2011年9月22日木曜日

死骸

昔というか猫を飼う4年位前まで、私は死骸が嫌いでした。まあ好きな人もいないだろうし、私だって今でも好きなわけではないけれど、昔は怖かったんです。気持ち悪くて怖かった。

私は都会育ちで、イギリスに来てからもずっとロンドンに住んでいたので、普通にしていたらゴキブリなどのほかには、鳥や動物の死骸を目にすることなんてありませんでした。それがこの田舎のビデフォードに越してきて1年目、ある日町のテニスコートにテニスをしに行ったら、コートに鳥の死骸が落ちていました。それが怖くて怖くて。2面あるコートの両方が空いていたので、死骸のないほうでテニスしましたが、ボールがそちらのほうに行くのが怖くてびくびくしていたのを覚えています。

それからその次の年、庭の菜園のさやえんどうのサポートに立ててあった竹のさおに鳥が引っかかって死んでいたことがありました。見つけたのは昼間だったので、その日の午後はさっさと家の中にこもって、仕事から帰ってきたデイブに処理してもらいました。

ネズミ捕りに野ねずみがかかっていたこともありました。これももちろんデイブが処理しました。

その後この今の家を買うことになったんですが(11年前)、 それを見に来たときに不動産屋の女の人が足元に落ちていた小鳥の死体を足もつかんで拾って、「かわいそうに」とかいいながら生垣に投げたのを、驚嘆してみたことも記憶に焼きついています。

それがもう今では・・・・

死骸なんてぜんぜん平気です。これはひとつには田舎暮らしが長くなって、否応なしに鳥やねずみが死んでるのを 目にすることが多くなったからでしょう。そして猫。

うちのペパーちゃんは小さくてとっても可愛いのにすごく狩がうまいんです。ねずみや鳥をよく取ってます。そしてそれをバリバリ食べるんです。ゲゲゲゲ・・・・と思うけど、それが猫の習性。田舎の自由に生きてる猫は多かれ少なかれそんなものです。で、それを外で食べてくれるんならいいけど、時々家の中に死骸を持って帰るんですよ。持ってかえると、口でくわえながらミューミューと興奮して鳴きます。だからやっぱり見て欲しいみたいです。子供が学校から工作とかをもって帰ってくるのと同じようなものか。

朝起きたり外から帰ってくると家の中に死骸が落ちてることもあります。朝起きて朝食の支度中にバリバリするものを踏んだので、朝ごはんシリアルでも落ちているのを踏んだかと思いきや、ねずみの頭だったということも。

家の中や家の前で死骸が落ちていたら、それがねずみだったらやっぱりちょっと手ではつかめないですね。ちりとりでほうきで取ったり、外だったらシャベルで処理します。でも小鳥くらいだったら足をつかんでポイって できます。

さすがに家の中ではないですが、庭というか野原では、雉だとかウサギだとか山鳩、ラットなどが死んでるのを見つけたこともあります。その場合は場所次第で放っておくこともあるし、邪魔になる場所だとやっぱりシャベルで茂みの中などに移動させます。放っておくとどうなるかというと、やっぱりそこは自然がきちんと処理するのですよ、1-2週間で。

おととしは夏日本から帰ってくると、菜園のネットにヒキガエルが引っかかって、かなり腐敗していたのを見つけました。これはちょっと嫌だったけど、やっぱり自分で処理できました。たぶん手にビニールか何かをかぶせてしたんじゃないかなあ。

でも今でもちょっといやなのが熱帯魚の死体です。そもそも私は魚の水に手をつけるのが苦手なので、それだけでも嫌なんですが、やっぱり熱帯魚はペットなので、そのペットの死骸というのはその辺のすずめやねずみの死骸とは違うのかなあ。

ちなみに今までペパーちゃんが捕まえた獲物は以下の通り。何種類ものねずみ(Mouse)、ラット(Rat、小さいウサギくらいの大きさで怖い)、何種類もの小鳥、ツバメ、ウサギ、トカゲ、こうもり、モグラ。こうもりとモグラを見たのは初めてでした。向かいの家の猫はいたちを捕まえたそうです。

そして友人の猫はスローワームというアシナシトカゲ(外見はまったく蛇と同じ)をつかまえて、家にもって帰ってきたとか。


(これは数年前ここに載せたスローワームの写真。これについての記事はこちら。 長いもの




世間では一般にかわいらしいと思われている猫も、こうして思えば怖いものですよ。

先日のアップル・ミント・ジェリーのレシピをレシピブログに載せました。 気持ち悪い話が続いたので、お口直しに是非ご覧ください。Ford Farm Kitchen

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3 件のコメント:

本読みと山歩き さんのコメント...

田舎に住んでいたり、田舎を車で走ったりすると“死骸に”出合いますね。
″生あるものはいつか死ぬ”わけですが、町ではそれは、誰かが片付けたり見えないようにしたりしますから、なかなかお目に掛かれません。
山でも、所詮山道を歩いている限りは、そうそう鳥獣の死骸にも出会えません。
みんな死に場所なんてものを知っているんでしょうか?
“死”骸を見るのはいやですが、それは自分のせ“生”を意識する瞬間でもあります。

こんの さんのコメント...

怖 い
http://biz-antenna.com/life/627
何度も言うが、お化けの存在を信じない私は、幽霊を見ちゃった!!なんてことは思わない。
これは明らかに疲れによる単なる見間違えか思い込みであった。
しかし一度こういうことがあったせいか、その晩の私の精神状態は
自分でも不思議なくらいに乱れてしまった。
そして暑さと疲れで完全にショートしてしまった私の脳が、
なぜか背後に幾度となくいないはずの人の気配を感じてしまうのだ。

いないとわかっていながらも、誰かがいるような気がして何度も振り向く。
振り向かずにはいられない。
そんな訳のわからない恐怖と暑さのせいで、やっと眠りに落ちたのは
真っ暗だった窓の外にうっすらと町の景色が浮き出てきた頃だった。

翌日私はIちゃんにこの当直中の出来事(を若干脚色したもの)を話してあげた。
彼女は幽霊だったんじゃない?と予想通りの反応を見せてくれたが、
一晩中訳のわからない薄気味悪さに苦しめられ
完全に睡眠不足の私は頭が痛かった。
そしてこの体験を通して、私は25年間一度も考えたことのなかった
『恐怖の感情』を見直し、同時にはっきりとわかったことがあった。

恐怖の感情はある日どこからかやってきたり、誰かから教えられたものじゃない。
恐怖は生まれた時から自分の中に潜んでいる感情なんだ。

実際、数々の生物学者たちは、『恐怖』とは現実や想像上の危険、
喜ばしくないリスクに対し本能的に内在している感情であり、
通常は特定の刺激に対し現れるものなのだといっている。(Wikipedia参照)
例えば、鼠が生まれながらにして猫を避けたり、
カモシカがライオンを見ると逃げ出すのも恐怖の感情による本能的行動だといえるそうだ。

私が研修室で感じた、いないはずの人の気配は
私自身が勝手に作り上げた単なる想像。
言うなれば私自身の問題なのに、それは自分でも
意識していないところで制御できない程に膨れ上がり、
眠ることさえ妨げられた。

今まで怖がりの友達がいると私は内心で馬鹿にしていた。
しかし、改めて考えると、怖がりの人というのは生きるための防御本能が強く、
同時に危険に対するイメージ力が強いと言えるのではないだろうか?

Atsuko さんのコメント...

山歩きさん、山でも死骸は見ないのですか?
去年雪が積もったときはたくさん鳥が死んでいました。きっと山ではたくさん動物は死んでいるんですよ。でもたぶんすぐ食べられちゃうんじゃないですか。うちも熱帯魚が突然いなくなることがあるんですが、死んで他の魚に食べられたとしか思えないですからね。

私は死骸自体は平気ですが、触りたくないというのはやっぱりバクテリアだとかの病原菌が気になるからじゃないのかなあと自分で思ってます。