2009年2月12日木曜日

槍イカ

高校のときのとても仲のよかった友達が火曜の朝亡くなりました。

軟式テニス部で、女子は10人。あの年頃の女の子はまあ仲がいいものですが、それにしても10人が10人ともずっと仲がよかった。高校のときは全員で交換日記をしていました。卒業時は全員で旅行に行ったし、大学のときも全員で小豆島に旅行しました。高校卒業以降も、月1と称して、月に一度会っていました。それは勿論だんだん頻度は落ちていったけど、それでも年に一度くらいはほぼ全員集まります。私が大阪にかえったら、それを肴に遠くに引っ越した人たちもわざわざ集まって。

10人の仲の誰と誰が特別仲がというのはないのですが、その時の状況によって、10人の仲でも特によく遊んだり付き合ったりということはありました。私と彼女は、高校のときは一緒に学校をサボって原付の免許を取りに行ったり、大学生になったら、二人だけタバコを吸ったりと、悪さ仲間でした。

昨日がお通夜、今日がお葬式。彼女は横浜に住んでいたのですが、祭日と重なったこともあり、クラブ仲間の半分くらいはお通夜に駆けつけました。私は昨日と今日はそれらの友達からメールや電話で忙しくしています。

高校のときは、自分で言うのもなんですが、こう、10人そろった写真なんかを見るとかわいくて、周りからも、軟庭の女子が集まると、コートにぱっと花が咲いた様と言われたものです。

お葬式のお手伝いに行った東京に住む仲間は、「主婦の葬式なんて淋しいもんやよ。」と今日電話でいっていました。それでもまあ、今では40を過ぎたおばさんたちとは言え、軟庭の友達が集まって、ちょっとだけ華やかさがあった、というようなことを言っていました。

彼女はとってもおっとりした人だったのです。おとなしいのに神経が太く、高校時代は槍イカとあだ名しました。生物の時間で、槍イカは神経が太くて実験によく使われるといっていたので。6年半も白血病を患ったのですが、最期までおっとりしてた。精神的にはずいぶん強くなっていたけれど、あれはもしかしたらもともとあの強さが潜んでいたのかもしれない。最期に集まったときに、誰かが少し自分の家庭のことかなんかで悲観的なことを言うと、「そんな風に思ったらあかん。どんなことでも物事は急にはよくなれへん。悪いほうに考えたらあかん。」と彼女にしたら、はっきりといったのを思い出します。

今頃は光となって、あの世に帰っているところかな。軟庭女子代表で花を送って、そこにだか弔電だかに、「すばらしい青春をありがとう。」というようなをかいたそうなので、「そんなおおげさな、臭い台詞を。」と思って笑っていることでしょう。

誰もがいつまでも生きてるようなつもりで生活してるけど、生まれてから死ぬまでの時間しかない。中学の先生という固い仕事をしてる別の友達から、「お互い体を大切にして、パワフルに遊ぼう。」という彼女らしからぬメールをもらって、その通りやなと思いました。

次に大阪に帰るときは、また皆で集まって、彼女のために乾杯して、彼女の分もパワフルに遊びたいと思います。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

大変な数日を送ってたんですね。

私も最近、人生について、いろいろ想うことあり・・・と、書くと大袈裟ですが。

いつ何が起こるかわからないもんね。その時、その時を悔いのないように生きたいけど・・・。

Atsuko さんのコメント...

たまたま偶然、人からもらった納棺夫日記という死についての本を読んでいたところでした。この本、映画になって流行ってるらしい。

人によって長さは違うけど、生まれてから死ぬまでのこの貴重な時間、自分の納得のいくように、生き生きと生きたい、と、改めて思っています。

匿名 さんのコメント...

多分、「おくりびと」と言う映画ですね。機会があったら観たいと思っています。

私も、今、東京の叔母がもう後数日ではないかと言われています。普段は生きていることに何の疑問も持たないのですが、やはりいつかは終わりがある命を生きているんだということを再認識させられます。

Atsuko さんのコメント...

そうですね。私はね、これからも今まで以上に、わがままにやりたいことをやりたいようにするぞ、と思いました。

どんなに悩んでも苦しんでも、良くも悪くも死んだら(一応)それまで。それならどんなじょうきょうにあっても出来るだけ楽しい思いをするぞ、と思ってます。