2009年10月5日月曜日

なつかしの住吉高校


今年11月に高校の35期生の同窓会があるとのことで、夏に実家に連絡がありました。そのあとおとといはこちらまで出欠確認の電話がかかってきました。ちゃんとわたしから返事しておけば手数がかからなかったのに、ごめんなさい。そしてありがとうございます。うちの高校って一学年500人以上いるんです。だから本当に大掛かりな仕事のようです。150人出席を目指してるんだって。4人に一人。多いのか少ないのか。でももう25年以上もたってるから、150人でもすごいかもしれません。

高校の名前は大阪府立住吉高校。大阪や関西圏では名門として名前の知れた学校です。でもそれがなぜなのか、私たちの年代の元生徒には不明なんです。一応進学校ではありますが、わたしが卒業する頃には、現役で国立大学に行く人なんて一握りという体たらく。大阪府は高校は学区制になっていて、母校のある第六学区には10校近く公立高校があったのですが、その中でも2番手の学校です。だから大人になって、たまに関西出身の人から、住校ですか、名門ですね、なんていわれると、「???」という感じです。

住吉という名前が百人一首の中でも読まれているくらい由緒ある土地なのと、住吉大社で知られているのかもしれません。あと学校が帝塚山というところにあるんですが、これが高級住宅地なのでそれも関係あるのかも。

詩人の伊藤静雄(日本を代表する詩人ですが、たぶん普通の人は知らないだろうなあ)が教鞭をとっていたことで知られています。それからこれは偶然、作家庄野潤三の文学交遊録という本を読んでいたら、彼も住吉高校(その頃は中学)出身で、しかも大学もわたしと同じの大阪外大と知ってちょっと驚きました。彼は伊藤先生にそれはそれはお世話になったそうです。その辺の時代の文学交友記、わたしはすごく興味あるのですが、その辺にもいまだにこの高校が名門と思われている(誤解されている)ゆえんかもしれません。

ちなみにわたしは知りませんでしたが、最近ノーベル賞を受賞された下村脩さんも住吉高校の出身で、しかも伊藤静雄の教え子だったとか。なんというか、立派な人は立派な人を呼ぶものですなあ。引き寄せの法則です。

わたしが高校にいた頃は、「自主自律」が学校のモットーでした。こういうのを掲げるのは良いけれど、普通はモットーというのはなかなか実行されないものですが、この学校は本当に実行してました。制服なし。校歌なし。髪の毛はパーマも毛染めも自由。ハイヒールも大丈夫。化粧はたぶんだめだったと思うけど。先生と生徒の関係も、大人の関係というか、支配者被支配者という感じはまったくなく、大学のような感じでした。今から思えば、こんな高校の先生って楽だろうなあ。
校歌はない変わりに、生徒歌というのがありました。じゃあ同じじゃんと思うでしょうが、やっぱりちょっと違うんです。みんな嬉々として歌うんです。たぶん今度の同窓会でも歌われるんじゃないかな。押し付けられるのと押し付けられないのとではこうも違うんだなといういい例です。

わたしの中学は、何かあると「内申に書くぞ」と脅す先生が大半の、軍隊のような中学でした。制服も厳しく、ソックスと靴は完全な白。かばんは学生かばんプラス学校のマークの入ったリュックサックのみ可。男子が坊主頭にしなくてもよかったのが奇跡のようなところでした。そんなところから、こんな自由なのびのびした高校にいったから、本当に楽しかったです。

勉強のほうは一応進学校ではあったのですが、のびのびしすぎて今ひとつでした。女子は大体現役で短大や四大に言ってましたが、男子は一浪が普通でした。わたしの卒業年度の生徒は、一浪から関西学院というルートが一番多かった。その数年前は一浪から大阪市立大学だったんだけど。

2年ほど前に、妹が(彼女も同じ高校)「住高は普通科がなくなった。」といったので、目の前が真っ暗になりました。そうか、そんなにレベルが下がってしまったのか、商業科か、工業化か、と思っていたら、国際科だとかいうことでした。うーん。これは良いことなのか悪いことなのか。文系の高校になったのかなあ。

とにかく、今回の同窓会は結構盛り上がって、ブログまでできて、気合が入ってるようです。ブログを見てみると、実行委員会には知ってる人は一人しかいませんでした。いくら25年たってるとはいえ、一度でも同じクラスになった人は覚えてると思うんだけど。忘れたってことはないと思うので、やっぱり大きな高校ですから(12クラスあった)、もともと知らない人が多かったのかなあ。
当日はスライドショーやらゲームやらいろいろ催しが企画されているようです。それは良いんだけど、そのうちのひとつ、「住高カップルのその後」というのが気になる。何組が同窓生どうしで結婚したか、ということらしいんですが、私たちくらいの年でそんなことしても良いのかなあ。幸せに結婚してるカップルだけではなく、離婚したり、離婚を考えていたり、という人たちも多いと思うんだけど。まあそんな能天気な企画をするのが、わたしの高校らしいんですけど。

この同窓会8年ぶりとのこと。前回声がかかった記憶はないのですが、多分その頃はチャーリーが生まれたばかりで、毎日睡眠時間2時間だったから、とてもそれどころではなかったんでしょう。今年の夏に行ったところでなければ、いってみたいなあと思うんだけど、やっぱり無理ですね。次に日本に帰ったときは自分で音頭をとって、クラス会をやろうと思ってます。

今ちょっとウィキピディアを調べてみたら、かなりいろいろ載っていました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E7%AB%8B%E4%BD%8F%E5%90%89%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1

昔は阪大の入学者の中では、住吉高校出身者が一番多かったとか、今では低迷も激しく、80年代には(わたしのいた頃)「他の学区なら3.4番手」といわれるほど実績が下がったとか。それから卒業生がいろいろ載ってました。漫才師のトミーズ雅、健も卒業生でした。

4 件のコメント:

こんの さんのコメント...

今日は朝食前に、娘の所に漬物(おみ漬)を届け、その後に山へ行ってきました
それで、PCの前にはちょっとだけしか座りませんでした
あつこさん 500人もいれば、知らない人も大勢いるでしょうねぇ
イギリスからわざわざの出席は、難しいでしょう(分かります)
明日は、また紅葉をアップしますので見てください

Atsuko さんのコメント...

こんのさん、おみ漬けってなんですか。日本の隅々にはわたしの知らない食べ物がたくさんあるなあと、最近こんのさんのブログで知りました。
PCを離れるのも良いですよね。わたしも中毒気味です。
ところで何回かメール送りましたが、うまくついてないようなんですが、「詩のサイト見てくださってありがとうございます。」というメール(二つ。合計ファイルが8つ)つきましたでしょうか。

ふ さんのコメント...

500人って本当に多いですね。

私の出身高校は1学年10クラスでたぶん450人くらいだったかなぁ。それでも、私は3年の時の仲良しグループに居たメンバー以外は、もう会うこともないし、やっぱり覚えてない人の方が多いと思いです。

小・中がこじんまりと1学年5クラスでクラスの生徒数も30人くらいだったから、高校に行って、あの生徒数の多さに圧倒され、最後まで話したこともなく、名前と顔が一致しない同級生がゴロゴロ。

だから、500人なんて信じられないです(笑)。

私の母校も10年くらい前に(?!)大掛かりな同窓会をやったらしいのですが、ちょうど帰省してたのにもかかわらず、知らなかったし、行けなかったんですよね。

でも、毎年里帰りしたら、私が帰ったのを口実に、高校3年の時の友達が会を催してくれるので、実家の近所で必ず1回は会いますね。

大学や社会人になって知り合った友人とは違う気さくさみたいなのがあって、とっても楽しいです。

こういうのもみんなが元気で居るから続いているのかな~。同じ関西だけど、うちの実家の辺りは人間とか街の雰囲気が、良くも悪しくも大阪とちょっと違っているという気がします。

もちろん、簡単に行ける距離に甲子園球場がありますから、タイガースに燃えるのは同じですね(笑)!

Atsuko さんのコメント...

ふさん、わたしの中学は高校と同じくらいの大きさで、12クラス500人くらいいました。やっぱり大阪のほうが人口が多いんだね。わたしの子供時代には「こじんまりとした」や「のんびりした」というものはありませんでしたから、そこは大阪市内と西宮の違いでしょうね。

高校の友達でも、訃報をいくつか聞きました。これからも少しずつ増えていくんだろうけど、だからこそ少し無理をしてでも昔の仲間に会いたいと思いますね。確かに中学や高校の友達には、ぜんぜん隠すところなく自分の欠点を見せても「あつこやなあ」と許してくれているような気がします。

甲子園はそりゃあタイガースのホームタウンですから、燃えるでしょう。でもどうして優勝して飛び込むのは難波の道頓堀なんでしょうね。武庫川じゃちょっと決まらないかなあ。