のとうもろこしを採って晩御飯に食べました。これがすごくおいしかった!あまりのおいしさにびっくりして、家族のみんなに「あなたたちのもこんなにおいしいの?」ときいたくらいでした。


そしてジャム。これは梨が熟れすぎていたのか、それとも梨の種類のせいか、水が多くてなかなか蒸発しません。それで煮詰めすぎて、最終結果はちょっと失敗かもしれない。水気が減りすぎて水あめみたいな感じになってしました。でも味はレモンの味が利いていて、マーマレードをちょっとまろやかにしたような感じで、とってもおいしかった。今ビンに入れてさめるのを待ってるのですが、かたくなりませんように。


このジャムのレシピーはインターネットからです。材料は、

梨  2キロ
レモン 3個
砂糖 1キロ
水 1リットル (750ccしかいれなかったんですけどね)

要するにこれを煮て、10分くらい沸騰させて、できたかどうか(固まってきたか)調べるっていうだけなんですけど、2キロの梨って20個以上あったので、これの皮むきと芯取りが結構大変でした。


こんのさんにお約束したへーゼルナッツ忘れていません。明日時間を見て撮りに行きますね。


この好天気は明日も続き、まだ2-3日持ちそうだとのことでした。それでルイに「この天気であさって学校に行くなんて信じられない。ずる休みする?」とお母さんはきいてしまいましたが、まじめなルイには、「あ。そうだ、やり残した宿題を片付けなければ。」と取り合ってもらえませんでした。まあ私も月曜は仕事なので、確かに学校にいってくれないと困ることは困るんですけど、でも天気の良い日は学校に行かず、海に行きたいです。特に今年のように、雨が多く寒かった夏には。

2009年9月11日金曜日

豊かな暮らし







今日も子供の学校のあとビーチに行きました。同じような天気で同じような引き潮だったんだけど、波がぜんぜん違った。遠くから見ただけで、あー、今日はがっかりだなあというような穏やかな海でした。じゃあ仕方がないから泳ごうと思って水に入ったら、ちょうど良い波が来始めました。昨日よりは迫力ないけど、かえって穏やかで波乗りしやすい。それで、昨日よりさらに人のいない海で、45分くらいボディーボードしました。どのくらい人がいないかというと、遠浅の広い広い海岸に、見渡す限り私たちのほかには数人しかいませんでした。こんな大きな海を貸切とは、本当に豊かなものです。


昨日豊かさの話が出たので、その続きを。


秋は収穫の秋ですが、ここでもいろいろ収穫しなければいけないものがあります。普段は大体必要に応じて庭から取ってきて料理するのですが、そうは行かないこともあります。収穫しなければいけないものはたいてい機を逃せないので、短期間にすごく忙しい事になる。


この週末は梨の木のうちの1本を全部もいでしまわなければいけません。もいだら保存はあまりきかないので、1週間くらいで食べるもの以外は保存食に調理しないといけません。これがめんどくさくもあり、楽しくもあるんです。梨は今までこんなに取れたことがないので、どうしたものかとインターネットを見ると、いろいろ調理法がありました。梨ジャムに梨のピクルス。ジャムのほうはレモンと混ぜてジャムにし、ピクルス(というか、チャツネという元はインドのいろんなスパイスの混ざったピクルスの1種)は、レーズンとたまねぎと一緒に甘い味に仕上げます。それで明日はジャムを作る予定です。


それから今日はブラックベリーをつみました。これは育てているわけではなく、勝手に家の裏の生垣になるんです。それも山ほど。でもブラックベリーって味はおいしいんだけどちょっと硬い種があって、それだけでは食べることはあまりなくて、パイに入れたりジャムにしたりします。



梨やりんごは収穫といっても簡単ですが、ブラックベリー摘みは小さいからめんどくさい。しかもこれが生えている潅木は鋭いとげがたくさんあるんです。だから気をつけないと、とげが刺さる。それで去年はもうジャムもいっぱいあるし、もう摘むのはやめようと思っていたのですが、結局無駄にするにしのびずたくさんとりました。実はそれがまだ冷凍庫に残っています。使い切れないくらいだから、もう本当に収穫しなければ良いんだけど、それでもやっぱりしてしまいます。こんなことしてる時間無いよと思いながら。


ジャムって1回作ると5瓶くらいできるし、こんなにジャムを作るなんてジャムが好きなのかと思われるでしょうが、実はジャムもなかなか食べない。ピクルスは時々食べますが、それでもまだおととし作ったのが残っています。これは長く置いたほうが味が丸くなるので、今すごくおいしいです。


もうすぐりんごもできるし、りんごはちょっとは保存できるけど、でもこれもいろいろパイにしたりジュースにしたり加工しなければいけない。ああ、めんどくさい。時間がない。でも別にやらなくても困る人は誰もいないのにやってしまうから、やっぱり好きでやってるんだなあ。


そしてへーゼルの木にはへーゼルナッツがなっています。これはうちだけでなく、ちょっとその辺をあるくとあちこちの生垣(ヘッジ)になってるんです。それもちょっと摘みました。でも昨日ペンチでからをあけようとしたのですが、本当に硬い!何とかいくつかあけましたが、さすがにこれはもうパスします。そんなにすべて収穫するなんて無理ですよ。



こういうことを考えると、田舎の秋というのは本当に心豊かにしてくれます。心だけではなくて、実際ずらっと並んだジャムやピクルスのビンを見ると、お金で買えない価値あるものがたくさんあるという感じはしますね。実際、手作りのジャムやピクルスはマーケットで売れば良い値段で売れるし。まだ温かい秋の午後遅く、ビーチを独り占めしてボディーボードをするというのも、お金では買えない贅沢だし、実際都会に住んでいる人は高い(?)お金を払ってやってきます。



私はもともとは都会っ子で、たまたまいろんな事情でこんな田舎に住むようになったのですが、海に近い広い土地に住むというのは、それなりにここに書かない苦労とか出費もありますが、心豊かなことですね。

でも都会でも同じようなことはいえるんじゃないかなあ。ロンドンをたとえに取ると、あんなにすごい美術館やら博物館がたくさんあって、それが無料で入れる。大英博物館なんて人類の文明に歴史が全部詰まっているんだから、あんな心豊かな場所はありませんよ。道を歩くだけですばらしい建築物がたくさん見れるし、コンサートや芝居があちこちでまあまあの値段で見れるし、探せば安いチケットやただでやっているものもたくさんあるし。


そういう具体的なことでなくても、根が都会好きの私は、ああいう雰囲気の街にいるだけで、心がわくわくと高揚します。特に夜の12時過ぎの喧騒。あーなんかエネルギーがあふれてるなあ、まだまだ夜は長いぞ、という感じ。


じゃあ日本の都会はというと、私は近代建築とか大好きだし、人ごみとかすごく好きです。店を見るのも楽しいし。それになんといっても大阪のミナミの夜の街は、心の底からわくわく感がこみ上げてきます。あー、生きてるぞ、という気がする。


何を書きたいのかというと、都会も田舎も、そのつもりで暮らせば心豊かになれるものはたくさんあって、私たちって良い時代に生きてるなあ、とかそういういうことでした。






写真は上から、今日の収穫(きゅうりに似たのがズッキーニです、ちょっと大きくなりすぎた)、ブラックベリー、へーゼルナッツ。

2009年9月10日木曜日

この世の天国

私が5週間留守にしていた間、イギリスの天気は最低だったそうです。ロンドンに遊びに言った友達は、結構暑かったといていましたが、この辺はぜんぜん夏らしくなく、雨が続いたらしい。それは帰ってきたときの庭の状態でわかりました。8月なら普通の靴やサンダルでいつもなら庭に出られるのですが、今年は長靴をはかなくては靴が泥だらけになるという有様でした。植木も一つも死んでいなかったので、水を上げる必要もなかったのでしょう。そして会う人会う人、今年はぜんぜんりんごがならなかったとこぼしています。

月曜に友達とランチに行ったときに、一人が「水曜から晴れるらしい。」といっていました。でもその日も火曜も一日中小雨で、もうすっかり夏は終わって、暗くて寒くて雨の多い秋が始まったなあと思っていました。

それが水曜の朝起きてみると、空が晴れています。もう寝室の窓にはうっすらと水滴がつくくらい寒いのですが、9時を過ぎるとだんだん温かくなってきました。空はそれ以来雲ひとつなく真っ青です。外に行くには光がまぶしくて、サングラスがないと出られません。

今年の夏は夏休みの前に2回くらい海に入ったけど、そのあと日本にいったので(もちろん日本では沖縄で海に入りましたが。)、今年はボディーボードはもうできないなあとあきらめていました。ウエットスーツを着るし、9月はまだ海が比較的暖かいといわれているので、天気が悪くても波さえよければ、そして根性さえあれば、まだ海に入れますが、なかなかそこまでして冷たい海に入って波にもまれたいと思えません。

でも今日は快晴。そして普段はいろいろ習い事があるけれど、今日は何もなし。それでサーフィン情報を調べてみると、「30-50センチくらいの楽しい波」ということでした。それで子供が学校から帰ってくると、家でウエットスーツを着こんで、海に行きました。

ここは昼間は駐車が3ポンドなんですが、4時以降は1ポンド。ゲートでお金を払って海のまん前まで乗り付けて、今日は引き潮だったので、まっ平らな美しい砂浜を500メートルくらい波打ち際まで歩いて、海に入りました。ちょうど引き潮が満ち潮に入れ替わるころだったのですが、潮の引いていく海が、普段は海底の砂の表面に薄く残り、光を反射して、とても言葉にできない美しさでした。

平日のこんな季節のこんな時間だから、人はとってもまばら。車は25台くらい止めてあったかな。でもただ散歩に来ている人も多いので、海に入っている人は数組の子供連れと、サーファーたち10人くらいでした。

海はすごく冷たかった。足をつけるともうそれだけでかじかみそう。でも我慢してずんずん沖のほうに向かって歩いていきます。ここは極端なほど遠浅で、50メートルくらい行っても足がつくくらいなので、子供も安心です。がんばって腰まで漬かるくらいのところまで行くと、やっと波乗り開始です。

波はまあよかった。ルイは学校からサーフィンスクールにもいったくらいなので、さすがに波を読むのがうまい。しかも水が怖くないので、どんどん沖のほうに行ってしまします。私とチャーリーはルイよりは岸のほうで、ルイが乗っている波に便乗して結構楽しみました。

ルイは5歳位から平気で一人で波乗りしていましたが、チャーリーは泳ぎはうまいのに、ちょっと海は怖いみたいです。それで今まであまり楽しそうにしていると思ったことはないのですが、今日は帰ろうかと声をかけると、「嫌だ!」抗議していたくらいだったので、楽しかったのでしょう。

水の中にいたのは30分位かな。やっぱり寒くなってくるんですよね。そろそろ上がらないとまずいかなあというくらい、手足が冷たくなる。それで海から上がり、また車まで砂浜をてくてく歩いて、車で着替えて帰ってきました。チャーリーなんて着替えるのがめんどくさいからと、水着を脱いでタオルを巻きつけただけで家まで帰りました。

私たちが水から上がったのが5時くらいだったのですが、そのくらいの時間からサーファーがたくさんやってきていました。5時からは駐車がただになるし、働いてる人はこのくらいの時間にやってくるのかな。水平線まで続きそうな砂浜には、ところどころにサーファーや家族連れが点在し、美しい夕方の秋の太陽を浴びて、本当に「この世の天国」といいたいような風景でした。夕方にまだ日が高く晴れ上がり、人が出てくるのって、一日はまだまだ終わっていない、楽しいことはまだまだこれからという感じがして、なんかわくわくします。

家に帰って、昼間に用意した晩御飯のマカロニ・チーズ(グラタンと同じ)をオーブンに入れて、その間にみんなシャワーを浴びて、6時半には晩御飯を食べました。学校が終わるのが3時半だから、3時間で学校から家に帰って、海でボディーボードして、家に帰ってシャワーを浴び終わって、ちゃんと宿題とかピアノの練習もしたので、今日は時間がすごく有効に使えました。

晩御飯も早く食べ終わり、7時半にはすっかり寝支度ができた子供たちは、9時までテレビを見て、それぞれの部屋で文句も言わずすぐに寝ました。

私はもうブログ書き終わるというのに、まだ10時にもなっていないなんて快挙。今日は早く寝れるかなあ。

2009年9月9日水曜日

イギリス経済を憂う







まずちょっと個人的というか、いつもコメントくれているあくあさんが読んだ引き寄せの法則についての本について。「ザ・シークレット」っていう本はイギリスでもアメリカでもベストセラーでした。オーストラリアのテレビプロジューサーのロンダ・バーンっていう人が作ったDVD の活字版です。


でもこのDVDはもともとはエスター・ヒックス、ジェリーヒックスという人たちの本、アブラハムの教えに基づいて作られたんです。それでその初版にはアブラハムをチャネルしているエスターが出ていたのですが、その後版権についての法的なごちゃごちゃがあり、彼らがdvdからカットされるということになりました。このザ・シークレットだけ読むと、そういうもんかなあと思って、眉唾だと思うけど、オリジナルの本を読むとそのバックグラウンドがわかってきて、うん。なんというか。はじめは眉唾なんだけど、だんだんわかってくるんですよ。Ask and It Is Given というのが最初の本です。日本語訳もその辺の本屋で見かけましたよ。(なんかハウツー物みたいな変なタイトルでしたが。)でも英語のほうがわかりやすいんじゃないかなあ。


それからYouTubeにエスターが話しているビデオがたくさんあります。もともとは、こんな風に人前でアブラハムの意識をチャネルすることから始まって、それが20年位して本になっているので、ビデオを見るほうがすごい、と納得します。だから今度時間のあるときに、よかったら見てみて。Abraham-Hicksのチャンネルで見れます。



今日は書こうと思ったのは、物価のことです。今ってポンドが安くて、170円とかだと思うんだけど、大体ここ10年くらいは200円程度でした。それなので今回日本に行って、ポンドでお金を得ている私としては、何でも高かった。



でも、ポンドに直すと高いけど、円のまま考えると日本って物価が安いなあと思いました。地下鉄の初乗りだって昔とあんまり変わってなくて、200円だし。ロンドンなんて、4ポンドですよ!



私は日本を出たのがバブルのころだったんですが、そのころは何でも高かった。ブランド物の洋服がはやっていたので、特に服代が高くて、普通の店でも1万円でスカートが買えないという時代でした。飲みにいくのも、学生の行くような安い居酒屋でも、1次会で一人3000円を下ることなんてなかったように思います。コーヒーは300円から高いころとでは500円。昼食のラーメンだとかチャーハンだとかは、500円-700円というところか。



それが今は衣料品が安い。まずユニクロとか、安い店が増えてます。先日チャーリーのスカートを定価で750円で買いました。それから私のカーディガン、セールで1200円弱だったと思うけど、なかなか素材もデザインもよく、こちらでもう何度もほめられました。まあ衣料に関しては、イギリスも最近はすごい安い店がたくさん出てきましたけどね。



食べ物は、ロシア語科の集りで出かけたゴマ料理の飲み屋は、あまりたくさん飲む人はいなかったけど、散々4時間もかけておいしいもの食べて、一人3500円くらいだったかな。一度入った駅前のラーメン屋も、1杯650円とかで、20年前と変わらなかった。コーヒーは、喫茶店の値段が安くなったというよりも、スターバックスとか安いお店が増えましたね。そうそう、マクドナルドも日本のほうが断然安くておいしいです。ファミレスにいったって、今ではどこもドリンクバーというのがあって、それが昔のコーヒー1杯の値段より安い。



まだあります。タクシーの初乗りも昔と同じような値段だし、大阪では5000円以上は、その分は半額ということでした。野球の試合も外野席で2000円。まあ映画と同じくらいだし、お手ごろなんじゃないでしょうか。映画は昔はイギリスのほうが断然安かったんだけど(1000円くらい)、最近は、ここ北デボンでは1500円位かな。でもロンドンならきっともっと高いですよ。


新幹線料金も東京まで往復、ほとんど昔と同じ値段ですね。でもこれは今は飛行機がすごく安くなってるから、比較するとすごく高く感じます。だって大阪東京往復3万円ですけど、ロンドン・東京間エコノミーで10万円位からあるからね。東京大阪間、飛行機ならどのくらいなんだろう。昔はスカイメイトで(今もあるのかな。要するに学割)飛ぶと、新幹線よりちょっと安かった。


イギリスは不景気というのに最近物の値段も上がって、これってスタグフレーションっていうんじゃないの?って思うほどです。1年位前からパンやミルクの値段は1.5倍近く上がりました。それから公共料金も上がって、電気代が倍、水道代が1.5倍(この地区は全国一高くて、一月1万円くらいなんですよ!!!ロンドンなんて2000円くらいだったのに)。電話とブロードバンドだけは安くなっていると思っていたら、ここは田舎なので特別料金で割高なんです。ガソリンはじりじりと上がり続け、今日は1リットル1ポンド07ペンス。210円くらいですよ!でもここはバスが来ないから仕方がないと思っていたら、バス代も1.5倍くらいに上がったそうです。



私がロンドンで住んでいたフラットって、場所は大英博物館の近くで、しかも駅から徒歩30秒で、すごく場所はいいんだけど、スタジオフラットと呼ばれる一間っきりの部屋でした。日本の10畳強の部屋の隅に台所がついていて、それとは別にかなりゆったりしたバスルームがついていました。これを5万ポンド強で買って、2000年に売ったときは6万ポンドくらいだったんだけど、今このフラット20万ポンドでマーケットに出ています。そのくらいロンドンの不動産の値段が上がったってことなんだけど、これじゃあ、普通の人はスタジオフラットすら買えないよ。だって平均年収は相変わらす年に3パーセントくらいしか上がっていないんだから。



この前たまたま見たニュースでは、イギリスは不景気を抜けたか?、なんて言ってたけど、でも不動産市場はこんなわけのわからないことになっているし、物価は急に上がったし、ポンドは弱いし、一体どうなるんでしょうかね。そして気になるガソリンの値段の行方は?入れるたびに次はどうせまた上がってるだろうと、1滴でも多く満タンにします。



でも引き寄せの法則がありますからね。私は普段は悪いニュースでいっぱいのテレビニュースは見ないことにしているし、経済がどうであれ、私個人の経済状態には関係ないと思って、楽観していますけど。物価が高くても関係ないない。お金なんて天下の回り物。お金の心配しないで気楽にやっていれば、どこかからたくさんやってきますよ、ほほほ。



写真はきゅうりとズッキーニととうもろこし。きゅうりは大きく見えますが、ぜんぜん大きくないです。でも、今年も菜園、果樹園とも豊かです。たっぷりと食べきれないくらい取れて、どんどん人にあげています。こういうのを見て、「ああ、なんて豊かな暮らしなんだろう」としみじみ思うと、引き寄せの法則でますます暮らしは豊かになるということなんです。

2009年9月8日火曜日

Water World


今日は水泳に行きました。いつもは友達といって、50メートルごとに止まっておしゃべりするという有様なので、1時間で800メートルがせいぜいです。でも今日は彼女がこれなかったので、なぜか思い切り泳ぐ気になって、一人でプールに行きました。


その前に街に行って銀行に行ったり郵便局にいったりの用事があり、そのあと道がコンバイン・ハーベスター(大型の農耕機械。普通の道路を堂々と走るので、時々ひどく道が混む)のせいで混んでいたので、ずいぶん遅くプールについて、40分しか時間がありませんでした。


今日の目標は1キロ。ということは25メートルプールを40本。1本1分。できるかな。それで、まず20本泳いで、そのあとで10本、10本という予定を立てました。でも20本ゆっくり平泳ぎで泳いで見ると、まだまだ余裕があります。休んでる時間もないし、じゃああと10本と泳ぐと、未だ平気。それで結局休み無しで1キロ泳いでしまいました。最後の10本は1本ごとに早く泳いで、最後の50メートルはクロールで。


私って泳げなかったんです。水に顔をつけるのが嫌だからと、小学校に上がるのを拒否したあたりからけちがつき始め、小学校も中学も仮病使いまくりました。高校のときも同じだったのですが、高3の夏休みに、25メートル泳げない人は特訓に行かされて、そのとき始めて50メートル平泳ぎで泳げました。


そのあとは日本ではたまに夏にプールに行ったり、ロンドンでは年に5-6回室内プールに行ったりしました。それでも大人になってからプールで泳いだ総数は、40回にも満たなかったんじゃないだろうか。30歳くらいのときハワイに行き、妹と二人でおぼれかけるということもありました。それ以来、決して足のつかないところでは泳がないと決心していました。


それが3年位前に、プールに行くといった友達について泳ぎに行ったのがきっかけで、それからほぼ毎週通っています。このプールは深いほうは水深2メートル以上あるので、初めのうちはプールサイドよりで泳いでいました。でも毎週行くうちにいつの間にか平泳ぎなら結構長距離泳げるようになっていました。大人でも、たった週に一度くらいのトレーニング(ともいえない)で、運動能力って上達するものなんですね。


今まで休まず泳いだ最高は500メートルくらいだったので、1キロ泳げてすごく嬉しい!1キロってちょっと自慢しても良い距離だと思いませんか?うちの子供たちのように、バッジが欲しいよう。(あ、ちなみにルイは4キロ、チャーリーは3キロのバッジ持っています。)


こんな風に淡々と泳ぐのって結構精神的に退屈です。でもそういう時は、水の中をしみじみ見ます。ゴーグルをして泳ぐんですけど、水の中ってすごくきれいなんですよね。ただの公営のプールなのに。ひかりが反射して、それがゆらゆら揺れて。そしてまるで時間の流れが変わったかのような、地上とは別の秩序、世界があります。息継ぎするたびに聞こえる地上の雑音も水の中には届かない。そういうことを思いながら泳ぐと、息継ぎするためにすいめんに上がってくるのが嫌になるくらいです。


それに今日みたいにゆっくりしたペースで泳ぐと、長く泳げば泳ぐほど気持ちよくなってくる。水と体温がだんだん同じになってくるようで、もしかして羊水に浮かぶってこんな感じかなあという気がしてくる。そのペースとリズムが気持ちよくて、軽い催眠状態、もしくは瞑想状態のような感じかな。これってたぶんジョギングとかしてても同じじゃないかな。それに泳ぐ場合は浮力があるから、ちょっと空に浮かんでいるような頼りない感じがまた良い。


ルイが4歳で水泳を習い始めたころ、先生に「この子は水の中のほうが好きだね。」って言われました。普通の子供って基本的に水面で泳ごうとするんだけど、ルイは水中を泳ぐほうが好きみたいで、時々仕方なく息継ぎしてるって感じでした。まるで鯨。


そのルイが去年からラグビーを始めました。水泳と違ってチームスポーツだし、それが楽しいらし。それでその時に水泳とどちらが好きか聞きました。するとラグビーかなだって。でもそのあとに、「でも水の中って、平和で心が落ち着くんだよね。」といいました。そうか、この子は4歳のときから、水中の世界をそういう目で見て泳いできたんだなあと、初めてルイの気持ちがわかりました。


水の中が平和という実感、ルイに言われて1年たって、やっと私にも感じられました。


ちなみにルイはその後水泳でめきめき活躍してメダルもトロフィーもたくさんもらったので、今ではやっぱり水泳が自分のスポーツだと決めているようです。もしもラグビーで骨でも折ったら、もう辞めて貰うよと言うとと、自分でも水泳のトレーニングに差し支えるからそうするといっていました。


写真は昨日採った梨。これだけとってもまだまだ実っています。梨ってりんごと違って持たないから、毎日食べてます。


2009年9月7日月曜日

久しぶりにランチに行きました。

今日は友達4人でランチに行きました。一人の友達の家の近くの村の小さなパブです。昼間なのに、そしてこんなに静かな小さな村なのに、カウンターではもうお酒を飲んでる人がいました。



食べたものはホームメード・バーガー。ハンバーガーがお皿に乗って、そこにちょっとサラダと、自家製のトマトソースがついています。それから4人でチップス(フライドポテト)を一皿分けました。これで一人5ポンド。飲み物は各自自分でカウンターで買って、私はダイエットコークで1ポンド30。1ポンド200円との楽観的な換算レートで言うと、1200円くらいか。本当は今はもっとポンド安なので、1000円くらいなんですけど。まあどちらにしても、とにかく子供の分を払わなくて、自分の分だけで良いというのは安いです。



行った友達は子どもの学校関係のお母さんたち。幼稚園のころからの付き合いで、幼稚園の運営にみんなかかわっていたので、今でも付き合いがあるんです。先週の金曜にそのうちの一人からメールが来て、誘ってくれました。残念ながらというか、話題はすぐ子供のこと、学校のことになってしまうんですけど、まあ接点がそれだから仕方ありません。普段学校に足を運ばない私にとっては、まあちょっとしたゴシップの仕入先です。

先週はルイが友達の家に遊びに行ったんですけど、そのお母さんも私の友達で、彼女からメールがあり、迎えに来るときに早く来て、お茶でも飲みましょうとのお誘いでした。それでそのときも1時間ちょっとお邪魔して雑談をして帰りました。そういえば数日前は、また別の学校関係の友達から電話で、日本のことなどを話し、じゃあ数週間後にお酒でも飲みながらゆっくり話をしましょうということになりました。

私はデボンには友達もいないし、家族以外は余り会う人もいず、仙人のように精進して暮らしている気でいましたが、日本から帰ってきて生活が軌道に乗り出すと、こうやって誘ってくれる人もいるのだなあと思うと、ありがたいことです。ただ夜出かけることがめったにないので(年に1度とか)、寂しく暮らしているような気でいるんですけど。

でも普通の週は週に一度水泳とサルササイズにそれぞれ別の友達と通っているし、夜出かけないだけで、友達のいない寂しい生活というわけでもないなあと、あらためて思っています。

それでも昼間は家族以外誰とも会わない日もよくあるし、仕事に行ってもこういう仕事なので、同僚というのもいないし、日本でのにぎやかな生活に比べれば、本当に静かです。でもそれも良いかなあと思う。1年の大半を畑仕事と瞑想とヨガをしながら物を書いてすごすのも、私には向いてるのかなあって。

でもそれだけでは嫌なので、年に一度日本に来て、もしくはロンドンに行って、都会の夜の灯をたっぷり浴びたいです。どちらが充電で、どちらが放電なのかわからないけれど、そういうメリハリのある生活が私の理想。だから日本に1年の半分、イギリスに1年の半分暮らせたら、本当に理想なんだけどなあ。何かイギリスに住んでいてできる日本の仕事とか、ないかなあ。もちろん一番楽なのは宝くじに当たって、ここの家の住宅ローンを返して、日本とロンドンにもマンションを買えれば最高なんだけど、私の複雑な人生にはそんな簡単な落ちはないだろうなあ。

2009年9月6日日曜日

チャーリーの引越し




今日はチャーリーの引越しでした。これはチャーリーの新しい部屋。今までルイと同じ部屋で二段ベッドで寝ていたのですが、来年はルイも中学だし、そろそろ別の部屋になりたいと前から言っていたのでした。

イギリスはいろいろと政府だとか専門家だとかなんだとか、権威者がいろいろ個人生活について口出ししてくる国なんですが、特に子供のことになるとうるさい。だから小学生の子供は、子供だけでお留守番なんて子供できません。かぎっ子なんてもってのほか。児童福祉のおばさんが飛んできます。

それで男の子と女の子が同じ部屋で寝ることについてもガイダンスがあって、上が7歳になると同室は好ましくないんだって。でもこれを知っている人は少ないので、多分公団住宅の割り当てなんかのときに目安にされるくらいだと思うんですけど。でもちょっと驚きました。いくらイギリスの住宅事情は日本よりは良いとはいえ、寝室が3部屋以上ある家ばかりでもないし、ロンドンなんて、2寝室でも大きいくらいなのに、無理ですよ。

うちは仲がよくて、同じ部屋で寝るのが楽しそうなので、そうさせていました。二段ベッドは一応ルイが上、チャーリーが下ですが、朝見ると入れ替わっていたり、二人して同じベッドで寝ていたり、床で寝ていたりと、消灯時間以降に、いろいろ遊んでいたようです。週末など次の日学校のない夜は、隣の遊び部屋兼客室で床にダブルの布団を強いて、一緒に寝ていました。キャンプしているみたいで、楽しいようです。

それで、前から別々の部屋になりたいといってからも、躊躇していたんです。どうせお互いの部屋に行き来して、ますます寝るのが遅くなりそうだし。それでももうすぐルイも11歳ですからね。それで何度も、「一度別々の部屋になると、二度と同じ部屋に戻れないよ。」と念を押して、決めました。

今日はチャーリーもルイも自分の部屋ができて、とても嬉しそうでした。ベッドやたんすを動かすのも、全部手伝ってくれました。部屋を自ら片付けて、ポスターを貼ったり、トロフィーや置物を並べたり。そしてこれからはしょっちゅう部屋を片付けると、頼もしいお言葉をいただきました。

今晩、チャーリーは初めて自分の部屋で寝ます。(チャーリーが今までの二人の部屋から遊び部屋に移った。)大丈夫かな。考えたらチャーリーは赤ちゃんのとき以来一人で寝たことがなくて、ルイがお泊りに行っても、デイブのベッドで一緒に寝るくらいなのに。さっきはお休みを言ったあと、早速ベッドを抜け出してルイの部屋にぬいぐるみを持っていっていたので、きつくしかって釘を刺しておきましたが。

でも週末はまたお互いの部屋に泊まり合いをするそうです。かわい~。こんなかわいいこといってるのも今のうちで、もうすぐしたら、もう誰も部屋に入れなくなるんだろうけどな。


この写真は子供たちがお隣さんの森の中で見つけた頭蓋骨です。たぶん羊じゃないかとのことです。ずいぶん古そうで、中からつたが生えていました。

2009年9月5日土曜日

経済活動

仕事のことをほとんどブログに書いたことがないので、何をしているんだろうと思っている人もいるかもしれませんね。百姓ではありませんよ。

私の名刺には、「ヨガの先生、アロマセラピスト、リフレクソロジスト」と書いてあります。

30歳くらいのときに銀行の仕事をやめたとき、ちょっとお金があったのでぶらぶらしていました。それで、どうしてもシティーに戻って金融業を続ける気になれず、アロマセラピストになろうと思いついて、9ヶ月間アロマセラピーの学校に通いました。そしてその間、週末にはリフレクソロジーの学校に行って、そっちも資格とりました。ヨガのほうは完全な趣味だったんだけど、興味本位でティーチャー・トレーニングのクラスにも行っていました。

そうするうちに、アロマの学校に通ってる間に、人からヨガをスポーツクラブで教えないかと話が来ました。それがヨガの先生になったきっかけです。

アロマのほうはロンドンでもデボンに越してきてからも、部屋を借りて営業していたんですが、出産を期に続けられなくなりました。それでそれ以来、こちらのほうは細々と家に時々お客さんが来るくらいです。昔はアダルトスクールで教えるくらいがんばってたんですが。

一方ヨガの方はなぜか、とんとんと話が進むんです。おそらくセラピストよりヨガの先生のほうが人数が少ないんでしょうね。3年位前まではデボン州の運営するアダルトスクールで教えていて、忙しいときは週に8クラスくらい教えていたんですが、そのころいろいろアダルトスクールの再編成があり、そこで教えられなくなりました。

それで3年位前から、家の近く(徒歩10分)の村の集会所で教え始めました。これは自分でホールを借りて自分で宣伝してと、すべて自営なので、はじめは少し心配したのですが、まずまず盛況で今は週二回、村で教えています。この村って人口100人以下だと思うんですが、村で働いてるひとって、農家を除いてほかにはいないだろうなあ。

そのほかに、北デボンカレッジという短大の夜間の部で、週に2クラス教えています。

だからこの夏まではレギュラーのクラスは週に4回でした。実労5.5時間。お金のほうは時給にしたらもちろん普通の仕事よりはずっと良いけど、でも何しろ働く時間が短いから、それほどの収入にはなりません。

でも9月からまた学校の年度が変わるので、新しく3クラス始めることになっています。ただしこちらは最低10人くらいは集まらないとキャンセルになるので、うまく行くかどうかはわからないんですが。

というわけで私がしている経済活動は、週に4回ヨガを教えに行って(それも学校のある間だけ。学校がお休みのときは私もお休み)、週に一人くらいアロマのお客さんが来て、それだけです。あと春から秋にかけては畑仕事しています。これは売らないので収入にはならないけれど、その分家計は浮いているので、経済活動ですね。あ、あと時々日本にアロマセラピーのオイルを輸出しています。


そしてこれは経済活動ではぜんぜんないんですけど、子供が学校に行っている昼間は、できるだけエッセイなどを書くなど文筆活動しています。今までのところ、イギリスで出版されている日本語雑誌のほかには活字になったことはないので、ぜーンゼン仕事ではないんですけど、趣味と思うと怠け心に負けてしまうので、お金にならない仕事と思って、自分を律しています。

あとはもちろん主婦というか母親業しています。炊事洗濯掃除など、全般。まあうちはほぼ毎日1日3食家で作るし、家が広くて子供が小さいので、これも仕事といえば仕事ですなあ。

こうして思うと、私って本当に幸せですよねえ。銀行で働いているのが嫌で嫌で、やめてからは、二度と人に雇われたくない、やりたくない仕事をしたくないと思っていたら、今まで何とかなってきてるんですからね。好きなことしてお金もらって、上司も嫌な同僚もいないし、通勤もないし。これで何とか生活していられるのは、まあもちろんデイブが働いてるからなんだけど。

デイブも好きなことして働いてます。家具職人で、高級家具をビデフォードの町のワークショップで作って、年に何回か外国やロンドンに取り付けに行きます。普通の人が買えるような額の家具ではないので、驚くようなお屋敷や有名人や、豪華ヨットなんかに取り付けに行ってるようです。

まあ彼の場合は労働時間も長いし、結構きつい肉体労働なんだろうけど、でもすごく好きでやっています。とにかく家具を作るのが何より好き、という人なんです。お金のほうは最低ではないけど、あまりよくもない。公務員程度か。でもどういうわけかひょんなことから、今まではボスに雇用されていたのですが、最近ビジネスのパートナーになってしまいました。大丈夫かなあ、この人。ビジネスなんかできんのかな。まあ、収入が減らなければ、私としてはどっちでも良いんだけど。

でもとにかく、私も彼も自分の好きなことして、お金もらってるんですよね。だから職業に関しては、われわれはとっても幸せと思います。

こんな良いところに住んでるし、家で採れた野菜や果物を食べて、蟹が取れるくらいきれいな海も近くて。好きなことしてお金もらって、空いた時間は趣味で詩やらエッセイやら小説書いて。

贅沢なって思いますか?この間書いたmidlife crisisの件、こういったバックグラウンドで、私は「ああでも、何か満たされない。」って言っているんです。要するに人間って、川の水と同じで、一所にじっとしていると、濁ってしまうのかなあ。だから私は、ああ、何か新しいことしたい、と思ってるのかなあ。

2009年9月4日金曜日

女性的日本考察


この写真はうちの梨です。今年は梨がとっても豊作で、こんな風に枝が折れそうなくらいなっています。8歳くらいの木が2本、4歳が1本、2歳が1本。一番若いのはひとつしか実がなりませんでしたが、それ以外はたわわに実っています。洋ナシなので形が涙形で、なんとなくクリスマスツリーのデコレーションのようです。

ちなみにりんごは今年はあまりできませんでした。ひとつも実がならなかったのまであった。いったいどういうわけなんでしょうね。雨の量とか日射量とか、微妙に影響してるんだろうなあ。

日本でいろいろ思ったことがあるので、忘れてしまわないうちにいくつか書きます。

ひとつはお肌のこと。イギリスでも紫外線は美容の大敵という認識は高まってきていて、曇りの日でも冬でも、日焼け止め入りのクリームをつけろとあちこちで言われています。それで、私も毎朝SPF15 入りの有機栽培の植物エキスで作られた、私が「Littel jar of heaven」と呼んでいる、とってもいい匂いのクリームをつけています。

でも日本に夏に行って、イギリスの紫外線なんて、日本の夏の紫外線に比べれば、ぜんぜん比較にならないということがわかりました。イギリスの1年分の紫外線が、日本に真夏日の1日分くらいではないでしょうか。

それでもちろん毎日たっぷり、SPF30のクリームを、顔だけでなくあちこちにつけていました。外出時はもちろん帽子、サングラス着用。8月に入って梅雨が明けてからは、肩まである手袋をしたり、長袖で外を歩きました。日本ってもしかしたら、この暑さがひどくなれば、アラブの国のように女の人は夏はベールをかぶるようになるんじゃないだろうか?

いくらガードしても、やっぱり日本では紫外線に当たってしまいます。それで、ああ、これで何年分もお肌は老化したなあと思っていました。でも実際には、黒くはなったけど結構お肌がつるつるしてるんです。潤いが出て、むしろ若くなったみたい。考えてみれば私はもう20年以上もイギリスにいるので、紫外線を浴びた量は日本の日本人よりは少ないはずなのに、別にお肌がそれだけ若いということはありません。そういえば、日本にいる私くらいの年の女性は、イギリス人の同じ年の女性より、しわも少ないし若く見える。これってどういうこと?

それではたと気がつきました。紫外線はお肌の大敵かもしれないけれど、寒さもきっとそうなんです。暖房で部屋の中が乾燥するのもよくないのかもしれない。そういえばイギリスにはじめてきたとき、肌が異常に荒れたのを思い出しました。一緒に行った友達も同じでした。去年の冬、極寒が続いたときも、足と腕の皮膚がうろこのようにかさかさになって、皮膚病になったかと思ったくらいでした。去年の夏妹が来たときも、かかとが超かさかさになったそうです。こうして思えば、いつも顔のどこかに、ちょっとかさかさする部分があるんです。いつもそれだから別に気にしてなかったけど、日本に行ったらすぐに直りました。

紫外線は防げるけど、寒さはなあ。せいぜいクリームをたっぷり塗って、乾燥を防ぐくらいしかありません。 嫌だなあ、だんだん寒くなるの。

もうひとつ思ったのは食べ物のことです。日本食ってイギリスでは健康食といわれているし、日本に行ったらやせるだろうって期待してたんですけど、実際は逆でした。結構気をつけていたのに。

確かにイギリスに比べると乳製品をあまり取らないけれど、でも本当に日本食ってカロリー低いのかな。油いためとか、揚げ物とか、きんぴらとか結構油をとる食べ物も多いし、野菜の量も別にイギリスより多いってこともないし。健康に良いとされる脂の乗った魚も何回か食べましたが、これってカロリー実は多いしなあ。

豆腐とか納豆とかの大豆製品とか、海草とか、確かにイギリスではあまり食べない食材はあるので、体に良いことは良いんだろうけど。でも塩分は多いしね。

私がちょっと太ったのは、外食が多かったのも要因なんですけど、実家にいたので、食べろ食べろといろいろ薦められて食べたのも事実。それでも、普通のOL とかしていたら、お昼は外食やお弁当を買うことも多いだろうし、カロリーは結構とってるんじゃないかなあ。日本人ってお酒をよく飲むし。(あ、これはイギリス人も同じか)それになんと言っても、日本は洋菓子だって和菓子だって、その辺で売ってる袋菓子だっておいしいし、どうやって皆さん、セーブしているんでしょう?

でもその割には、どうして日本人の女性ってあんなに細いんだろう?普通のイギリス人の半分くらいの太さですよ。私は日本では中肉中背だと思うけど、イギリスではこれ以上やせると、服が買えないくらいです。

大阪の町で献血車をよく見たのですが、ある日そこの看板を見たら、体重50キロ以下の人は献血できませんと書いてありました。日本の女の人、大半は献血できないじゃないですか。しかもそんなこと書かれたら、50キロ以上でも恥ずかしくてできませんよ。

2009年9月3日木曜日

イギリスの秋は寂しい




今日から子供の新学期でした。休みの間は朝から晩まで子供につき合わされ、ひとりになれる時間がまったくない私とすれば、これはありがたいことではあるのですが、でもなんか、夏休みが終わるというのは寂しいものです。私自身の最後の夏休みなんて20年以上昔ですが、その寂しい感じというのは、今も自分の中に残っていますね。




それで昨日は私もちょっと緊張して、あまりよく眠れませんでした。考えてみれば、ただ朝早くおきてお弁当を作る以外は、学校に行ってくれたほうが、ずっと楽なんですけどね。




今年は日本でも夏が短かったそうですね。私は8月20日に日本を出ましたが、飛行場に向かうときタクシーを待っていると、吹いてきた風が妙に秋っぽかったのを覚えています。昨日は母からチャーリーに誕生日カードが届きましたが、そこには「セミはもういなくなりました。市民プールももう閉まりました。」とのこと。そういえば子供たちも9月1日から学校だから、プールも閉まるだろうなあ。寂しいことです。




村上春樹がどこかのエッセイで、夏の終わりについて書いていました。彼も夏が大好きらしく、「夏が終わると、もうこの世に良いことなんて何にも残っていない気がする。」と書いていました。




でも日本って、夏が厳しいから、秋が好きな人は多いんじゃないでしょうか。秋の気配といっても、9月なんてまだまだ暑いし。日本の秋って、栗だとかマツタケだとかいろいろおいしいものが出てくるし、子供にとっては運動会とか、文化祭とかイベントも多いし。だから、良いことまだまだたくさん残ってますよ。




でもここイギリスは違うんです。イギリスの夏は、日が長くてからっとしていて、とっても美しい。(といっても、過去3年間、イギリスは夏らしい夏はきていませんが。)バーベキュー、ピクニック、野外コンサート、お祭りなどいろいろ楽しいイベントも集中しています。それが8月の後半を過ぎると、だんだん夕暮れが早くなって、雨も多くなり、朝夕が寒い。




その上9月から新年度だから、新しいクラスになったり、新しい学校に行ったりと、ちょっとストレスになることもある。それになんですか、日本は今年9月に5連休があるとか。イギリスなんて、今からクリスマスまで、祭日は一切なしですよ。




昨日は大雨で家の横のドライブに川のように水が流れていたし、夜は轟々と強風が吹いていました。今日も朝から小雨で、子供たちはコートを着て学校に行きました。今晩は暖房を入れようかと、ちょっと思ったくらいです。




日は一日ごとにだんだん短くなり、10月の末に夏時間が終わると、4時くらいに暗くなります。夏至のころには10時くらいまで明るかったのに。そうなるともう本格的に、何にも良いことなんてこの世には残っていない気がしてきます。ありとキリギリスのありのように、ただこつこつと学校に行ったり仕事に行ったりして、冬至が過ぎて日が少しずつ長くなるのを待つばかり。
写真は4年前、友人の家に遊びに行ったときのもの。秋らしいひかりなので、載せました。

2009年9月2日水曜日

読書感想文


今日は夏休み最後の日だというのに、つまらない一日でした。曇り空でしたが、ボディーボードをしに海に行くつもりでしたが、午後から大雨が振り出し、それどころではありませんでした。それで午後はゲームをしてすごしたりと、静かな日となりました。


日本で人にもらった「空に舞い上がるビニールシート」という本を読みました。作者は森絵都。この本は短編集なのですが、タイトルになった作品は直木賞をとったそうなので、ご存知の方も多いかもしれません。


この本の中には6つ作品があります。初めの3つの作品「器を探して」、「犬の散歩」「守護神」は、特にこれといって心を打つところも、面白いと思うところもありませんでした。犬の話は、普通の主婦が捨て犬のボランティアのために、ホステスの仕事をするという設定なのですが、主題は仕事のことではなく、捨て犬を救うことです。それでちょっと驚きました。日本の普通のだんなさんって、奥さんがホステスの仕事とかするの、ぜんぜん抵抗ないのかしら?一応、お舅さん、姑さんには秘密にしていたようなので、まったくおおっぴらにできる仕事でもないのでしょうか?


「守護神」は大学の二部の学生の話です。私も大学のときのサークルに二部の人もいたし、身近なようで、ちょっとわからない世界で、その点の興味はありました。国文科が舞台なんですが、そこで出てくる徒然草とか、伊勢物語の分析も面白かったです。でもただでレポートの代筆をしてくれるん守護神という人が出てくるのですが、ちょっとそれが現実味がなかった。


ここまで飛行機で読んで、いまひとつだなあと思いながら惰性で読み続けたのですが、その後の二つの「鐘の音」と「ジェネレーションX」」がとてもよかった。


「鐘の音」は仏像の修復士になるために修行している人の話です。もともとは仏像士になるために美大に行くのですが、納得のいく仏像が彫れず、修復しになるために弟子入りします。それで厳しく乱暴な師匠と、兄弟子と一緒に、あるお寺に寝泊りしてある仏さんを修復するのですが、この仏像に惚れてしまいます。そして、自分ができる限りの力で、美しい元の姿に修復しますと誓います。そしてこれからは世俗を捨てて、妊娠させた女とも別れて、生涯を仏像に費やすと決心します。ところがつまらない事故で直したばかりの仏像の指を負ってしまい、トラブルを避けるために兄弟子の「プラモデル用の接着剤やったら持ってるで。」という申し出を受け入れてしまう、という話です。


彼が仏像に取り付かれていく様子が納得でき、特に生々しい夢を見るあたりは、そういう話ほかでも読んだことがあるので、良くわかりました。最後にどんでん返しがあるんですが、その辺もうまくまとまってました。


「ジェネレーションX] はある会社員が仕事で別の会社の若い社員と宇都宮まで運転する話です。その間その若い写真は携帯で仲間と連絡を取り合います。それを苦々しい思いで聴いていた主人公も、だんだんその会話に聞き耳を立て始める。はじめはただの同窓会の相談かと思っていたら、高校の野球部で、10年後に野球をしようという約束を実現させるために、彼が奔走しているという話です。


これは私が同窓会をいくつか立て続けでやったきたところだったので、特に共感しました。


最後の「風に舞い上がるビニールシート」は映画化されるそうです。国連の難民救助の部門で働くアメリカ人の上司と結婚した日本女性の話。結婚後すぐに彼は現場に行き、結婚生活は年に一度休暇で東京に帰ってくるだけになります。結局離婚になり、離婚後に彼はアフガンで殉死という話です。


これは私は、あんまり共感しなかった。彼がなぜ難民救助にそんなに情熱を傾けるかだとか、それを知りながらどうして結婚しようと思ったのか、ベッドの相性が良いだけで、将来のことをぜんぜん相談せず結婚なんてするものなのか。その辺がうまく描けていなくて、あまり説得力がなかった。


でも思うんですが、この話も割りと突拍子無い設定なんですが、こういうのに限って、結構実話に基づいてるんじゃないかなあ。小説で読むと、AからBにいたるまでの説明が足りないと読者として納得できないけれど、実生活ではそういう突拍子のないことって、割と起こるし、本人もわけがわからず何かに情熱を傾けるとか、よく先のこと考えず結婚するって言うことは、十分ありえる。


でもそれが小説なら、やっぱり読者としては、ちょっと物足りないなあと思いました。結構短いんですけど、映画になったらどうなるのかなあ。


写真は今日撮った人参です。

2009年9月1日火曜日

チャーリーの誕生日


今日は娘のチャーリーの9歳の誕生日でした。自分の子供の誕生日というと、やっぱり生まれた日のことを思い出します。あれからもう9年もと思うと、ちょっと絶句。あ、いえいえ、感無量。


チャーリーの出産予定日は8月17日でした。そのころは私たちは元農家の石造りの牛舎を買って、それを家に改造している最中でした。(それが現在の住居)。それでわれわれ家族(私、デイブ、ルイ)はその農地の一部に建っているぼろぼろのキャラバン(プレハブハウスのようなもの)に住んでしました。初めの予定では、出産までに家ができて、引越しするつもりだったのですが、工事はなかなか遅れて、予定通り進みませんでした。


だから私としては、ちょっとでも長くおなかにいてくれたほうがありがたかった。だから予定日を過ぎて、夜寝るのも息をするのも苦しいくらいでも、我慢してました。でも医学的には、予定日を2週間過ぎると胎盤が退化するとのことで、そうなると陣痛を促進して産んでしまします。それで私も、8月31日に入院する予定でした。


が、病院の予定帳を見ると、その日はいっぱい。それで翌日の9月1日に入院・出産となったわけです。


出産自体は2時間の超スピード出産で、3650グラムの大きく元気な女の子が生まれました。それがチャーリーです。なかなか母乳が飲めなかったルイと違って、生れ落ちたとたんに分娩室でがんがん飲み始め、助産婦さんにちょっと驚かれました。


チャーリーが4・5歳のころ、チャーリーにスピード出産だったことを言うと、「早くお母さんと抱っこしたかったから、急いで出てきたんだよ。」といわれて、ほろりとしたことがあります。


ところで、9月1日生まれというのは、ちょっとややこしかったんです。ご存知のようにヨーロッパでは9月から学校が始まります。それでチャーリーは学年の一番上です。この国では、5歳の誕生日までには小学校に上がっていなければいけないんですが、チャーリーは誕生日の日に入学でした。それでほかの子供よりも学校に上る前に家にいる期間が長く、早く子供を学校に上げて楽をしたいお母さんとしては、大変だった。


でもイギリスの統計によると、9月生まれの女の子が、一番学校の成績が良いそうです。日本でも4月生まれと3月生まれの損得はありますが、日本は小学校に上がるのが遅いので、そのころにはあまり差はなくなっているかもしれませんが、4歳で小学校に入るこの国では、その差はかなり影響があるようです。


今日の誕生日自体は、とっても静かで、ちょっとかわいそうでした。学校はまた始まっていず、ルイは友達と遊びに行ってしまいました。それで昼間私と一緒に誕生日ケーキの代わりにキャロットケーキを作り、夜は家族でインド料理を食べに行きました。誕生日プレゼントはまだ注文中でできていず、誕生日パーティーも学校が始まってからと決めているので、妙に静かな1日となりました。