2010年10月28日木曜日
アウトサイダー
昨日のライ麦畑の感想を書いていて、いろいろなことを考えました。あのくらいの年のときに見える世の中のゆがみやイカサマさ。自分もその中に吸い込まれていくんだろうかという不安さ。純粋であり続けることなど所詮不可能で、いずれは自分も迎合して行くんではないかという絶望的な気持ち。
そういうこと、こうして思い出してみれば、大学の卒論のテーマでもありました。題は「ドストエフスキーとアウトサイダー」とかそんな感じだったと思います。ニヒリズムに陥らずに且つ世の中に迎合せず生きていくことは可能か。
そのころ一時的にそういう本をよく読みました。サリンジャーをはじめ、イギリス文学のアラン・シリトーやコリン・ウィルソン、ジョン・オズボーン、米国のナット・ヘントフ、ジョン・アービング、リチャード・バック。
「10代で中年になる人もいれば、おしまいまでスイングをやめない人もいるわ」という名台詞のあるナット・ヘントフのジャズカントリーという本は、高校のときに現国の教科書に載っていて、感動して改めて読み直しました。それが今でも意識に深く刻み込まれています。
こうして考えると、大学卒業して以来の私の生活は「いつまでも中年にならない」「おしまいまでスイングをやめない」「アウトサイダーであり続けたい」「偽者になりたくない」というあたりから始まった気がします。それ以来それを常に意識していたというわけではなく、そんなことほとんど忘れていたといってもいいのに、こうして振り返ってみると、意識下でなかなかそれは根強い動機だった気もします。今の自分は、やっぱりそれに沿ってやっていってるような気がしますね。
この年になって周りの友人などを見て、ふと将来のことが不安になったり、「何でこんなところでこんなことをしてるんだろう」と思うことも最近よくあったけれど、こうして振り返れば大方自分のやりたい通り人生の舵を取ってきたような気がしました。こういう言い方は大げさだけど、ここ25年くらいを振り返って、ちゃんともともとの目的どおりやってきたな、よしよし、という気になりました。
話は戻って、このジャスカントリーを書いたナット・ヘントフは本業は作家ではなくジャス評論家です。去年、最近ファンになったボブディランの古いCDを買ってその解説を読んでいたら、このヘントフが書いていました。すごい古い60年代に初めてリリースされたアルバムなのだけど、なんだか時代がぐるりと回ってひとつにつながったような、不思議な感動がありました。
写真は今日のチャーリーのバレエフェスティバルの楽屋風景と晩御飯のピザ。大きさは30センチくらい。いうまでもなく2枚作りました。
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4 件のコメント:
> こうして振り返れば大方自分のやりたい通り人生の舵を取ってきたような気がしました。
あつこさん そう思えるのは、なによいりいいことでしょう。その逆だったら堪らなく辛いことです
自己実現などという前に、上のような自分になれたかどうか... それがだいじでしょうなぁ
今日のブログに大きな拍手です
こんのさん、ありがとうございます。そんなに大それたことを書くつもりじゃなかったんだけど、昨夜ふと、「そういえば私ってやっぱりアウトサイダーやし、上司がいるわけでもなく、好きなことしてお金もらって、昔望んでたとおりやん。」ということを思いついたのでした。
やっぱり望んでたことってかなうんですね。
あつこは昔から好きなようにしか生きないイメージでしたよ。はたから見るとうらやましがられる生き方ですよ。私も思ったようになってると思ってますけどね。
あくあさん、ありがとうというべきか?自分勝手といえばそうなんだけど、でもそういわれても最近はぜんぜん気にならなくなりましたね。(言われたことも無いけれど)確かに日本で旧友に会ったときは結構うらやましがられたかなあ。こちらとしてはこっちも必死で生きてるから、どこが???という感じだったけど。
あくあさんも昔この人はこういう生き方をするだろうなあというそのままですよ。あとは政治家の道?
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