戦争って罪もない一般市民を巻き込む許されぬ行為という考え方は、日本では99パーセント以上の人が同意する正論ではないかと思います。でもここイギリスではそうでもないんです。戦争って正義や愛する国のために自分の命を犠牲にして悪と戦う誇り高きこと、という考えも一般的です。
ヨーロッパ人にとって第2次世界大戦というのはナチドイツとの戦いという認識です。あの時イギリスが参戦してヒットラーを食い止めなければ、もっと多くのユダヤ人は殺戮されたというのが、大半のイギリス人の解釈ですから、戦争が英雄化されるのも無理はないのかもしれません。この辺はつくづく、ヒットラーの蛮行を食い止めるために戦争に参加し勝った国と、他国を侵略するために戦争を始め負けた国との違いだと思います。
イギリスでは勝戦記念日があり、戦争で亡くなった人たちを追悼します。そして元軍人だった人たちが胸に勲章をつけて行進します。こういうのをイギリス人はもちろん何の疑問もなく見ているんですが、私は外人ですから、なんというか複雑な気持ちがします。だからこの日はそういうイベントにはなるべ関わり合いにならないようにしています。自分の中でこの日に対する収まりがついていない、という感じですね。
ちょっと書きましたが、イギリスは第2次世界大戦が終わってからも、もう3回も戦争しています。フォークランド戦争、第一次湾岸戦争は、発端が発端ですからそれほどの批判も反論も聞かない様な気がします。突然起こったことですので、反論する暇もなく戦争になったのかもしれません。
でも第2次湾岸戦争はすごい反対デモがありました。もう5年位前かなあ。その日は世界中でデモがあったので、覚えている人もいるかもしれない。ロンドンでもすごく大きいデモがあって、2百万とか3百万の人が行進しました。日本最大の甲子園球場の最高定員が5万人弱ですから、あれの50倍です。全国からバスがでて参加していましたが、ここビデフォードからも出ていました。わたしはその日町で行われたデモに子連れで参加しました。
この戦争が勃発しそうになったとき、これってベトナム戦争みたいに、歴史的な傷跡が残るだろうなという気がしたんです。それで自分の立場、歴史のどちら側に立ったかというのははっきりさせておいたほうが良いなという気がしたので、デモに行きました。そのあとまもなくアメリカ、イギリスは攻撃を始めましたが、わたしは「わたしは自分の立場をはっきりさせたんだから、これはわたしの戦争ではないよ。」という感じがしました。
イギリスでは第一次世界大戦でたくさん死者が出たので、その記憶が強いです。1918年が終戦ですから、今から90年以上も前のことです。それでもその戦争の元兵士という人たちが何人かまだ生きています。
そのうちの一人が、この湾岸戦争の頃、「もうイギリスは戦争を英雄視するのはやめたほうが良いんじゃないか。戦争の現実にもっと目を向けるべきじゃないか。」というようなことを行っていました。これを聞いてなんかジーンと来ました。
日本で戦争についての正論を少しでも外れると感情的に批判されるように、イギリスではきらきら光る勲章をいっぱい胸に飾った誇り高き元軍人が、戦争の悲惨さを語るのはご法度という風潮があります。だからおそらくこの人は、第1次世界大戦が終わって以来、90年近くずっとこんなことは心にひめていたんじゃないかと思います。戦争なんて栄光とも英雄とも関係ない、残酷で惨めな狂気だと。それがやっと100歳を過ぎるころになって、湾岸戦争の反戦ムードが高まったときになって、初めてそれを口にできたんだなあ。
外国に住むと、戦争に関する知識や解釈や世論は日本と欧州は(そして多分アメリカや中国でも)ずいぶん違うなあと思います。わたしは自分を振り返ってみて、戦争に関する歴史をきちんと教育を受けなかったと強く思いますが、それは日本だけじゃなくて、イギリス人でも同じだと思います。どの国にも誇るべき歴史と恥ずべき歴史がある。それを感情論を抜きで学校でちゃんと教えないと、国際人なんて生まれないし、国際紛争もなくならないですよ。平和教育とはそういうものだと思います。
8 件のコメント:
100% agreeって感じですよ。私も多少なりとも普通より外人と過ごす時間が長い日本人なので、言っていることよくわかります。各国国民はそれぞれに色づけされた教育やらメディアや本を通じた洗脳を受けているから、他国の人たちは全く別の考え方を持っているかもしれないのにそれに気づかないことがあるんですよね。最近ほんとに日本人ってマイノリティなんだなと感じることが多いです。
あるテレビ番組で原爆を投下した人が広島か長崎にやってきて、被爆者と会っていました。被爆者が最後の最後まで彼に謝ってほしいと迫るのに対し、最後には彼は不快感を露わにし、「Remember Pearl Harbor」と言っていました。
ほんと、その通りだと思います。日本人には敗戦前の、日本が他国を侵略をしていた部分の教育が不足してますね。若くて勉強していない人なら全く知らない人すらいるかも?
日本人のフィルターを通さないで世界を見たいなと最近痛感しています。
命はそんなにも激しい力で
わたしを地上界に放り出すのだ
戦争は、命と財産を「無」にする行為
あなたの、私のたいせつなもの(こと)を壊してしまう
「教育」って、重要ですねぇ
ものごとに内在してる意味をちゃんと教えることは大事です
歴史をあらゆる面から考え、学ぶことが必要です
あくあさん、その原爆の話、わたしも似たような番組こっちでみました。真珠湾のこととかアジアでの日本の蛮行を阻止するためには、必要悪であったという意見のようですね。
でもアメリカって大きい国ですから、そう思ってる人ばかりでもない、そういう人が大半というわけでもないのかもしれません。
あれだけ冷戦が続いても、アメリカはキューバにもソ連にも原爆を落とさなかったし、平和な世界、少なくとも核兵器を使うことのない世界への欲求は、あの広島長崎の悲劇によって全世界的に生まれたと思いたいですね。結局私たち人間って、自分たち人類の新しく得た力が怖くなったんじゃないでしょうか。
とにかく同意見とのことで嬉しいです。日本とイギリスの異なる戦争観の狭間で、日本に対してもイギリスに対し持てもどかしい気持ちをずっと抱いてましたから。
日本でもイギリスでもアメリカでも、政府のプロパガンダに毛がはえた程度の歴史教育しかされていないというのが現状でしょう。日本のというよりも、「一国ののフィルターを通さないで世界を見たい。」痛切に思いますね。
こんのさん、今日も詩のサイト更新しましたので、よろしければごらんください。
「殺されるのも殺すのも嫌だ。戦争なんてパンツだ。」という気持ちって、世界中どこでも同じなんじゃないかと思うんですけどね。でもそれを声を大にして言えないような立場にいる人たちが、戦争に行ったり行かされたりしているのでしょうか。
こういうこと考え始めると本当に眠れなくなりますから、わたしは極力普段は考えないようにしてるんです。昨日と今日のブログ書いてちょっと疲れたので、あと1年くらい考えないようにしたいんですが、実はその勝戦記念日もうすぐなんですよね。なんか嫌ですね。
今日の私のコメントの冒頭 のそれ
命はそんなにも激しい力で
わたしを地上界に放り出すのだ
これは
あつこさんの今日のポエムです
うふふ お気づきでなかったですか??
詩を拝読してから、ブログを読みました
こんのさん、そのあとにまたアップしたんです。おそらくコメントを書いてくださっているのと同時に。引き潮という結構元気な詩です。自分では、まあまあこんなものかなあという感じの出来具合です。
あくあさん、再コメントします。あくあさんのコメント、特に第一段落、わたしがなんとなく悶々と思っていたことを明確に書いていただいて感謝してます。やっぱり文章というか考えを冷静にまとめる力が違う!
息が止まるような冷たい水に服を濡らしながら
さぶさぶと海を進む
あつこさん ポエム 二つだったのですねぇ
あの後に、また一つアップされた
う~ん 映画のラストシーンのようなそれに
はい 惹きつけられました
遠くなり、遠くなってendマークが現れる
いいですよぉ
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