2010年2月1日月曜日

ふるさとの橋

子供のころ両親が離婚しました。私が小学校2年生に上がる春でした。妹はまだ幼稚園に上がる前です。大阪の住之江区というところから西成区へ。距離にしてはほんの少しだったんですが、子供心に遠くに越してきたつもりでいました。

母は看護婦の資格を持っていたので、文化住宅を借りての母子家庭の暮らしが始まりました。私は小学生ですから午後まで学校に行っています。それで妹は母の働いてる病院についていってぶらぶらするということだったんですが、短期間でそれは無理だということが明らかになってきました。そりゃそうです。彼女はたった3歳。朝から晩まで母のいる職場とはいえ、一人で自分の世話など出来るわけがありません。

それで妹だけ母の岐阜の実家に預けられることになりました。かわいそうですが仕方ありません。3歳児が病院で一人で一日中ぶらぶらしてるよりはまだましです。その頃はまだ土曜も仕事していましたから、毎週土曜に母が昼に仕事を終えて、午後から4時間かけてそこまで妹に会いに行っていました。そしてまた日曜に4時間かけて帰ってきます。体も疲れたけど、お金もさぞやかかったことでしょう。何せ新幹線で行ってましたから。

その初めて妹が祖父母の家に置いていかれた日のことを良く覚えています。幼い妹に説明してもしかたがないと大人たちは思ったのでしょう、妹が祖母と出かけているか従兄弟と遊んでいる隙に、何も言わずに彼女を置き去りにして大阪に戻ってきたんです。

私は7歳でしたが、子供心にもひどいことをするなあと思いました。別に妹思いの優しいお姉さんというわけでもなかったんですけどね。置いてきぼりにされたと気付いた妹は、どんなに絶望して泣いたことでしょう。私だったらとても自分の子供には出来ません。

妹が祖父母の家にいた期間はそう長くはなく、せいぜい数ヶ月だったと思います。その後、また彼女は大阪に連れてこられて、今度は保育所に入れられました。でもそこでも長く続かず、1ヵ月後位から3歳にして登園拒否を始めました。

お迎えの時間は5時だったか6時だったかと思うんですが、うちのは母いつもこれに遅れていました。そして妹はいつも一人で、皆が帰ってしまった後保母さんと待っていました。保母さんが母に文句をいていたのを覚えています。

妹は登園拒否の理由は、お昼寝の時間が嫌だったからだといっていました。それはたぶん本当でしょう。でもこのことも関係あるんじゃないかなあと私は思っています。

先日「公募ガイド」を見てたら、埼玉県羽生市主催の「ふるさとの橋」詩コンテストというのが募集されていました。橋についての詩を原稿用紙2枚以内で応募とのこと。募集要領には返信用に80円切手を同封とのことだったので、メールで外国からですがどうしましょうかと訊くと、「こちらで用意しますから大丈夫です。」と親切に返事をくれました。

橋についていろいろ思いをめぐらすと、この祖父母の家の近くの橋のことが頭に浮かびました。それでここに書いたようなことを詩にして先日投稿しました。
その詩を詩のブログに載せましたので、ぜひよかったら見てください。
http://fordfarmpoems.blogspot.com/

2 件のコメント:

こんの さんのコメント...

あつこさん 「ふるさとの橋」(いいなぁ)です
きっと審査員の高い評価が得られると思います
ひょっとするとひょっとするかも...
期待していいと考えますです

哀しみや切なさが深ければ深いほど、その後の喜怒哀楽が輝いてくるのです
それが”豊かさ”として感じられるのです

Atsuko さんのコメント...

こんのさん、ありがとうございます。こんのさんに褒めていただけると、とっても嬉しいです。

結果がいつ発表だったかは覚えてないんですが、まあ結果は水物ですからね。もちろん評価していただけると自信にはなりますから、嬉しいですけどね。