2009年9月30日水曜日

解凍

今日は一年に一度の、世の中で一番つまらない家事をしました。冷凍庫の解凍です。これって本当に誰にも感謝されないし、目に見えるところがきれいになるわけでもないし、つまらない。でも年に一度くらいはしないと霜で一杯になるし、そうなると電気代が無駄らしいし、しょうがありません。昔友達のとこにディナーに呼ばれて、お土産にハーゲンダッツのアイスクリーム買って行ったら、その家のフリーザーが霜でいっぱいで開かなくて、入れられなくて溶けてしまったということがありました。 そういうことにならないためにも。

シティーで働いていたときは、セールスデスクで隣に座っていた女性が、上司に「週末は楽しかった?(Did you have a nice weekend?)」と聞かれるたびに、「冷凍庫を解凍した」と答えていたのを思い出します。彼女はその上司が嫌いで、しかも彼女はだんなさんと仕事の関係で別居していて(ご主人はオーストリアの銀行で働いてた)、一人で週末を過ごすことが多く、週末の事を聞かれるのが嫌だったみたいです。それでこんな返事してたんだけど、そういわれると確かに返す言葉がないですね。

本当は年に一度といわず、2ヶ月に一度位するべきなんだろうけど、うちはたいてい冷凍庫がいっぱいなので、なかなか機会がありません。でも冬になったらフリーザーのドアを開けておくと寒くなるし、重い腰を上げて、明日買出しに行く前の今日しました。

2週間くらい前から計画していたので、先週は買い物も控えてなるべく中身を減らすようにしていたのですが、やっぱりまだまだたくさん中身がありました。

写真で見ると、お肉4パック、魚2パック、ソーセージ、ムール貝、パン2斤、ピタブレッド、自家製パン粉、アイスクリーム、アイスキャンディー5つ、ベーコン、日曜にIKEA で買ったミートボール、グリンピース、スモークサーモン2パック、去年取れたえんどう豆、同じく去年からあるパンプキンの身2袋、今年採れたソラマメ、イチゴ2袋、ブラックベリー3袋、かに捕りの餌用の魚、パイの生地、使いかけの餃子の皮、そして納豆一パック。 よくあるなあ。3週間くらい買い物に行かなくても良いんじゃないだろうか。

3時間くらいで解凍できたので、冷蔵庫に移し替えていた上記のものは溶けていなくて大丈夫でした。よかったあ。

そういえば家の保険で、泥棒とか火事のための家財道具の保険をかけているんだけど、その中に冷凍庫の物という項目もありました。冷凍庫が壊れ中の物がだめになったら、保険が下りるんです。そういえば確かに金額にすれば100ポンド近くにはなるなあ。

それで思い出しましたが、作家の村上春樹さんはコロッケが大好きで、昔たくさん自分で作って冷凍していたら、冷凍庫が壊れて全部だめになってしまったことがあるんですって。そういうのは、お金が戻ってくれば良いって物でもないなあ。(でも彼の作ったコロッケ食べてみたいなあ。)


とにかくこれでまた1年解凍しなくても良いので、またいろいろなものが冷凍庫にたまっていきそうです。

2009年9月29日火曜日

追伸、IKEAの机のその後

今日仕事から帰ってきたデイブがルイの机を組み立てました。同じものを組み立ててわたしは昨日1時間くらいかかりましたが、彼は10分くらいでできました。ぐっすん。チャーリーは「お父さんはずるして電動ドライバーを使ったらからだよ。」と慰めてくれましたが。

読書感想文 Midnight Press






今日も一人でプールに行きました。今日はちょこっとクロールも交えながら、平泳ぎで1200メートル、ノンストップで泳ぎました。結構自信がついてきた。その気になれば、5キロくらいなら泳げるような気がしてきました。 

マイ電動ドリルの話がコメントで出ましたが、私もマイかなづちを持ってます。これです。よく見るとgirly hammerと書いてあります。girlyというのはただ「女の子の」という意味だけではなく、「おんなおんなした」というか、ほんのちょっとさげずむ様なな意味合いのある言葉です。でもこれがよくできていて、持つところをあけるといろいろなサイズのドライバーが出てきます。


さて、今日書くのは、1年ほど前に日本から2冊送ってもらったMidnight Pressという詩の雑誌についての読書感想です。内容は半分くらいが詩で、半分くらいが散文とか書評とかインタービュー、対談になっています。

詩のほうはわかりにくいというか、難解な詩が多い。こういうのをまじめにこつこつ読むのはしんどいので、1日ひとつとか二つのペースでさらりと読んで、気に入ったのだけ読み返すという読み方をしていました。

学校で読まされた詩って、読解だとか意味を考えたりだとか無理やり暗誦させられたりだとか、堅苦しい読み方が多かったですよね。でも本当はそんな読み方よりも、意味なんか考えずただ気に入ったものだけを何度も読んで、それでその一部だけでも記憶に残って、ふとしたときに思い出す、なんていうのが詩を読む醍醐味ではないかなあと思うようになりました。その詩の一部を自分の考え方の一部に取り込んでしまうような。
詩っていうのは歌にもつながるもので、意味だけでなくリズムだとか音感が大切な要素ですから、気づいたら覚えてた、口ずさんでたというのが、詩なんじゃないかなあ。

たとえば私は時々美しい光景なんかに出会うと「世はすべてこともなし」っていう言葉が浮かんできて、どう頭をひねってもこれ以上の表現って思いつきません。それでこれがどこから来たかというと、多分ロバート・ブラウニングというイギリスの詩人の詩の翻訳を昔どこかで読んだのが頭に残ってるんだと思うんだけど、その辺は良くわからない。でも確かに、この一節は私の精神の一部になってるんです。

ああ話がそれた。midnight pressにもどると、谷川俊太郎が田村さと子というラテンアメリカ専門の詩人をインタビューする記事があります。これを読むと、詩にはぜんぜん関係ないんだけど、南米ってほんとに半端じゃなくまだ危ない国なんだなあと、しみじみ思いました。英語ではLife is cheapという表現があって、これって命は尊いの逆なんだけど、ほんと南米ではライフ・イズ・チープなんだなあ。

それから谷川俊太郎さん。彼って戦後の日本を代表する現代詩の第一人者ですが、彼って詩人的な敷居の高いところがぜんぜんなくって、今ではかなりお年だと思うのに、すごく精力的にいろいろ活躍されています。この雑誌でも、詩はもちろん載っているし、前述のインタビューだとか、アバンガルドでパンク的な若者の詩のムーブメントに参加して、その対談をしたり。彼って昔はスヌーピーの漫画を翻訳していたし、確か鉄腕アトムの作詞も、宮崎駿のアニメ、ハウルの動く城の主題曲の作詞も彼だったように記憶しています。もっとも彼の書いた本によると、「詩では食べていけないから」ということなんですが。谷川俊太郎でも詩で食べてはいけないんだなあ。

あとは詩の教室というページがあります。これはある意味ではとっても日本的だと思いました。投稿されてきた詩を分析して批評するわけですが、こういうのってすごく勉強になる反面、それはある一人の詩人(おそらく)の意見でしかない。その辺を忘れないで読むと、とっても参考になるけど、こういうのをまったく文面とおりに100パーセント真に受ける人もいるんだろうなあ。すごい詩人とか作家とかアーティストって言うのは、こんな風に細かく分析されて徐々に上達するというようなものでもない気もします。他人の批判だとか規制の価値観なんかをぜんぜん意に介さないほどでないと、すごい詩人にも芸術家にもなれないんじゃないかなあ。まあわたしのような人間には、ありがたい記事ですが。

ひとつ気に入った詩を見つけたので載せます。岡田すみれこという詩人です。彼女の詩が何篇か載っていて、結婚して何年も経つ旦那との仲が今ひとつうまく行っていないんだろうなあと思わせる詩のあとに、これが出てきます。

「わたしとかれ」

三日ほど家を空けた
猫は玄関に寝そべったまま
黙って待っていたという
わたしが帰宅すると
家人の間からのっそり顔を出して見上げた

夜も更けたので寝ようと思うと
かれは階段の横に
ひっそりとすわっていた
秘密の約束のように
わたしは胸躍らせてしゃがみこみ
深い思索のようなかれの目を見つめて
柔らかな毛並みに手を入れる
確かめるようにわたしのからだの匂いを
何度も嗅いでいるときに
ふっと電気が消えた

「わたしね、かえってきたでしょ?
でもまた出かけるのよ」
「知ってるよ、またいなくなるんだね」

暗闇の中で会話をすれば
ほてったからだに猫の小さな鼻が冷たく
心地よい
その夜かれは
夫のベッドの脇をすり抜けて
わたしの腕の中にそっと滑り込んできた
つかの間の愛しい時間を、慈しむかのように


この猫との会話がなんだか胸にひしひしと来ます。それでどういうわけで、この人は3日家を空けていて、また出て行くのかなあとか、あまり良い事情ではないんだろうなあとか、そんな大変なときに猫なんてかまってる余裕はないんだろうけど、その中にあってつかの間の猫との会話がなんか心に響くんですよね。猫と人間の愛情、なんていう安っぽい感情以上のいろいろなものを感じます。

こんなに良い詩のあとで恐縮ですが、わたしも詩のブログのほうにひとつ載せましたので、よかったら見てやってください。短いですから。
http://fordfarmpoems.blogspot.com/

リクエストをいただきましたので、そこに去年撮ったこの辺の海の写真を載せましたが、詩アレルギーの人のために同じ写真をここにも載せておきます。

2009年9月28日月曜日

IKEAを組み立てる







昨日買った机と洋服ダンスは自分で組み立てないといけないということを、昨日書きました。それで今日は子供が学校から帰ってきてから、チャーリーの机を組み立ててみました。大体こういうことはデイブがするのですが、気が乗らないとやってくれない。それで私がやると、もちろん家具を作るのが本職の彼のようには完璧にはできないので、文句を言われるということが多い。それでも子供たちも私も楽しみだったし、いったい素人でも簡単にできるものなのか興味もあったので、やってみました。

まず箱を空けて部品がちゃんとあるか調べます。日本だったらこんなことする必要ないのかもしれないけれど、イギリスではこういうところで手落ちが多いので、入念にチェック。結果は全部そろっていて問題なし。でも結構机のパネルって重い。インストラクションを開けると、とってもシンプルな図解なんだけど、ぜんぜん言葉が書いてありません。すべて絵です。「わからなかったら、IKEAに電話しましょう。」ということも絵で書いてあります。これはもちろん、ほかの国でも同じものが売られているからです。 まあほかのややこしいものならともかく、机くらいなら言葉なしでもわかります。(机といってもコンピューター用の机で、引き出しのように机の下から板が一枚出てくるようなデザインです。)

実際にやってみると、所要時間は1時間くらい。ただの机にしたら、結構かかったほうかもしれない。内容は難しくはないのですが、「組み立て」というようほどシンプルでもありません。まず、自分で組み立てるタイプの家具にしてはしっかりできているので、それぞれの部分が重くて、一人では無理。要所要所で誰かに支えてもらわないとできません。

それから私は過去にもIKEAの家具を組み立てを手伝ったことがあるので、アレンキーというちょっと専門的なねじの使い方を知っていましたが、知らなかったらちょっとわかりにくかったと思う。それと、ねじを留める場所など、ややこしくはないのですが、結構力が要るし、技術がいるというか、経験がいるというか。とにかく一度もこういうことをしたことがない人には、きちんと作るのは結構難しいかもしれません。

それでも、本当によく考えてデザインしてあるなあと感心するところがいくつかありました。たとえば机の下に引き出しのように板がスライドして出てくるようになっているのですが、そのレールの金具をねじで取り付けるのに、失敗してねじがうまく留められなかったときのために、金具に予備の穴が開いていました。それから机の下の床に触れる部分は、床が痛まないようにプラスチックの部品を釘で打ち付けるのですが、その釘の頭が床に触れないようなちょっとした工夫など、本当に大衆向けにシンプルに、かつ効果的に考案されていました。

判定としては、組み立てというほど気軽なものではないけれど、落ち着いてゆっくり時間をかけてすれば、そして誰か子供でも良いのでちょっと手伝ってくれる人がいれば、問題なく組み立てられます。でもまあ、うちの母なんかにはちょっと無理かなあ。

ルイの机はまだできていません。私がやっても良いんだけど、ルイはお父さんにやってもらうといっています。何でや!でも私のワードローブも、週末にやってもらうつもりでいます。難しくはないと思うんだけど、これはなんといっても机より大きくて、フラットパックの箱を私一人では動かせないくらいなので、残念ながら私には手が出ません。

でも一人暮らしだったら、週末に友達に手伝ってもらったりして、自分でやるんだろうけどなあ。私って実は何でも自分でやりたい人なんですが、まあ今回は、たまにはデイブを頼りにしてあげましょう。

2009年9月27日日曜日

IKEA


今日は日曜というのに早起きしてIKEAに行ってきました。日本ではイケアというようですが、イギリスではアイキアと発音します。でもこれが正しい発音って言うわけではありません。私の家から一番近いIKEAはここから車で2時間もかかるブリストルという街にあります。


どうして早起きして行ったかというと、イギリスは日曜は6時間しか店を開けてはいけないという法律があって、日曜の営業時間は11時から5時まで。5時に閉まってしまうのなら11時には行きたいということで、7時半におきて8時半に家を出て行きました。


前に行ったのは3年くらい前。その頃は引越しして間がなかったこともあり、年に一度くらい行っていましたが、行くたびにあれこれ買って、でもそれをぜんぜん取り付けないで(壁に穴を開けて取り付けるタイプのものを多く買った)屋根裏にそのままになってるので、これを全部取り付けるまではもう行かないぞと宣言していたのです。でも最近ルイとチャーリーが別室になったので、それにあわせていくつか必要なものが出てきたので、これを機に日ごろから欲しいと思っていたものを買いに行くことにしました。


日本のIKEAはどうか知りませんが、イギリスは基本的に届けてくれないんです。手続きをして頼むことはできるんだけど、手数料がかなり高いので、たいていの人は何とかして自分で持って帰ります。私たちが今回買いたかったものは子供の勉強机二つと私の洋服ダンス(ワードローブ)とベッドの下における収納箱だったので、普通の車では無理なので、デイブの仕事先のライトバンで行きました。


せっかく遠くまで行って売り切れになると馬鹿らしいので、まず着いたら早速お目当てのワードローブと机を買って、これを車に詰めました。こうしてまた入り口から入りなおして、今度はゆっくりあれこれ買い物です。一応ショッピングリストも持っていきました。


買ったものはレシートを見ると、ベッドの下の収納箱、前に買った収納箱のふた(これは失敗。サイズが合わなかった)、壁に取り付けるフック、勉強机の上のライト二つ、ブックエンド、ラッピングペーパー、ねずみのぬいぐるみ、食器洗いのブラシ、ソファーなどについた猫の毛を取るローラー、洗濯物のかご、お皿、茶碗、ナイフとフォークセット、トイレブラシ、以上。まあ、こまごまとしたものをいろいろ買いました。


ショッピングリストにあって買わなかったのは、ルイのカーテンとフライパン。これは良いのがなかった。


はじめの買い物(机とたんす)は私が、残りのものはデイブが払ったのですが、私のほうが数ポンド安かった。これには驚きました。おそらくこういった大きい家具の値段を抑えて人が来るように仕向け、雑貨で利益を上げてるんだろうなあ。


まえにIKEA に来た時って、特に雑貨のセクションはほんとに何でもかんでも安くて、欲しいと思えば値段なんて気にしなくても買えるというくらいでしたが、今回はなんだかどれも高いなあという気がしました。たとえば前回と同じトイレブラシを買ったのですが、今日は倍以上の値段でした。(といっても99ペンスなんだけど)食器洗いのブラシも同じ。


これっておそらくポンドが弱くなったからじゃないかなあ。何でも外国で作られているから、輸入するのも高いし、スエーデンの会社だから、その辺も関係あるのかもしれない。こうして考えてみると、イギリスって5年位前から洋服がすごく安くなったんだけど、最近はまた高くなってきた。これもポンド安せいかなあ。ガソリンの値段も関係あるのかなあ。こういう時ってユーロじゃないって不利だよなあ。


そういうわけで前回のように、何でも気楽に買い物籠に放り込むという感じではなくて、いろいろ頭をひねりながら買い物し、レジに並び始めてから、やっぱり辞めようと返したものもいくつかありました。


それでも買い物が終わってバンに入れると、あれ、たったこれだけしか買わなかったの?って感じでした。家に帰ってからも、「数ポンドのことだし、次はまたしばらくいけないんだから、買って置けばよかった。」と話し合ったものがいくつかありました。普段はこの逆で、こんなの使わないのにどうして買っちゃったんだろうということが多いんだけど。


お昼ごはんはそこのレストランで食べました。私は蒸しサーモンと野菜、デイブはフィッシュアンドチップス。子供たちはスエーデンのミートボールとパスタ。味も値段も悪くなかった。


最後にレジを出たところで、帰りの長旅に備えてアイスクリームを食べました。これは小さいのは一つ35ペンスで、相変わらず安かった。


まだ机とワードローブは箱も開けていなくて、自分で組み立てなければいけません。難しくないと良いんですが。


2009年9月26日土曜日

無駄な時間

私たちが日本から帰ってきて、早いもので1ヶ月以上たちました。ルイとチャーリーの学校が始まって、3週間ちょっとになります。私の仕事も再開し、子供たちのお稽古事もいつもどおりになりました。ご存知のように、私の仕事は毎日する時間も場所も違うし、もちろんこどものお稽古事も毎日違うから、その日その日行くところ、することが違います。

たとえば月曜日を例にとると、朝7時過ぎに起きてお弁当を作り子供たちを8時半にバスに乗せ、そのあと朝ごはんを食べて、20分瞑想のあと家事を少ししてから9時40分に歩いて仕事に行きます。

そのあと12時前に帰ってきて、家事の残りを済ませたり帳簿をつけたりしたあと、昼食。1時半までには済ませて片づけをします。このあとコンピューターでメールなどをチェックして、1時間ほどヨガ。そのあと3時位からエッセイを書いたり、日によっては庭仕事をします。子供が4時前に帰ってくるので、おやつを食べさせて宿題、ピアノ等をさせたあと、小一時間ほどコンピューターに向かったり、庭仕事の残りをしたりします。そして5時45分に水泳に連れて行って、私は帰ってきて食事の支度。7時半ごろデイブと子供が帰宅。食事。子供を9時ぐらいまでには寝させます。

そのあとまず洗濯物を片付けて、お風呂。そしてブログをつけたり、人のブログを読んだり、メールを書いたりします。11時半には寝室に行きたいんですけど、これがついつい遅くなって、コンピューターを消すのは大体12時過ぎ。

このあと、すぐにベッドに入れば7時間くらい寝れるんですけど、私はここからが長い。まず明日の着るものを決めて、それの準備。それから詩を15分くらいで書いて(毎日簡単でも良いから書くトレーニングしているので。)、日によっては日記をつけます。そして枕もとの電気だけにしてベッドに入る。すると枕もとの本が気になります。最近は詩の本を手にとってひとつ詩を読んで、そのあと20分くらい本を読んで、やっと電気を消します。

そしてベッドの中で、眠ってしまわないように目を開けて、引き寄せの法則の本にあるとおり、自分の心に描く人生を思い浮かべます。そしてやっと眠りが訪れて、1時過ぎには寝るかなあ、という感じです。

たとえばこの日を例に取ると、必ずしなければいけないことは、子供の面倒、仕事、家事、食事の支度。

切羽詰っているわけではないけれど、しなければいけないのがメールのチェック等、庭仕事。

自分の趣味でやっているのだけれど、自ら日課として課しているものは、瞑想、ヨガ、エッセイ書き(これは時間のある日だけ)、ブログ、作詩、ベッドのなかでのビジュアライゼーション。

そういうわけで、私は自由業だし、それも拘束時間短いし、いくらでも自由時間があるようなんだけど、実際には毎日毎日、次々と予定に追われています。

なのですが、コンピューターをつけたりブログを書いたあとや、家事をしながら退屈しのぎにテレビをつけてしまったりしたら、ついつい時間をとられてしまい、ああ、時間を無駄にしたと毎日のように思うことがあります。夜本を開くだびに、ああどうしてこんなに読み進まないんだろう。もっと時間を有効に使って、たくさん本を読みたいと思うし、朝は朝で毎朝一番に思うのは、「ああ、もっと早く寝ればよかった。今日は早く寝よう。」です。でもここ20年くらい、病気のときなどを除いて一度も早く寝たことなんてありません。

でもね。時間の無駄のない生活って、すごく疲れる気がします。私が忙しい忙しいと思ってやってることの半分くらいは、ヨガだとか瞑想だとか、まったく100パーセント私が好きでやってることのはずなのに、そしてこれこそ究極のリラクゼーションというようなことなのに、「やらなければ」と思うだけで、ちょっと疲れる。

逆に私が「時間の無駄」とみなしている、ウエブサイトをあちこち見るとか、洗濯物をたたむ間にちょっとだけとつけたテレビ番組を1時間見てしまうとか、庭に野菜をとりに行って、そこで30分ほどぶらぶらしてしまうとか、そういうのがリラックスになる。心がつかの間時間から解き放たれて、スケジュールどおりに時間をこなさなくってもまあ良いか、という気になる。心に余裕が出てくる感じ。

夜寝室に行ったあとも、ついつい長々と日記をつけてしまったり、昔の日記を読み返して1時間くらいたってしまったり。ちょっとだけと思って読んだ本を、1時間くらい目がかすむまで読んだり。早く寝なきゃ思う反面、まだ夜明けまでは4-5時間あるし、大丈夫、たっぷり時間あるよ、なんて気になってくる。こういう時って、時間の無駄なんだけど、すごくリラックスしてるんです。

結局、時間の無駄って言うのは、もちろん無駄は無駄なんだけど、それがないとあまりにも時間にがんじがらめになって、つかれきってしまう。無駄な時間というのは、自分に課した義務もターゲットもない、自由なだらんとした時間で、実は結構それが大切なんじゃないかなあと、最近思うようになりました。そういう予定のギャップというか、ふと緊張の緩んだ空白の時間って、もしかしたら総合すると、結構クリエーティブなエネルギーの糧になっているのかもなどと考えてます。

2009年9月25日金曜日

サーファー

何回か書きましたが、ここ北デボンはイギリスの中ではサーフィンのメッカで、よその土地からそのためにこしてきた人などもいます。それでルイは夏には学校で1週間サーフィンのレッスンがありました。

もう二回も今年はこれで海納めだろうと思ったのですが、今週もまずまずの天気で、しかも波がよかったので、昨日も学校のあとに海に行きました。サーフィンではなくボディーボード。ルイは本当は本格的なサーフィンをしたいんですが、ここの海はすごく遠浅で、肩まで海に漬かるまでにはずいぶん沖に出て、岸から見えないくらいの波のむこうに出て行かなければいけません。それで今はボディーボートを持って私も一緒に海に入ります。ボディーボードは私も楽しいので、一緒にするのは好きなんだけど、本格的なサーフィンまで付き合って海に入ってられないので、それは中学に入るまでお預けです。

私は子供たち、特にルイにはサーファーになって欲しいなあと思っていたんです。彼らっていつ見てもリラックスしてて楽しそうで、仲間内の結束も固そうで、幸せそうで良いなあって。それにせっかくこの北デボンに住んでるんだし、サーフィンをせっせとすれば、こういった娯楽の少ない田舎でありがちなドラッグの問題だとか、毎週末パブでのみまくって、酔っぱらって問題を起こすとか、バイクや車にこって事故るとかもいうこともないんじゃないかなって。

昨日海に行ったのは、学校が終わってからなので、4時20分くらいでした。夏の間はここは入り口に小屋があって、入場料(駐車代)3ポンド取られるのですが、9月末ということもあって、もう小屋は今年は閉まっていました。

私たちがつく頃、どこかの学校の団体のサーフィンレッスンが終わったところでした。彼らのほかにも引き上げていく車が数台で、駐車してあるのは5台くらい。一番良いところに止められました。天気もまあよくて、波も良いのに、ああ、すっかり夏も終わったなあという感じでした。

浜に出ると、それでもまだ律儀にライフガードのバンが海を見張っていました。その車の近くで海に入ると、私たち以外に3人くらい大人の男性がボディーボードやサーフィンをしていました。ついこの間までは家族連れや子供たちがいたのに。平日だから、もう子供は地元の子も来ないんだろうなあ。

それでも私たちが上がる5時半頃に、ぽつぽつとサーファーが来ていました。年は30代くらいが中心かな。ぴちぴちした若者たちという感じではありません。そんな人たちがそれぞれ一人でやってきて、顔見知りのサーファーに挨拶したりしても、それでもそれぞれ別々に、日が傾いてきた海でサーフィンしていました。

デイブの仕事先にもサーフィン目当てでこの土地に越してきた人がいます。30歳位かな。彼は昨日は朝の5時に海に行ってサーフィンをしてから仕事に来たそうです。彼は去年のクリスマス前後も、すごく良い波が続いた頃、朝早く働きに来て、昼休みにサーフィンして夜は残業していました。その頃は地元の人だけでなく、かなりあちこちからサーファーが集まってきたようです。

12月の暗くて冷たい海に肩まで漬かって、じっと水平線の彼方を見やりながら、息を詰めるようにして良い波が来るのを待っていたんだろうなあ。

そんなことを考えると、サーフィンって私がイメージしていたような、楽しくてさわやかで軟派な娯楽ではないんだなあという気がしてきました。ハワイやカリフォルニアならともかく、波さえよければこういうところで凍えるような冷たい海に、季節や天気を問わず漬かって。そしてただひたすら良い波がやってくるのを待つ。別にそれによって、何も良いことにつながるわけでもないのに、ただ数秒間波に乗るために。

それってちょっと禅に通じるものがあるような気もします。そして、ただ波の先頭に立って海をスピードをつけて横切っていくその喜びのためだけにサーフィンに情熱を傾けるのって、まるで人生の生き方そのもののお手本のような気もしてきました。

昨日すっかり冷え切って海から上がり、砂浜を歩きながら海のほうを振り返ると、太陽が海のに傾きかけ、息をのむほどきれいでした。海の中にはまだ一人サーファーがじっと波を待っていました。そしてライフガードのバンには、ライフガードのお兄さんが双眼鏡を手に彼を見守っていたんだろうなあ。

それを見ていると、「ああ、世はすべてこともなし」という幸福感が心に広がって行きました。この景色を心に刻み込んでおきさえすれば、どんなに嫌なことがあっても悲しいことがあっても、やっていけるんじゃないかと思ったくらい、感動しました。

この海の写真をリクエストしてくれた人がいましたが、この景色は広角レンズでもだめなんじゃないかなあ。言葉でも写真でも伝えきれない、自分の目で見るしかない感動というものもあるんですよね。

2009年9月24日木曜日

買い物考


毎週木曜日は私の週に一度の買出しの日です。今日も1時間半くらいかけて、70ポンド以上も買い物しました。でもこれでも少ないほうです。というのは来週は暖房を入れる前に絶対冷凍庫を解凍したいので、中のものを減らすために、今日は肉や魚は買わなかったからです。野菜も果物もまだ庭になっているので、これもあまり買わなかったし、いったい何にお金を使ったのだろう?

小型の冷蔵庫くらいの大きさはある冷凍室なのですが、大きければ大きいほどいろいろ入れてしまうものなので、いつも満タンです。うちは基本的に週に一度しか買い物に行かないので、パンを8斤くらい買ってきて全部冷凍するので、それだけでもすぐ一杯になるんです。それで、いつもすぐ中に何があるかわからなくなります。今日買い物行く前に怖々調べたら見たら、アイスクリームとかキャンディーとかたくさんあった。去年のハロウィーンのかぼちゃの実だとか、かにつり用のえさの魚だとか、去年の夏に取れたえんどう豆だとかも入ってます。

そこにまた今日買ってきたパンをどっさり詰めました。来週本格的に中のものを出すと、いったいどんなものが出てくることやら。

最近(ここ10年くらい)イギリスってスーパー間の競争が激しくなって、一つ買うともう一つ無料でもらえるとか、二つ買うと安くなるとかいう特価が多くなりました。今日の買い物のレシートを見ると、

6つ入りのマフィン1パック 72ペンスが、二つで1ポンド
6本入り飲むヨーグルト、1パック1ポンド91が、もうひとつ無料
ラザニアソース 1ポンド70が、もうひとつ無料
4つ入りチーズのスナック2ポンド04が、二つで3ポンド
インゲン豆1パック1ポンドが、二つで1ポンド50
イチジクひとつ69ペンスが3つで1ポンド
合計すると8ポンド近くも値引きになっていました。

でもこれって我が家のようにの家族が多くてよく食べて、大きい冷蔵庫のある家は良いけど、老夫婦二人だとかだとぜんぜん良いことがないですね。それから車で買い物に行かない人は一度にたくさん買えないし、クレジットカードとか持っていない人は、その週に必要ないものを前払いで買いだめするの嫌だろうし。ひとつ無料ならまだ良いけど、複数買うと安くなるっていうのはね。

私だって、いくら安くてもそれはなあというものもあります。今日はマーガリン、ひとつ1ポンド24のものが二つで2ポンドだったけど、でもマーガリンってあまり使わないし、賞味期間もあるので、一つしか買いませんでした。ハムやらお肉やらも、3パック買うと10ポンドとかいうことも多いんだけど、生鮮食品そんなに買いだめできないし、冷凍庫の大きさも限りがあるし。それに一度にそんなに多くのお金を使うことへの抵抗もあって、これは買いだめしません。

それから子供が週に一度ポテトチップの小袋をお弁当と一緒に持っていくんだけど、これが普通は6つとか12個とかがパックになって売っています。12個パックだとかなり大きい。こういうのも複数買うと安いことが多いんだけど、あまりにもかさばっておき場所がないので、これもパス。パスすると、すごく損した気がします。

うちですらそうなんだから、たいていの人はその恩恵はあまり受けてないんじゃないかな。こんな風に考え出すと、こういう値下げの仕方をしても、それで得するのは、まず車があって大きい冷蔵庫と冷凍室があって、家族が多くて、クレジットカードでバランスを気にせずに何でも買えるような人たち。つまり中流以上の子供のいる家庭ということになりますね。この辺に多く住んでいる年金生活の老夫婦だとか、一人暮らしの人とか、生活保護を毎週もらって生活している母子家庭だとか失業者にとっては、ぜんぜん良いことがない。

今日のブログは、買い物に行ったら何もかもが複数で値引きになっていたよという話を書くつもりでしたが、なんだか書いているうちに、社会のひずみを見つけてしました。こんなとこにも貧富の格差が開くような構造になっているんだなあ。

ところで、たまには「ウソでしょ」と思うような値引きもあります。一つ買うと二つ無料でついてきたり、ひとつ2ポンド50のものが、二つ買うと2ポンドとか。ありえないよ、そんなの。いったいどうやってこんな値段決めてるんだろう。

今日の写真はルイの作った修道女の折り紙。ルイはとっても折り紙が上手です。教会は嫌いだけどね。

2009年9月23日水曜日

Assisted Suicide


まず今日の写真は、夏に集まった大学のサークルのOB会の時のものです。広角レンズで撮ってもらったのを送ってもらったので、懐かしがる読者の方もいらっしゃるので、載せておきます。  


今日ちょこっとニュースを見たら、自殺に手を貸すことについての法的ガイドラインができたということでした。自殺といってもただの自殺ではなく、体が動けなくなる不治の病などで余命いくばくもない人が、その病気ゆえに自分では自殺ができない場合のことです。内容は法律変更というわけではなく、今の規制の法律の枠内で裁判されるが、それについての情状酌量についてのはっきりとしたガイドラインができたということです。


この問題は数年前からマスコミで取り上げられるようになリました。当事者の人たち(病人)で、自分の死期が近づいたら、配偶者や子供などに自殺を手伝ってくれるように頼んである人達が、現在の法律では手伝う人が殺人罪に問われるため、法律をかえるキャンペーンをはじめたからです。


スイスにはそういった人たちに死の場所を与えてくれる有名なチャリティー団体があります。つまり自殺を手伝ってくれる団体です。ディグニタット(Dignitat)という名前だったと思います。そこに不治の病等を理由に自殺を望む人が申し込むと、いろいろな厳しい審査のあと、まるで病院のアポのように日を指定され、ホテルのような部屋で家族に囲まれて薬で安楽死されてくれます。


これはスイスでは合法なので、イギリスからも安楽死を望む人が行き、何度かニュースで取り上げられました。


ある女性は体が動かなくなるmultiple sclerosisというイギリスでは割とよくある病気にかかり、成人した息子と娘に連れられてここに来ていました。法律の変更を望んでいる彼らは、自分たちからメディアにコンタクトし、ニュースチームが彼女の最後の日、ホテルを出て娘と息子とタクシーに乗りそこに行き、その部屋の中に入るところまで撮影していました。自殺がすみ、その場を出てきた息子たちがインタビューされていました。彼らはもちろんこれはイギリスでは違法なので取調べがあることは覚悟しているから、空港からその足で警察に向かうと言っていました。


なんかこういうの、本当に切ないですねえ。でもこういう問題って、これからますます増えてくるでしょうね。森鴎外の高瀬船でも似たような話があるくらいだから、昔だってあった問題なんでしょうね。


この息子さん娘さんはどうなったか知りませんが、おそらくスイスで起こったことなので、法律的には罪に問われかったんじゃないかなあ。もちろん似たようなケースがイギリス国内でもあります。そういう場合は、多分過失致死だとか罪状はつくけど、実刑にはならないんだろうとは思うんだけど。


もちろん今日テレビでは、賛成派と反対派が出ていました。反対派は、神にもらった命は貴重だとか、そんなことをしたら老人や寝たきりの人は死ななければいけないというプレッシャーを感じるんじゃないかとか、そんなガイドラインは濫用する人が出てくるとか、まあ昔からある安楽死反対と同じ論点でした。


私は安楽死も自殺の手助けも賛成派です。何をもって、もうこれ以上生きている価値はないと思うのかはわかりませんが、そういう時点に達すれば、さっさと逝きたいです。猫や犬が死期が近づくと安楽死させてあげるのに、どうして人間はできないんでしょう?


もしも自分の愛する人がそういう立場になり、自殺の手助けを望むなら、自分が罪に問われようと問われまいと、助けてあげると思います。


私も昔はそう思っていたわけではなくて、神様にもらった尊い命だからと思っていたんですが、ここ15年位かな、こう思うようになったのは。死ぬことよりも、回復する見込みもなくて人間の尊厳(陳腐な言葉で失礼)もなくなって、たくさんのチューブにつながれてあれこれ薬を送り込まれて、ぼろぼろになっても死ねないで生かされ続けるほうが怖いです。


そう思ってる人は多いと思うんだけど、安楽死はまだまだしっかりとイギリスでは違法です。これもあと10年もすれば、風向きが変わっていくんじゃないかと思うんですけどね。


引き寄せの法則さん、こんなこと書いたからって、悪いこと引き寄せないでね。私は100歳まで毎日ヨガをして元気で長生きして、120歳までは一日おきくらいにペースを落として、ある日ぽっくりと心臓発作で逝くから、関係ないと思ってるからね。