私の母は3年前に亡くなりました。最期に看取ることはできなかったのですが、死ぬ2か月くらい前に危篤状態になるのではとのことで日本に飛んで行ったら、けろっと病院から自宅に戻ってました。その時に外食したり散歩したりと、最後の思い出を作れたので、その点については悔いはありません。
でも母との関係について、今でも何となくしっくりしない気持ちはあります。
無茶苦茶仲良いってこともないけど、普通に口げんかも良くしたけど、まあまあ、毎年のように日本に子供を連れて帰っていたし、親孝行はまずまずしていたほうだと思います。
インドにはいろんな女神がいて、それぞれ「学問の神様」とか、「お金の神様」とか役割のようなものがあり、信仰されています。サティア・サイババが、「あなた方のお母さんはこれらの女神を全部合わせたようなものです。自分の人生を犠牲にして、あなた方が無事成長し、成功するために尽くしてくれるのです。」と言っていました。
インドでは「悪い母親」というコンセプトは存在せず、母親とは愛の象徴の「神」として あがめられる存在だそうです。
確かに私の母も、母子家庭で苦労して育ててくれて、自分を犠牲にしてまで子供のために尽くしてくれたと思います。でも、そんな風に「ははうえさま~」と崇めるような気持にはならないですね。
確かに、片方の手では、母は自分を犠牲にしてまで私を育ててくれました。けれどももう片方の手で、私から何かを期待していたと思うのです。私のしっくりこない気持ちというのはこれです。
その期待というのは、老後の世話をして欲しいとか2世帯所帯に住みたいなどではないんですが、自分の描くような理想的な娘になってほしいということです。
その内容は多分、親戚に自慢できるくらいの大学に行って、やはり自慢できるような職種についたり企業に就職して、エリートの男性と結婚して、簡単に行き来できるくらいの距離に住んで、負担のかからない程度に孫の世話をして。。。。たぶんそんなところ。
私のことを個人的に知らない人でも、私はこの期待は大きく裏切ったことはお判りでしょう。ちなみに妹も裏切りました。
そのせいで嫌な思いをしたこと、私も少しはあったけど、一緒に住んでいた妹は、もっといろいろあっただろうなあと思います。
まあ、それが長く尾を引くこともなく、ある程度時間が経てば、あちらが諦めましたが、最後まで私は「理想の娘になれという無言の期待、無言のプレッシャー」には敏感でしたね。察すると、異常に反発してました。
これがね、今自分が20歳と18歳の母親になって、一番肝に銘じておかないといけないことだなあと思います。
子供に期待しない・・・・というのではないけど、まず子供を自慢に思いたいという気持ちは よくないです。そして、「こうなってほしい」という自分の夢の押しつけは絶対によくない。期待するなら、「元気でいつも明るく、のびのびと、なんでもいいから自分の好きな道を歩んでもらいたい。」という程度にとどめておくべきだと思います。
遠くに住む息子ルイについては、もうそう思うのもしんどいので、「勝手にやってくれ。たまには家に帰って、元気な顔を見せてくれ。」程度に、期待は低いです。 娘も、「元気でハッピーならなんでもいいわ。」です。
ではこちらもよろしくお願いします。
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