2013年4月30日火曜日

Micro Manage

ここ10年ほど、心配したりストレスになることが多くあります。何かしたいことや希望することがある。そしてそれを達成するためには、間に誰か人間や機関が間に入らないとできない。その「間に誰かが入る」というのが、ストレスです。

たとえを上げるといろいろあります。
予約を入れておいたのに、向こうの手違いで取れてなくて、満席とか。
小包を郵送したのに、郵便局の手違いで紛失したとか。
伝言を言付けて、 電話の折り返しを1日中待っていたのに、その人が伝言を伝えるのを忘れてたとか。

中間の人が頼りなかったり無責任だったり、たまたま運悪く不手際が合ったり。

しかも最近はコンピューター化してるから、これに、
メールを送ったはずなのに届いてなかったとか、
ネットで買物・予約・チケット手配などをしたのに、間違えて入力してしまったとか、
同じようなことで、ネットが繋がらなくなったとかシステムがダウンしたとか。

そしてもちろんその「やりたい。」「欲しい」という希望が強ければ強いほど、そして関わってる金額が大きいほどそのストレスは大きいです。

要するにその「中間」にはいる人間や機関がしっかり信用できればいいんだけどね。もちろん冷静に考えれば、世の中の大半の事はうまく回ってるし、中間にはいってる人はきちんと仕事をしてるけれど、でもたまにうまくいかないことがある。「めったに」ではなくて、「たまに」です。で、年を取れば取るほど、回数的にそういう経験を積んでるから、不安感とか不信感も募って来るわけです。

そうなると何とかして、その中間の部分を自分で仕切りたくなる。たとえば私は郵便物は絶対に人に投函することを頼みません。特に大事な物は、どんなに不便でも自分でポストに入れます。人に任せていればいいことも、自分でやらないと気が済まない。その対象が家族くらいならまあいいけど、仕事先の人や友達なら、あんまりあからさまにでしゃばるわけにも行かない。その辺もなんとなく人関係的にストレスになります。

うちの子供は昔よく忘れ物をしてました。家に置いていくんじゃなくて、プールとか学校とか出先で、物を忘れてくるんです。それでもう12歳と14歳なのに、バスに乗って自分達だけで出かけたりすると、バスの中に大事なものを忘れ物するんじゃないかとか心配になります。それで、効果もないのに「忘れ物しないでね。」とメールしたり。

まあ一言で言うと、とにかくできるだけのことを自分で仕切って、 不確定要素を減らそうとします。こういうのって、言うまでもなく苦しい生き方。

そうしたら昨日エイブラハムのビデオを見ていたら、「Micro Manageするのをやめて、Generalに考えなさい。」と言ってました。つまり、細かいところまでこうしたいああしたいと 決めるのではなく、もっと全体として、こうなったらいいなあという希望を持ちなさいということです。

例を挙げるなら、家を改築したとします。そしたら、壁はこうして照明はこうしてカーテンはこうしてと希望しますよね。そしてそれをかなえるためには、どこそこの業者がこの日に来るから、この日までにネットで注文したペンキが届いて、この日までに誰それが銀行にXXXX円入金してくれて、その日は子供をだれそれに預けて、その日までにリサイクリングの会社がソファーを引き取りに来て・・・・・・・・。などと考え始めると、ストレスになるわけです。これがMicroManaging

だからそういう時はGeneralに考えなさいとのこと。つまり「私は家族みんなが気持ちよく暮らせて、快適で住み心地が良くて、長く幸せに暮らせるような家に改築したいわ。」という風に思いなさいとのこと。そうすれば、例え希望通りに物事が進まなくても、希望通りのペンキの色が届かなくても、結果として、快適な素敵な家になればハッピーなんですから。

確かにそうですよね。たとえば子供には健康で幸せで成功して欲しいと望むのは気分いいけど、「ピアノの級をとって、水泳のXX大会にでて、XX大学かOO大学のXXX学科に行って」などと望むと苦しい。

そして長い目で考えれば、ピアノが上達しようがしまいが、どんなスポーツしようとしまいと、次のテストの結果がどうでも、希望の大学にいけなくても、それでも健康で幸せで成功してくれれば、それにいたるまでの詳細なんて どうでもいいんだから。

木を見て森を見ない。こういう状況に陥ってたようです。要するに人生って、結果オーライなんですよね。

それから「信じる」「信頼する」っていう能力も、心安らかに生きるには必要ですね。子供って回りの大人を頼りきってるけど、段々年を取るにしたがって、なかなか信頼する心が損なわれていってる気がします。

たとえば毎年のことだけど、この時期種を撒きます。種によっては本当に小さくて、本当にこれが数日で発芽して、夏までに大きくなるとは思えない。こんな小さい種に、そんな生命力が宿ってるとはとても思えない。だから実は毎年ながら、芽が出るまで信じられなくて何度も何度もチェックします。数日たってもでてこなかったら、また撒き直したり。

これも信じる心が損なわれてるんだなあと感じます。子供なら「蒔いて水を上げれば生えてくるのよ。」と言われたら、疑いもなく信じるんだろうに。

Generalに、長い目で希望や望みや欲望を持って、それにいたるまでのプロセスをあんまり細かいことまで心を砕かないで、ゆったりと信頼して構えていられれば、ストレスってあんまりなく暮らせるんだろうなあ。

長文になりましたが、お付き合いありがとうございます。
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2 件のコメント:

あくあ さんのコメント...

あつこがそんな細かいことを気にするなんて結構意外かも。私はB型やO型の友達のおおらかさを見て、「こんなんでいいんだ」と思って学びましたよ(笑)なのでその手のことは気になった記憶がないかも。まあお店で手違いがあったりしたら腹がたつこともあったかもしれないけど、よほど悪意があるケース以外は許しちゃうなぁ。ま、いいか、と思って、対処策を考えますねぇ。逆に、自分が引いた方が楽だから引いてるけど、信念を持って戦うべきなのかなぁ、と考えちゃうくらい。

Atsuko さんのコメント...

もしかしたら外国に住んでるから、やっぱり日本よりもいろんなことが大まかだし、人もきちんとしてる人から無責任な人からいろいろいるから、あんまり間に入る人を信用しなくなったのかも。こういう性格の人間は、雇用者になんかなれないだろうなあ。
楽なほうに流れるのはエイブラハム的にはいいことみたいよ。べつにこだわって筋を通しても、大勢には関係ないし、時間やエネルギーの無駄だし。