2009年10月2日金曜日

愛国心

昨日ついていたテレビをチラッと見たら、湾岸戦争についての映画でした。ほんの一部しか見なかったのですが、アメリカの兵隊たちが上司(軍曹っていうんだっけ?)に、「軍隊にいる間はお前たちは言論の自由なんかない。」といわれたあと、テレビのインタビューを受けます。そこで「自分の国のために戦争に来ていることを誇りに思います。」なんてありふれた受け答えをします。

それを見ていて、自分の国ってどういうことだろうとふと疑問がわいてきました。この映画の場合はもちろんアメリカなんだけど、どうしてそんな大きな国に、自分がそこで生まれ育ったというだけで、愛情をもてるんだろう。そこで生まれたかどうかの違いだけで、どうしてある国を愛して、ある国は敵になるんだろう。愛してるというのは、概念としてのアメリカなんだろうか、それともアメリカ人を愛してるんだろうか?ということは、イラク人を憎んでいるんだろうか?

アメリカなんて大きな国、南のアラバマとニューヨークなんて先進国と発展途上国くらいの違いがあるし、人種だっていろいろある。英語を話さないヒスパニックの人や、黒人やゲイやなどの少数派も、同じように愛国心をもてるのだろうか。そして彼らは、白人の兵隊が「愛するアメリカ」と呼ぶ対象の中に入ってるんだろうか。

イギリスに住む前から、愛国心というのはわたしにはちょっとよくわからないことでした。自分が日本を愛してるかと聞かれれば、よくわからないというのが正直な答え。今はイギリスに住んでるけど、別に日本を愛してるともイギリスを愛してるとも実感はありません。

日本といっても文化だとか文学、芸術など、すばらしいなあと思うところもありますが、こんなところが嫌だなあというところもいろいろあります。別に生まれ育った国だから特にすばらしいとも思わない。それを言えばイギリスでも一緒で、すばらしい面もたくさんあって、日本に対してちょっと自慢したいようなこともないではないけれど、もちろんぜんぜん好きでない面もある。

でもイギリスでは愛国心というのは美徳だとされています。イギリスでは戦争を名誉ある誇り高きことだと見る傾向があります。チャーチルにしてもサッチャーにしても、戦争で名を上げた総理大臣は多い。だからブレア首相も国民の大反対を押し切って戦争してしまいました。「イギリスを勝利に導いた名誉ある歴代首相」になるという誘惑には勝てなかったんですね。(結果は逆になりましたが。)この辺が戦争に勝った国と負けた国の違いだなあとしみじみ思います。

でもそんな愛国心を重んじるイギリスで外国人として住むのは、居心地が良いことではないです。実際問題としては、マスコミ等で人種差別など取り上げられますが、生活実感としてはイギリス人は外人とか移民に対して寛容で親切な国だと思います。日本なんかよりはずっと寛容。それでも普通のイギリス人は、愛国心=美徳ということに対して疑問を持つことはありません。その愛国心がわたしのような外国人をちょっと居心地悪くさせているんだということも、考え付きません。

日本はどうなんだろう。わたしが高校生の頃は君が代とか国旗のことがよく話題になりました。高校の卒業式には君が代は歌われなかったように覚えています。それはあの頃の先生の間で、話し合いや議論があったんだろうけど、私たちのようなのんきな高校生はその内容は興味ありませんでしたし、巻き込まれることもなかった。でも確かに、日本人にとっては、今はともかく、少なくとも25年位前までは、愛国心というのはそんなに素直な単純な美徳ではなかった。

でも愛国心はよくわからないわたしですが、郷土愛というのはありますね。大阪の人はたいていそうかもしれませんが、わたしは大阪が大好き。あの難波あたりのワーッと来るエネルギーも好きだし、大阪弁も大好きだし、あの商売っ気のあるあっさりした大阪の気質も好きです。

でもそれは地理的に好きというわけでは全然ないし、大阪人がみんな好きかというと、そうでもない。大阪気質と一言で言っても、そうでない人もたくさんいます。だから具体的なものというよりは、大阪という概念、というか大阪という言葉が象徴するものがすきなんだと思います。

でももしもわたしが大阪育ちではなく、奈良育ちだったら、どう思ったかな?やっぱり奈良が好きって思ったんだろうか?大阪って言うのはテレビでもよく取り上げられるし、ある意味で特殊なところですが、たとえば岐阜とか石川県とか、マイナーな県でも同じなのかなあ。

ではその郷土愛を国という単位に広げれば愛国心ではないかということになるんですけど、私の場合はそうすんなりと日本が好きとは思えない。やっぱり骨をうずめるなら日本とも思わないし、日本を良い国にしたいとか、日本のためになりたいとも思わない。それは人のためになりたいと思わないのではなく、別に日本でもロシアでもインドでも、人のためなら人のためで国籍は問わない。だから募金の寄付はまず日本かイギリスの恵まれない子供が優先とも思いません。それは日本というものがあまりに大きいコンセプトだからでしょうか。その一方ではイギリスでオリンピックなんかを見ると、日本の若者はがんばってるなあと嬉しくなるし、それは愛国心といえるのかもしれない。だから時と場合によるのかもしれませんね。

まあ難しい話はともかく、わたしは大阪弁が大好きです。今回日本に行ったときに、関西出身で大学以来ずっと東京という人と同席したときに、ふと「冷房寒ない?」と聞いてくれたことがありました。私とその人はロンドンで知り合ったので、ずっと標準語で話す関係だったのですが、わたしがふと大阪弁を使ったのにつられて、その人も関西弁が出たようでした。

それを聞いて、大阪弁というか、関西のアクセントって良いなあってしみじみ思いました。標準語というのは誰でもしゃべれるけど、関西のアクセントって大人になってから覚えられないみたいでしょ。どんなにがんばっても、やっぱりわたしなんかが聞けばわかる。それを思って、「ああ、大阪弁で育ってよかったなあ。」としみじみ思いました。

詩のブログ更新しておきました。昔書いた詩で、今ではあまり自分では納得がいかないんだけど(心が離れたのか、)これ以上手を入れることもないだろうから、載せます。よければ見てね。短いです。
http://fordfarmpoems.blogspot.com/

11 件のコメント:

こんの さんのコメント...

その地に生まれ、育ってよかったなぁ。今後もそこでずーっと暮らしていきたいなぁ
その地、その郷土、その国がいい(愛着)を感じ、ある意味永遠を思うなら、それを愛国心と呼んでいい
イギリスに、今住んでおられる所や人々に同じような感情や願望を抱くとすればそれが郷土愛であり、愛国心になる
難しく考えることではなくて、その人たちのためにある種の犠牲を払ってもいいと思えるかどうかでしょう
自分の今の環境に誇りをもてるかどうかですね

こんの さんのコメント...

   空気がしっとりと混ざりあい

できたじゃがいも 可愛いでしょう
そういう気持がいい

きどらない?いいポエムですねぇ

Atsuko さんのコメント...

東京よりは大阪が断然好き。でももしもわたしがちゃきちゃきの江戸っ子なら、東京が好きって思うような気もします。もしもアメリカや中国に生まれていたらどう思うかな。よく知ってる国は美点も欠点もわかる一方、知らない国は美化、理想化してみる傾向があるのかもしれない。単純に住んでるから好きとは思えないですね。今住んでるところは良いとこだけど、ほかにも良いところはもっとあるだろうし。
わたしは流浪の星の下に生まれてきたとよく冗談で言うんですが、本当にそうかもしれない。

ジャガイモって毎年掘るたびにすごいなあと感動します。土に埋めておくだけで、たった数ヶ月で増えてるんですから。でもこの詩あまりに気取らなさ過ぎで、自分ではちょっと物足りない気がします。難解なら良いって物でもないんだけど。

uehara さんのコメント...

azko 様

そうですね 大阪弁というか関西アクセント
ていいですね。私は近畿から離れて暮らしたことがないのですが、違う言葉やアクセントの環境に居るとなお大阪弁が好きになるかもしれませんね。
 何でかしら大阪人て世界中どこへ行っても大阪弁を喋っているというのを聞いたことがありますが、面白いですね。

あくあ さんのコメント...

私は生まれ育った町が嫌いで、いかにして早く出ていくかということを小学生くらいの頃から考えていました。
大人になったから気持が変わっているかと思って、去年行ってみたけれど、やっぱり変わってないですね。いまだに好きになれません。

大阪には5年いたけれど、所詮よそ者だったので、生粋の大阪人には入っていけない感じだったかな。
大阪は特別だと思いますよ。特徴があるからかな。どこの県民でもあれほどに強い郷土愛を持っているわけではないと思います。

そういう意味では今住んでいる場所が一番好きですね。
もう延べ5年くらいいるので、そのうち郷土愛が持てるようになるかなぁ。

愛国心はねぇ・・・私たちの世代の日本人には難しいでしょうね。
国を愛せって教わってないからね。

本読みと山歩き さんのコメント...

私の上司(東京もん)は、私が大阪出身なので、お客さんとの夕食のとき、よく話題の対象にします。29日もそうでした。
 日本に帰ったら何が食いたいかの話題となり、東京もんが「タンメン」だというわけです。
「タンメン」ってどんな食い物?40年以上生きてきて、そんなもの(≒田舎の食い物)食ったことがないと豪語していると、お客様も含め東京もんの集中砲火をあび、(意地になって)まけずに反撃をしていました。
結局は、関東地方の食いもので、私が正しかったわけですが。(上司にはほらねと後日、追い打ちをかけております)
 これぞ、“郷土愛”! 食は文化です。
瑣末な例(笑)でしたが、自分の生まれ育った文化(言語、風習など)をちょっとでも馬鹿にされれば、反論します。思うに、愛国心も同じでは。
共通の価値観、それは文化でも宗教でもなんでもよい、それが一つのかまりが“国”であったなら、その価値観を愛しているなら、きっとそれは“愛国心”なのです。
そういう意味で、私は日本が好きですよ。
イギリス人も島国だし、大陸に比べれば、同一価値観を持ちやすい環境にあったと思いますが。
ベルギー人は希薄だということか?民族、言語、宗教がまじりあうこの国という“かたまり”普通考えれば、きっと愛“国”心の定義は人それぞれと予想されます。
ちょっと、聞いたろ!おもろいテーマだから。

Atsuko さんのコメント...

上原君、いらっしゃい。わたしもロンドンで最初に働いた銀行は名古屋系の銀行だったので、抵抗なく大阪弁で話していましたが、次に行ったのが東京の銀行で、大阪弁で話すと、あちらの返答が2秒ほど遅れるというような環境でしたので、彼らのレベルに迎合して標準語で話してました。
それでも関西出身の上司とは大阪弁で話していたので、よくランチに連れて行っていただいたりと、かわいがってもらってました。
英語よりも何よりも、こんな風に相手によって標準語と大阪弁を使い分けるのって、わたしって語学センスが良いなあと自分で思いました。

Atsuko さんのコメント...

あくあさん、自分が生まれ育った土地にぜんぜん行かないっていうのは、どんな気持ちなんだろう。友達だってまだいるでしょう?でもわたしも、今は母が健在だけど、彼女が死ぬと日本に行っても帰るところがなくて、日本に行かなくなるのかなあと思いますよ。

私たちの年代は、やっぱり素直に愛国心はもてませんね。これも敗戦のせいなんでしょうね。前後から60年以上もたった今、今の若い人たちはどうなんだろう。

Atsuko さんのコメント...

山歩きさん、タンメンってわたしも食べたことないと思う。大阪出身で東京に住んでる友達と会うと、話題はいかに東京のものがまずいかということによくなります。わたしの経験では、何でもまずいわけではなく、おいしいものもあるんだけど、今まで日本で外食した中で一番まずかったトップ3は東京でした。たらこうどん、つくね鍋、そしてきつねうどん。最初の二つは、大阪にないからおいしいかなと思って注文したんだけど。

共通の価値観が愛国心につながるというのは良くわかりますが、こうして考えると、わたしって日本との共通の価値観、うまく思い当たらない。侘びとかさびとか、そういうものは興味あるけど、それが私の価値観とはいえないし。あえて言えばそういう古典や現代の芸術かな。でもそれはイギリス人でも日本好きの人は同じことを考えてるだろうな。やっぱりわたしって愛国心薄い人間なんだ。
でも阪神タイガースは大好きなので(これぞ共通の価値観!)、大阪愛はあるのになあ。

あくあ さんのコメント...

うちは親がもう地元にいないので行かなくなったんですよ。行く必要がなければ行く気はしないですね。親戚のお葬式等で何度か行ってはいますけどね。親しい関係の続いている友達はいませんね。私がつきあっているような人たちはみんな都会に出てきています。年賀状友達はいますけどね。もう別世界ですよ。来年、同窓会やる予定だけど、話が続くかどうか心配ですらあります。

東京の食べ物がまずいというのは嘘だと思いますよ。大阪から出てきた当初は何故だかそう言いたくなるのです。でもどこがおいしいかが分かるようになると、やはり東京の食べ物はおいしいです。最近たまに大阪に行くとあまりおいしくなくて「こんなんだったっけ?」と思うことがあります。きっと大阪のおいしいお店を忘れてしまい、適当なお店に入ってしまっているからでしょう。「同じ値段で」という条件をつけたら大阪には負けるでしょうけどね。

Atsuko さんのコメント...

あくあさん、わたしが東京で外食した回数なんてあくあさんに比べれば知れていますが、それでも、ただ適当なところに入っても、大阪って結構おいしかったりしませんか。東京でひどい目にあったのは、どれも適当にその辺の店に入ったときでした。確かにおいしいお店もたくさんありました。目黒のトンキー。
サービスで言えば、大阪近郊の奈良や京都でも、「これじゃ大阪ではやっていけない」というところが多いですね。大阪人は普通の人の半分くらいしか待ちませんからね。
でもそういえばユニバーサルスタジオの近くのラーメン屋でひどいラーメンを食べさせられた。やっぱりこうところでは味が二の次になるのかなあ。ユニバーサルスタジオ内もレストランも、ひどかった。