今日のタイトルのProcrastinationというのは、「ぐずぐずする」と辞書に載っています。もっと詳しく説明すると、やらないといけないこと、やっておいたほうが良いことがあるんだけど、それを先延ばしにしてなかなかやらないこと。
わたしは普通はその日にやらないといけないことは無理してでも済ませて、余裕があれば明日の分もやっておきたいほうです。それはそれで律儀というか、悪い性格ではないと思うんだけど、時々疲れます。昔メキシコに住んでいた人が、メキシコ人は今日しなくても良いことは絶対に今日しないといっていましたが、時々そういう性格になれたらなあと思う。
でもそういう性格のわたしですが、proctastinateして、ぐずぐず先延ばしにしていることがあります。それはエッセイ。
おととしの11月位からふと思い立って、デボンについてのエッセイを書き始めたんです。その頃は今のようにブログをつけていなかったし、日本語を書くのは久しぶりというところでした。それまでにも一度銀行勤めを辞めたときに、毎日家でロンドンについてのエッセイを書いたのですが、初稿が終わったところで放ったらかしにしてありました。そのときは一人暮らしで働いてもいず、一日中書いていられたのですが、ほんと、結構しんどい思いをして書きました。でも本1冊分くらいは書こうとがんばりました。
それが今回はさらさらかけるんです。時間もまとめて取れないし、家事の合間とか、夜子供が寝たあと書いてたんですが、割と短期間に本にするには長すぎるくらい書けました。それが去年の春。それから推敲を何度もして、同時になんとなく出版社に出版の打診とかを始めました。それで結局長すぎるということで、また今年の春過ぎから再び推敲して、3分の2くらいに減らしています。それがそろそろ終わりかけになってきました。
初稿が書き終わったのは1年半くらい前。その間は夢中で書いていましたが、推敲になると結構つまらない。だってもう自分の書きたいことは書いてしまったのだし、気持ちとしてはもう次のことに向かっているから。それで推敲する傍ら、別のエッセイ(奇談集)だとか詩だとか小説だとか、文学賞に出すための原稿なんかを書いています。ブログもそうしているうちにはじめました。
そうしているうちに、気持ちはデボンのエッセイからはますます離れていって、もっと違うことを書きたいし、文学賞だとかコンテストだとか、詩や小説ももっとやりたいなあという気になってきました。
推敲ってやりだすときりがないんですよね。特にワープロだから、いくらでも直せるし、時間を空けて前書いた物を読むと、変えたいところもどうしても出てくる。それでこのデボンのエッセイはこれで終わりにしようと思っています。今最後の章の推敲が終わって、これを縦書きに直しているところ。これが終わったらもう一度はじめから通して読んで、目次を作ってあらすじをまとめて、それで最後にしたいんです。
最後にしたらどうするかというと、また出版社をいくつか当たってみるつもりです。でもそれで良い返事がもらえようともらえまいと、もう書き直すの嫌だなあって言う気になってます。だからはじめに書いたprocrastination。なかなか筆が進まないというか、ワープロに向かう気になれない。もうこれにかかわるのは飽きたという気持ちと同時に、きっぱり足を洗いきれない気持ち。そして本当に最後の推敲が終わったら、もっと熱心に出版社にコンタクトをしない口実がなくなるから、それも怖いというかめんどくさいというか。結局却下されるのが怖いんでしょうね。 Fear of rejection.
でも人生にはけじめが大切というか、パタンとページを閉じて次に進まないといけない時もある。こんなことそんな大げさに言うほどのことでもないんだけど、そういう時が来た気がします。そうしたら今度は書きかけの奇談集にまた取り掛かれるし、小説のほうももうちょっと膨らませたいし、公募ガイドをチェックしてまた文学賞に応募したいしなど。そこからはまた新しいチャレンジというか、楽しみがあります。
こうして思うと、何年も文章をぜんぜん書かなくて、(でもそういえば思い出しましたが、5年位前にロンドン出版の日本語の雑誌に半年ほどエッセイを連載してもらってたこともありました。)それがふとしたきっかけで書いてみようかなという気になって、今ではそれが踏み台となって次の野望というか希望というかが生まれてる。そうして思えば、別にただの趣味のレベルの話ですが、いろんなことがいろいろ良い方向で廻ってきている気がします。ブログをはじめたおかげて知り合った方だとか、長年音信不通になっていてまたお付き合いが始まった方だとか、楽しいことがたくさん増えたし。
One thing always leads to another. そう思えば、デボンのエッセイがどうなろうと、それを書くことによっていろいろまた新たな楽しみや可能性が出てきたわけです。だからそろそProcrastinationもやめて、このエッセイを仕上げなきゃ。
今日の写真は庭に咲いていたひまわり。この週末から寒くなるということなので、切花にして家に入れました。どんなデザイナーのどんな高いインテリア用品よりも、結局本物の花よりぱっと目を引いて部屋を生き生きさせるものってないと思いませんか。その中でもわたしは特にひまわりとチューリップが好きです。
わたしは普通はその日にやらないといけないことは無理してでも済ませて、余裕があれば明日の分もやっておきたいほうです。それはそれで律儀というか、悪い性格ではないと思うんだけど、時々疲れます。昔メキシコに住んでいた人が、メキシコ人は今日しなくても良いことは絶対に今日しないといっていましたが、時々そういう性格になれたらなあと思う。
でもそういう性格のわたしですが、proctastinateして、ぐずぐず先延ばしにしていることがあります。それはエッセイ。
おととしの11月位からふと思い立って、デボンについてのエッセイを書き始めたんです。その頃は今のようにブログをつけていなかったし、日本語を書くのは久しぶりというところでした。それまでにも一度銀行勤めを辞めたときに、毎日家でロンドンについてのエッセイを書いたのですが、初稿が終わったところで放ったらかしにしてありました。そのときは一人暮らしで働いてもいず、一日中書いていられたのですが、ほんと、結構しんどい思いをして書きました。でも本1冊分くらいは書こうとがんばりました。
それが今回はさらさらかけるんです。時間もまとめて取れないし、家事の合間とか、夜子供が寝たあと書いてたんですが、割と短期間に本にするには長すぎるくらい書けました。それが去年の春。それから推敲を何度もして、同時になんとなく出版社に出版の打診とかを始めました。それで結局長すぎるということで、また今年の春過ぎから再び推敲して、3分の2くらいに減らしています。それがそろそろ終わりかけになってきました。
初稿が書き終わったのは1年半くらい前。その間は夢中で書いていましたが、推敲になると結構つまらない。だってもう自分の書きたいことは書いてしまったのだし、気持ちとしてはもう次のことに向かっているから。それで推敲する傍ら、別のエッセイ(奇談集)だとか詩だとか小説だとか、文学賞に出すための原稿なんかを書いています。ブログもそうしているうちにはじめました。
そうしているうちに、気持ちはデボンのエッセイからはますます離れていって、もっと違うことを書きたいし、文学賞だとかコンテストだとか、詩や小説ももっとやりたいなあという気になってきました。
推敲ってやりだすときりがないんですよね。特にワープロだから、いくらでも直せるし、時間を空けて前書いた物を読むと、変えたいところもどうしても出てくる。それでこのデボンのエッセイはこれで終わりにしようと思っています。今最後の章の推敲が終わって、これを縦書きに直しているところ。これが終わったらもう一度はじめから通して読んで、目次を作ってあらすじをまとめて、それで最後にしたいんです。
最後にしたらどうするかというと、また出版社をいくつか当たってみるつもりです。でもそれで良い返事がもらえようともらえまいと、もう書き直すの嫌だなあって言う気になってます。だからはじめに書いたprocrastination。なかなか筆が進まないというか、ワープロに向かう気になれない。もうこれにかかわるのは飽きたという気持ちと同時に、きっぱり足を洗いきれない気持ち。そして本当に最後の推敲が終わったら、もっと熱心に出版社にコンタクトをしない口実がなくなるから、それも怖いというかめんどくさいというか。結局却下されるのが怖いんでしょうね。 Fear of rejection.
でも人生にはけじめが大切というか、パタンとページを閉じて次に進まないといけない時もある。こんなことそんな大げさに言うほどのことでもないんだけど、そういう時が来た気がします。そうしたら今度は書きかけの奇談集にまた取り掛かれるし、小説のほうももうちょっと膨らませたいし、公募ガイドをチェックしてまた文学賞に応募したいしなど。そこからはまた新しいチャレンジというか、楽しみがあります。
こうして思うと、何年も文章をぜんぜん書かなくて、(でもそういえば思い出しましたが、5年位前にロンドン出版の日本語の雑誌に半年ほどエッセイを連載してもらってたこともありました。)それがふとしたきっかけで書いてみようかなという気になって、今ではそれが踏み台となって次の野望というか希望というかが生まれてる。そうして思えば、別にただの趣味のレベルの話ですが、いろんなことがいろいろ良い方向で廻ってきている気がします。ブログをはじめたおかげて知り合った方だとか、長年音信不通になっていてまたお付き合いが始まった方だとか、楽しいことがたくさん増えたし。
One thing always leads to another. そう思えば、デボンのエッセイがどうなろうと、それを書くことによっていろいろまた新たな楽しみや可能性が出てきたわけです。だからそろそProcrastinationもやめて、このエッセイを仕上げなきゃ。
今日の写真は庭に咲いていたひまわり。この週末から寒くなるということなので、切花にして家に入れました。どんなデザイナーのどんな高いインテリア用品よりも、結局本物の花よりぱっと目を引いて部屋を生き生きさせるものってないと思いませんか。その中でもわたしは特にひまわりとチューリップが好きです。
6 件のコメント:
「また文学賞に応募したいし」
あつこさん う~む、なかなか意欲的でいいですねぇ
そういう気持が「生」へのエネルギーになるのでしょう
前向き、前向き ただし、思うようにいかないこともある。それを承知しながら進んでください
また「運」というのもあるのですよぉ
むしろ、運・不運の方が大きいかなぁ...
こんのさん、確かにわかりやすい結果だけを見ればそうかもしれませんね。でも究極的にはそんなことはどうでも良いように思います。結果の基準を他人のオピニオンにすればそういうこともあると思いますが、「生き生きと生きること」だけを基準にすれば、運も不運も他人の思惑や基準も関係なく、すべて自分しだい。希望や野望が生まれると、それがエネルギーになって、その結果がまた次の欲望を生み出して。そうやって生きているんだという実感を持って暮らすことができれば、幸せな人生のように思います。
あつこさん おっしゃる通りです!!ねぇ
ただ、結果に呪縛されると「運」を呪うようになります
はい、それを言いたかっただけです
結果にはほとんどこだわってないですね。これはもともと逃げているのかもしれませんが、今の段階では、ただ応募するだけで楽しいんでしょうね。ただしわたしの言う文学賞って、群像新人賞や芥川賞のような敷居の高いものではなく、素人の応募するようなものですよ。それに賞金がついていればさらによし。
でも話はちょっとそれますが、チャーリーのバレエのコンクールがもうすぐなんです。去年は惜しいところで入選できず、それで彼女の意欲はかなり落ちてしまいました。そんなの見てると、確かに運って関係ありますよね。今は彼女も「結果なんて関係ない」ってまたがんばっていますが。
選択式のテストみたいに結果が明らかなものと比べると、文章にせよバレエにせよ、審査員の趣味とかも含めて運みたいなものが大きいですからねぇ。まあでも試験を受けるとか、賞に応募するというようなことが励みにもなるので、いいんじゃないですか。
それより、ひまわりとチューリップが好きというのに驚き!なんと私もひまわりとチューリップが好きなんです。全く同じだなんてね。
あくあさん、チャーリー自身も去年バレエのコンクールのあとに水泳の競技会があったのですが、こっちのほうが白黒はっきりして良いと言っていました。なんか子供心に結構傷ついたようでした。
チューリップ良いですよね。どちらもわかりやすい花なんだけど、いくつになってもやっぱりこの二つが一番好きです。
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