今日菜園に行ってみると、昨日の鹿、りんごの木を食べていたのに気づきました。これが写真です。証拠があるわけではないんだけど、高さ的に鹿しかありえません。昔、隣の牧場から牛が10頭くらい庭に入ってきたときも、りんごの木がかじられてました。おいしいのかな。
まあ被害は軽かったですが、菜園のほうに入られていたら、きっとレタスなんかは食べ散らかされて、そのへんも踏み荒らされていたでしょう。まだ鹿はこの辺りにいるわけですから、そうなる可能性も十分あるんですが、もうどうすることもできませんね。高いフェンスを立てるくらいしか防御しようが無いし、一日中見張ってるわけにも行かないし。これ以上害が無いことを祈るのみです。そしてまた入ってきたら、その姿をありがたく観察するだけです。
ところで昨日フランスの印象派の画家、マティスについての番組をやっていました。途中から見始めたんですが、とっても感動しました。
彼の生涯を追っていて、私が見たのは彼が40歳くらいのあたりからです。そのころ彼はボヘミアンのパリを去り、南仏のニースに住み始めます。お金持ちが多く住みブルジョアなこの土地は芸術家には似合わないんですが、マティスはその明るい光に惹かれます。ここでは彼は多く裸婦の絵を書き、これが高い値段でよく売れたとのこと。
その土地でモデルとなった20代前半のロシア人女性と深く親交を持ち(でも恋愛関係だったのかどうかははっきりしない。おそらくそうでしょう)、それが原因でその後40年以上連れ添った奥さんと別れます。彼女とはその後死ぬまで一緒に暮らします。
そのあと60代前半で大腸がんにかかり、大きな手術をして2年ほど寝込みます。このあと彼は車椅子が必要となり、一日の大半をベッドですごすようになります。そして人生の黄昏かというこの時期になり、新しいアートフォームに目覚めます。マティスの作品はたくさんありますが、超有名なのはこの時代のものが多いでしょう。カラフルな、印象派というよりは抽象的な作品が多くなります。
この時期にマティスは画期的な手法を編み出します。切り紙です。これで彼はさらにアーティストとして飛躍し、精力的に活躍、評価を高めます。
じゃあ病気は治ったのかと思うとそうではなく、相変わらず車椅子で、仕事の大半はベッドや移動式ベッドでしてます。
そして80歳になるころに、つまり死の数年前に、最高傑作といわれるようなものを完成させます。ひとつは切り紙のSnail(カタツムリ)という作品。そしてもうひとつは小さいチャペル(教会)です。彼は無神論者なのですが、病気のときに献身的に世話をしてくれた看護婦が尼さんで、その彼女のためにこのチャペルを作ります。大きなステンドグラスが二つ、そして二つの壁には簡単な黒い線で書かれたキリストの受難の壁画が描かれています。内装のデザインも彼です。
番組の最後に司会者がこの教会に来て、解説を始めます。それを聞いていると感動が心にわきあがって、ああ涙が出そうと思っていると、その司会者(若い男性。多分アート批評家)も感極まって涙声になっていました。
マティスは、神を信じますかと問われたとき、「創作しているときは信じる」と答えたそうです。アブラハムの教えを突き詰めると、「自分の中の神とつながりなさい」ということなんですが、マティスはまさに、作品に向かっているときは、神と一体化していたんですね。
この番組、最後が良かったし、よくできていました。そして何よりも、マティスが病気になり体が弱まり、老化していくのに逆らうようにして、芸術家としてますます成長していくというところが、感動しました。私なんて40半ばですが、下手をするとこのくらいの年で、もう人生の大半が終わってしまったように考えてる同輩もいます。でもぜんぜんそんなこと無いですね。マティスは40代ではもう画家としては立派に活躍していましたが、自分でもそのあとの40年にこんなにも画期的に飛躍を遂げるとは思っていなかったでしょう。
病気をしても年をとっても、精神は年をとるとは限らない。マティスのようにいつまでも変化し変貌し、成長し続ける人もいるんです。こんな風に死の直前まで。
4 件のコメント:
>病気をしても年をとっても、精神は年をとるとは限らない。マティスのようにいつまでも変化し変貌し、最長し続ける人もいるんです
あつこさん そう思えるって、ほんとに良いことです
普通の人は、なかなかそうは思わないのじゃないでしょうか...
前向きに、生きられる人は幸せなのです
としとると、なかなかそう思えなくなるから切ないのです
マティスは好きな画家です
こんのさん、私もまあマティス好きなほうですが、それほど詳しく知りませんでした。
マティスはきっと、「年をとっても病気をしてもがんばろう」と思ってがんばっていたわけではないと思います。ただ絵を描くこと、、創作することが好きで、取り付かれるようにそれをやり続けた結果、こういうことになったのだと思います。
それは芸術家の特権といってしまえば簡単ですが、何かに自分を忘れて没頭する、それは誰にでも可能性はあるんじゃないかなあと思うんですが。病気や年に限らず、「心配する」って本当に良くないと最近しみじみ思ってます。
これはテレビの「近代の巨匠」というシリーズで、あと5回くらいあるようです。楽しみです。
いい話ですね。そういう人を見ていると希望が沸くし、そういうふうに人にも希望を与えられる年の取り方をしたいですね。
あくあさん、そのとおりですね。しかも「人に希望を与えよう」と努力するでもなく、ただ自分のやりたいことをパッションを持ってやり続け、それが他人のインスピレーションになればいうこと無いですね。
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